第2話「狭間」



 気づけば俺は、真っ暗な場所で立っていた。

 何故こんな所に、と一瞬思うが心当たりがないわけではない。

 確か、今さっき俺は死んだ。一人の少年を庇い、電車に轢かれ、28年間の人生を終えたのだ。

 だからきっと、ここは死後の世界というやつなのだろう。

 いや、俺は天国や地獄といった存在を信じていた訳ではないが、実際、俺はこうしてこのような何処かもわからない場所にいるのだ。そう考えても仕方のないことであろう。


 「だ、誰かいないのか?」

 

 孤独感に耐えられなくなった俺は取り敢えず声を出してみた。正直誰も答えてなんかくれないだろうと考えていたが、目の前に何かが現れた。


 「ここは、狭間だ」


 いつの間にやらそいつは目の前にいた。まるでどこかの国の王様が座っていそうな豪華な玉座に座り、これまた豪奢な王冠とローブに身を包んでいた。肌は褐色、髪は黒。何やら額から角のような物が一本生えているが、顔立ちは女性に見える。というか、美人だ。

 周りは真っ暗なのに、彼女の顔はしっかりと見える。無表情だが、どこか期待しているような目で俺を見ていた。


 「あ、あなたは…?」

 「ふむ…。今は故あって名乗ることができない。魔神、とでも名乗っておこう」

 「ま、魔神…?」


 やべえ、言っている意味が分からない。なんだ、俺は変な夢を見ているのか?死んだと思ったら、魔神と名乗る人物だ。

 混乱している俺を他所に、自称魔神は言った。


 「お前は死んだ」

 「……!」

 「ここは狭間……俗に言う死後の世界というやつだ」


 …分からない。俺は本当に死んだのか?それともこれは夢なのか?目の前の自称魔神のせいでどっちか分からなくなってきた。


 「そうか、まだ死んだ実感が無いのか」

 「!?」


 な、なんだ。まさか目の前の自称魔神は俺の考えを読んだっていうのか?あぁ、分からない。混乱する…!


 「ならば、証拠を見せてやろう」

 「証拠だと…?」


 彼女は指をパチン、と鳴らした。すると彼女の後ろにある光景が浮かび上がった。


 「―――!」


 そこに映っていたのは、俺の遺影、木魚を叩く僧侶、泣いている俺の家族。

 流石に、これを映されたらわかる。これは、俺の葬式だ。


 「理解したか?お前は、死んだ」


 …確かに、この映像が本当であれば俺は死んでいるのであろう。だが、理解はしきれない。そもそもこの映像はどこから出ているんだ。周りを見渡してもそれらしい機材がある訳でもない。


 「今のは我の魔術だ。目に見えぬ距離の風景も映すことが出来る。…限界はあるがな」


 彼女がそう言うと、映像は消えてしまった。

 おいおい、今目の前の不審者は魔術とか言ったか?もうわかった。これは夢だ。現実に魔術とかある訳がない。どこのラノベだよ。


 「…まだ、納得できぬか?」


 彼女は俺の表情を伺うように顔をずいっと近づけた。今までも分かっていたが、彼女の顔はとても端正で、そんな顔を近づけられると狼狽えてしまう。


 「……そんなことを思われたのは久方振りだな…」


 彼女はまたしても俺の考えを読んだのか、そう言い顔を離してしまった。しかし、どこかその顔は赤くなっているように見える…。

 まさか、俺の言葉で照れているのだろうか。…思わずときめいてしまった。そうだ、そうだな。こんな美人が言うんだ、ここは死後の世界に違いない。


 今の状況が理解できず、ほぼほぼ現実逃避の形だが、俺はここが夢ではなく死後の世界だと思うことにした。現実に未練が無いわけではないが、最後に一人の命が救えたのだ、後悔は……無い。


 「それで、魔神?さん。少し質問がある」

 「ん…ああ、許そう」

 「なんで俺はこんな所にいるんだ?」

 

 当然の疑問だ。死んだと思ったらこんな所に来てしまって目の前には魔神を名乗り、魔術を操る人物だ。少しは説明が欲しい。


 「貴様はこれより、お前の世界とは違う世界へ転生する」

 「え…?」


 違う世界へ転生…?それってまさか……異世界転生なのでは!?本当にあるのか!?そんなラノベみたいなことが。


 「貴様は記憶を保ったまま転生する。まあ稀に起きる現象だ。それにお前が偶々選ばれた。異世界に転生する者はこの狭間を経由する。その時、こうして私のように転生者に接触する者も時として現れる」


