第一章「夢の帆船」④

 太陽が西の地平に沈みかけている。

 ついりは、夕陽の色でオレンジに染まった商店街を歩いていた。

 その傍には黒髪の美少女、竜堂ナツキの姿がある。

「詳しい話はさ、ウチで聞くよ」

 調理準備室の扉を施錠しながら、ナツキはそう言った。話をしている間に時間は経過し、時計は既に下校時間を示していた。

「ウチってどこですか?」

「ウチはウチだよ。俺んち。住んでいる所」

 幻の生徒にも住んでいる家はあるんだな、とついりは思った。

 ナツキの隣について通学路を歩くと、妙に周りから視線を向けられている事を感じる。

 道ゆく人々が、ナツキの容姿に目を奪われているのだ。

 足を止める人は、老若男女も問わない。時には見惚ている人もいるほどだった。

 当のナツキは、そんな熱い視線を気にする様子は欠片も無かった。どこどこの菓子屋の新作スイーツがヤバいらしい、などと他愛もない雑談を喋り続けている。

(見た目がキレイな人はやっぱり特別なんだね……)

 ふと、そんな考えがついりの頭の中をよぎった。

 鏡に映った自分の姿。小さくて腫れぼったい目や雀斑だらけの肌が思い返される。いつからだろう。いつから私は、自分が可愛くないと認識したのだろう。

 容姿を嘲るあの子たちの笑い声。

 空気を読んで、場の雰囲気を壊さないように愛想笑いで応えている自分。それを思い出すと、ついりはお腹の奥がキュウと締め付けられている気分になる。

 周りから集まってくる視線が、急に怖くなってしまう。

 自分の容姿を、ナツキと比べられていたらどうしよう。道ゆく人に、心ない陰口を言われていたらどうしよう。

 ナツキの隣を歩いている自分が急に恥ずかしく感じて、ついりは無意識のうちに歩くスピードをぐんと遅くしていた。

 背筋を丸めて、ナツキの背中を追うようにノロノロと歩く。

「なぁ、ついりんは何やってんの?」

「……え?」

 前を歩いていたナツキが、クルっとこちらに向き直った。

 鞄を持った両手を後頭部にまわして、後ろ歩きで進んでいる。

「楽器だよ、楽器。吹奏楽部なんだろ?」

「あ……トランペットです」

「へぇ金管か! 凄いじゃん」

「いえ、私は全然で……。凄くないです」

「凄いって。俺、笛しか吹けないもん」

「笛を吹くんですか? ……その方が凄いですよ」

「俺の笛が凄かったら、トランペットはもっと凄えよ! 控えめだなぁ、ついりんは。ってか、敬語やめない? 俺、一年だよ」

「えっ、そうなんですか?」

「そうだよ。ほら、敬語」

 ナツキは人差し指をついりに向けて、ツンツンと突つくジェスチャーをする。

「え……あ、そうなんだ。私は、二年生」

「そうそう。ついりんってセンパイなんだね。ごめんな、俺、敬語とか使えないからさ。学年は下だけど、オカルトの経験はこっちがセンパイって事で勘弁してくれよな」

 そう言ってナツキはニッと笑った。

 いつのまにか自分の事を「ついりん」とあだ名で呼び始めているナツキに、ついりは随分と親しみを感じていた。

 聞いていた話の印象とは随分と異なる、快活な美少女だ。親しみやすく、気安く話しかけてきてくれる。

 ナツキと話していると、つい楽しくなってしまいそうになる。そんな自分の心を、ついりは必死にとどめようとした。

 やるべきことを、やらなければ。そのために、ナツキを訪ねたのだから。

「ついたよ、ここ」

 前方を歩くナツキが、足を止める。

 そこは駅へと続く商店街の中程だった。

 先程、ついりがわらび餅を買いに向かった末次堂からそう遠くない場所だ。

 ナツキの立っている位置に目前に、小さな薬局があった。

「漢方藍那堂」と大きく文字が書かれている看板の横には、レトロな書体で「滋養強壮」だとか、「マムシ薬アリマス」などと書いてある。

 店頭に人間の子供ほどの大きさのカエルの人形が置いてある。随分と薄汚れていて、なんだか表情は無機質に感じられた。黒いつぶらな瞳だけが輝いていて、少し気味が悪い。

 店の中は薄暗く、入り口のガラス戸も曇っていて良く見えなかった。とてもお客の一人も入っているようには見えなかった。

「……ここが、ナツキさんのおうちなの?」

「そう。二階を間借りしてんだ。狭いんだぜー、アニキと二人暮らし」

「お兄さんがいるんだね」

「んー、まぁ厳密に言うと違うんだけど、アニキって呼んでいるんだ。俺の保護者兼オモチャみたいなもん。すっげぇ堅物だから、からかうと面白いよ」

 そう言って、ナツキはウシシッと笑った。

「よく働くから、ついりんも気になる事あったら色々と話しておくといいよ。あ、言い忘れてたけど基本的に異変を調査するのはアニキの方だから」

「え、そうなの?」

「うん。俺は相談受付窓口担当。あとは最後のデザート食べ係。ただいまー」

 ナツキは入り口の引き戸に手をかけて、店の中に入っていった。

 慌てて、ついりもそれに続く。

