時空超常奇譚其ノ壱. 白い部屋/救世主はどこにいるのか

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚其ノ壱. 白い部屋/救世主はどこにいるのか

白い部屋/救世主はどこにいるのか

「人類は二度の世界大戦を経験しました。第一次世界大戦は1914年から18年まで、第二次大戦が1939年から45年までです。これはテストに出ますから覚えておきましょう」

 六年一組の教室で、戦争オタクと噂される社会科教師の嬉々とした授業が続いている、既に小学校社会科歴史の勉強内容を逸脱し、いつもの戦争評論の域に踏み込んでいる。

 子供達は「また始まった……」と嘆息し、誰一人として聞いていない。

「何故戦争が始まるのか、それが最重要ポイントです。第一次大戦を指導したのは、ドイツのヴィルヘルム二世と英国ロイド・ジョージ首相です。第一次大戦以前で言うならば、有名なナポレオン・ボナパルトは欧州各国に対して侵略行為を行った指導者であり、アレキサンダー大王、チンギスハン、秦の始皇帝、その他数え切れない歴史的英雄と呼ばれる人達が指導者として大規模な侵略戦争と殺戮行為を行っています。第二次大戦ではドイツのヒトラー、日本の東條英機などです」

 社会科教師のいつもの授業が続く。

「では、果たして何故戦争が起こるのか。その答えは、煽動する指導者の存在です。極端に言うなら、煽動する指導者がいなければ戦争は起こらなかったと言えるのです。因みに、煽動とは間違った考え方でマインドコントロールして、人々が戦争を起こすように誘導する事を言います。更に言うなら、煽動する指導者は独裁者である場合が殆どです。つまり、煽動する指導者、独裁者さえいなければ、戦争は絶対に起こり得ないのです」

 まだ々続く教師の恣意的戦争評論を子守唄に、田村ヒロシは遥かな微睡みへと旅立った。


 ここ最近、田村ヒロシ12歳は夜眠れない。世間一般ではそれを不眠症と言うのだろうが、小学6年生で不眠症というのも違和感がある。

 尤も、だからと言ってヒロシにとっては不眠症など何の不都合もない。眠れなければそれはそれで良い。無理に眠らなければならない理由はないし、夜中にでもやりたいゲームは幾らでもある。ヒロシはそう達観している。

 ある日、やっと眠りに就いたヒロシは奇妙な夢を見た。ヒロシは上下左右と言わず全てが白い部屋にいて、椅子に座りながら何かをじっと待っている。白一色の壁紙の部屋にはドアも窓も家具の類もなく、部屋の壁に『贖罪しょくざい』と書かれた額入りの達筆な書と10月5日に赤丸の付いたカレンダーと、宇宙から見える地球の姿が映る壁掛け型モニターが掛かっている。それが一体何を意味しているのか、当然の如くわからない。そもそも、何故自分がここにいるのかさえ理解不能だ。


 ヒロシはじっとしている。その間にも、目の前のモニターには地球の自然が破壊されていく姿が音もなく映し出され、地球は汚され都市は壊され人々は冒され、ヒトは滅亡に向かっていく、そんな意識で誰かが語り掛けて来る。

「ヒトはどこから来てどこへ行くのだろうか」「遥かなる空と海から意識を与えられたヒトはこの地球で何をしようとしているのだろうか」

 ヒロシは散文詩のように地球の環境とヒトのルーツと未来に思いを巡らせながら、徒然に戯れ事を考えている。話の辻褄が微妙に合っていないが、所詮は全てが夢だから良いのだと納得している。


 ヒロシが白い部屋で独り想いを馳せていると、厳然たる装いの白い光に身を包んだ何者かが姿を見せた。

 そいつは、爽やかな微笑のままにヒロシの意識に語り掛けた。何故ヒロシの名を知っているのかはわからないが、見るからに不審者この上ない。

「ワシは神や、この世の全てを統べる絶対の神なんや。ワシには絶対的万能の力がある。エエか田村ヒロシ、自分はこの世界の選択者となったんやで」

 急な展開にヒロシは面食らうしかない。

「この白い部屋はキャンバスや、この白いキャンバスに自分の宇宙の未来を描くが良ぇ。ワシがその未来を現実にしたるで」

 神と名乗るそいつは、何故だか関西弁でヒロシに告げた。

「自分って誰、神様?」

「ちゃうわ、自分はお前や」

 いきなり降臨した関西弁の胡散臭い神の申し入れに、ヒロシは困惑した。不審さはあるものの、その出で立ちのせいか或いは人の良さそうな顔の表情とまったりした口調のせいなのか恐怖はない。その神がこの白いキャンバスに宇宙の未来を描けと言う。随分と唐突で抽象的な話だ。しかも小学生にこの宇宙の未来を委ねるとは、何とも間の抜けた話ではある。


 ヒロシが「何故僕が描かねばならないのか」と尋ねると、神はこう言った。

「ほんなら、ワシが破壊し潰し蹂躙し消滅させる宇宙の未来を描いたろか」と。

 ヒロシはほんの一瞬だけ宇宙を破壊し消滅させて良いのだろうかと躊躇したが、「いや、違う。消滅しても僕には何ら直接的問題はない」と思い直した。宇宙が消滅する事で、人として死を恐怖する本能や自身との繋がりからの不都合はあるだろうけれども、根本的な意味でヒロシがこの宇宙の消滅を直接的な代表者として憂う理由は存在しない。

「最近覚えたばかりの言葉『随意ずいい』でいいんじゃないかな?」

 仮にヒロシが神に『随意に』と言ったら、宇宙は、地球は、この世界は無茶苦茶に破壊蹂躙され消滅するのだろうか?神の万能の力を以てすればそんな事は造作もない事なのだろうし、既にそうなった宇宙や星だってあるのかも知れない。それでもヒロシは怖れない、神の力も、世界の消滅だって、決して怖れるようなものではない。何故ならば、これはヒロシ自身の夢であり、如何に現実感が溢れる明晰夢であっても仮想現実なのだ。

