第30話 剣聖は撤退する
スローディル王国を離れる前に俺の家に寄って、親父とルークに事情を説明するということで話はまとまった。
ただ、実家とはいえ何の連絡もなしに帰るのはちょっとよくないか。親父に追い出されてからかれこれ一ヶ月くらい経っている。ルークの奴がそろそろ親父の機嫌を直してくれていると思うが、そのあたりも確認しておきたいところだな。
なので俺は冒険者ギルドを通してバルカス家に手紙を書くことにした。
「手紙で事情を知らせておけばレオン父とレオン弟が私とリディアを見ても腰を抜かさずに済むということか」
「ははは、親父はあれでも剣聖だし、ルークだって相当な強者だぞ。お前やリディアを連れて行ったって腰を抜かしはしないさ」
宿屋で手紙を書いている俺を見てアホなことを言いだしたユーナに笑ってかぶりを振った。
そりゃああの二人も驚きはするだろうが、腰を抜かすなんてことがあるわけがない。
「じゃあわたしとユーナちゃんのことも手紙に書いておくんですね」
「いや、ユーナはともかく、リディアのことは具体的に書くのは少し心配だ。実際に会ってからきちんと説明することにしよう。大体、お姫様と一緒に冒険者やってるなんて書いても信じてもらえそうにないしな」
リディアに聞かれて俺はそう答えた。
彼女は親父と面識があるそうなので会ってしまえば正体は確実にバレる。騎士団長のときのような無茶なごまかしは通じない。リディアの目的については伏せたままにすることも考えたのだが、リディアは「伯爵の人柄は知っていますし、レオンさんのご家族なら信頼出来ますから」と言って、シルベスタ王の腰の件を話してもいいと言ってくれた。
それに対してユーナが「将来的なことを考えれば当然であり妥当な判断」と言いだし、リディアから「レオンさんとの将来のことは関係ありません!」と言われていた。
そうか。将来のことは将来のことでちゃんと考えてくれているのか。俺もきちんとそのあたりのことを考えておくべきだな。
とりあえず、手紙には一度家に帰りたい、ということと、紹介したい人がいる、とだけ書いておくことにした。
ルークからの返事はすぐに来た。ギルドのカウンターで手紙を受け取った俺は宿屋でさっそく読んでみた。
「返答はどうか」
「んー、とりあえず親父の機嫌は直ってるらしい。帰ってくるのは大丈夫だそうだ」
手紙を読みながらユーナに答えてやった。
ルークからの返事にリディアはほっとしていた。
「よかったです。じゃあ、明日になったらバルカス伯爵領に向けて出発ですね」
俺もユーナもうなずいた。
翌日、俺たちは王都から南へと向かう馬車に乗った。ほかに二人ほど乗客がいたのだが、どちらも出発して最初の町で降りてしまいその後は誰も乗らなかったので、実質的に俺たち三人の貸し切り状態となっていた。
一月近くを過ごした王都はすでに見えなくなっている。いまは夕時の街道をオレンジ色の陽の光に照らされながらゆっくりと進んでいるところだった。次の町はもう見えている。今日はあそこで泊まって、バルカス伯爵領に向かう馬車に乗り換える予定だった。
「王都では色々あったなあ……」
もう見えなくなっているが、ついつい後ろの窓から王都の方を見てしまっていた。
「本当ですね。わたし、シルベスタを出発したときはこんなことになるなんて思ってもいませんでした」
隣に座るリディアが笑って言った。
「同感だよ」
俺も笑った。
ちなみにユーナは俺の膝を枕にしてすやすやと眠っている。こういった乗り合い馬車に乗るのは初めてだったらしく、ユーナは大層はしゃいでいたのだが、タフな五歳児はそのせいで疲れてしまったようだ。
「モツ煮込みにモツ焼き、レバーソテーにレバーペースト……至福……」
ユーナは寝言を言っていた。
お前は夢の中でもそれなのか……。
相も変わらず一本筋の通った五歳児である。一切ぶれないのは大したもんだとは思うが、よだれで俺のズボンをびしょびしょにするのはやめてほしかった。
「……ユーナちゃん、気持ちよさそうに寝てますね」
リディアが言った。
「そうだな。あれだけはしゃいでいれば当然だが」
「……見てるとなんだかわたしも眠くなってきちゃいました」
「別に寝ててもいいぞ。着いたら起こすよ」
「……そうですか。では、お言葉に甘えて」
リディアは意を決したような調子で言った。
なんでこんな覚悟を決めたような感じなんだろうかと思っていると、肩に重みを感じた。
見ればプリンセスが俺の体に寄りかかり、こてんと頭を肩に預けていた。
「……いくらなんでも積極的すぎないか?」
「……いやですか?」
「いやではないんだが……」
リディアからのあからさまなアプローチへの切り返しには慣れてきていたつもりだったが、どうも俺は甘かったらしい。
「ではこのままで」
姫様はうれしそうに言った。
「……普段は手加減してたわけか」
「ユーナちゃんもいますから、ね」
「うーむ……」
本気を出してきたリディアに俺はうなることしか出来なかった。
というか流石にこれはヤバイ。ここまで近いのは初めてだし、なんかメチャクチャいい匂いするし、頭がくらくらしてきたんだが。
「……ここで決着つけちゃいましょうか?」
耳元でそうささやかれて、俺の心臓が一気に跳ねた。
マズい。これはマズい。オトされる。このままでは負ける。
かくなる上は……
俺は眠っているユーナにそっと手を伸ばした。
「何事かッ!」
ほっぺたをつねってやると五歳児は跳ね起きた。
それと同時に、リディアはさっと俺から離れた。
「いや、ちょっと揺れただけだ」
「そうか。ではもう少し寝る」
俺が言うことをユーナは素直に受け入れた。で、また俺の膝を枕にしてすうすうと寝息を立て始めた。
「……逃げましたね」
リディアに言われた。
「戦略的撤退と言ってくれ」
どうにか死地を逃れた俺は内心冷や汗をかきながらそう答えたのだった。
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