第3話 姉を探しに
ハルは船から降り立った。長時間乗船していたわけでもないのに、少し足元がふらつく。時刻は正午を示し、太陽は高く照りつけている。
もう十年も経っているのだ。フユが生きていたとしても、ベネチアにいる可能性は低い。
そう分かっているが、何しろ手がかりが何もないのだ。路地を走っていくフユの背中が、頭にこびりついて離れない。むしろ、年々鮮明になっているようにも思える。姉の幻影を追ううち、自然とハルの足は、ここベネチアに向いていた。
母はあの一件の後、手を尽くしてフユを探した。しかし、どうにも見つからないことが分かり、激しくふさぎ込んだ。年月を重ね、少しずつ活気は戻ってきたものの、どこか空元気な印象をぬぐえない。
地図を広げ、ゴンドラの遊覧ルートを指でなぞる。フユが走り去ったのはどの路地だろうか。もう一度ゴンドラに乗ってみたら分かるかもしれない。
ゴンドラ乗り場へ向かうため、サン・マルコ広場へと足を進める。人通りが激しくなり、やがて大鐘楼と寺院が現れる。
街のいたるところで見られるのは、有翼の獅子像だ。翼の生えたライオン。ユニークなことに、その前足で本を開いている。その昔、ベネチアが独立した国だったころに、国の紋章として使われた獅子だ。街を守護する聖マルコの象徴とも言われる。
それら観光名所には目もくれず、ハルはゴンドラ乗り場にたどり着く。ツアーの団体客が乗船待ちをしていたため、乗り合わることになったが、無事に乗り込むことができた。
感嘆の声を上げ、写真や動画を撮り続ける観光客を尻目に、右に左に目を走らせる。当該の路地があるのは遊覧の終盤だった分かっているが、やはり落ち着かない。
街はそれほど様変わりしていないようだ。おそらく、道が増えたり減ったりしていることもまずないだろう。
しかし、あれほど鮮明に覚えていた路地の記憶は次第にほころび始め、それらしい場所を見つけられないまま、いつしか遊覧は終わっていた。
ゴンドラを降りると、椅子の上に帽子が逆さに置いてある。客はそこにチップを入れ込むのだ。放心状態のまま、五ユーロ紙幣をくしゃくしゃに丸めて入れる。
見つけられなかった。もしかしたら、昔乗ったゴンドラとルートが違ったのかもしれない。ゴンドラの乗り場は、島内の各所にある。他の乗り場に当たってみるべきかもしれない。
ハルはいくつもの乗り場を回った。同じルートを繰り返したどったりもした。
しかし、あの路地は、どこにも見当たらなかった。
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