第9話 宿屋へ


「どうしよう…」

 がっくりひどく落ち込む。

「疲れているんだろう。今日は転移魔法でラストリアに行くのは諦めて、サンダースに泊まったほうがいいだろう。」

 そうこうしているうちにだんだん夕暮れが迫っている。

「そうね。今日はもう転移魔法はやめておいたほうが良さそうよね。」

一発でラストリアに行ける自信はない。


ディルが黒猫のほうをチラッと見た。

黒猫はじっとディルを見ると、なにかを理解したのか、プィと歩き出した。


「アドレのパン屋も心配しているだろうけど、1日ぐらい大丈夫だ。なんなら、俺がアドレのパン屋まで送っていってやるから。」


送り狼になるかもだけど。


「ディル、ありがとう!心強いわ。」

 レナが無邪気な笑顔を向ける。


「とりあえず、サンダースの村の宿屋に急ごう。風が騒いでいる。天気が少し荒れそうだ。」

 ディルはわたしの手からさりげなく鞄を取って持ってくれた。

 再会してからのディルはわたしをすぐに抱きしめて、それはどうかと思っていたけど、意外に紳士なのね。


 ディルの馬でサンダースについた時にはどっぷり日も暮れていた。


「今日、ふたりで別々の部屋で泊まりたいんだけど、空いているか?」

 ディルは知っている宿屋らしい。

 大きくはないがこじんまりとした趣味のいい宿屋だ。

「あら、ディカルト久しぶり。今日は生憎、部屋はあと1室しかないよ。」

 恰幅の良い宿屋のおばさんが奥から出てきた。

「そうだと思ったんだ。今夜は荒れそうな天気だからな。」

「そちらのお嬢さんと泊まるのかい?ディカルトにもやっと春が来たんだね。」

「まだ、そういう関係じゃないから。」

「まだ…ね。」

 宿屋のおばさんはわたしを見て、満面の笑顔でひらひらと手を振ってくる。

 とりあえず、愛想笑いを浮かべて軽く会釈をした。

「いい子そうだね。空いている部屋はベットがひとつだけど、長椅子があるよ。」

「十分だ。」


 未婚で男の人と同室って…


 慌てて、ディルの方を見るとディルはわたしが言いたいことはわかったようだ。


「レナ、安心して。この宿屋は大丈夫だから。今夜は嵐になりそうだし、これが最善の方法だ。」


 案内された部屋はベットが1つと長椅子と小さいテーブルがある部屋だった。


 とりあえず、部屋の隅に鞄を置いて、どうしていいかわからず、居た堪れなさそうに突っ立てみる。


「レナ、お腹空いていない?夕食を食べに食堂に行こう。」

 そんなわたしを見てディルは食事に誘ってくれた。

 男慣れしていないのがわかったんだろう。



 出された食事はスープとパンと少しの野菜と鹿の肉だった。

 いろいろなことがあったから、スープの温かさが身に染みる。


「美味しい!」

「そうだろう。ここは食事もいいんだ。」

 ディルがご機嫌だ。


「宿屋の人ともよく知っているみたいだったけど、よく泊まるの?」

「ダズベル王国に行く時は大体利用するかな。」

「そんなにダズベル王国に来てたの?」

「まあね。レナを探しに。」


 麗しい顔で真面目そうに言うが、ディルの黒い瞳が悪戯っぽい。


「はい。はい。ありがとう。それだけじゃないでしょう。」

「お見通しか。まあね。仕事でも行くからね。」

「ディルは騎士をしているの?その服はフラップ王国の騎士の制服?」

「そうだよ。騎士団に所属しているよ。普段は王都の騎士団の寮で暮らしている。」

「そうなのね。ラストリアのあの家はまだある?」


「まだあるよ。誰も住んでないけどね。最近は行ってないな。」

 少し切なさそうな表情を浮かべる。


 あれから、なにかがあったんだろう。

 悪いことを聞いてしまった。


「レナは学校を卒業したんだろう。これからどうするんだ?婚約とかしていないのか?」

 急に話を振られて、スープを咽せそうなった。


「わたし?」

「レナは貴族だろ。立ち振る舞いを見てわかるよ。貴族だろうし婚約者とかいたりするんじゃないのか?」


 確かにダズベル王国の貴族は学校を卒業すると、かねてよりの婚約者と結婚をするご令嬢は多い。

 いなくても、社交界で条件の良いお相手を探し出す年齢だ。


 わたしも18歳。結婚適齢期だ。

 でも、わたしに婚約者はいない。


 わたしは第3皇女で国の「駒」だ。


 どこかの国や有力貴族と友好関係を保つために時が来たら差し出される。

 

 そして、おそらく今ごろ、王城では東か西かの隣国から、友好関係のためにもうちは王子を差し出すので姫を差し出しませんか?と、打診が来ているのだろう。


 でも、ディルに皇女という身分は明かせない。

 明かせば、ディルにも迷惑がかかる。


 未婚の皇女が男とふたりで宿屋にいる。

 いまは街娘風に変装はしているし、公的な行事にもほとんど出席していないから、誰かがわたしに気づくことは考えにくいが、バレたら恐ろしい醜聞だ。

 

「…貴族 …ではないよ。そして、婚約者もいない。」

「良かった!婚約者はいないんだな!そうか!そうか!」

 

 ディルがますます上機嫌だ。

 そこ?

 気になっていたのは貴族かどうかよりもそこだったらしい。


「…いまはね。」


ディルに聞こえるか聞こえないかの小声でボソッと呟いた。


「?」


「わたしは貴族でないし気を使わないで。ディルは騎士をするぐらいだから、貴族なんでしょう?」

「いや、俺も貴族ではないよ。」

「ええっ?そうなんだ!わたし、6年前に会った時はてっきりザックさんはディルの従者でディルは裕福な家のご子息だと思っていた。」


「なるほど。見立ては悪くないけど。ザックは兄のような、親友のような関係だ。」

「そうなんだね。素晴らしい関係ね。ザックさんにもお会いしたいわ。」

 遠くにいるザックさんを思い浮かべた。


「レナがそんな可愛い顔をして、ザックに会いたいなんて言うと、俺はザックに妬いてしまいそうだ。」

 

 ディルが真顔でそんなことを言うので、まともにディルの麗しいキラキラを受けてしまい、頬が火照った。

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