「ほな、良ぅ考えて答えや」

 そう言って神は姿を隠した。

 だがヒロシにはわかっている。一旦姿を隠し神は、刹那の時の流れに乗って少年の返答を確認する為にやって来るに違いないのだ。


 次の瞬間、白い部屋の扉が開いて当然の如く神の声がした。

「答えは出たか?」

 ヒロシは敢然として言った。 

「随意に」

 神はニヤリと薄笑いを浮かべ、その言葉を反芻しながら再び姿を消した。


 ヒロシは目覚めた。夢から覚めてからも、その日ずっと神の薄笑いした意味深な顔が忘れられなかった。その意味は、学校から帰った頃にわかった。

 TVのアナウンサーが焦った様子で早口に捲し立てている。

「10月5日、MHKニュースの時間です。皆さん、大変な事態になるかも知れません。先程NASAからの発表があり、明日午前3時21分56秒に直径100キロメートルを超えるの隕石が80%の確率で日本の東京都23区内に落下する可能性があります。天体の専門家によりますと、その場合日本は勿論の事、全人類が滅亡するのは避けられないとの事です」

 その日から繰り返しそのニュースが続いている。俄には信じ難いSF小説のような展開に多少疲れを感じる。夢から覚めた途端に、いきなり現実で地球文明の危機、人類存続の危機が訪れたのだから仕方のない事ではある。

 唯、ちょっと嫌な感じがする。地球文明の滅亡、人類の滅亡原因がヒロシ自身にあるのではないだろうか、そんな思いが頭の隅に鎮座している。いやいや、そんな筈はない。それは夢の中の話。夢で少年が神に告げた言葉によって、地球が、人類が、現実が消滅するなどある筈はないではないか。

 しかし、もしその原因がヒロシの発言にあるのだとしたら、それはそれで嫌悪感と多少の憤りを感じざるを得ない。まぁ、そんな惚けた話はないだろうが。


 数日後、いつもの白い部屋の夢を見たヒロシは「さて、どうしたものか」と思案した。この部屋はきっといつもの夢の続きで、かなりの確率で神を自称するあの間抜けな輩が出て来るに違いないのだ。

 そして予想通り、当然とでも言うように神は三度目の姿を見せた。いつものあの夢のストーリーが続いている。


「ヒロシよ、地球人類の滅亡を迎える気分はどないや?」

 気分など良い筈はないし、地球滅亡に歓喜する程ヘンタイでもない。ヒロシは込み上げる不快な感情を抑えつつ、神に訊いた。

「現実世界で、隕石衝突が騒ぎになっているよ。一応訊くんだけど、あの隕石は神様の仕業で、その原因はもしかして僕なのかな?そんな事はないよね?」

 神は、一も二もなく、考える事も躊躇する事も何もなく、即座に頷いた。

「そら当然やわな、神の万能の力が崇高である事がわかったやろ?」









 ヒロシは、何の深みもないドヤ顔の神の薄っぺらな返答に嘆息した。

「ふぅん、万能の神様のくせに幼稚なガキみたいだね」

「何と、神を子供扱いするんか?」

「そりゃそうでしょ。だってさ、そもそも僕が眠れなくなったのも、この白い部屋の夢や地球環境の悪化した映像を見せたのも、全部神様の仕業なんでしょ?」

「まぁ、それはそうやな」

「僕なんかに地球の現実を見せたり、未来をあれこれ訊いたって無駄じゃないか。訊くなら、政治家とか環境の専門家でしょ?」

 そもそも、何故小学生のヒロシなのか。そこに何の意味があるのか。一つだけその理由を想定するなら、「子供だから」と考えざるを得ない。深い考察が出来ない子供ならば、神の思い通りのストーリーに持ち込めるからだ。余りにも安直だ。

「まぁ、そうやな」

「神様はさ、一体何がしたいの。例えば地球環境を何とかしたいなら、隕石なんかを地球にぶつける

前に、取りあえずチェルノブイリや福島原発の放射線を完全消去するとか、地球温暖化を止めると

か、やる事は幾らでもあるでしょ?」

「まぁ、そうやな」

「だったら、こんなところで僕なんかと遊んでる場合じゃないんじゃないかな。神の万能の力がある

んだったらさ」

「違うんや。ヒロシ、ちょっと聞いてくれるか、ワシはな・」

「言いたい事があるなら聞いてあげるから、早く言いなよ」

 万能の神は、実直に現実論を語るヒロシの言葉に気圧されたのか、何やら言い訳がましく語り出した。


「実はワシな、核爆弾で星を汚し、近未来には宇宙の星々を侵略し、宇宙の秩序を破壊する事になる地球人を消滅させるのが大神様からの命令なんよ。けど、地球は光の神の星で、ワシは地球の維持管理を光の神さんから任されとるから、このままやと『ワシが地球を潰した』事になって、光の神さんにシバかれるやんか。そやから、地球人の意思としてやる事にしたんや」

「地球人の意思ってどういう事?」

「ヒロシお前、『随意に』て言うたやんか」

 ヒロシは、話の流れに口をへの字にして反論した。

「そういう事か、神のくせに僕のせいにするなんてズルいね」

「それは、まぁその……」

 万能の神の歯切れが悪い。地球の破壊、人類の滅亡を地球人自身、それも小学生のせいにするのは、神の所業として如何なものか。

「大体『核爆弾』なんかを問題視するんだったらさ、今地球上にある約15000発の核爆弾を無力化すればいいでしょ。その上で、核保有国のアメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国、インド、北朝鮮に二度と造らせないようにすればいいじゃないか。それに地球人が『近未来に宇宙の星々を侵略し、宇宙の秩序を破壊する』事になるなら、その時に神の万能の力で地球人をぶっ飛ばせばいいんじゃないかな?」

「そうなんやけどな、時間がないんや」

「だからぁ、時間がないから隕石を地球にぶつけて終わり、その安直な考えが幼稚なガキだって言うんだよ」

 ヒロシは語気を強めた。ヒロシには地球や人類の滅亡なんて元々大して興味のない事だったが、反論している内に腹が立ってきた。

「まぁ、そう言われても仕方ないんやけどな。けど、時間がないんやわ」

「僕のせいにして、その次は時間のせいにするんだ。幼稚、阿呆、莫迦、間抜け、低能、ノータリン、アンポンタン」

「ヒロシ、そんな言い方すんなや」

「言われたくなかったら、隕石なんて安直な方法じゃなくて本質を考えなよ」

「そうなんやけどなぁ……」

「いいから考えなよ」

 ヒロシがそう言うと、時が停止した。暫くの後で停止した時が動き出す。

「神様、何か考え付いた?」

「お前が考えてくれるのと違ゃうんか?」

 ヒロシの問いに不思議そうに神が言った。ヒロシの眉間に皺が寄る。

「愚か者、自分で考えるに決まってるだろ、ボケナス」

「そうなんか、けどボケナスはキツいな」

「煩い。取りあえず、隕石の衝突を止めなよ」

「それな……」

 何やら、更に神の歯切れが悪い。

「止めるには条件があんねん」

「条件?」

「今からワシと同じ万能の神の力を持ったヤツが来る。そいつと闘って、お前が勝ったら止まる事になるんや」

「何故、僕が闘うの?」

「そういう決まりになっとんねん」

 ヒロシには何もかも意味がわからない。夢とは言え、この白い部屋にいる事も、会った事さえない輩と闘う事も、全ての理解が螺旋状に宙を舞っている。当然だが、必然性などはさっぱり、ちっとも、微塵もない。

