第29話 噂話

昨日はいろいろあった。

 大広場で絵を描いていたら、酔っ払いに絡まられているところをディルが助けてくれて、ディルが観光案内をしてくれることになった。


 途中、高級そうな宝石店に入って、ディルがあらかじめ注文をしていたのか、タンザナイトをあしらったお高いであろうネックレスが出てきてディルにプレゼントをされた。

 お詫びだとディルは話していたが全く心当たりがない。

 逆にお詫びやお礼をしないといけないのは転移魔法の失敗で迷惑をかけまくっているわたしのほうなのに。


 チャドワ湖畔沿いの遊歩道で、ディルに突然抱きしめられて、婚約を申し込まれた。

 そのまま、「はい」と返事をしたかった。

 でも、相手は誰かわからないが政略結婚をする予定である事情を話し断った。

 ディルに会うたびにどんどん惹かれていく自分がいる。

 婚約を申し込まれたこの思い出だけでこの先、ずっと生きていけるかも知れないと思えたのに、ディルと仮恋人としてこれから3週間を過ごすことになった。

 天まで駆け登りたいぐらいの幸せな気持ちと、これから自分の気持ちがどうなっていくのかと不安に思う気持ちが行ったり来たり。


「レナちゃん、うれしそうな顔になったり、難しそうな顔になったり、ひとりで百面相しているけど大丈夫かい?」


 どうやら、店のカウンターに立ちながら物思いにふけ、ひとりで変な顔をしていたらしい。


 ここでの保護者でもあるアドレおばさんには昨夕、ディルに送ってもらって帰宅してからすぐに一部始終を報告した。

 なにも言わずにずっとわたしの話を聞いてくれて、3週間だけディルと仮恋人になると言った時には手を叩いて喜んでいた。


 わたしは皇女だし、政略結婚前だし、隣国の騎士様とそういう仲になることは困ったことになった、面倒なことになったと渋い顔でもするのかとビクビクしていたのだが、手を叩いて喜ぶのかと、アドレおばさんの反応は意外なものだった。


 アンお姉様にも手紙を書いた。

 ラストリアに着いた時に、無事に探していた人と偶然に会えてラストリアまで送ってもらったと書いて以来、手紙を書いていなかった。

 とりあえず、例の人といろいろ観光案内をしてもらい楽しくなりそうです。と余計な心配はさせたくないので、仮恋人のことは書かずに2回目の手紙を送った。




 わたしがぼやっとしていると、店の黒猫のドアベルがチリンチリンと鳴って、向かいの店の花屋のノエルちゃんが入ってきた。


「レナちゃん、大ニュースよ!」

 少し年下で髪の毛がクルクル天然パーマのよくしゃべる可愛い女の子。


 わたしが店前で掃除をしていたら、アドレおばさんのパン屋では今まで店員を雇うことはなかったらしく、驚いたノエルちゃんが急いでわたしに駆け寄ってきて質問攻めにしたっけ。

 3週間だけアドレおばさんのお店でお世話になることを伝えると大歓迎とぴょんぴょん跳ねて大喜びしてくれた。


「ノエルちゃん、大ニュースってなにかあったの?」

 思わずカウンターから身を乗り出した。

 ノエルちゃんの気配に気づいたアドレおばさんも奥から出てくる。


「あ、おばさんもこんにちは!」

「ノエルちゃんは今日も元気いっぱいだね。」

「2人とも大変なのよ!お客さんに教えてもらったんだけど、チャドワ湖の奥の森で魔獣が出たんだって!」

「!!魔獣?」

 思わず大きな声を出してしまった。


 魔獣!!


 物語でしか知らない。本当にこの世界に生息しているんだ。

 フラップ王国に魔獣がいるなんて初めて知ったわ。


「そう!魔獣!ビーバーみたいな魔獣らしいんだけどね!」

「アーヴァンクだろ。」

 アドレおばさんが前から知っていたかのように落ち着いている。

「アドレおばさんは知っていたのね。そんな名前だったわ。」

 ノエルちゃんの声が興奮でより一層高くなる。

「困ったことになったね〜。わたしも昨日、常連さんに聞いたんだよ。」

 アドレおばさんがなぜかわたしを見て言う。


「でね。魔獣の討伐に王都から王弟殿下とその騎士団が来たらしいわよ。いま、騎士団の支部にいるんだって。」

 王都からの騎士団?

 ディルは騎士団に所属だ。いつもは王都にいると言っていた。

 もしかして、ディルが仕事でラストリアに滞在するって言っていたのはこのことだったんだろうか。

 なんか嫌な予感しかしない。


「その騎士団は強いの?」

 わたしは噂ならなんでも知っていそうなノエルちゃんに聞いてみる。

「強いわよ。王都の騎士団って普段は王族の護衛をしたりするエリートよ。」


 そうだったんだ。

 ディルって、すごい人だったんだ。

 うちの国でいう近衛騎士のような人だったんだね。

 ダズベル王国では、王族を護衛してくれるのは近衛騎士だ。

 普段からマッチョな人たちに護衛をされていたので意識することはなかったが、そういえばディルも太もものようにまではいかないが太い腕と引き締まった胸板だ。

 抱きしめられた時の包まれた感が本当に心地よい。


 わたし… ノエルちゃんの前でなにを思い出しているんだろう。


 思わず赤面してしまう。

 それに気づかないノエルちゃんのおしゃべりは止まらない。


「でね、王都の騎士団はすごい美形揃いなのよ!恋愛小説にもなっているんだから!」

「それ、どんな小説なの?」

 ディル達が小説になっているなんて、フラップ王国の騎士団ってすごいわ!


「ボーイズラブ!王弟殿下と部下の愛の物語よ〜 すごいキュンキュンするわよ!レナちゃんも興味ある?」


 ボーイズラブ!

 王妃教育なるもので先生が一般教養として解説していたのが思い出される。

 本は貸してくれなかったけど。


 興味があるのかないのかと聞かれたら、興味は俄然あるわ。ディル達騎士様がモデルの小説だしね!


「もちろん!」

「わたし、いくつか本を持ってるから貸してあげるわ。シリーズにもなっているのよ!ちなみに事実に基づいた小説らしいわよ!」


 えっ?事実に基づく?


「それって…。」

「レナちゃんはダズベル王国の人だから知らないのね。噂ではうちの国の王弟殿下は女性を愛せないらしいのよ。とても美しい人らしいから、どんな美しい女性を見ても心が動くことはないらしくてね。その王弟殿下を守るように騎士様達が一途に愛を捧ぐらしいわ。」

  

 ディルも…?

 その美しい王弟殿下に一途に愛を捧げているのかしら…

 なにやら、胸のあたりがモヤッとする。


 横で話しを黙って聞いていたアドレおばさんがギョッとしているのにはわたし達は全然気づかない。


「そうだ!いまから騎士団の訓練場に見に行ってみようよ。お客さんの話だと明後日に討伐に出発するらしいから、いま訓練が見れるんですって!」

「それ、見れるの?」

「タイミングが良ければ!美形揃い見たいでしょ〜 今ごろ、たくさんの女の子達が駆けつけているんじゃない?」


 アドレおばさんの方を見ると、なぜか苦笑いをしている。


「アドレおばさん、少しだけ見に行ってきてもいいかしら?ディルの勇姿も目に焼き付けておきたいし…。」


「レナちゃん、店はいいから行っておいで。気になるんだろう。」

 アドレおばさんは少し困った顔をしながらも笑顔だ。


 ノエルちゃんと騎士団を見に行くことになった。

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