第五話 月に願いを その二
それからニ・三日程過ぎた頃、セフィロスは漸く目を覚ました。
「……ここは……?」
ゆっくりと身を起こすと、額に乗せてある濡れた白い布が布団の上にずり落ちた。それは彼の熱ですっかり生温かくなっている。
自分が膝あたりにまで裾があるナイトシャツ一枚でベッドに横になっているのに気付いた。銀髪紅眼の少年の顔が視界に映り、目を見開く。彼は白いシャツと黒いズボンだけというフランクな格好だった。
「……ルフス……?」
「お前の部屋だ。鍛錬の途中で熱を出して倒れたんだ」
「……そうか。ひょっとして洋紅熱か?」
「ああ。医師もそう言っていた。間違いない」
額に掌をあてる。熱はまだ充分に下がりきっていないようだ。ややふらつきベッドから落ちそうになる華奢な身体を、ルフスは慌てて抱き止めた。
「私としたことが……すまないな」
ルフスの肩に顎を乗せたセフィロスは力なく答えた。熱がまだある為か、脈を速く感じる。
「気にするな。それに俺は既に罹患済みだから平気だ。一度罹れば二度も掛からんというしな」
「……」
ルフスはそのままセフィロスの身体をゆっくりとベッドに横たわらせる。傍に置いてある木桶の中の水に先程の布を浸し、きゅっと絞る。桶の中でぴちゃぴちゃと水飛沫が上がった。
(私はもっとしっかりせねばならぬのに……)
今一つ頼りない自分に対してつくづく、愛想を尽かしたくなる。ただでさえ“力”をやっと思うように制御出来るようになったレベルだ。“力”を使いこなすには、まだまだ鍛錬が必要だ。ランカスター家本家で嫡男である立場であることが彼を更に追い詰める。
額に布を乗せた時に表情が暗いセフィロスの顔を眺め、ルフスは大きなため息を一つついた。
「……あのなぁ。病気の時ぐらい、難しいこと考えずにゆっくりすればいいんじゃねぇのか? また色々ぐちゃぐちゃ考えてそうだが」
布の上から額をぽんぽんと叩く。
「え……?」
「そんな辛気臭い顔していると、治るもんも治らなくなる。“病は気から”という言葉だってあるんだしな」
「ルフス……」
「いつもあのマルロの扱きにお前は音を一つ上げずに頑張っているんだ。たまの骨休み位良いじゃねぇか。自分を甘やかしてやれ」
セフィロスの胸に何かがストンと落ちた。
ルフスの言っていることは確かに、一理ある。
病などさっさと治して、その分頑張れば良いわけだ。
そう割り切ると、少し気分が楽になった気がした。
「……一つお願いがある」
「何?」
「傍にいてくれないか? 今晩だけで良いから」
突然の申し出にルフスは驚いて目を見開いた。まさかそういう“お願い”がくるとは予想外だったのだ。
急な病気でセフィロスはきっと気が弱くなっているのだろう。彼はそう思った。
「……ああ。俺は構わん。それ位でお前が楽になるのであれば」
「……すまないな……」
諾の返事を聞いたセフィロスは、静かに目を閉じた。どこか安心しきっているような表情だった。
ルフスはふと思い出した。
セフィロスと初めて会った時のことだ。
ランカスター家所有地内の公園にある木陰で、宿敵であるヨーク家の従者達に襲われたセフィロスを、たまたま通り掛かったルフスが助けたのだ。
何故自分を助けてくれたのかとセフィロスに問われた時、ルフスは咄嗟に「力の強い者が弱い者いじめするのを見るのが嫌い」と答えたが、実は違った。
彼はセフィロスを最初女の子と思い込んでいたのだ。無垢で夢みたいに綺麗で美しい彼が、大人達の薄汚い欲望で穢されるのを許せなかったのだ。
それが本当の理由だった。
母親譲りの女顔を大変気にしているセフィロスに気を遣い、本当の理由を静かに胸の奥にしまっておくことにした。
プラチナ・ブロンドの髪。
長い睫毛の下には、美しいサファイア・ブルーの瞳。
花弁のような艷やかな唇。
青白い頬は艷やかで、天使のように愛らしい寝顔だ。
眼の前にある無防備な寝顔を眺めると、改めて彼は本当に男だろうかと疑いたくなる衝動に駆られる。
窓の外には、彼の髪色にも似た月が高く登っている。
雲一つない夜空に丸い月が一つ、静かに照っている。
(持って生まれたものは仕方がない。俺が彼を守ってやらねば。おじ上への恩返しというのもあるが、これもきっと定めなのかもしれないな……)
ルフスは窓から月を見上げ、静かに願った。
今は平和だが、遠くない未来にきっと争いが起こる。
その時が来たら、自分達は否が応でもヨーク家と戦わざるを得ない状況になるだろう。
セフィロスは立場的にも、命の危機に晒される。
生まれた時から常に付きまとう運命だ。
平和の中でも、常に強いられる緊張感。
せめて今の間だけでも、窮屈な思いから開放されることが出来たら……。
シャツとズボンを脱ぎ、ナイトシャツに着替えたルフスは、布団をそっとめくった。
自分の為に空けてある空間に身を滑り込ませ、蝋燭の火を吹き消す。隣で眠る美しい額を布ごとそっと撫でると、掛け布団を肩まで引き上げてやった。
「――おやすみ。セフィロス。また明日。俺はずっと一緒にいてやるから――」
――せめて今だけでも、セフィロスが心置きなくゆっくりと休めますように――
窓の外からは満月が二人を優しく包むかのように、優しい光を放っていた。
――完――
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