第14話「初戦闘とクリスティーナ」
ここに来る前にサリヤから黒き妖狼について教えてもらった。
こいつらの一番の武器は牙だ。こいつらの牙はただの狼の牙とは違い、とても硬い。どれくらい硬いかと言うと、鉄の剣で切っても切れないらしい。
噛まれてはひとたまりもないだろう。
しかしサリヤ曰く、黒き妖狼は決して強い魔物ではない。
理由は二つ。
一つ。こいつらは群れで行動はするがあまり協力して敵と戦わないらしい。
黒き妖狼は一言でいえば戦闘狂で、視界に自分の種族ではない、つまり黒き妖狼ではない生物が入ると、即座に襲いに掛かる。その際、例え群れでも一匹一匹が我先にと襲い掛かるため、こちらも複数人で挑み冷静に戦えば余裕で勝てるらしい。
二つ。戦い方が単調。こいつの主な攻撃方法はこちらに突っ走ってきて噛む。それだけ。一応爪を使うこともあるらしいが、爪は牙程鋭くなく、例え攻撃を受けても初級の治癒魔術で治る傷しかつかないらしい。
しかし、今回は俺と黒き妖狼の一騎討ち。必然的に前者は関係なくなる。
俺は一つ息を吐く。
落ち着け。こいつはいわばスライムだ。通常攻撃しか攻撃手段を持たない。俺は三歳の頃から鉾槍の訓練を受けてきた。サリヤにも勝てると言われた。大丈夫だ。
俺が鉾槍を握りなおすタイミングと同時に、黒き妖狼が襲い掛かってきた。
黒き妖狼は俺との直線上を走ってきた。その口からは鋭い牙が見える。
大丈夫。ちゃんと脳内でシミュレーションをしてある。
俺の目の前まで走ってきた黒き妖狼は俺の喉を嚙み千切らんと飛び掛かって来た。
俺はそれをひらりと躱し、身体を黒き妖狼に向けるための回転を利用して手に持つ鉾槍を黒き妖狼の横っ腹目掛けてぶん回す。
攻撃を躱された黒き妖狼は体勢を整えることが出来ず、それを躱すどころか受け止めることも出来なかった。
鉾槍の斧の部分が黒き妖狼の体にぶっ刺さる。俺は両手から伝わる気持ち悪い感触を堪えながら、それが更に奥に刺さるように力を込める。
黒き妖狼は鉾槍を刺されてもピクピクと動いていたが、やがて止まった。
死んだ……のだろう。
俺は鉾槍を持つ手から力を抜いた。視界の端でサリヤがこちらに向かってきてるのが分かった。
勝った……のか?
「お見事です、殿下」
「…こいつは死んだ?」
「ええ、殿下の勝利です」
「やりましたね、殿下!」
「初めての戦闘なのにお見事です!」
サリヤの他にも隊員たちが皆口を揃えて褒めてくれた。
それはそれで嬉しいが、正直今はそれどころではない。
俺は今、生と死を彷徨ったと言える。俺の傍にはサリヤが控えていたし相手の攻撃がいくら単調だったと言っても、躱さなければ俺は死んでいたのかもしれない。戦いが終わった今でも嫌な汗が零れてしまう。
それに加えて目の前の黒き妖狼の死体の腹から零れ落ちる内臓、垂れ流しになってる血、最早何の臭いか分からない悪臭。本音を言えばへたり込みたい気持ちでいっぱいなのだが、俺は王子。彼らが使える魔王の息子。あまり弱い姿勢を見せられない。
「あ、ありがとう。サリヤ、そして他の皆も。魔王親衛隊のお陰だ」
「何を仰いますか、これも殿下の努力の賜物――」
皆が俺を囲い褒めちぎっていたその時。
「――――――!」
俺の真後ろから野太い咆哮が聞こえた。
「!?」
「しまった!」
ソレは同時に何本の木を倒しながら俺たちの目の前に現れた。
ソレを一言で言うなら、熊。しかしただの熊ではない。まず身長がデカすぎる。3mは下らない。もしかしたら実際にそれくらいの大きさの熊はいるかもしれないが、おかしいのはそれだけではない。体毛が緑だ。森に紛れるとその巨体でさえも見分けるのが難しくなる。そして両手には包丁をそのまま拳にぶっ刺したんじゃないかと思えるほどの大きく、鋭利そうな爪がある。
ソレが視界に入った瞬間、俺は黒き妖狼との戦闘など比較にならないほどの恐怖を感じた。ちびってしまいそうだった。
「森の番熊(フォレストベア)……!?」
「そうか、こいつのせいで黒き妖狼は…!」
「――――!」
森の番熊は再度咆哮をあげた。思わず足がすくんでしまう。
