第9話 街にて

 迷宮を出て森を抜け、しばらく歩くと小さな街にたどり着いた。

 青空の下、ゆるやかな下り坂に沿って、色とりどりの屋根の建物が並んでいる。石畳の道を子どもたちが走り抜け、荷車を押す職人風の男や、お使い中らしい荷物をいっぱい持った少女など、にぎやかに人が行き交う光景が広がっていた。

 ところどころに冒険者風の出で立ちの男女の姿もある。


(私のいた世界のダンジョン攻略者と雰囲気が似ているから、彼らは冒険者よね。この街で見かけるということは、近くに他の迷宮もあるのかな)


 ざっと見て取って、アリーナはラインハルトに声をかけた。


「私の元いた世界と、あまり変わらないように見えます。建物の材質とか、皆さんの服装とか。そういえば食べ物も変わらないですし、ラインハルトさまとは最初から言葉が通じていましたね」


「召喚アイテムは試作品だったと聞いている。極端に遠くではなく、隣接したり重なる部分があるくらいの、ごく近い世界から君を喚んだのではないかと、俺なりに推測していた。君にはすまないことをした。帰る手段が開発され次第、すぐに送り出す心積もりでいる」


 初めて会ったときから変わらぬ実直な口ぶりで返され、アリーナは咄嗟に返答に詰まった。

 何しろ元の世界で身寄りはなく、仕事もごく底辺の扱いで生活に余裕もなく、楽しいことはあまりなかった。


(帰りたいか帰りたくないかと言えば……どうなんだろう。待つ人がいるわけでもなくて)


 ふと、先程のラインハルトの昔語りが思い出される。「外で恋人の待つ仲間のために」と言っていたが、神になる前のラインハルトに、そういう相手はいなかったのだろうか。

 下り坂に踏み出したラインハルトの背を見ていると、肩越しに振り返られた。


「人通りがそれなりにあるから、はぐれないように。布や糸を扱う店の場所は知っている。荷物になるから、先に行って取り置きをお願いして、帰る前に引き取ろう」

「他にも寄る場所が?」


 アリーナが聞き返すと、ラインハルトはまっすぐにアリーナの目を見つめた。


「迷宮の神として、君が必要になりそうなものをドロップしたつもりだが、細かいところまではわからない。何か不足しているものはないのか?」

「いまでも、十分に頂いています! 素敵なお部屋に、着替えも、食べ物も。昨日のケーキも美味しかったですし……とても」


 前日ラインハルトが用意したのは、バタークリームのデコレーションケーキ。華やかな見た目に、重すぎず口溶けの良いクリーム、ふんわりと事務室を満たした甘い香りを思い出して、アリーナはつかの間うっとりと目を閉ざしてしまった。ケーキは今まで食べたこともないほど美味しくて、幸福な気持ちになった。


「そうか。せっかくだから食事もして行こう。俺も最近街に来ていなかったから、最近のものに詳しくない。これは迷宮企画会社の、現地調査の範囲内だ。土地を知り、ひとを知り、流行りを知る」

「マーケティングですね!」


 大義名分があるのなら断る道理もない、とアリーナは弾んだ声で返答した。

 その足元に、とん、と軽く何かがぶつかった。見下ろすと、小さな子どもがきょとんとした顔でアリーナを見上げていた。


(前を見ていなかったのかな? 親御さんとか、年上のお兄ちゃんお姉ちゃんは近くにいる?)


 ひとりで出歩くような年齢ではないと、アリーナはぐるりと首をめぐらせて見回す。

 その視界の端に、走ってくる女性の姿が見えた。


「カール! うろちょろしないで!」


 ばたばたと走り込んできて、子どもの手を引き、アリーナに向かって「すみません!!」と勢いよく謝ってくる。


「いえ、何もないです、大丈夫。はぐれないで良かったですね」

「ほんと、手をつないでいても振り切って走って逃げるから……。元冒険者の父親に似たのか、こんなに小さいのにすごい瞬発力と体力で。お母さん、ヘトヘトよー」


 終わりの方は子どもを見下ろして、ため息交じりに。言われた子どもはといえば、何一つ聞いている様子もなく、キョロキョロと周りを見ている。今にも、次なる悪いことをしそうな気配。

 だめだからね、帰るよ、と言いながら女性は子どもの手をがっちりと掴み、坂道を下っていく。

 後ろ姿を見送りつつ、ふとアリーナは何気なくラインハルトを見上げた。

 唇を引き結び、遠くを見るようなまなざしをしていた。


(社長……?)


 視線の先には、まさに去りゆく母子の姿。


「お知り合いでしたか?」


 胸騒ぎめいた落ち着かなさを覚え、アリーナはそっと尋ねる。

 ラインハルトは目を伏せてゆるく首を振り、「いや」と答えた。それから、付け足すように続けた。


「神になったときに、人間とのつながりは絶たれている。俺の記憶はそのままだが、他の全員の記憶は消された。この世界のどこにも、人間だった頃の俺を覚えている相手はいないよ」


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