【第4話】親しい存在には逆に言いづらいこともあるわけで
モスキートゲートには、いくつか不可解な点がある。
まず出現する場所。モスキートゲートの出現は人口が多い都市部に集中しており、人口が少ない地方・田舎に出現する確率は非常に低い。
「蚊は効率よく人間を捕食するために、人口が集中している都市部に出現するのではないか」
それが一部の研究者の仮説だった。
もちろん、出現する確率はゼロではない。田舎や地方都市にもモスキートゲートが出現することはある。
それに、都市部に住む人のなかには、襲撃リスクの低い街に移住するケースも増えている。移住が加速してしまうと人口が増えてしまうので、モスキートゲートの発生率が上がってしまうかもしれない。
人口の少ない都市では都市部と比べて防衛力が弱いので、モスキートゲートが発生してしまうと、対応が遅れて被害が拡大するおそれがある。
田舎・地方都市に住む人たちは「できれば来ないでほしい」と思っているし、でも移住する人たちも命がかかっているから「お願いだから移住させてほしい」という切実な状況だ。
結局、身を守るために移住する人たちを止めることもできず、日本全体にジレンマが生まれている。
逆に田舎・地方都市に住んでいる人が都市部に移動することは少ない。地方・田舎に住んでいる人たちは高齢者も多く「どうせ死ぬならずっと住んできた場所がいい」と考える傾向があるからだ。
そういった背景もあり、地方で農業を営んでいる人たちが農作物を作り続けてくれるので、都市部への食料供給もなんとかなっている状況だ。
しかし状況次第では、いつ食料供給がストップしてもおかしくない。絶妙なバランスの上で、なんとか今の生活が成り立っている。
その事実にみんな気づいているけど、何か解決策があるわけでもない。どうしようもない現実を見ないようにして、毎日騙し騙し生活をしている状況だ。
そんな状況を一刻も早く終わらせなければいけない。モスキートハンターが背負っている使命は、想像以上に大きい。
依頼の集合場所に着くと、見知った顔のハンターを見かける。自慢にはならないけど、ハンター歴だけは長いから割と顔が利く。真面目に依頼をこなしているから、それなりに信用もしてもらっていると思う。
キョロキョロと辺りを見渡していると、
「おーい!悟じゃないか!」
少し離れたところから、聞き馴染みのある男性の声がした。この声を聞くと、ついテンションが上がってしまう。
「おじさん!」
「そうそう。俺はもう38歳だし、おじさんだよな……ってやめんかい!たしかにおじさんかもしれないけど、おじさん言うな!谷繁お兄さん、もしくはマサ兄と呼べ!」
軽快にノリツッコミをしてくれる愉快なおじさんは、谷繁正勝(たにしげまさかつ)さん。14年前、俺たちが蚊に襲われたときに、俺と綾を助けてくれた警備員のお兄さん"だった"人だ。
頭の側面の髪を刈り上げ、前髪をオールバックにして無精髭を生やしている。背は低めだが、ガッチリとした体格で頼もしい印象を与える。当時は20代のお兄さんだったけど、今では30代後半。すっかりおじさんの仲間入りをしている。
マサ兄の気配を察知した瞬間、綾はどこかに隠れてしまったようだ。その理由はなんとなく想像がつく。
母さんが蚊に殺されたあと、俺と綾は孤児院に入れられた。慣れない環境で毎日のように泣いていたとき、マサ兄は俺たちを気にかけて親切にしてくれた。俺は、マサ兄ほど優しい人を見たことがない。
俺と綾のなかでは、もう家族といっていいほど近い存在だ。兄と父親のあいだくらいの感覚だろうか。
あの出来事があってから「目の前で人が死ぬのを見ていられない」という理由でモスキートハンターになったと以前聞かせてくれた。
その話からも、マサ兄の人の良さがにじみ出ている。俺は、いや綾もだと思うけど、マサ兄の人柄に何度救われてきたか分からない。