「勝たなあかんで、それからそいつは「無敵の気狂いジジイ」やから気ぃつけや」

 そう言ったまま、神は姿を消した。

 相変わらず、ヒロシには神が何を言っているのか理解出来ない。何故ヒロシが宇宙と地球の未来を賭けて無敵の気狂いジジイと闘わなければならないのか、その理由はどんなに考えても皆目見当も付かない。ヒロシの知らないシナリオが進行しているのかも知れない。


 白い部屋で待っていると、CRAZYなる横文字の白Tシャツにサングラス姿のポップな白髪の老人がやって来た。無敵の気狂いジジィとはこの老人の事なのだろうか、判断する基準も材料もないのでわからない。

「♫ワシと闘うのは誰なんだぁ、♫お前か、お前なのかぁ?」

 老人は、ラップを刻みながらヒロシを指差し挑発した。只管、面倒臭いだけだ。ジジイだろうが気狂いだろうが、そんな訳のわからない輩に対峙するのさえ腹が立つ程に嫌だ。我慢は限界を超えている。

 昨夜の寝しなのファイティングバトルゲームのせいで、寝不足のヒロシは既に世界最強のファイターと化している。今なら、例え敵キャラがどんな相手でも負ける気はしない。ラスボスの登場が待ち遠しい程だ。ヒロシは腹立ち紛れに叫んだ。

「糞ったれジジイ、やんのかコラ?」

 突然のヒロシの品のない威嚇に、老人は首を引っ込め、硬直したまま後退りした。

「♫お前は何者だぁ、♫子供のヤンキーなのかぁ?」

 ヒロシはヤンキーではない。唯単純に、そして無性に腹が立って叫んだだけだ。

「煩い、何で勝負するのか決めなよ。僕は何だって相手になってやる、但し容赦はしないからね」

 老人はラップをやめ、殊勝な声で答えた。

「いや、お前の勝ちでいい」

 無敵の気狂いジジイが言った。随分と呆気ない。

「いいって何だよ、やるなら何でもいいから早くやろうよ。殴り合いでもなんでも相手になってやるからさ」

「いや、やらん」

「何故?」

「どうしてもだ。ワシはそんな野蛮な事はしない」

 それなら無敵の気狂いジジイの異名は何なのか。

「ワシの無敵の気狂いジジイの名を聞けば皆ビビるから、ワシは負けた事はない。だから殴り合いなどした事もない」

 そういう事かと意味もなく納得したが、それで全てが解決するのかどうかは、わからない。

「じゃあさ、取りあえず隕石を何とかしてくれる?」

「了解した」

 壁に宇宙が映し出され、老人が両手を広げて呪文を唱えた。すると、隕石は地球の上空約50キロメートルの成層圏で突如として燃え尽きた。

「隕石を消したぞ」

「じゃ あ、これで全部終わりでいいよね?」

「違う」

 老人は、ヒロシの思惑に反して、首を横に振った。

「全てを終了させるには神の了解が必要だ。これ以上は神の仕事で、オレはここまでだ」そう言って、老人はさっさと部屋を出ていってしまった。

 ヒロシには、またまたその言葉の意味が理解出来ない。神は気狂いジジイに託したのではなかったか?その名ばかりの気狂ジジイが今度はまた神の出番だと言う。おちょくられているのか、それとも頭がおかしいのか。何れにしても神の再登板が必要らしい。

「神様いるんでしょ、出て来なよ」

 ヒロシの問い掛けに、白い部屋の空間が水面のように揺れた。神の出番だ。空間に扉が現れてドアのように開くと、神はバツの悪そうな顔で「ジイさんに勝つなんて凄いな」と言った。だが、ヒロシはそんな言葉など歯牙にも掛けず、神の顔を見据えて訊いた。

「神様、隕石は消えて解決したんだから、もう全部終わりでいいじゃん。これ以上何がしたいの?」

「いや、何も解決してないんや。ワシは地球を破壊せなならんのやから」

「でもさ、地球は光の星だから、破壊なんかしたら光の神様が怒っちゃうんだって言ったじゃん?」

「そうなんやけど、そうやないんや」

「何だか、さっぱりわからない」

「ワシは、光の神様に光の星の維持管理を任されているんやけど、同時に大神様に地球の破壊を命令されてる。どないしたらエエのかわからんのや」

「それって矛盾してるじゃん?」

「そやろ?」

「そやろじゃないでしょうよ。ウスラバカ、アンポンタン、ボケナス、トリプルノータリン。それがわかっているんなら、何故そこを何とかしないのさ?」

「何とかって、どないしたらエエんや?」

「それを、光の神様に聞いたらいいじゃん。でも、まずは大神様に会ってからだね」

 万能の力を持つと宣う神が、ヒロシの言葉に首を傾げている。

「あぁもう、まどろっこしいな。光の神様と大神様はどこにいるのさ?」

「光の神さんは、この白い空間を出て、真っ直ぐ降りて右に曲がったオレンジ色の建物のカレー屋に居られる。大神様は、この白い空間を出て、左に曲がったタバコ屋の建物に居られる」

 神のいる場所がカレー屋やらタバコ屋とは何だ、まぁこの際何でもいい。

「じゃあさ、今から直接大神様と光の神様に会いに行くよ」

「アカンアカン、ヒトがこの白い空間を出るのは無理やで。この空間を超えて神の空間へ行くには嵐の空間を通らなあかん。通り抜けるには、このパスカードが必要なんや。それにな、光の神様は優しいんやけど、大神様は大層気紛れやからいきなり行ったりしたら、エラい目に遭うで」

