ウィッチ・テーゼ・アンチテーゼ ~誰でも使える簡単魔法~

 その魔法使いが【ある国】にやってきたのは三年前か。

 怪しい風貌をしていたな……仮面で顔を隠し、長い赤い髪が特徴的だった。


 自身を旅人だと言うくせに、彼女は荷物の一つも持っていなかったんだぜ? 腰に巻いた小さいポーチに携帯食が二つあるだけだ。

 軽装備以下の準備不足で、山を越え森を抜け、町を巡る旅なんてできるわけがねえ。……彼女が普通の人間なら――の話だがな。


 彼女は魔法使いだった――だから荷物なんて最低限でいい。

 服の汚れは魔法で落としてしまえばいいわけだ……濡れたら乾かす、破れたら修復する――移動手段も魔法だ。

 山を越えるにしても、森を抜けるにしても、足を使うことがない。飛んでいっちまえばいいわけだからな――。


 だから食糧だけだ。

 彼女は森に棲息する生物を狩り、調理をし、腹を満たしていた。市販されている栄養ドリンクを飲めば必要最低限の栄養は摂れると思っていたようだ。

 偏食を自覚しているからこそ、不足分を市販の栄養ドリンクで補っている。


 長く滞在する気はないと言っていたが――本人も想定外だったのか、国の近くで長いこと野宿をしていた。目的は知らないが、作業が難航していたのかもしれないな……。

 だからこそ、連日訪れる店だけでなく、国の者が彼女の顔を覚えるのは当然のことだった――顔というか、仮面だが。彼女の素顔が晒されるのは、それから随分と先のことだった。


 国と魔法使いが打ち解けるまでに、いくつかの高い壁があったのだ。


 それを乗り越えたからこそ、互いに信用できた、とも言える――。


 国に【力】を与えた魔法使い……。


 彼女の名は、【アルアミカ】と言う。


 ―― ――


 ん? その魔法使いが今どこにいるかって?


 知らねえよ――魔法の国に帰ったんじゃないのか? 

 

 彼女の地元が魔法の国であるとは限らねえが……、帰る場所がなければ世界中を旅してるんじゃねえの? 元々旅人だったんだ――、一つの国に理由なく留まる彼女じゃない。


 なら、どうして彼女は一時期、長く国に滞在していたのか、か……目的は姫様くらいしか知らねえだろうが、俺たちのような末端にも分かることがある。

 それは俺たち国民が、彼女を囲ってしまったからだな。


 逃がさないように……居心地が良くなるように。

 なぜなら彼女がいなくなってしまえば、国は『力』を失うからだ――、依存しちまっていたんだよ、あの国は。


 


 滅ぼされた? ――どっちだろうな。どっちもか。


 彼女が――魔法使いがいなければ。


 俺たちが【魔法】を求めていなければ――。



 長く望まず、一時の便利さで満足していれば良かったのだ。

 だが、あれもできる、これもできる……あれもしたいこれもしたい――もう働きたくない。

 苦しいことはしたくない……楽しいことをしたい。そういう欲望が溢れ出ていったんだ。


 そして、要望は上限を越えていった……、


 そこからだ、国がおかしくなっていったのは。


 魔法が国を歪めたのか? 違うな――人間が国を歪めたんだ。


 人間を歪めたのは、魔法なのか……? いや、人間の欲望だろう。


『がまん』できない弱さが、人間を壊した。


 引き金は魔法である――、


 直接的に魔法のせいだとは言わないまでも、やはりきっかけは魔法である。魔法がなければ人間は誰も魔法を望まなかった。がまんするべき餌を知ることもなかったのだから――。


 これは俺たちだから、じゃない。


 国があれば、そこに魔法使いが訪れれば、一歩間違えれば、誰もが通ってしまう道なのかもしれない。あんたも他人事じゃねえんだぜ? もしもその手に『なんでもできる魔法の力』があったら、どうする? 使っちまうんじゃないのか? 


