第35話 竜
私は石野さんがやっていた動作を思い出しながら、おふだを花澄に向かって投げつけてみた。だが、それは風に飛ばされてしまい、花澄のもとには届かなかった。
「あはっ」
花澄はおかしそうだった。
「なぁんの役にも立たなかったね、冴子。さあ、そろそろ諦めて、私の言うことに従っ……」
突如、おふだの飛んでいった方角から、巨大な何かが花澄に襲いかかった。
よく見るとそれは、白くて、和紙でできていて、胴体の長い竜の姿をしていた。おふだだ、と私はピンときた。私が投げたおふだが、竜になったのだ。何故かは分からないけれど。
竜は大きな牙で花澄の脇腹を抉るようにしてかじりとり、長い尾で花澄をなぎ倒した。花澄の体からどくどくと血が溢れ出す。
「参ったなあ」
花澄は痛そうに顔をしかめながら立ち上がった。そして抉り取られた部分をそっと一撫でした。
傷はみるみるうちに塞がって、元通りになった。骨も肉も元通りのようで、欠損しているのは着ていた花柄のワンピースだけだった。
私は怯んだが、無理にでも自分を奮い立たせた。
「竜! 攻撃を続けて!」
「そうは行かせないよぉ」
花澄は、空から襲いかかってきた竜の鼻先を片手で的確に捕らえた。そしてもう片方の手で強くその横っ面を叩いた。
ビリッと紙が破れるような音がした。
竜は一瞬にして姿を消した。後は、真っ二つに破れたおふだが、ひらひらと地面に落ちていくだけだった。
まだ、残弾はある。私がお守りの中から新しくおふだを取り出そうとすると、花澄は私の目の前にずいっと進み出た。
「ねえ、そろそろ諦めたら?」
視界が少しだけ歪んだ。
強い洗脳をかけようとしているのだと分かった。だが、今のところ私の意識に異常は無い。あのブローチが効いているのだ。
花澄は私の手をバチッと叩いた。私はお守りを取り落とす。拾うために急いでしゃがみながら、私は精一杯に頭を回転させて、どうすればいいのかを考えた。
もしかしたらと思って試しにおふだを使ってみたが、花澄はほとんどダメージを食らわなかった。私が一人でおふだを使って戦っても、勝てる見込みは薄いということだ。
一方、祓い屋さんたちが考えた作戦では、味方が全滅した場合のことも考慮に入れてある。この場合、私は一旦花澄に従って、洗脳にかかったふりをすることになっていた。そして一ヶ月ほど待つのだ。その一ヶ月で、祓い屋たちは再び戦う準備を整える。
「……」
緊張のあまり口の中がからからに乾いていた。
「分かった」
私は素早くお守りをポケットにしまうと、立ち上がった。
「もう諦めるよ、花澄」
花澄は嬉しそうだった。
「そうだよねぇ。私に敵う人間なんているわけないもんねぇ。さあ、一緒にユラユラ界に帰ろう。みんなが神様をお待ちかねだよぉ」
「分かった」
花澄は私の手を取って、すたすたと歩き始めた。私は倒れている月宮さんと、切り落とされた彼女の腕を振り返った。彼女は真っ青な顔をして、血溜まりの中で動けないでいる。
(すみません、どうかご無事で)
だがあまり見ていると怪しまれる。私は心を痛めながら、彼女に背を向けた。
花澄は大波神社まで止まることなく歩き続けた。そこでゲートを出現させる。
「行こっか」
「うん」
私たちは手を繋いだままゲートをくぐった。
すぐに、見慣れた紅い風景と白い神殿が目の前に広がる。
「ようやく帰ってきてくれたね、神様。早く祭壇の上で休もうねぇ。ウツツ界にずっといて、祓い屋の連中に捕まっていて、疲れたでしょう」
「うん」
私はおとなしく神殿の最奥部に向かった。心臓が早鐘を打っていた。本当にうまくいくだろうか。洗脳にかかっていないとばれやしないだろうか。今は石野さんも光川さんも月宮さんもいない。私一人だけだ。たった一人でこのユラユラ界で、一ヶ月も耐え忍ばなければならない。
ああ、月宮さんはちゃんと治療を受けられただろうか。光川さんや他の祓い屋も、ちゃんと無事だろうか。
私は不安を抱えたまま、黒い祭壇によじ登った。
「本当の姿に戻らないの?」
花澄は尋ねた。
「え? ああ、このままでいいかな……」
「でも擬態したままじゃ疲れるでしょ?」
「……ああ、うん……」
確かにやや気を張る必要はあるが、そんなものは疲労の内に入らない。あの醜い姿でいる方がよっぽど嫌だ。でも、花澄は私に本来の姿に戻ってほしいらしい。だとしたら、それに従うのが吉か。
「待ってて。今、服を持ってこさせるからね」
花澄は上機嫌で部屋を後にした。じきにユラユラ人が大きくてゆったりした黒い服を持ってくる。私は人払いをして制服と下着を脱ぎ、それらをきちんと畳むと、擬態を解いて化け物の姿になった。もそもそと黒い服を着てころんと祭壇に横になる。
ようやく緊張が解けて、少しリラックスした気持ちになった。
「……」
私はこれから、洗脳無しでずっとここにいることになるのか。暇すぎて気が狂いそうだな……。私は足の触手をうにょうにょと動かして、暗い気持ちを紛らわした。
早くも、祓い屋の面々が恋しくて仕方がなくなっていた。
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