第2話 つまり誘拐
目を開けたそこは、なんの変哲もない事務室らしき部屋。
「事務室……?」
黒革の古ぼけたソファに横たわっていたアリーナは、めまいのような気持ち悪さをこらえながら半身を起こす。ぱさ、とかけられていた毛布が肩から腰へ落ちた。
右を見れば、黒髪黒瞳に無表情の男。精悍な顔立ちで、寡黙な印象。目が合っても無言。
左を見れば、金髪金瞳で抜群の笑顔、「はぁい」と軽く手を振ってくる優男。
(し、知らないひとだ……。ここどこ……!?)
青い瞳を大きく見開いたアリーナに対し、金髪の優男が音楽的な響きの声で話しかけてくる。
「異世界へようこそ~。気分はどう?」
「異世界? んっ……すみません……吐きそう」
話そうとした瞬間、視界がぐるぐるとまわり、猛烈な吐き気がこみ上げてきてアリーナは手で口を覆った。
そのまま、胃の腑のものを戻してしまうかと覚悟したとき、ごく軽く肩に何かが触れた。
それが何か確認する前に、すうっと気持ちの悪さが引いていく。
顔を上げても、肩にはもう何もない。視線をすべらせた先にいたのは黒髪の男だが、向けられているのは横顔で、目を合わせる気はまったくないらしい。
そのアリーナの視界に、腰を折り曲げた金髪の男が、ひょいっと顔を割り込ませてきた。
「私の名前はヘルムート。この世界における最高の創造神。歓迎するよ、異世界の乙女。よくこの世界に来てくれたね!」
「……最高の創造神……? 異世界?」
ヘルムートが身につけているのは、柄物のシャツに白のベスト、揃いのズボン。髪を軽く束ねた小洒落た雰囲気のある美青年ではあるが、神とは。
(神要素どこ……? 人間じゃないの?)
さらにアリーナは、辺りを見回す。
筆記具のひとつものっていないまっさらの事務机、ほとんど埋まっていない書棚にはファイルが数冊。枯れた観葉植物、埃っぽいローテーブル。閉め切られたカーテン。特段何の変哲もないドアが二つ。
(ここって、街場の何かの事務所にしか見えないんだけど……。家で寝ていたのに、なぜ謎の事務所でチャラ男風の最高神と無愛想な男に囲まれているの?)
固まってしまったアリーナに対し、最高神のヘルムートはにこにこと愛想よく笑いかけながら、もふもふとしたぬいぐるみらしきものを差し出してきた。それが何で、なぜ渡されたのかもわからないままアリーナは受け取る。両手で、ぬいぐるみの腕を広げて見ると、茶色のクマに見えた。目はボタンだが、糸が伸びて飛び出したようになっている。子どもが思う存分振り回した後のようだ。
横から、すっと蝋細工のような細長い指が伸びてきて、クマの頭をふに、と押した。
「これはいま私が開発中の新作、異世界人を召喚できるレアアイテム。今日ここで使ってみた結果、君が召喚されました!」
向けられていたのは、満面の笑み。
呆然と見上げたアリーナは、ほとんどまわらない頭と舌でなんとか答えた。
「開発中の作品は、無闇に使ってはいけないのではありませんか?」
「うん。そうなんだけど、実験や試運転はどうしたって必要だろ?」
「実験と試運転」
「そう。さすが天才の私が作っただけであって、開発中にも拘わらず、なんの問題もなく異世界召喚が無事成功! この作品はいずれ実用化できそうだ」
「実用化していないアイテムで召喚されたんですが? 私が?」
「ようこそ!!」
(……胡散臭さと怪しさしか無いんですけど、この神様は一体何を言っているの?)
もう一人の黒髪の男を見ると、ちらっと見返された。何か言いたそうに口を開きかけたが、ため息とともに唇を引き結び、目を閉じて頭を振り出す。
「何が起きているのかさっぱりわからないんですけど、ご説明頂いても良いですか?」
男は、観念したように目を開くと、アリーナを見て一言。
「誘拐だ」
「ああ! わかりやすい!!」
「世界間の」
「ええ……、急にわかりにくい」
正直に告げたアリーナに対して、男はついに体ごと向き直ってぼそぼそとした口調で話し始めた。
「俺も神で」
「…………」
「ここで会社を営んでいるんだが」
「……………………」
「社員の天使が全部逃げた結果、この最高神が誰か都合すると言い出して、異世界から君を喚んだ。帰す手段に関してはまだ開発中とのことで、すぐには対応できない。よって当面、君にはこの世界で生活してもらうしかない」
無言になったアリーナさておき、傍らで聞いていたヘルムートは「うんうん」と明るく頷いた後、「それじゃ、後は若い二人でよろしくね」と笑顔で片手を上げた。
ハッとアリーナが顔をあげるのと、ヘルムートがきらきらと光り輝きながら消えるのが同時。
残されたのは黒髪の自称神とアリーナの二人きり。
耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
(よくわからないけど、このひとが変な気を起こす前にここを出て行った方が良いのでは……!?)
思いつくと同時にアリーナは毛布をはねのけ、立ち上がる。木の床に下ろした足は寝る前に履いた擦り切れた靴下のみだったが、この際構っていられない。
先程視認していたドアのひとつに向かって、猛烈に走り出した。
「待ちなさい」
背後から声をかけられたが、構わずにドアノブに手をかける。
(出てしまえばこちらのもの……!)
ドアを開いた先にいたのは。
ライオンと蛇とヤギの三種の頭を持つモンスター、キマイラ。
三つの顔と六つの目がアリーナにいっせいに向けられる。
ライオンの顔が、耳まで裂けそうなほど口を開いて轟く咆哮を上げた。
空気がビリビリと震え、足元まで揺れだす。
立ち尽くしたアリーナはその直撃を受けて、体を硬直させた。
横から腕が伸びてきて、ぱたん、とドアを閉めた。
一瞬前の轟音が嘘のように掻き消える。
「いまのは……」
身動きもできぬままアリーナが片言で尋ねると、側に立った男が落ち着き払った声で答えた。
「この事務室は、迷宮の最奥にある。一歩外に出ると、それなりに高ランクのモンスターがうろついていて大変危険だ」
「なぜそんなところに会社が……。会社なんですよね?」
アリーナは男を見上げて、なんとかそれだけでも確認しようとした。
男は真面目くさった顔で頷き、口を開く。
「業務内容は『迷宮企画』。俺は迷宮を作る創造神の一柱、ラインハルト。つまりこの会社の社長だ。君はもといた世界に帰る方法が見つかるまでは、うちの会社預かりになる。君のための生活スペースは奥に増設しよう。このドアから出るときは、くれぐれも気をつけてくれ。君は何か腕に覚えが? 魔法が使えたりするか?」
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