「じゃぁ、それ借りるね」

 ヒロシは、パスカードを無理やり奪うと、神の間隙を縫って白い部屋の出入り口らしき部分をすり抜け、「アカンて」の神の声を背中に聞きながら広がる外空間へと飛び出した。


 白い空間に吹く風がヒロシの顔を叩く、確実に重力を感じる。下へ下へと落ちながら地球と一体化する感覚が心地良い。

 暫くすると、白い空間が遥かに地平線を臨む高高度の空間に変わった。遥か眼下に街並みが続き、その後ろに山々の緑に映える木々が連なっているのが見えた。まるで、実際にバンジージャンプ、いやスカイダイビングをして、鳥になっているような感覚だ。全身を風が容赦なく叩き、唯只管地上へと落ちていく。

「おい君、何をしてるんだ?」

 空中を飛ぶヒロシの背後から、男の声がした。

 黒尽くめのスカイダイバーと思しき男は、何の装備もなしに落ちて行くヒロシに驚き、不思議そうに声を掛けた。

 いつの間にか、あちらこちらに幾つものスカイダイビングに興じる人影が見えている。ストーリーに理屈の通った繋がりがないのは、所詮夢なのだから仕方がない。

「あっ、気にしなくていいです」

「いいですじゃないだろ、そのままじゃ地上に落ちて死んでしまうよ」

「大丈夫です。そもそもこれは僕の夢だし、行くところがあるから」

「何を訳のわからない事を言っているんだ?」

 そう言いながら背後から近づいた男は、ヒロシを抱きかかえた。どうせなら西野七瀬ちゃんか齋藤飛鳥ちゃんなら良かったのにと思ったが、仕方なく成り行きに任せた。


「あれ、急に風が強くなったな」

 突風が、男とヒロシを左右に煽った。流されていく空の先に、嵐の暴れる空間が見えている。遥かな空に黒い雨雲が沸き立ち、雲から海に向かって滝のように激しく雨が落ちている。その空間の中で、紫色に光っては消える雷光が全てを威嚇するように荒れ狂っている。ハリウッド映画に出てきそうなその光景は、確実にこちら側とその先の空間を強制的に遮断している。

「何だアレ、ヤバいな。あの黒い嵐の中に引き込まれている……」

 男は緊張気味に言った。風はそこに向かっている。ヒロシのいる空間そのものが吸い込まれているのだ。

 神の言っていた「この空間を超えて神の世界へ行くには嵐の空間を通らなあかん。通り抜けるには、このパスカードが必要なんや」という言葉の意味が、漸く理解出来た気がする。きっと、あれがその嵐の空間に違いない。

 ヒロシが確信する背後で「じゃあ、頑張ってね」と言う声を残して、男はヒロシから離れてどこかへ飛んでいってしまった。

「頑張ってね」とはどういう意味だろうか、小学生を一人置いたままというのは、大人として如何なものなのだろうか。とは言え、所詮は夢なのだから、何がどうという事もない。

 そんな事を考えている内に、スペクタクルな嵐の空間が目前に迫った。間近で見るその空間は、巨大な崖から急斜面を流れ落ちる瀑布にしか見えない。夢とは思えない程の恐怖心が掻き立てられ、鼓動の乱雑な高鳴りを全身で感じる程だ。

「ビビってる場合じゃない」と、自分に言い聞かせて右手でパスカードを掲げ、ヒロシは恐る恐る雷光と雷音の荒れ狂う嵐の空間へ飛び込んだ。


 意を決して荒れ狂う嵐の空間へと飛び込んだヒロシに、雨水が激しく降り注ぎ全身を叩き付け、その水圧と息苦しさたるやとても耐える事など出来ない空間だ……と思ったのだが、その内側には青く晴れ渡る空と街があり、街の向こうには地中海を思わせる透けるような青い海が見え、幾艘もの白いヨットが浮かんでいた。

 一瞬で消し去られた一大スペクタクル映画張りのスケールと恐怖する程の緊張感、あれは一体何だったのか。それが、神から掠めとったパスカードの絶大な効果だったかどうかは兎も角、ヒロシは思いがけず大した苦労もなく異空間へと到着した。


 神が言うには、ここは天界、即ち神の空間であり、タバコ屋に大神、カレー屋に光の神がいるらしい。空のかなり高い位置から連なる街並みが見えるのだが、ヒロシにはタバコ屋がどんな建物なのか想像もつかない。辛うじて、眼下左前方角地にタバコと描いた看板が識別できるコンビニらしきものがあり、取りあえず地上に降りてその建物に入った。

 建物は平屋建て、中もコンビニ程の広さがあり、幾つかに区画されている壁や棚一面にタバコが陳列されている。なる程、確かにタバコ屋なのだろう、ここに大神がいる筈だ。「エラい目にあうで」の神の言葉が思い出された。どういう意味だろうか。


 レジ位置には椅子があり、そこに一人の若い長身の男が座っている。金縁サングラスを掛けた長いストレートの黒髪を揺らすその姿は、ドラマの主役を張るイケメン俳優にしか見えない。イケメンを囲むように大柄な黒服の男達が立っている。胡散臭い宗教団体の教祖とそのSP信者にも見える。ヒロシは、躊躇う事もなくイケメンに近づいた。

 イケメン男は、ヒロシの姿を見つけると不思議そうに話し掛けた。

「お前は誰だ、ニンゲンなのか?」

「僕は田村ヒロシ12歳だよ」

「ここは天界だぞ、ニンゲンのお前が何をしているのか?」

 サングラスで男の表情を知る事は出来ないながらも、不思議そうに、そして怪訝な顔でこの特異な状況を把握しようとしているのがわかる。

 ヒロシは言った。

「大神様を探しているんだよ、お兄さんは誰?」

「俺が大神だ、何の用か?」

 そうなのか。何とも簡単に見つかったものだが、想定とは随分と違う。白い部屋にやって来た白髪、白髭の神に人類滅亡を指図する大神ならば、神よりも更に老齢で老練老獪なイメージがある。その大神がイケメン俳優然としているというのもちょっと理解に苦しんでしまう。いや、そんな事を言っている場合ではない。