 いきなりのことで上手く飲み込めんが、俺はラノベなんかでよくある異世界転生ってやつをしてしまうらしい。嬉しい感情やそんな夢のような話があるのか疑わしい感情もあるが、まあ、どうせ死んでしまった身だ。こうなったら前向きに考えよう。

 彼女は俺に接触したと言ったな。つまり、これから転生する俺に用があるっていうことだ。ラノベなんかだと、女神とか神とかが使命を与えたり一緒についてきたり…。そんな展開があるが。


 「我は、貴様と契約を結ぶため、来た」

 「契約…」

 「この契約はただの口約束ではない。お前がこの契約を反故にすれば、全身が八つに引き裂かれるだろう」

 「いや、そんな契約結びたくないんだが…」


 真っ当な意見だろう。何が悲しくて俺に何のメリットも無い契約を結ばれ、体が引き裂かれる恐怖に怯えなければいけないのだ。


 「無論、お前にも利点はある」

 「それは?」

 「我ができることであれば、願いを叶えてやろう」

 「……願い、ねぇ」


 正直、ぱっと頭に浮かぶものは無い。異世界転生なんて経験したことがある訳が無いので、何が必要とされているのかが分からない。

 

 そういえば、さっきこの魔神、魔術を使ったとか言っていたな。俺もせっかく異世界転生するなら魔術とか使ってみたいな。異世界転生モノの目玉とも言えるし。


 「じゃあ、俺に魔術を使わせてくれないか?」

 「…その必要は無いだろう。お前は魔術を使える者として産まれるはずだ」

 「あ、そうなんだ」


 意外にも、この魔神は誠実だな。俺が転生先で魔術を使えるなんて知ってるわけ無いんだから白を切ってもいいはずだ。…俺が魔術を使えるというのが嘘という可能性も否定しきれないが、魔神の顔を見れば多分本当のことなんだろう。人の表情を窺うのには、生前の経験上自信がある。

 なんたって『お姉ちゃん』系のキャラクターは他のキャラよりも表情に感情が出づらい事が多いのだ。何か不安ごとがあっても主人公の前では年上らしくあろうとし、感情を隠す『お姉ちゃん』は沢山いた。

 …ん?あ!そうだ!


 「願いが決まった」

 「ほう、いきなりだな」

 「『お姉ちゃん』に好かれたい」

 「……なに?」

 「すまん、伝わりづらかったか。年上の女性に好かれたい。より具体的に言うと、隣の家に住む二つ上のお姉ちゃんが俺に好意を持つようにしてくれ」

 「……悪いが、それは出来ない」

 「なんで!?」

 「理由は二つ。お前が産まれるであろう家庭にはいわゆる隣人というやつがいない。そして、我は人の感情に干渉することはできない」

 「…魔術でどうにかならないのか?」

 「無理だ。我も人の感情に作用する魔術を作ろうと試みたことがあったが無理だった」

 「そっちじゃなくて」

 「魔術で隣の家を生み出し貴様の二つ上の女性を作り出すことも不可能だ」

 「くそ…」

 「逆にどうしてそっちなら出来ると考えたんだ…」


 なんてこった…。現実は理不尽だ…。いや、ここが現実かどうかは分からないが。

 俺が絶望に沈んでいると、いつの間にか先ほどのように魔神が俺の顔を覗き込んでいた。


 「うわっ!」

 「む、驚かせてしまったか。なに、お前の前世の記憶を少し見させてもらった」

 「なん…だと…」


 つまりあれか?目の前の美人は俺が夜な夜な一人で「お姉ちゃんプロジェクト」のギャルゲーをやっている所を見たっていうのか?…いや、流石にそんなピンポイントな所見ないだろ。きっと俺が弟妹のために料理を作っている所とか、後輩に仕事を教えている所だとか、俺がかっこいい場面に違いない!


 「先ほどの言葉から半ば確信はしていたが…その、貴様はやはり年上の女性が好みなのか?」

 

 やっぱ見られてるじゃねえか!!!

 くそ…もう好きにしてくれ…。家族にも知られてないってのに。


 「ふむ…ならこういうのはどうだ?」

 「……?」


 正直俺の心は絶望でいっぱいなんだが。こんな美人に己が性癖がバレちまってる時点でもう絶望なんだが!?


