第37話 外出
花澄に全身をズタズタに斬られた光川さんたちが、うろうろと公園を歩いている。血がぼたぼたと地面に落ちる。彼らは私を探している。自分たちを不幸な目に遭わせた元凶である私を。
(ごめんなさい)
木の影に隠れている私は、そう言って彼らの前に姿を現そうとしたが、声も出なければ体も動かなかった。
(ごめんなさい、私のせいで)
ガサッと足元で音がしたので、私はびくっとして下を見た。草むらの中に、腕を失くした月宮さんが、虚ろな瞳をして這いつくばっていた。彼女は左手に包丁を持っていた。
(やめて! ごめんなさい! 私が悪かったんです。私が怪異なんかにつけ込まれるから、みんなこんな目に……)
月宮さんは立ち上がると、私の心臓めがけて包丁を振り下ろした。
「うわあぁっ!」
私は絶叫しながら飛び起きた。
全身が汗まみれになっている。息が限界まで荒くなっている。
「夢……」
当たり前だ。光川さんたちがあんなゾンビみたいな動きをするはずないし、月宮さんだって殺しなんかする人じゃない。
私の声を聞いたのか、花澄と複数のユラユラ人が部屋に入ってきた。
「どうしたの、冴子?」
「な……何でもない」
私は平静を保とうと努力しながら言った。
「ちょっと夢見が悪かっただけ……」
「そう?」
花澄は私の方をじっと見つめた。
「……うん、本当に何でもないみたいだね。良かった」
「うん。……あ、心配かけてごめん」
最後の言葉は、とってつけたように言った。花澄はにこにこした。
「大丈夫ならそれでいいんだよぉ。それじゃあ私たちは失礼するね」
「あ、花澄、待って」
私は呼び止めた。
「ん? なあに?」
「その……私、神殿から出てみたい」
「え?」
花澄が疑り深そうな目つきになった。私は慌てた。
「いやっ、別に、神様でいるのが嫌だとか、そういうわけじゃないんだよ。でもずっとここで寝ているだけだと退屈っていうか……ユラユラ界のことをもっとよく知るために、色んな場所に視察に出かけたいっていうか……」
「ああ。それじゃ私も同行しようか」
「ううん、大丈夫」
私ははっきりと言った。
「視察には頻繁に出かけるようになるだろうから。そうなると花澄も忙しいでしょ」
「それは、そうだけど……神様を無防備にするわけにも行かないし。じゃあ、毎度、護衛のために信者を二人つけるよ。それでいい?」
「……分かった」
私はこれを承諾した。
「じゃあ早速出かけるよ。護衛を呼んでくれる?」
「え? もう?」
「うん。思い立ったが吉日って言うでしょ。善は急げともね」
花澄はやれやれといった表情をした。
「しょうがないなぁ、冴子は。じゃあ色々と準備があるから、少し待っててねぇ」
花澄は部屋を去った。ここには時計はないので正確な時間はわからなかったが、体感おおよそ十分くらいで花澄は戻ってきた。足元に、いつものようにゲジゲジみたいな格好をしたユラユラ人を二匹、連れている。
「この二人が今日の護衛だよ」
「ありがとう」
「今日はどこへ行くの?」
正直、ユラユラ界を観光したいなんて一ミリたりとも思っていないし、花澄から離れられるならどこでも良かったのだが、そんなことを悟られてはおおごとだ。私は花澄の洗脳にかかった神様という設定で、うまく演技をやり遂げなければならないのだ。
「そうだな、行きたい場所はたくさんあるんだけど……まずはお墓かな」
「墓地? どうしてまたそんなところに……」
「ユラユラ人たちは、町外れの方にお母さんのお墓を作ってくれたでしょう。それなのに私、一度も行っていないから」
「なるほどね……」
花澄は少し戸惑っているようだった。何故だろう。何かまずいことを言ってしまっただろうか。
「ど、どうかした?」
怖々、尋ねてみると、花澄はこう答えた。
「……最近の冴子は、随分と積極的だし、よく話すなぁと思って。冴子は特別だから、歴代の神様とはちょっと違うところがあっても、納得は行くんだけど……。それとももしかして、ウツツ界にいる時に何かあった?」
私は束の間、硬直した。何かがばれてしまっただろうか?
「……何もないけど……。し、強いて言えば、神様としての自覚が芽生え出したような気がする」
必死で捻り出した嘘を、花澄は案外あっさりと受け入れた。
「そう、それはいいことだね」
私はほっとした。良かった、まだ疑われてはいないようだ。
「じゃあ私は視察に行ってくるから」
足の触手を使って段を滑り降りる。
「後でね、花澄」
「うん。気をつけて」
花澄はちょっとユラユラ人を呼び止めて、理解不能な言語で何か指示を出した。それから「いってらっしゃい」と私とユラユラ人たちを見送った。
こうして無事に神殿を出て、花澄の目の届かない所に来られた私は、はあーっと深く息をついた。
やっと神殿から出られた。これで少しは緊張せずに済む。
秘密を抱えるのは思ったよりストレスだし、心臓に悪い。
こんな調子で一ヶ月ももつだろうか。早く時が過ぎ去ってほしいと切実に願いながら、私はユラユラ人の持っていた地図を取り上げて、墓地の方角を目指した。
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