「大神様、地球消滅させて人類を滅亡させろって、神様に言ったでしょ?」

「確かに言った。お前は地球人なのか?」

 ヒロシは頷いた。

「そうか、では地球を消滅させぬよう俺に頼みに来たのだな?」

 ヒロシは即座に頭を振った。

「僕は地球人だけど、「地球を消滅させないで」なんて言う気はないよ」

「不思議な事を言う少年だな。それならば、俺に何の用があるのだ?」

 大神は、ますます訝しげな顔をした。

「地球は光の神様の星なんでしょ、消滅させていいの?」

「確かに、俺が下神に地球消滅を指示した。この宇宙は俺が創造したものだから、宇宙に存在するものを破壊しようがどうしようが、全ては俺の勝手だ。況してや、宇宙の秩序を乱す地球人など塵ほども存在する価値はないのだから、地球と全ての地球人を消滅させる事に何の問題もない」

 ヒロシは臆する事もなく反論した。

「でもさ、それじゃあ地球人が可愛そうだよ。いきなりじゃなくて、まずは反省を促すとかさ、もうちょい神様らしい優しさがあってもいいと思うんだけどね」

 大神は、反論するヒロシに小首を傾げながら、顔には憤りが見える。

「少年よ、お前が何を言っているのか俺には理解出来ん。地球人への警告など既に腐る程やっているぞ」

「それにしても・」

「愚か者。地球人はな、恒星太陽系属木星の衛星に棲む人類、イオ星人、エウロバ星人、ガニメデ星人、カリスト星人約5億人、土星衛星に棲むミマス星人、エンケラドス星人、テティス星人、タイタン星人、イアペタス星人約11億人を核爆弾で虐殺する。それだけではなく、天の川銀河系北部にある恒星ゾラリス系惑星15個を侵略し、無差別に虐殺する。それ等の数の合計は、4500億人を超えるのだぞ。地球人など、八つ裂きにしても飽き足りぬわ」

「4500億人、信じられない……」

 話の成り行きに、ヒロシは返す言葉を失った。

「お前が信じるか否かは勝手だ。信じられないのなら、そこにある『時の部屋』で地球人が何をするのかを篤と見るが良い」

 大神は吐き捨てるように言った。

「時の部屋?」

 大神の言う『時の部屋』らしきものが、コンビニの片隅に存在している。まるで証明写真撮影ボックスのような趣だ。

「時の部屋はな、アリオンという光速度を超える光によって、この全宇宙の時空を超えて過去も未来も見る事が出来る時空間望遠鏡だ」

 果たして、それで何がわかるのだろうか。映画でも始まるのか。

「さっさと入れ、お前に真実を見せてやる」

 大柄なSPに連れられて証明写真ボックスの前まで行くと、扉が開いた。ヒロシは顰め顔で不満そうにボックスに入った。窮屈なスペースの中で木製の簡素な椅子に座る、正に証明写真撮影にそっくりだ。と思ったが、何かが違う。

 当然の如く、撮影用のカメラレンズはない、椅子以外には何もない。頭上に円形の照明器具が薄紫色に輝いているだけだ。これで何を見せようと言うのか、全宇宙を統べる大神にしては随分アナログだ。


 座った途端に扉が閉まり明かりが消え、暗闇の中で頭上に輝く円形の光が回転しながら降下して、ヒロシの身体を包み込んだ。視覚と聴覚が遮られる。

ヒロシの頭の中に、大神の声が響いた。

「それは時空間超越ワームホールだ。時空を超えて、愚かなお前に宇宙の真実を見せてくれるだろう」

 何を言っているのか理解出来ないながらも、何かが始まろうとしているのがわかる。

 頭上から眩しい光がフラッシュのように輝いた次の瞬間、それは忽然と出現した。と言うより、ヒロシ自身がその場所へ一瞬で飛んだと言った方が状況を的確に表している。


 ヒロシは一切何も変わる事なく木製の椅子に座っているのだが、それは証明写真撮影用のような簡素なものではなく、ゆったりとした上質な革張り椅子へと変化している。そして、明らかに違うのはその空間そのものだ。証明写真ボックスの息の詰まりそうな窮屈な箱空間は消え、天井の高い大宮殿を思わせる広大なドーム空間の中にいる。前後左右に数え切れない程の同じ椅子が円を描くように並び、中央壇上で誰かが演説している。後楽園ドーム球場で開催されるアイドルのコンサートのようだ。

 更に、無数の椅子には全員寸分も違わない軍服を纏う人々が座り、興奮気味に前方の壇上で何かを説く老人を凝視している。ヒロシの存在などには目もくれない新興宗教感の漂う一心不乱な様子と熱気に、相当な違和感がある。

 ヒロシは一瞬だけ息を詰まらせる電気的な刺激を感じた。その瞬間、今あるこの状況を把握し理解するに足りる情報が、一気にヒロシの意識の奥へと流れ込んだ。

 ここは西暦3254年の地球統一政府定期評議会であり、統一政府教育アカデミー名誉教授マコト・アユカワが『ヒトと神との契約』について熱弁している状況を理解した。

 これ等は、全て大神の言っていた『時の部屋のワームホールが見せる』仮想現実であるに違いない。


「嘗て、我等ヒトは神との契約に依りて生きる資格を得た。神は我等ヒトにこう言われたのだ、『ヒトの子よ、ヒトを殺めてはならない。そして如何なる時も神を崇めよ』と」

 アユカワは、地球統一政府の基本方針に資すべく評議会の通例に従い、悠久の時を紡ぎ3000年を超えて信仰されるキリスト教の本義であり崇高なる神からの啓示、本来ヒトがあるべき姿を全世界の人々へ説々と語っている。

 神の説話は続く。

「我等はヒトでありそれ以上足り得ない。ヒトは神の下僕であり、神の御言葉に従い下僕としてその生を全うする事が唯一生きる必然である。そして、神はこうも言われた・」

 突然、怒声が聞えた。その声には神の講話に対する悪意が満ち満ちている。

「もう良い、もう良い」

 壇上に同席する地球統一政府軍司令官ファビアス・ガナルは、傲慢にアユカワの要訣を遮った。

「アユカワ博士、アナタの語る御伽話はいい加減聞き飽きた。神の言葉など腹の足しにもならぬ」

「ガナルよ、神の御言葉を御伽話と表するなど以ての外、神の鉄槌が下るぞ」

「面白い、やれるものならやってみろ。我等はイデオロギーその他汎ゆる違いを融合し、幾多の絶望的な天災や文明の断絶をも乗り越えて統一世界を実現して以来、革新的科学の進化を実現させ、光速航行、時空間移動手段の開発、重力制御及び高々密度重装甲によるバリア、核融合、その他の先進テクノロジーを得る事で太陽系を支配圏に治めた。そして近い将来、銀河系更には全宇宙をも超越する最強文明ヘと進化を遂げるのだ。その必然として、我等地球軍は開拓者を冠する神となる。事実、我等は既に太陽系を統一した」

