苹果の愛
滴石
第1話 白い天使の追悼
もう二度と、会うことはないと思っていた。
そこにいたのは僕の知る彼では無かった。
もしかしたら、変わったものなんて無かったのかもしれない。
変わってしまったのは僕の方なのかもしれない。
久しく見た彼は、あの時見上げていた憧れなんかではなくて。
ただ弱々しくて、
今にも壊れそうだったことを覚えている。
僕は昔から静かな子供だった。外に出るのはあまり好きではなかったし、一緒に遊ぼうと誰かに声を掛けるのも得意ではなかった。引きこもりまでとはいかずとも、いい加減と母に外に押し出されたあの時以前に、他の子供と喋った記憶はあまりない。嫌いな本を、林檎の木の下で静かに読んでいた。早く時間が進んでくれないかと、誰に話しかけられることもなく1日を終えようとしていたことをぼんやりと覚えている。
もっとも、それは叶わなかったが。
急に後ろから誰かに話しかけられたのだ。加えて、枝にぶら下がったコウモリの姿勢であったこともあり、当時の僕は本当に声を出して驚いた記憶がある。
「ねぇねぇ、なにしてるの?」
その時の、木漏れ日に不調和な白い肌がとても目に焼きついている。黒がかった瞳と顔に垂れる
「ほ、本を読んでる…けど」
「ふーん…どんなお話?」
彼は手慣れた様子で地面に飛び降りると、そのまま僕の隣へ腰掛けた。彼がページを覗き込もうとすると、肩が触れる程に近い。
「え、えっと…魔法使いの話」
どうすればいいのか分からずおろおろしている僕。すると彼は覗きこんで僕の本を真剣に読み始めてしまった。僕は焦っていた。だって沈黙がとても嫌いだったから。唯一の救いといえば挿絵のない本を選んだこと。挿絵のある絵本なんか持ってきていたら、今頃僕は恥ずかしくて死んでしまっていただろう。
「えっと、えっと…」
「ん?どうしたの?」
「み、みんなと遊ばないの?…ほら、僕なんかと喋ってたら友達が暇になっちゃうと思うんだけど…」
「ううん、大丈夫だよ?僕今1人だから」
「え、そ、そうなんだ」
「うん!」
「…」
また沈黙。
何を言えばいいのか分からなくて、変な汗をかいていたことを思い出す。
すると彼はこう言ったのだ。
「全く酷いよねぇ。追いかけっこに入れて欲しかったんだけど人数オーバーだってさ。ああいうのって人数が多ければ多いほどいいって訳でも無いんだね。」
「…え、でもそれって」
————リーンゴーン
その時、4時の鐘が鳴った。またまた僕の寿命は縮んで、軽い地響きが園庭に響いて、一瞬静まり返る。僕は、「4時までは外にいなさいね!」という母の言葉を思い出す。
「僕もう帰らなきゃ!!…ま、またね!」
「えっ、」
帰らなくてはならないことはないのだが、僕は焦って駆け出してしまった。彼が何か言いたそうにしていたのを、僕は今更少し後悔している。きっと彼は覚えていないだろうが。
(「また」…?)