それを好機と見たのか、森の番熊は一番近い獲物――俺目掛けて飛ぶように駆けた。俺の周りにいた隊員たちも先ほどの咆哮で反応がワンテンポ遅れた。
「しまっ……!」
「殿下!!」
―――死。
俺の頭はその言葉で埋められた。
しかし、あと一秒で森の番熊が俺を引き裂けると思えた瞬間、俺と森の番熊の間に、一つの人影が躍り出た。
そいつは、全身を鎧で覆っているとは思えないほどの俊敏な動きで、俺の前に立った。
「クルシュ…!?」
クルシュは腰の片手剣を右手で握り、森の番熊を睨みつけた。
「―――――!!」
「ひぃ」
森の番熊はターゲットを情けない声をあげる俺から目の前のクルシュに切り替えたようで、右腕を大きく振りかぶった。
クルシュは一度兜越しにこちらをちらりと見て、人間とは思えない体の柔らかさを以って森の番熊の右腕を躱した。
その動きが激しすぎたのか、兜が取れ地面に落ちた。顔は見えないが、兜に隠されていた銀色の長髪が露出した。見覚えのある髪だった。
「はぁっ!」
右腕を空振り、体勢の崩れている森の番熊に彼女は剣を振った。
この巨体では片手剣での一撃など死には至らないかと思ったが、その瞬間森の番熊がまるで雷に撃たれたかのように身体を痙攣させ、倒れた。
クリスたちの動揺から、森の番熊という魔物は強く、恐れられている魔物のはずだった。
しかし彼女は、それを一撃で倒してしまった。
「………」
俺を含め、その場全員が言葉を失う。
視線は一点に集中していた。そう、クルシュに。いや、彼女の名前は――
「まぁ、こんなものかしらね」
クリスティーナ・リグル・アスモダイ、その人が血に塗れた剣を片手に立っていた。
「え、あ、え…な、なんで…」
俺氏、大パニックである。
それはそうだろう。
俺はほんの数秒前まで、死の寸前にいた。
そこで斃れている森の番熊に引き裂かれ死ぬ運命だった。
しかしその瞬間、全身鎧のクルシュが剣を振り、そいつを一撃で倒してしまった。
その反動で取れてしまった兜の奥には、城にいるはずの俺の姉、クリスの顔があった。
うん。状況が整理できても頭が追い付いていない。
仕方が無いだろ。
頭の中が死の恐怖一色に塗り替えられたと思ったら、素性の分からん奴がその原因を殺し、しかもそいつの正体が城にいるはずの人物だったんだぞ。
クリスはこちらに振り向き、混乱しまくっている俺の顔を見ると、微笑んだ。
「ごめんなさい。本当は貴方の考えを尊重して手を貸すつもりは無かったのだけれど…」
彼女はこちらに近づきながら、剣に付いた血を払う。
「でも、弟が死にそうな時に何もしない姉なんて…そんなの姉失格でしょう?」
「ど、どうして、ここに…?」
俺はようやく思っていたことを口に出すことが出来た。
「申し訳ございません、殿下。クリスティーナ殿下にどうしてもと請われまして…」
俺の質問に答えたのはクリスではなく、サリヤだった。
彼女は飼い主に叱られる大型犬のようにシュンとしていた。
「サリヤを責めないであげて?私が半ば無理矢理に付いてきてしまったの」
クリスはそう言いながら、腰が抜けてしゃがみこんでいる俺の視線に合わせるように中腰になった。
「ねえ、フリッツ?」
「な、なに?クリスお姉ちゃん」
「貴方、どうして私を連れて行ってくれなかったの?」
その説明は、ここを発つ前に彼女に話していた。だから、この質問は本当に疑問に思ってしている訳ではない。
「それは…クリスお姉ちゃんの手を借りずに一人で…」
「どうして?どうして私が助けちゃいけないのかしら」
「だって、俺もいつかはお姉ちゃんに甘えずに一人で…」
「誰が、そう決めたの?」
「誰がって……」
クリスは立ち上がり、後ろを向く。彼女の表情は窺い知れない。
「貴方のその、いつかは
彼女は再度振り向きこちらを見る。先ほどの真面目な表情とは打って変わって、いつもの余裕綽々といった笑みだった。
「私たちの間では、そう言った考えは不要よ」
「ど、どうして…?」
「私は、貴方に頼って欲しい。甘えて欲しい。守らせて欲しい。そう思っているから」
クリスは両手を胸の前で組み、そう言った。
俺は、クリスの事が好きだ。しかし、どうしても分からないことがある。