 アユカワは、即座に地球軍の現状と未来を主張した。地球軍の目前には、傲る程に輝かしい軍事的未来がある。

「違う、それは開拓という言葉で誤魔化した侵略戦争に他ならない。完結した開拓の対象となった太陽系の星々には相当数のヒトの住む星があったと聞いているが、現在その人々はどこにもいない、その矛盾をどう説明するのか?」

 アユカワの言葉に不満を見せるファビアス・ガナルは、舌打ちしながら煩わしげに答えた。 

「実に下らぬな。太陽系開拓プロジェクトには幾つもの解決すべき難問題があった。しかし、勇気ある兵士達はそれ等を果敢に乗り越えて、今我等は太陽系を超越し大いなる宇宙へと船出しようとしているのだ。大事の中に小事なし、もっと大きな目を以て国威たる目的の遂行に邁進すべきなのだ」

 アユカワは、ガナルの根本的な間違いを本義の正論で指摘した。

「違う。何度でも言う、我等は神の下僕であり、神の御言葉に従い命の尊厳を失う事なく生きるべきなのだ。地球人であろうがなかろうが、決してヒトを殺めてはならぬのだ」

「煩い、戯れ言など聞く耳は持たぬわ」

「神の鉄槌が下るぞ」

「片腹痛い」

 老人が無理矢理に壇上から引きずり降ろされると、亡状な大男はすっくと立ち上がり、会場内だけではなく世界中に向かって地に響くような声を張り上げた。

「皆、良く聞いてくれ。神とは崇高なる力によって宇宙を支配する存在を言う。そして、今正に我等はその神となる事が出来る力を持つに至った。太陽系を越え、天の川銀河系、更には全宇宙をこの手に掴もうではないか。我等は神となるのだ」

 ガナルの演壇を周囲からのスポットライトが照らした。

 その昔、世界中を泥沼の世界大戦へと引きずり込んだナチスの悪魔の手法を真似た荘厳かつ華麗な空間創造が、会場全体を包み込む『光のドーム』を出現させた。無数のライトアップによって、ガナルが神の如く眩しい白い光を発散した。

「そうだ、我等こそ神となるのだ」

「我等は神となるのだ」

「ガナル司令官万歳」

「万歳」「万歳」

 椅子に座る人々は一斉に立ち上がり、拳を突き上げた。歓声が響き渡り、人々の熱気が巨大な空間を支配した。


 膨張した熱情が最高潮に達するタイミングを見計らったように、場内に司会者の声が響き、地球統一政府軍による宇宙進行とそれにともなう人事が発表された。

「本日、今この時を以て以下を発布する。

 其の一、地球統一政府及び同宇宙軍は、火星政府、月政府を含む全太陽系政府軍を統合し、大地球帝国及び同軍へと新成する事を宣言する。

 其の二、地球統一政府宇宙軍統括司令官ファビアス・ガナルを大地球帝国及び同軍皇帝とし、全宇宙を我等が統治する為の宇宙開拓たる宇宙フロンティアプロジェクトを創始する事を宣言する。

 其の三、宇宙フロンティアプロジェクトは、冥王星に前線基地を建設した後、地球から4.2光年に位置するプロキシマ・ケンタウリ恒星系へ進軍し、全宇宙統治まで順次推進する事を宣言する。

 其の四、ファビアス・ガナル皇帝の下に、第一、第二、第三、第四、第五宇宙軍を新設し、それぞれ司令官を任命する事を宣言する。

 以上、崇高なるファビアス・ガナル皇帝陛下並びに大地球帝国及び大地球帝国軍万歳、宇宙フロンティアプロジェクトに幸あれ」


 ヒロシの目前の映像が変わった。

 西暦3144年、地球は世界統一政府を樹立し、地球統一政府宇宙軍による太陽系属星の開拓が始まった。だが、それは太陽系属星開拓プロジェクトという名の異星への侵略、そして異星人の虐殺に他ならなかった。

 窓外の宇宙空間に、地球軍ではない宇宙船の群れが確認出来る。悲壮感が漂う中、兵士達が次々と地球統一政府宇宙軍指令長官ファビアス・ガナルに告げた。

「ガナル司令長官殿、木星衛星エウロパ、ガニメデ、カリストにて木星宇宙連邦軍と交戦中、このままでは第一宇宙艦隊が全滅します」

「ガナル司令長官殿、土星衛星ミマス、エンケラドス、テティス、タイタン、イアペタスにて土星宇宙連邦軍と交戦中。第二宇宙艦隊が全滅します」

「弱小宇宙人共め、小癪な真似を……」

「ガナル司令長官殿、如何致しますか?」

「全軍、核融合爆弾を用意しろ」

「しかし、それでは今後の太陽系属星開拓プロジェクトに支障が出ます」

「構わぬ、そんな木星や土星の衛星如きどうでも良い。核爆弾投下後、生き残ったヤツ等は皆殺しにしてしまえ」

「司令長官殿、皆殺しは宇宙開拓の趣旨に反するのでは?」

「莫迦者、宇宙開拓の為の『完全調整』を行うのだ」

 地球軍は、躊躇する事もなく敵艦隊に核ミサイルを撃ち、木星、土星の各衛星に核融合爆弾を投下した。放たれた核爆弾は、宇宙空間で対峙する敵宇宙船を撃沈し、同時に地上の街を悉く破壊した。星の表面に無数の閃光が光っては消えた後、地上部隊が怒涛の如く各衛星へと攻め込んだ。

 そして、地上部隊の兵士達は敵兵士と民間人の区別なく、全ての衛星の人々を撃ち殺し、首をはねて晒した。晒し首に敵兵士達は恐怖し、戦意は急速に失われていった。

「ガナル司令長官殿、木星及び土星各衛星の開拓準備完了致しました」

「ヤツ等はどうした?」

「全て『調整済』です」

 ファビアス・ガナルがニヤリと笑った。

 ヒロシは直視できない地球軍の残忍さに震えた。数え切れない血の滴る敵兵士の生首が大人子供を問わず晒されている。ヒロシは言葉を失ったまま全身が硬直した。確かこれは夢だった筈だ。夢にしては余りにもリアルでグロ過ぎる、恐怖に吐き気がして正視に耐えない。