つい口から出てしまった決まり文句。後から考えすぎたのが良くなかった。明日もあの場所に行かなくてはならないんじゃないか、なんて馬鹿正直にそんなことを考えながら帰路につく。当然、帰ってからは続きを読む気など失せてしまった。
「…やっぱり本は好きじゃないなあ」
当時はとんでもない日になったと焦っていたのだが、今思えばこんなのが彼との出会いなのかと少し拍子抜けだ。そうだ。あの日から、林檎の木の下で話すのが当たり前になったのだ。
それから話は半年程進む。僕は、彼が元気な少年であると同時に、とても寂しい子供であることを知っていた。彼は僕に反して、誰かに声をかけることを
彼の力は、珍しい黒色だったから。
「光の力」という点では他となんら変わらないのだが、何せ黒の力は光の力で生み出した闇の能力なのだ。恐るるに足らないことは分かっていれども、周りの子供達は警戒せざるを得なかったのだろう。鈍感な彼は長い間それに気づかずにいたが、光の力自体が強かったこともあり、ようやくそれを耳にしてしまうのだった。
その夜、僕はこっそり家を抜け出して彼に会いに行こうとした。過保護であるつもりはなかったが、自分が眠れないままとなると、話は別だ。けれど、僕は彼の家に行かずとも彼を見つけることができた。
彼はいつものあの林檎の木の枝に、1人座っていたのだ。声を掛けるべきか悩んだ僕はそっと木の幹に近づく。彼はまだ僕に気づいてはいなかった。すると彼は強く目を掻いて、鼻を啜り、歯を食い縛る。漏らした嗚咽が、僕の耳を通る。
なんで。なんで1人の癖に堪えるんだ。
途端、僕は耐えきれなくなってしまった。その時ばかりは木登りへの恐怖も忘れ、気づけば木の枝に急いで足をかけていたことを覚えている。
「っ、ルーカフ!」
「…!フォディア…?!何で…」
「ルーカフ!早く!」
僕は伸ばした手を思い切り開いて、繋ぐのを催促する。彼は戸惑いながら手を重ね、僕は彼の手を握って夜の園庭を駆け出した。まるで本の主人公のように冒険に出た気分だった。とても、楽しかった。
「っ…ねぇ、どこ行くのっ?」
「ひみつ!!」
息を切らして、汗をかいて、僕らは開けた丘の上に出た。大きく呼吸をする彼を草原に引っ張り倒し、思い切り笑って寝転がったことを覚えている。大の字で仰向けになり、呼吸を整える。
そしてその目を開いたときの感動たるや。
僕と彼は、暫くその夜に魅入っていた。
「ねえ、ルーカフ」
「なあに、フォディア」
僕は手探りで、彼の手を繋いだ。
僕は自然にそれを行い、
彼はそれを自然に受け入れた。
僕は口下手だ。真剣な張り詰めた空気は好きじゃない。
強く、手を握る。
伝われ。伝われ、と思う。
大丈夫。だって、僕らは手を繋いでいる。
ちらりと左側を見る。
彼はずっと空を見たまま、
静かに涙を溢していた。
でも、さっきの涙とは何処か違う。
とても暖かい涙。
彼がこちらに体を倒す。
少し口角を上げて
少し困ったように眉を下げて、笑った。
まるでスローモーションのように。
きみは、そんな顔もするのか
「…なんか恥ずかしくなってきちゃった」
「ふふ、何それ」
(あ、落ちる…、)
柔らかい瞬きで肌を落ちる。
彼の涙を掬おうと体を横に向ける。
繋いだ手を引いて近くへ寄ろうとして、
「…もう、何でフォディアが泣いてるのさ」
「……へ、?」
「あれ、ほんとだ…何で…、?」
「うふふ、あははっ!」
「ちょ、ルーカフ!笑わないでよお…!」
気が抜けたのか、何故だか僕も泣いてしまったのは少し恥ずかしい思い出。彼の涙は終始流れっぱなしだったけれど、あれが嬉し涙だったならいいなと子供ながら思っていた。
幼少期と言えばもう一つ、彼との大きな出来事がある。きっと、彼は覚えていないんだろうけど。
「主人公が敵に勝つのは
きっと最初は誰よりも弱くて、
きっと誰よりも努力したからだよ」
読書好きな君が教えてくれたこと。
前後のことは正直あまりよく覚えていない。
ただ、生まれながらの才能を彼と比べてしまっていたことは何となく覚えている。
この言葉に僕は
何度奮い立たされ、
何度背中を押され、
何度彼を思い出したか。
とても単純だと思う。今だからこそもう少し深読みできるのだろうが、当時は本当に感覚だけでこの言葉を受け取っていたし彼もきっとそうだったのだろう。いつも彼が本で読んだことを僕に言って、それを僕が聞いているだけだ。でもそれでよかった。それで何かがいい方向に向かっているような気がしていたし、実際に彼はいい方向に向かった。そのことは僕にとっても誇らしいことだし、とても嬉しいことの一つだ。
はっきり言って、今まで長々と語った以上のことは単なる序章に過ぎない。前置き、プロローグと言った方が分かりやすいかもしれない。
僕は彼を一度救い出し、
彼は僕に大切なことを教えてくれた。
それだけのこと。
ここからは、
彼と僕が再び出会った時のお話。
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