しかもマサ兄はBランクハンター。最近は年齢が上がってきたこともあって前線からは退いているけど、状況に応じてCランク相当の依頼を受けている。今でも一人で複数体の蚊を撃退できる実力者だ。
出会ったときのことを今でも鮮明に思い出せる。それだけインパクトがあった出来事だから。
14年前、マサ兄に救われた俺と綾は、マサ兄によってビルの中に閉じ込められた。当然、俺たちを守るためにやったことだったんだけど、俺と綾は「離せ!母さんを助けに行く!」と泣き叫び、喚き散らした。
でもマサ兄は、
「ダメだ。君たちを行かせるわけにはいかない。俺が憎いなら恨んでくれてもいい」
そう言って必死に俺たちを止めてくれた。マサ兄がいなければ、俺と綾はこうして生きてはいない。
でも、あのときの俺たちは幼くて、正直マサ兄を恨んだこともあった。俺たちの望みは母さんと一緒にいることだったから。一緒に死ねるなら本望だと思っていた。
でも、今になって分かる。マサ兄がどれだけ正しいことをしてくれたのか。わざわざビルから出てこなくてもよかったはずなのに、本来助ける義理もない赤の他人の俺たちを命がけで救ってくれた。
本当にマサ兄には足を向けて寝れない。俺と綾は、マサ兄には一生頭が上がらないと思う。
マサ兄と戯れていると、隠れていた綾が気まずそうに顔を出してきた。
「マサ兄……ひさしぶり」
マサ兄の表情から困惑しているのが伝わってくる。
マサ兄は俺の肩に手を回し「悟、ちょっとこっち来い」と言って綾から離れようとした。すかさず綾が「ちょっと待って!ちゃんと説明させて」と静止させる。
マサ兄は「綾ちゃん、ちょっと待っててな」と言ったあと「おい、悟!一体どうなってるんだよ!」と肩を組んだまま耳元で質問してきた。
「実は……いろいろありまして」
「だから、その"いろいろ"を聞いてるんだよ。この集合場所にいるってことは、綾ちゃんはハンターになったってことなんだろ?なんでそんなことになってるんだよ」
「そ、それは……」
「待ってマサ兄!お兄ちゃんは悪くないの。私がワガママを言っちゃって……」
綾の言葉を聞いてマサ兄は「うっ」という表情をしたあとに、ガシガシと頭を掻いた。
「なんだ、その……何も相談してくれないなんて、水くさいじゃないか」
「だって、絶対反対されると思って……」
「そりゃするよ。命を落とす可能性だってあるんだから」
マサ兄は真剣な表情で綾に訴えかけた。
「でもよ……命を落とさずにハンターになれて本当によかった。ひとまずは、それを喜ぼうか」
「マサ兄!ありがとう!!」
綾に笑顔が戻った。ハンターになってから、ずっとマサ兄と会うのを避けていたもんな。綾なりに気まずい気持ちがあったのだろう。
「ところで、綾ちゃんの試験の結果はどうだったんだ?何ランクだったんだよ」
「えへへへっ、実はね……Aランクだったの」
「えっ!?なっ!?えっ!?!?」
マサ兄が困惑している。そりゃ、そうだ。Aランクのハンターは、ハンターの中でもごく一部。
特にマサ兄のようにBランクハンターとして活躍していた人であれば、Aランクハンターのすごさをより身近に感じているはず。今まで可愛がっていた妹のような存在が、いきなりAランクハンターになったら、そりゃ驚くだろう。
マサ兄がこちらに視線をよこす。その視線に答えるように、俺はゆっくりと大きく頷いた。
「マジかよ……」
その言葉に、マサ兄の驚きの感情が凝縮されているようだった。
モスキートハンターをやっていると、ぽっと出の新人がベテランを一気にぶち抜いていく光景を見かけることも珍しくない。
身近にAランクハンターが誕生したことで、完全なる実力主義の世界なのだと改めて痛感していた。
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