 再び、場面は別の宇宙空間へ飛んだ。

 西暦3254年、準惑星冥王星にスターゲートが設置され、堰を切ったように地球帝国軍は太陽系外宇宙への進行を開始したが、それは宇宙フロンティアプロジェクトという名の異星への侵略拡大行為、宇宙の秩序を崩壊させる暴挙に他ならなかった。

 ヒロシの目前に、地球に似た青い星が見えるのだが、明らかに地球と違う部分がある。星の周りを幾重にも覆う幅広い筋があり、その筋の中に青い星が存在しているのだ。星を覆うダイソン球殻なのだろうか。全体の形状は、星の軌道を周回する金属的な帯の群体として、筋自体がほぼ球体を形成している。

 大地球帝国軍皇帝ファビアス・ガナルは、星を見ながら不機嫌そうな声を出した。

「あれは何だ?」

「星をガードする金属製のバリアの類ではないかと思われます」

「気に入らんな」

「核融合爆弾で破壊しますか?」

「いや、この星系は我等が本格的な星開拓を『早急に』スタートすべき重要な場所だ。『確実に、丁寧に』対処せねばならぬ。C作戦で調整するのだ」

「御意」

 数に飽かせた兵力と毒ガス兵器で敵軍を殲滅するC作戦が展開された。大地球帝国軍の母艦から放たれたポッド型小型宇宙船は、金属的な帯の群体を纏う青い星へと次々に投下された。ポッドは蟻の大群のように進撃し、化学兵器、生物兵器、放射線兵器等の大量破壊兵器の使用により、短期間で異星人を一掃するC作戦が完了した。

「ファビアス・ガナル皇帝陛下、恒星プロキシマ・ケンタウリ系属8星の『調整』を完了しました」

「ファビアス・ガナル皇帝陛下、恒星バーナード系属5星、恒星シリウス星系10星 の『調整』を完了しました」

「ファビアス・ガナル皇帝陛下、第二次宇宙フロンティアプロジェクトが完了です」

 地球軍の輝かしい成果の裏で、ヒトが身を焼かれて転げ回り、爛れて藻掻き苦しみ、のた打ち回る、そんな地獄絵図がそこにある。

 ヒロシの呼吸数と鼓動が極端に増加した。息苦しさと嘔吐感に頭痛がする。

「苦しい……」

 呼吸回数が更に上がる。もっと酸素を取り込まなければ窒息しそうだ、息苦しさは治まる気配がない。心臓の高鳴りが身体中に響き渡り、全身の筋肉が硬直し、手足が痺れて目眩と頭痛酷くなる、限界だ。


 ヒロシは立つ事が出来ず、這うようにして証明写真ボックスを出た。止まらない吐き気とともに、何とも言えない悲しい気持ちになった。未来に地球人は極悪人になるらしい事を理解して尚、それでも納得がいかなかった。

「どうだ、愚劣な地球人などこの宇宙に不要だという事がわかっただろう?」

 ヒロシは、息を整えながら反論した。

「でも大神様、それはそうなるっていう未来の話であって、地球人はまだそうした訳じゃない。だから、直ぐに地球を破壊するなんて間違っている」

 大神の嘆息が続く。

「屁理屈は良い、これは既に確定した未来であり『果』だ。この未来を変えるには、その『因』たるものを消滅させる事が必須となるのだ」

 ヒロシには大神の言う因果律の意味が理解出来ない。何故、未だ現実となっていない事の責任を取らなければならないのか。天界のルールは、ヒロシでなくとも理解出来ないかも知れない。

「まぁ良い。少年よ、ここまで来た褒美に良い事を教えてやろう」

「良い事?」

「そうだ。それはな、地球に『救世主』が現れるのだ」

 ヒロシは一瞬で理解した。なる程そういう事か、そうなのだ。あれやこれやあっても、結局は救世主が地球人を救うといういつもの約束で一件落着する、それがオチなのだ。

「何だ、やっぱり地球は特別な星だから、正義のヒーローが地球人の危機を救うんだ?」

 大神はヒロシの言葉に首を振り、断言した。

「いや、限定的に地球人を救うなど、あってはならぬしある筈もない。そもそも地球に正義などない」

「じゃあ、救世主ってどういう意味・」

「オレはこれから大宇宙を巡邏せねばならぬ。ほんの一京年程天界を留守にする、後の事は光の神と下神に訊け」

 ヒロシの質問に答える事もなく、大神はあっという間に旅立って行った。


『来る筈などない、正義のない地球人を救うヒーロー』は、果たしていつ来るのだろうか。ヒロシの夢でありながら疑問だらけのこの流れに、また一つ禅問答のような疑問が加わった。


 一人残されたヒロシは、仕方がないのでタバコ屋を出て右に曲がった場所にあるというカレー屋に向かった。そこに、光の神がいると神が言っていた。

 それにしても、時の部屋で見せられた映像には驚いた。夢とは言えども、小学生に見せるようなものではない。夢ではあるが、完全にR指定すべきだ。地球人が宇宙人を虐殺するシーンが、晒された血塗れの生首が、未だに目に焼き付いて離れない。

 怖いと言うのか、気持ち悪いと言うのか、夢に出てきそうだ。だが、これは夢なのだから夢で見た夢に出そうな夢はどこで見るのだろうか。何を言っているのかヒロシ自身にも良くわからなくなっている。

 元々、この話は「地球と地球人を消滅させてしまえ」という大神の言葉から始まっている。地球人の行為が絶対に許される事でないくらいは小学生のヒロシにもわかるが、だからと言っていきなり地球と地球人を消滅させてしまえというのは、何となく違うような気がする。他の星の人間を虐殺するなどという行為は許されざる行為であるに決まっているし、そんな愚かな行為は阻止した方が良いに決まっている。では、どうするべきなのだろうか。