 別に、大きく、貴重な魔法なんかじゃない。

 傷の治癒、死者の蘇生、過去へいくか未来へいくか――など。


 一生に一度、出会えるかどうかの魔法じゃない。


 そういった魔法は、その貴重さが俺たちでも分かる。何度も使える魔法ではないし、使う機会がそう何度もあるわけじゃない……。意識的に制限をかけてしまうタイプの魔法だ――。


 だが、俺たちに『配られた』魔法は、物を浮かせる、短時間だけだが、天候を操作する、味覚を調整する、特定の物を探知するなど……、小さく何度も使えて、使う機会が多い魔法である。


 霞んでしまうが、しかしこれらも貴重な魔法で、一回でも使えたらそれだけで充分である魔法なのだが、如何せん、大魔法と比べてしまえば使うハードルはぐっと下がる。


 これくらいならもう一回……、

 そう思い込んで使ってしまう緩みが、その魔法にはあったのだ。


 日常に潜む小さな魔法は、依存の道へ誘導する。


 その魔法がなければ、他の方法が思い当たらなくなるように。


 選択肢が魔法に終始してしまうことになる。

 以前なら、知識と知恵でどうにかしていた問題も――まずどの魔法で対処するか、制限された手札に置き換えて考えてしまうのだ――。


 足下を見れば散らばった手札がたくさんあると言うのに……。


 手に持ち、広げた手札しか見えていない――そんな視野の狭さだ。


 人間を怠惰へ退化させた原因は魔法である。


 魔法使い・アルアミカが提供した、誰もがワンタッチで扱える、最小出力の魔法群――。



 合言葉は『』――そして『○○して』と命令を出せば、状況に対応した魔法が実現する。

 ワンタッチと言ったが、タッチすら必要ない。音声で起動する魔法である。


 その国は、全体が丸ごと魔法に包まれたようなものだった――。


 世界一大きな魔法陣ってことか?


 ……夢であって欲しかったが、現実だった。

 悪夢だったんだ……振り返ってみれば。

 当然、当時にそれに気づけた者はいないのだ……俺を含めて。


 実現した魔法の国。


 その時は誰もが、見えている落とし穴に気づけていなかった。


 ―― ――


 魔法使いへの強い要望。


 提供されている魔法の不具合やアップデートの要求が次第に増えていき、最初こそ感謝の言葉ばかりをかけられていた魔法使いだが、やがて町を歩けば文句や悪口ばかりを投げかけられるようになっていった。


 感謝の言葉なんて一言もかけられなくなっていったんだ――まあ当然だよな。


 魔法が使える生活が当たり前になってしまえば、不便さを主張し、それを失くそうと人は躍起になるものだ。


 魔法を扱うことに慣れてはいても、それに長けているわけでも仕組みを理解しているわけでもない。それは魔法に限らず、他国から取り寄せた科学技術にも言える。


 どうしてそういう機能が使えるのか。


 スイッチ一つで動く道具を分解して、パーツの一つ一つを説明できる者は少ないだろう。


 故障すれば自力で直すことは難しい……、それが魔法になれば分解することもままならず、小さな部品もなく、たった一人で魔法を提供し続けている彼女に頼るしかない。


 だから彼女へ意見が殺到し、人々は自分が先だと主張を始め、他者を押しのけ自身の利益を求めて彼女へすり寄っていった……。魔法が使えないと困る生活をし続け、それが馴染んでしまったのだ――今更、魔法がない生活なんかできない。


 がまんできないだけなのだが……がまんしようとする者はいなかった。


 全員が、魔法に依存してしまったのだ。


 その後、彼女は真摯に要望を受け止めて、順番に対応していった……一人だけでよくもまあ臨機応変に対応していたと思うぜ? 休みなんかなく、休んでいれば次から次へと新しい要望がやってくる。頑張っているのに彼女を対象とした非難は減るどころか増えていき、その言葉はゆっくりと、しかし確実に彼女を蝕んでいった――。

