第46話 救助


「師匠! 木嶋さん!」

 呼ばれて振り返った時には、私はもう光川さんに手を掴まれていた。

「光川さん!」

「ここから離脱します! 早く!」


 光川さんは走り出した。同じく手を掴まれた石野さんは、状況がいまいち理解できていないようだった。

「うー? いうああ、うん?」

 戸惑った様子で、手を引かれるままに足を動かしている。

 私は光川さんの顔を見上げた。彼の頬には、獣の爪で引っ掻かれたような、大きな傷跡ができていた。以前花澄と対峙した時にできたものだろうか。

 私たちは駆け続けた。光川さんは途中で横道に入って、ようやく走るのをやめた。

 私はすっかり息が上がってしまった。


「うー」

「木嶋さん、本当によくやってくれました。感謝してもしきれません」

「……はい」

「とりあえず師匠の洗脳を解きますので」

「はい」

「う?」

「全く、師匠、何やってんですか」

 光川さんの声音は少し湿っていた。それから手で何か複雑な印を組んだかと思うと、呪文を唱えた。


那嘛哈ノウマク 薩曼達サンマンダ 瓦吉拉南母バザラダン 將達嘛哈洛薩那センダマカロシャダ 斯魄達雅ソワタヤ ウン 德拉的タラタ  カン  マン


 それから手を伸ばして、触手だらけの石野さんの頭に触れた。


「うっ」

 石野さんはガクッと膝をついた。

「師匠、大丈夫ですか」

「……う……」

 石野さんは呻くと、手を地面についた。

「う、うああ、うああああああああああ!」

 石野さんは慟哭した。

「師匠」

「い、いうああうん、おう、おんあ……うああい……」

 四つの目から滴り落ちた涙が街灯の光を反射して煌めいた。光川さんはしゃがみこんで石野さんの肩を叩いた。

「これから師匠を元の姿に戻す方法を探していきましょう。大丈夫、きっと何とかなりますって。とりあえず僕は、向こうに参戦してきます。師匠はまだショックが大きいでしょうから、ここで隠れていてください」

「うう……」

「木嶋さん、師匠をお願いします」

「はい」

「では」


 光川さんは立ち上がり、花澄のいる方へと走り去った。

「お気をつけて!」

 私は声をかけた。


「うー、うー」

 石野さんはまだ何か呻いている。

「大丈夫ですか、石野さん」

 私は屈み込んで石野さんの顔を見た。

「うー」

 石野さんは起き上がると、その大きなクマのような手で、私の制服のポケットを指差した。

「……え? 何……ああ、もしかしてこれですか?」

 私は以前石野さんにもらったお守りを取り出した。

「そういえばこれ、見よう見まねで使ったら、竜の姿になったんですよね……。確かに、今使わないでいつ使うんだって話ですよね」

「うー、うー」

「はい、どうぞ」

 私はお守りからおふだを取り出して石野さんに託した。全部で五枚あった。

「うー」

 石野さんが祈るように目を閉じると、おふだはひとりでに浮き上がった。そしてそれらは、一瞬にして、竜の姿に変貌した。

「わっ!?」

 近すぎてよく分からなかったが、大きさが、前に私が出した竜の三倍くらいはある。

「すごい」

 五匹の竜たちは光川さんの後を追って猛然と空を駆けた。私と石野さんは横道からちょっぴり顔を出して、戦況を窺った。


「キャッ!?」

 猛スピードで飛んできた五匹の巨大な竜を見て、花澄はここへ来て初めて悲鳴を上げた。

「何なの、もうーっ!!」

 一方の祓い屋さんたちは奮い立った様子だった。

 竜と見事な連係を見せて、花澄を袋叩きにする様子が、街灯の光で微かに確認できた。後から追いついた光川さんも、何か大声で呪文を唱えながら参戦する。

「頑張って……!」

 私ははらはらしながら戦いの行方を見守っていた。今私にできることは無いが、これまでの私の血の滲むような努力が報われるかどうかが、この戦いにかかっている。

 とうとう祓い屋の人たちが、花澄を取り押さえて地面に組み伏せた。

花澄はじたばたと抵抗していたが、どうやら見えない拘束具で動きを封じられているらしく、仰向けになったままその場から動けない。

 そこに五匹の竜が次々と襲いかかった。彼らは花澄の喉元や頭や腹部を噛みちぎった。五匹の攻撃が終わる。私は目を凝らした。花澄はもう、ばらばらの肉塊になっていた。ぴくりとも動かない。


 その時、わあーんと耳鳴りがし始めた。私は頭を抱えてうずくまった。

 実際に見ているわけではないが、私はほとんど確信を持っていた。

 ユラユラ界が、世界ごと脆くも崩れ去り、滅亡したと。


「や、やった……!」

 私は石野さんを見上げた。だが石野さんは首を振った。

「ああ、うあんいあ、あえあお」

「ん……?」

 石野さんの言葉は分からなかったが、私は思い出した。


 花澄は瀕死になる度に己の世界を失ってきたが、必ず復活して新しい世界を創ってしまうのだと。

 つまり、まだ花澄は死んでいない可能性がある。


 案の定、花澄の肉塊の欠片が、ぴくっと動いた。

 私は目を見開いた。あんなにばらばらにされたのにまだ動くなんて、気持ちが悪い。


「みなさん……!」


 ここからが正念場だと私は思った。

 今度こそ確実に、花澄の命を奪わなければならない。

 私は手の指を組み合わせて、強く祈った。


「お願いします、祓い屋さん……!」

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