 店舗の内部は、外装から受ける印象を下回るほどに寂れきっていた。

 陳列棚のほとんどは空っぽで、よく見ると灰色の埃が積もっている。

 壁に貼られたポスターはいつの物か分からない程に色褪せていて、端の部分が破けたままだ。

 上から白い布を被せただけの荷物のかたまりがあちらこちらに点在していて、店内を通り抜けるのも難しかった。

 会計をするレジの上にも、うず高く荷物が積まれている。その荷物の後ろから、ぬるりと人間の顔が突き出たので、ついりは思わず「ひっ」と声をあげた。

「ナツキちゃん、おかえりぃ」

 のっそりと姿を表したのは、三十代ほどに見える長身の女性だった。エスニック調の深緑色のトップスと朱色のゆったりとしたパンツを身につけている。頭にはペーズリー柄のターバンを巻いて、ゆるく髪を纏めていた。

 猫背なのか背中が大きく丸まっていて、どこかのっそりとした印象を受けた。

 その表情はどことなく眠たそうだ。

「藍那さん、ただいま! アニキいる?」

「ああ、秋人君なら二階でお仕事しているよぉ。私、もうお店しめちゃうけど、その子はお客さん?」

 藍那さん、とナツキが呼んだ女性の視線が、ゆっくりとついりの方を向いた。

 ついりは小さく会釈をする。

「この店じゃなくて、俺とアニキのお客ね」

「ああ、そうだと思ったよぉ。このお店に来るお客なんて、滅多にいないもんね」

 藍那はのんびりとした口調でそう言うと、にへら、と力の抜けるような笑い方をした。

 お店としてそれは大丈夫なのだろうか、とついりは思ったが、他所の事情に口を出すつもりは無いので、何も言いはしなかった。

「ついりん、こっちだよ」

 ナツキに手招きされ、ついりは店の奥にある急勾配な階段を登る。

 居住スペースだという薬局の二階部分は、家具などが少ないせいか一階よりも幾分か広く見えた。

 その部屋の一角に、シンプルなデザインの小さなデスクがある。前のめりに座り、睨みつけるようにノートパソコンの画面に向かっている男がそこにいた。

 年齢は二十代前半だろうか。撫で付けた黒髪とメタリックなフレームの眼鏡から、どことなく冷淡な印象を受ける。身に纏ったライトグレーのスーツにはシワ一つない。フォーマルに振り切った男の格好は、薄暗い薬局の二階の部屋には随分とミスマッチに見えた。

「アニキー、客だよ」

 ナツキがそう声をかけると、男はこちらの方をチラッと見やり、すっくと立ち上がった。そのまま、ずんずんと早歩きでこちらに詰め寄ってくる。

 その男の眉間に、徐々に深いシワが刻み込まれていくのを見たついりは、咄嗟にナツキの背の後ろに身を隠した。

 腰に手を当て、仁王立ちになった男が険しい表情のまま口を開く。

「……おい。言ったよな。僕は何度も言ったよな。わらび餅を食べる時は、きな粉を制服に撒き散らすんじゃないって!」

 そう言って、男はナツキのセーラー服の胸あたりを指差した。そこには確かに、黄色っぽい粉がまばらに付着している。

「あれ、そんなに付いてた?」

 ナツキはあっけらかんとした様子で、制服を両手でポンポンと叩いた。

「わあああ、やめろやめろやめろ! ここで叩くと、部屋に粉が舞い散るんだよ! 脱げ! 制服脱げ! そんで、店の外でパンパンしろ!」

 バタバタと両腕をバッテンの形に交差させながら、男は声を荒げた。

 ナツキの周りを舞うきな粉に触れないよう、ゆっくりと後退っていく。

「ねぇ聞いた、ついりん。こんなに可憐な十六歳の高校生をつかまえて、制服を脱いでパンパンしろだって。やばいでしょ。これ、アニキの秋人ね」

「誤解を受けるような言い方をするんじゃない! それに僕はお前の兄貴じゃないぞ!」

 顔を真っ赤にしてプンプンと怒っている秋人を尻目に、ナツキはどこからか座布団とちゃぶ台を引っ張り出して、そこに座るようについりを促した。

「うるさいのが居るから、俺ちょっと着替えてくるね。その間に依頼の件、少し話しておいてよ。ちょっとアニキ! ついりんにお茶の一つでも用意しておくんだよ!」

「言われなくてもやる! えらそうに指示するな! あと、制服は後でクリーニングしておくから、忘れずに脱衣所にかけておきなさいよ!」

 奥の部屋に入っていくナツキの方を向いて、明人は怒涛の勢いで言葉を投げつけていた。

 その後姿が見えなくなると、大きく手を広げて深呼吸をする。息が整ったタイミングで、くるっとついりの方に向き直った。呆気にとられていたついりは、ハッとして軽く会釈をする。

 秋人は手にしたハンカチで軽く額の汗を拭き、柔和な微笑みを見せた。

「はじめまして。アレの保護監督をしています、竜堂秋人と申します。以後、よろしくお願い致します」

 丁寧にお辞儀をして挨拶をする秋人に、先程のナツキとの言い合いが強く印象に残ってしまっているついりは、なんともいえない苦笑いをその顔に浮かべた。

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