第28話 窮乏化理論Ⅱ

 マルクスが生きていた時代のイギリスでは労働者が過酷な労働条件で働かなけばならない状況が日常化していましたので、その理由を考えなければなりません。現代ならば、労働条件が悪ければ人は集りませんが、今では考えられないような劣悪な労働条件が蔓延していた理由としては、それだけ仕事が少なかったのではないかと思われます。現代でも難民の多くは、経済難民であり、自国では働き場所がないことから豊かな生活を求めて密入国を試みます。

 調べたところ、当時のヨーロッパからは大量の人々が南米に移民しています。「母を訪ねて三千里」の物語の時代背景を調べたところ1800年代の終わり頃とありましたので、当時のイタリアの状況が背景になっていると思われます。ではどうして、ヨーロッパから南米に移民しなければならない状況に陥ったのかを調べますと18世紀後半イギリスで産業革命と平行して起こった輪作法の普及などの農業革命による人口増大の影響が大きいと思われます。

 人口は急激に増大しても仕事は急激に増大しないことから過酷な労働条件であっても職場を選ぶことができない状況となります。そのため、資本家は労働環境の改善や賃金の値上げよりも企業の利益を優先したと思われます。つまり、劣悪な労働条件であり、低賃金でも労働者は集ることから労働条件の改善や賃金の値上げを考慮する必要を考えなかったと言えます。これらのことを考えますと、資本主義社会のもとでは、生産の増大が社会的な富を増大させ、資本の蓄積をもたらすが、同時にそれは労働者の窮乏,貧困をも推し進めるものであるとする理論は、就労できる労働者よりも仕事を求める労働者が多い状況でなければ成り立たない理論と言うことになります。

 何分にも経済学に関して素人の考察ですので、間違いはあると思いますが、大筋では間違っていないと思います。ネットで検索してもこのような考察は見つかりませんでした。「窮乏化理論」を取り上げている記事はあっても現実に「窮乏化」が起きなかったとの事実の指摘だけであり、「窮乏化理論」の何が間違っていたのかの解説が見当たりません。そのため、経済や政治の専門家の解説を期待しています。


参考サイト e-論壇 百花斉放.JFTIR 「窮乏化法則」破綻が示す日本共産党の閉塞

参考サイト 金融大学 工業の歩み(産業革命前後の生産様式)

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