彼女は何故、俺に対する好感度がこうも高いのだろうか。
何か理由があるならわかる。昔命を救ってもらったとか、日々を一緒に暮らすうちに段々と惹かれて行ったとか。
しかし彼女はそうではない。
クリスは、あの日、初めて俺と会った日から俺に対して甘々だった。
彼女が俺の事を好いてくれているのはとても、とても嬉しい。何故なら彼女は俺の理想の『お姉ちゃん』そのもので、彼女と過ごす日々はまさに前世で夢見たものだったからだ。
だが、俺はずっと疑問だった。何故、彼女は俺の事をそんなに好いてくれているのだろう。
「…クリスお姉ちゃんは、どうしてそこまで俺の事を想ってくれているの?」
「どうして、ね…」
「………」
「フリッツ、私はね。小さい頃とても暗い女の子だったの」
「クリスお姉ちゃんが…?」
「ええ。私は優秀すぎた。他人が一日かけてようやく解ける問題を一瞬で解くことができた。他人が一月かけて習得する魔術を一日で習得できた。それに気付いた時、私の世界はつまらない灰色のものとなってしまった」
「………」
確かに、クリスは優秀だ。しかし、それが度を過ぎた結果、きっと彼女は世界を、人生を諦観してしまったのだ。何をやっても上手くできてしまう。傍から見れば羨ましいことなのかもしれないが、当人にとっては、ただ歩いていればクリアできるゲームをプレイしているような、やりがいのない人生だったのだろう。
「そんな時にね、フリッツ、貴方が産まれたの」
「僕が…?」
俺が産まれたのは六年前。俺は転生者だったせいか、朧気だがその時の記憶はある。しかし、クリスはあの場にいなかったような気がする。
「その時私はメイドに言われて扉の隙間から産まれた直後の貴方を見たわ。その瞬間私は今まで知らなかった気持ちを味わったの。母性と言うか…守ってあげたいというか…。とにかく、私は貴方の力になりといと強く思った。貴方は私の世界に再び色を付けてくれた。それから私は貴方を守り支えられるように王立学校に行き、色々な勉強をしたわ」
つまりクリスが王立学校に行ったのは俺のため……ってことなのか?
「つまり、私が貴方を何故愛しているのか……その答えは、一目惚れね」
一目惚れ。
クリスは少し顔を赤らめながら、しかし自信たっぷりの笑顔で続ける。
「根拠に乏しいと思われるかもしれないけれど、仕方がないでしょう?実際私の貴方への気持ちは、初めて貴方を見た時からなんら変わっていない。いいえ。強くなっていると言ってもいいわ」
「私が学校に通っている間、メイドが貴方のことを綴った手紙をよく送ってくれたわ。その中の貴方はとても勉強熱心で、礼儀正しくて、優しくて、更に貴方の事が好きになった」
「貴方は、私の灰色の世界に、何もかもつまらなくて生きる価値のないと思えたこの世界に色を付けてくれた」
「だからね、フリッツ。もし貴方が私に頼ることを負い目に感じ気を遣っているなら、それは不要な心配よ。むしろ甘えて頼って欲しい。私に貴方を守らせて欲しい」
「なぜならそれが、私の生きる目的。
なんてことだ。
俺はクリスという姉を見誤っていたのかもしれない。
俺が弟妹の独り立ちが嬉しかったからきっと彼女もそうだろうと考えていた。
しかし、姉としてのクリスはその一歩先を行っていた。
愛する弟に独り立ちではなく、甘えることを望んでいる。
それが正しいかどうかはわからない。
だが、クリスの姉としての気持ちが、前世の俺のそれを遥かに凌駕することは理解できた。
「フリッツ。お姉ちゃんのそんな細やかな願い事、叶えてくれるかしら」
――ああ、ズルい。俺が『お姉ちゃん』の頼みごとを断れるわけがないじゃないか。
「うん、うん…!分かったよ、クリスお姉ちゃん」
「ふふ。ありがとう、フリッツ」
こうして俺は、彼女からの独り立ちをやめた。
だってそうだろう?それが『お姉ちゃん』の望みならば、断る訳にはいかないじゃないか。
「それじゃあ、最初のお願いよフリッツ。私の前でも「俺」と言うこと。サリヤだけずるいわ?」
「………はい」
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