 途中から手が遅くなったのだから、明らかだった。


 魔法使いは疲弊していった――人々の心無い言葉によって。


 それが理由なのだろうな……、俺だったらとっくのとうに嫌になっている。


 だから――、彼女は頑張った方だ……堪えた方なんだ。


 がまんしていたのは彼女の方だった。だけど遂に、堪忍袋の緒が切れた――のか、それとも心が病んだのか、分からないが……彼女は気づけば国からいなくなっていた。


 同時に。


 当時の国の全てを形作っていたと言っても過言ではない魔法も、なくなっていた。



 それから先、人々は魔法を求め、魔法使いを探した。


 当然、本気で姿を消した彼女を見つけられるわけもなく、人々の目は非難するべき対象へ向いた……――国の王族だ。


 王族が原因である、として、国民全員で王族を非難した。


 吊るし上げ、愚王と姫を始末した――国民による下剋上である。


 王族を欠いた国は、新しい王を立てるが、魔法に依存した人々が今更、以前の生活に戻れるはずもなく――。上手くいかない復興への不満を抱えた人々は、新しい王を非難し始め、それが何代も続いたのだ。


 数年もかかってねえぜ?


 殺し合いが繰り返され、気づけば国の人口は減っていった――、


 食糧の奪い合いも苛烈になり、この国に未来はないと悟った者が多かった。


 先を見ていた者たちは一足先に国を出ている……、

「魔法使いを探しにいく」、という理由を使い、その国から逃げたのだ。


 俺も遠征の集団に交じって脱出した――、今更、魔法使いを探す気もなかったしな……。


 ただ逃げたかったんだ――あんな国から。


 あんな奴らと一緒に生活なんかできなかった。


 恩を仇で返すような奴らとは――。



 彼女は良かれと思って俺たちに魔法を与えてくれていた。


 なのに……結果、俺たちは多くを求め、彼女に失望を与えてしまった。


 良好な関係だった居心地の良い空間は、瞬く間に崩壊したのだ。



 その後、新聞の記事で故郷の国が滅びたと知った時、俺の胸の中に生まれたのは後悔ではなく、安堵だった。やっとスッキリした――重荷が外れた……そんな感想だけがあった。



「……後悔があるとすれば、あの子にお礼を言って、謝りたかったってことだがな……まあ、一度か二度、顔を合わせたくらいの俺の顔なんか覚えちゃいねえだろうがな」


「でもおじさん、その魔法使いって、本当に『良かれ』と思ってやったのかな?」

 

 路上で酒を飲んでいた俺に話しかけてきた怪しげな子供……、仮面をはめた男か女か分からねえそいつは、俺の昔話を興味津々に聞いてくれていた。


 ……おっさんの自己満足の懺悔話を聞いてくれるとはな……こいつも暇なのかもしれない。


「……どういう意味だ?」


 そいつの言葉に気になる部分があった……本当に良かれと思って?


 人々に魔法を与えるのは、良かれと思ってやったボランティア精神なんじゃねえのか?


「魔法に依存させた上で魔法を取っ払えば、自然と国は崩壊するってこと。戦力を投下して血を流すよりも楽に壊せるんじゃない?

 まさか滅ぶとまでは思わなかったにしてもさ、整っていた国の『当たり前』を歪ませることはできるじゃん。魔法というイレギュラー……を――魔法という毒を流すことで、純水だった生活水準という水が、やがて汚染されていくみたいに――」


「…………狙って、やったことだと……?」


「まさか想像できなかった、なんて思わないでしょう?」


「全部知って、分かった上で――」


「うん、


「魔法使い……ッッ、アルアミカか!?」


「そうだけど、正確に言うなら魔女かな。

 おかげで昇進したの――今は魔女・アルアミカだから、よろしくね!」


 子供に見えたその姿は魔法で変化したものであり……仮面を取ったその幼い顔は、かつて故郷の国で見た、アルアミカの面影を残しており――、


「依存で殺す。これがアタシが新しく提示した『国の殺し方』――。

 魔法の界隈ではかなり高評価だったんだよ。独自性、創造性に長けているってさ」


 彼女は言った。


「放置しているだけで殺せるから、もしかしたら流行るかも?

 対処される前に使えるだけ使っておかないと勿体ないからね。気を付けてね、これから二番煎じがたくさん増えると思うから――……さて、人間の対処法を見せてもらうとしよっか」



 学習が求められる時代だ。


 旨い話には裏がある――同時に、毒がある。


 旨味だけを吸い取れると思っている奴から、死んでいくのだ。

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