 「お前は年上の女性が近くにいると魔力量が増えるというものだ」

 「魔力量…?」

 「そうだ。魔術を使うとなると魔力が必要だ。それが連続で使ったりより高威力の魔術だと猶更な。要は、貴様は年上の女性に好かれたいのだろう?物理的には不可能だが、この力を持てば、間接的にそれは可能にならないか?」

 「…どういうことだ?」

 「つまり、お前はお前が言う『お姉ちゃん』の前でいい恰好が出来るということだ」


 ふむ…。つまり、転生先で『お姉ちゃん』が何者かに襲われる。そこに颯爽と現れる俺。俺は増幅した魔力量を以てそいつらを成敗。きゃーかっこいいーだいてー。

 フ、完璧だ。


 「いいだろう、その契約乗っ――」

 「ん?なんだ?まだ何かあるのか?」


 危ない危ない。一番大事なところを忘れる所だった。


 「結局、この契約の本題はなんだ?」


 そう、魔神が結局俺に何を望んでいるのかが分からない。俺の体が引き裂かれるってのは、あくまで俺がこの契約を反故にした場合のみ。つまり、この契約のメインはまだ他にある。


 「…お前には将来やって欲しいことがある」

 「やって欲しいこと?なんだ?」

 「……我の、数千年前からの、悲願だ」

 

 なんだか、はぐらかされそうだ。そう思った。

 彼女の悲願というやつが何かはわからないが、俺は前世ではただのサラリーマン。ある人物を殺せとか言われても無理だ。そんな物騒なこと、模範的日本人である俺にはできそうにもない。


 「…それよりも事は大きいだろう」

 

 魔神は俺の考えを読んだのか、そう言った。殺人よりも大きいと言ったら…なんだ?国を滅ぼすとかか?無理だ。無理無理。ぱんぴーの俺には荷が重い。


 「…やはり、そうか。うん、我が悪かった。お前はこのまま転生するといい」

 「ああ、悪いがそうさせて――」

 

 人を殺すとか、国を滅ぼすとか、俺には無理だ。魔神には申し訳ないがここは断らせてもらおう。

 そう言おうと思った刹那、見えてしまった。魔神の目に浮かぶ涙が、悲しそうな表情が。


 「…っ!目を閉じて、この空間に身を委ねろ。そうすればお前は転生し、ここでの記憶は消える。だから安心して往くがいい」


 自分の泣き顔を見られるのが恥ずかしかったのか、彼女は背中を向けてしまった。少し、肩は震えているように見える。


 …馬鹿か、俺は。何が馬鹿かって?女の子のお願いを拒否したこと?違うね、誰だって自分が大切だ。人を殺すとか国を滅ぼすとか、そんなことして自分が無傷で終わる保証なんてない。誰だって断るだろう。NOと言えるのは大事だ。

 問題はそこじゃない。彼女はさっきなんて言った?『数千年前からの悲願』そう言った。つまり…




 


 ―――彼女もれっきとした『お姉ちゃん』だろッッッッ!!!!



 


 

 「いや、その契約、受けよう」

 「何!?」

 「受けると言った」

 「い、いやしかし、我の悲願を果たすためには貴様は死地へ向かうかもしれない。それにその悲願が何かは訳あってしばらくは教えることが出来ない」

 「関係ない!」

 「な、何故だ」


 俺は息を吸い込み、言った。いや、むしろ叫んだね。


 「貴女は、俺の『お姉ちゃん』になり得る存在だからだ!!!!」


 言ってやったぜ。

 目の前の彼女はこちらを呆けた顔で見つめていたが、やがて笑みを浮かべた。


 「ふふ、まだ会って間もないからこう言うのはおかしいかもしれんが…お前らしいな」

 

 魔神はそう言って俺の額に右手をかざした。契約の儀ってやつか?


 「…一応もう一度尋ねるが、本当にいいのか?」

 「ああ、男に二言はない」

 「………ありがとう」

 

 彼女の手が触れている所から熱を感じる。

 その瞬間、瞼がとても重くなる。すごい眠気だ。意識も朦朧としてくる。

 少し、怖い。

 

 「安心して身を委ねろ。目が覚めたらこちらの世界だ」


 彼女はこれまでの声と打って変わって優しげな声でそう言い、俺の額に手を当てた。悪夢を見て眠れなくなった子供を安心させるかのように。


 「ではな――――。次に会うまでしばしの別れだ」


 魔神は最後に俺の名前を言った。その言葉を聞くと同時に、俺は意識を手放した。



―――――


 

 「ふむ…。好かれやすく…か」


 男がいなくなった狭間。そこに取り残された者はそう独りごちた。

 さっきは感情に作用する魔術は使えないと言ったが、彼にはこれから世話になるだろう。

 それも少しの世話ではなく大きな世話を。


 「やってみるか…。しかし感情に干渉する魔術は作れなかった…。……そうか、干渉するのではなく、させる。例えばそういう感情を少しでも持たせやすくするような雰囲気を醸す…というのはどうだろうか…」


 彼女は男がいなくなってから数時間、彼の温もりを思い出しながら呟き続けていた。

 

 

 


 

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る