第二章「眇」③
真っ暗な山道沿いに、何台か軽トラックがとまっていた。来客用の駐車スペースなのだろうか。空いている場所に秋人もレンタカーを駐車させる。
「おい、起きろ」
助手席で涎を垂らして眠っているナツキの頬をペチペチと叩く。
「ん、が、ついたのか?」
眠気まなこを擦りながら、ナツキはムクリと身体を起こした。
「まだだ。ここから歩きだぞ」
秋人は自分の黒い鞄を左手に持って、運転席から地面へと足を下ろした。
右手に持ったペンライトで周りを照らす。
アスファルトに舗装された道路は随分と前に途切れている。ほとんど林の中のような道を走ってきただけあって、周りには草木が鬱蒼と繁っていた。
人の気配はない。
件の新江田という家があるのは、ここからさらに奥へ、徒歩で進んだところだという。
「うげえ、こんな山道歩けねえよ。俺、ミュールで来てんだけど」
助手席から足を投げ出したナツキがブーブーと文句を垂れている。
「車のトランクに、スニーカーを積んでおいたから、それに履き替えておきなさい」
「なんでそういう準備は良いんだよ……」
諦めて靴を履き替えるナツキを尻目に、秋人はペンライトを口に咥えて、懐にしまっていた地図を広げる。
それはほとんど山岳図に近い。
今いる所は登山口より少し手前の辺りだ。
地図上では、ここからなだらかな傾斜を何百メートルか進んだところに赤いバッテンで印がされている。目的地の新江田家である。
地図をよくよく見てみると、山の頂付近に神社の存在を示す鳥居のマークがある。
藍那の用意した資料によれば、その神社は、旧二蔵村において古くから信仰の中心であったのだという。市町村の合併によって今では僅かに名を残すのみだが、二蔵地区はかつて独立した集落だった。他の集落から随分と離れている土地柄、ほとんど外界から隔絶されていたといっても過言ではない。
神社の境内は神域とされ、その内側での採取は禁じられた。件の自然薯も例外ではない。新江田氏が取り扱う自然薯は、旧二蔵村の信仰においても特別な意味合いを持っていたという。
村に大きな恵みをもたらす自然薯は、村人達に「山神の乳」と形容され、尊ばれた。
「アニキー、準備できたぞ」
「ん、ああ。行くか」
トントンとつま先で地面を蹴り、スニーカーのかかとを合わせているナツキに、秋人は懐中電灯を手渡す。
すれ違うと肩が触れ合うほどの幅の坂道を、足元をライトで照らしながら進む。
秋人が先導し、ナツキがそれに続く形だ。
しん、とした山の中で二人が土を踏み締める音だけが静かに響いている。
時折、藪から飛び出ている葉の先が身体にピシャリと触れる。その度に、秋人はヒヤリとした。
何か、嫌な感じだ。
秋人には、ナツキと違って目に見えない何かを感じ取るような力はない。けれどこの場所にはなんとも言えない違和感のようなものがあった。額に、ぬるりとした汗が伝うのを感じる。
「……なぁ、アニキ」
珍しく静かに歩を進めていたナツキが、秋人の後ろでボソリと呟くように声を発する。
「なんだ」
「引き返さねえか?」
思わず、秋人は振り返る。
ペンライトの光に照らし出されたナツキは、真っ青な顔色をしていた。額から汗を垂らし、唇は色を失って震えている。
「……どうしたんだよ、いきなり」
「ここはおかしい。虫の声も鳥の声も聴こえてこない。夏の盛りの山だってのに」
秋人はハッとして耳を澄ます。ナツキの言う通りだった。あまりに、静かすぎた。まるで、森に住むすべての動植物が何かから隠れて身を潜めているようだ。
「……山の中に足を踏み入れてからだ。ずっと探られてる。俺達がここに入って来たことに、あっちは気付いてる。刺激しないうちに逃げたほうがいい」
秋人に対し、ナツキが「逃げる」ことを提案するのはこれが初めてのことだった。
自らの肩を抱きすくめるようにして身を震わせる相棒の姿を見て、秋人に迷いが生じる。
ナツキの言う通り引き返すべきだろうか。 しかし、目的地は目と鼻の先だ。
片道何時間もかけて、ここまでやってきた。恐ろしくなって途中で引き返してきました、などと報告することはできない。
「……あと数分で着くはずだ。そこで目的を果たしたら、長居はせずにすぐ山を降りる。それでいいか?」
秋人が自分なりの妥協案を示すと、ナツキは恨みがましく「うぅ〜」と呻いた後に、しょうがない、といった様子で小さく頷いた。
ナツキがこれほどに言うのなら、警戒は怠れない。秋人はこれまで以上に周囲に気を払いながら歩を進めた。
暗い山道の途中で、分岐に差し掛かった。一方はこのまま道なりに進む、なだらかな上り坂。もう一方は急勾配な石段である。石段とはいっても、自然石を乱積みにして造られたような代物だ。
念のため地図を取り出して確認してみたところ、道なりに進む方向に目的地はあるようだった。分岐して石段を登るルートは、鳥居のマーク、つまり神社へと続いている。
「こっちだ」
後ろを歩くナツキに声をかけ、秋人はなだらかな上り坂の方にペンライトの先を向けた。その光の中に、突如として人影のようなシルエットが現れる。
驚いて「うわあッ!」と声をあげた秋人の背中から、おそるおそる顔を出したナツキが、シルエットの正体を確かめた。
「……なんだよ、お地蔵さんじゃねえか。ビックリさせんなよ、アニキ」
ナツキの懐中電灯に照らし出されたのは、道沿いに十数体に渡って並べられた石像だった。古いもののようで、一部が割れていたり、欠けているものもある。
情けなく叫んでしまった秋人はバツが悪い。ゴホン、とわざとらしい咳払いをして「行くぞ」と先に進もうとする。
「アニキ、ちょっと待って。この地蔵、なんか変だ」
ナツキは石像の前で足を止め、しゃがみ込んだ。その手で石像の顔の部分に付着したついた苔を払う。
「左目のところが、割れている……。これも、これもだ。どの地蔵も、おんなじ場所に傷が付いてる。これって偶然か?」
ずらっと並んだ石像をひとつひとつ確かめて、ナツキは秋人に問いかける。
先に進もうとしていた秋人は踵を返し、ナツキ同様にしゃがみ込んだ。
石像の頭から足元にかけてペンライトの光をゆっくりと当てる。一体をじっくりと見て、また次へ。それを幾度が繰り返した後に、秋人はぼそりと呟いた。
「……眼だけじゃない。足もだ。全部の石像の、左足が欠けている。膝から下が無い」
大きいものや小さいもの。よく見れば作られた年代も少しずつ異なっているように見える。そんな石像が十数体も並んでいる。その全てに共通して、左目と左足が欠損している。偶然とは考え難かった。
「わざと、こうやって作ったのか……?」
そう呟きながらナツキは立ち上がり、秋人の方へと顔を向ける。
その奇妙な石像の前にして、秋人は何かを考え込む様子を見せた。
「眇(すがめ)か……」
左目と左足が欠損した姿を見て、秋人は藍那に手渡された資料を思い出していた。
藍那が新江田家の当主と交わしたという面談の記録を。
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