 その答えはきっと大神の言葉「来る筈のない救世主がやって来る」にあるのだろうが、ヒロシにはその謎々を解く事が出来ない。

 色々と考え倦ねていると、微睡みの中で聞いた社会の授業を思い出した。

「戦争は何故起こるのか、それは『指導者として煽動する者がいたからだ。世界大戦でさえその原因は煽動する指導者、独裁者にあった』と教師が言っていた。

 ヒロシは思う。地球人が他の星を攻撃するのは明らかに戦争に他ならない。だとすれば、指導者として煽動する者、独裁者さえいなければ戦争は起こらないのではないか。この話だって、直接的にファビラス・ガナルという独裁者が大衆を煽動しなければ、大神の言う『因』が消えて『果』である地球人による宇宙人大虐殺、宇宙秩序の破壊は起こらないのではないか。そうだ、それがこの超難問題を解決する唯一の方法なのだ。そうに違いない。

 ヒロシは悟りを開いたように結論に達した。その解決策をもって、早急に光の神に会わなければならない。


 光の神のいるカレー屋は、右に曲がって暫く歩いた左側にあった。店前にはカレーの幟が揺れている。ここは商店街のようであり、人々が行き交っている。

 カレー屋の店内に、光の神らしき厳粛な雰囲気を漂わせる女の姿があった。その傍らにあの神が立っている。神はどうやって来たのか、この世界に来るにはパスカードが必要ではなかったか。


 ヒロシが店に入ると、「早く来い」とばかりに神が叫んだ。

「ヒロシ、こっちや。遅かったやんか」

「大神様に会ってきたからね」

「そうか、この方が光の神様やで。で、どないやった?」

 ヒロシは光の神にちょこんと会釈して話を始めた。

「大神様から、地球人が宇宙人達を殺す映像を見せてもらって、地球人が沢山の人を殺すって事はわかったよ。ガナルって人が「戦争するぞ」って皆を煽動してた。それから、大神様が「地球に救世主が現れる」って言ってた」

「そやろ、地球人はヤバいねん」

「どうにかして、地球人がそんな事をしないように出来ないのかな?」

「それが出来ればエエねんけどな」 

 ヒロシは、ここに来る道すがら思い至った『結論』を展開した。果に掛かる因たる指導者であり、煽動者であり、独裁者でもあるファビラス・ガナルさえいなければ、この問題は解決するのだ。

「僕は思うんだけど、あれは戦争だよね?」

「そうやな」

「だとしたら、地球を破壊するんじゃなくてガナルという人が皆を煽動しないようにすれば、きっと戦争は起こらないんじゃないかな?」

「そらそうやねんけど、具体的にどないするんや?」

「例えば、僕なんかじゃなくて、そのガナルって人を白い部屋に呼んで話をしたらいいんじゃないかな?」

「それはやった。ファビラス・ガナルに直接に何度も何度も説得したんやけどな、アカンかったんや」

「この世の全てには因と果があって、果という地球人による悪事をなくすには、因を消滅させるしかない、大神様がそう言ってたよ」

「そうや、この世の全ては因と果で出来てるし、ファビラス・ガナルが因ちゅうのはわかっとんねんけどな」

 ヒロシは確信を持って言った。

「それなら、この問題を解決するのなんて簡単じゃないか。地球じゃなくて、ガルナって人を消滅させちゃえばいいんだよ」

「簡単に言うけどな、中々難しいんやで。それに、その地球人一人を単純に消滅させても問題解決にはならんしな」

「何故?」

 光の神が優しく答えた。

「生物は遍く躯殻と魂魄によって成り立ち、宿命は魂に刻まれています。拠って、躯殻のみを消滅させても宿命を全うする事に変わりはありません」

「どういう意味?」

「つまり、身体が消えても戦争という宿命を負っている魂は次なる身体を遣って同じ事をする。そやから、問題は何も解決せぇへんのや」

「じゃあ、魂も一緒に消滅させちゃえばいいんじゃん」

 光の神は言った。

「出来ない事はありませんが、神にそれを託すのはかなり難しいでしょう」

「何故?」

「輪廻転生というものを知っていますか?」

「聞いた事がある」

「ファビラス・ガナルの躯殻たる身体は死によって消滅しますが、魂魄たる魂は生命であり宇宙の一部でもあり、そしてとても尊いものである為、例え神であろうと魂自身の許諾なしに消滅させる事は出来ないのです。でも、ファビラス・ガナルの魂を消滅させる事の出来る者がいます」

「誰?」

「それは、アナタです」

「僕が神様によって選ばれたからですか?」

「そうとも言えるでしょう。アナタが救世主となるのです」

 何故、神にさえ出来ない事が人間であるヒロシに可能なのか。何故、ヒロシが救世主になれるのか。その理由は少しも理解出来ないが、ヒロシが許諾すれば救世主となって元凶を消滅させ、問題を解決する事が出来るらしい。

「それなら、ガナルという人の魂を消滅させて問題を解決しようよ。僕にそれが出来るのならやるからさ」

「それやったら、もう一度光の神様に向かって答えてくれや」

「何て言えばいいの?」

「『随意に』や」

「アナタは、ファビラス・ガナルの消魂を許諾しますか?」

「はい、『随意に』です」

「その意思を了知し、許諾と見做します」


 大神の言っていた救世主とは、何とヒロシの事だったようだ。何故ヒロシが救世主なのか、何故神に出来ない事がヒロシに可能なのだろうか。

「これで解決だ。良かったね、神様」

「有難うな、ヒロシ」

 光の神が締め括った。随分と話の流れが速い。

「消滅の儀式に入ります。田村ヒロシ、アナタの躯殻たる身体と魂魄たる魂は、即時消滅します」

「えっ、僕なの。ファビラス・ガナルって人じゃないの?」

「ヒトの魂は約五百年ごとに身体を変えるんや。お前の魂は千百年後にファビアス・ガナルになるから、ファビアス・ガナルの魂を消滅させる為に、今お前の身体と魂を消滅させるんや」


 ヒロシは絶句した。そして、全ての疑問が溶解した。何故ヒロシが白い部屋に導かれたのか。何故ヒロシが救世主なのか。何故ヒロシにファビアス・ガナルの魂を消滅させる事が出来るのか。

「神様、もし僕が許諾しなかったらどうするつもりだったの?」

「実はな、お前の次の身体が許諾しなかったから、お前の番になったんや。もし、お前が駄目やったらお前の前の身体に同じように言う。それでも駄目やったら前の前、それでも駄目やったら前の前の前。永遠に時を遡っていくだけや」

「なる程」と頷くヒロシの身体が消えた。

 いつの日か、再び白い部屋の中で目覚める者が現れるだろう。それは、アナタかも知れない。


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時空超常奇譚其ノ壱. 白い部屋/救世主はどこにいるのか 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

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