『言葉』がマッハで飛んでくる

同歩成

第1話 ニート


 俺は1人暮らしをしているニートである。1年ほど前に物凄く大声で怒鳴る上司がいるブラック企業を辞めてからアパートの部屋に引きこもっている。夜になったら近所のコンビニにぐらいは歩いて行く。それ以外はずっとアパートの部屋に引きこもっている。


 部屋に引きこもる俺は他人が発する『言葉』や『音』が好きではない。

 そんな俺はいつからか他人が発する『言葉』や『音』を物質として認識するようになっていた。俺は『言葉』や『音』を視認でき触れる事ができるのだ。

 そんな俺は物質と化した『言葉』や『音』に押しつぶされないように逃げ続けている。



 ◇



『ピンポーン』


 玄関のチャイムがなった。『言葉』や『音』は物質と化しても音速で飛んでくる。マッハである。

 玄関の『ピンポーン』がマッハで飛んでくる。

 マッハで飛んできた『ピンポーン』を俺はベッドの上でゲームをしながら余裕でかわす。


『ピンポーン』『ピンポーン』『ピンポーン』


 しつこい奴だ。何かの勧誘か。アポ無しでくるんじゃないよ。俺はそう思いながらマッハで飛んでくる『ピンポーン』の連打をかわし続ける。時には片手で受け止め握り潰す。


 万が一、物質と化した『言葉』や『音』が俺の『ココロ』にヒットしてしまうと、俺はダメージを負ってしまう。『言葉』や『音』の種類によっては巨大だったり鋭利だったりと様々な形状をしており、中には危険なモノもある。

 しかし小さな『ピンポーン』ごときをかわす事は造作もない。



 ◇



 深夜になり腹が減ったので近所のコンビニに歩いて行く。

 深夜のコンビニに到着した。コンビニ店員と目が合ってしまった。俺を見たコンビニ店員が挨拶をする。


『いらっしゃいませー』


 コンビニ店員の『いらっしゃいませー』がマッハで飛んでくる。

 俺はマッハで飛んでくる『いらっしゃいませー』を「今日の飯は何にしようかな」と思いながら余裕でかわす。

 コンビニ店員の『いらっしゃいませー』は予測できるので、かわす事は造作もない。


『こちら温めますか?』


 コンビニ店員の『こちら温めますか?』がマッハで飛んでくる。

 俺は温めが必要な弁当を選んだ時点で予測しているので余裕でかわす。

 温めて欲しいので俺は頷いた。



 帰り際、深夜だというのに他の客が来た。俺が邪魔だったのか理由は分からないが、舌打ちをされた。


『チッ』


 他の客の『チッ』がマッハで飛んでくる。

 不意打ちだったので俺はかわす事ができなかったが、両腕でガッチリとガードした。ガードにより『ココロ』へはヒットしなかった。『チッ』ぐらいなら楽々ガードだ。



 ◇



 俺はコンビニの帰りに郵便受けを確認する。宅配便の不在票が入っていた。

 昼間の『ピンポーン』は宅配便の配達員だったのか。悪い事をしてしまった。


 俺は手続きをして深夜のうちに宅配便センターへ荷物を取りに歩いて行く。周囲を警戒して慎重に歩いて行く。

 宅配便センターへ到着した。夜間受付へ不在票を提示する。


『本人確認証と印鑑をお願いします』


 夜間受付の『本人確認証と印鑑をお願いします』がマッハで飛んでくる。

 俺は当然『本人確認証と印鑑をお願いします』を予想しているので余裕でかわす。マッハで飛んできた『本人確認証と印鑑をお願いします』をかわしながら、準備してきた免許証と印鑑をバッグから取り出した。

 俺は悠々と荷物を受け取り、アパートへと歩いて帰る。



 ◇



 少し明るくなってきた。人々が動き出す朝がくる。

 朝になると『言葉』や『音』が氾濫する。早く部屋に戻らなければ。


 あと少しでアパートなのに散歩中の尻尾を振った仔犬に吠えられた。


『ワン! ワン!』


 散歩中の仔犬の『ワン! ワン!』がマッハで飛んでくる。

 俺はビックリしてかわす事ができない。しかし可愛い仔犬の『ワン! ワン!』なのでダメージはない。


『すみませんね。吠えちゃって』


 飼い主の『すみませんね。吠えちゃって』がマッハで飛んでくる。

 動揺している俺は『ワン! ワン!』に続いて『すみませんね。吠えちゃって』もかわす事ができない。しかし笑顔での『すみませんね。吠えちゃって』なのでダメージはない。

 俺は何故かペコペコしながら足早にその場から立ち去った。



 ◇



 俺はお金が心配になってきたのでバイトをする事にした。


 面接官の『テンプレ質問』が連続してマッハで飛んでくる。

 俺は答えを用意しているので、慌てる事もなく両腕でガッチリとガードする。『テンプレ質問』ぐらいなら何とか両腕のガードにより『ココロ』へヒットさせる事はない。


『一年間、何をしていたんですか』


 面接官の『一年間、何をしていたんですか』がマッハで飛んでくる。

 予測はしていたのだけれど両腕でもガードしきれずに『ココロ』へ少しヒットした。俺は少々のダメージを負った。



 ◇



 俺はバイトに合格した。



『君はそんな事も出来ないの?』


 社員の『君はそんな事も出来ないの?』がマッハで飛んでくる。

 マッハで飛んでくる巨大な塊『君はそんな事も出来ないの?』をかわす事は難しい。俺は直撃だけは避けて何とか耐える。


 俺はマッハで飛んでくる『社員の注意』や『客のクレーム』から逃げ続けかわし続ける。時にはかわしきれずに『ココロ』へヒットする。




 俺はバイトに慣れてきた。


『今日も頑張ったね。お疲れさま』


 社員の『今日も頑張ったね。お疲れさま』がマッハで飛んでくる。

 俺は逃げずに受け止める。



『ありがとう』


 客の『ありがとう』がマッハで飛んでくる。

 俺は逃げずにガッチリと『ココロ』で受け止める。ダメージを負った『ココロ』が回復する。



 俺はバイトが楽しくなった。

 気が付けば俺は『言葉』や『音』を物質として認識できなくなっていた。


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