第7話 チャンスが巡ってきた時には獲りにいくわ
俺が絵のモデルをする日は取引が成立した翌々日の日曜日を関山が指定してきた。『朝から夕方まで一気に描きたいから』ということだった。
メールで教えられた場所に行くと『Atelier de yuka』と表札が掛かったコンクリート打ちっ放しの二階建ての建物があった。
なんじゃこりゃ? まさか、あいつ専用の絵を描く部屋とかあるの? そんな疑問を持ちながらメールに書かれていた通りに到着したというメールを送った。
少しの間があった後で入口のドアの鍵が『ガチャッ』と音がし、ドアが開いて関山が顔を出した。
「入って」
言われるままにドアの中へ入る。コンクリート打ちっ放しの建物はお洒落な雰囲気だ。
「こっちよ。付いてきて」
出してもらったスリッパを履いて関山の後を追って奥に進んでいくと上へ上る階段と下へ下る階段があった。関山は階段を下りて地下へと向かう。
地下にはフィットネススタジオみたいな壁一面がミラーでフローリングになっている大きな部屋があった。イーゼルに載ったキャンバスが部屋のあちこちに置かれている。
関山が壁のミラーに手を掛けて手前に引いた。するとミラーの一部がクルッと回り開いた。ミラーの一部がドアになっているんだ。
そのドアを開けて中に入ると小さな部屋があった。巨大なキャンバスと椅子、高さのあるスツールが置かれていた。その小部屋には窓はなくミラーのドアは特に厚く出来ていた。
「ここで描かせてもらうから。一応、この部屋は防音になっていて換気用に空調が入っている」
なるほど。確かにこの狭い空間で真っ裸の男と二人きりになっていたら襲われたりしても逃げられそうにないな。関山が危険だと言うのも当然だ。
「で、俺はどうすれば良いんだ?」
「そこの衝立の裏側にバスローブと籠を置いておいたから籠は脱いだ物を入れるのに使って。脱いで裸になったらバスローブを羽織って前に出て来て」
「分かった」
「そうそう。先に渡しておくね」
そう言って関山は俺に封筒を渡してきた。中を確認するとカイリアの五千円のギフトカードが一枚入っていた。
「確かにもらった。じゃぁ脱いでくるわ」
「うん」
衝立の後ろで俺は着ていた服を脱いで全裸になった。今からこの裸を関山に晒す。
関山は男の性器を正確に描きたいと言っていたから特によく観察されるだろうな。もっとも関山の興味は俺ではなく男の体そのものなんだろうけど。
バスローブを羽織り、ひと呼吸して衝立の後ろから前へと出ていった。関山は椅子に腰掛けてキャンバスと向き合っていた。
「こっちも準備出来た」
「俺もいいぞ」
「じゃぁ、さっそく始めよっか」
関山が立ち上がり俺の方へやってきた。
「途中で休憩をだいたい一時間毎に入れて、ランチタイムは長めに取るけど基本的には夕方までぶっ通しで描くつもり。その間は動かないで欲しいの。なので、このスツールに座って腕はこのアクリル板に乗せておいて。気休めだけど何もないよりはマシだと思うから。トイレに行きたくなったら途中でも遠慮なく言って。トイレは降りてきた階段の脇にあるから」
「分かった」
「じゃぁポーズをとってもらうわね。スツールに腰掛けて」
スツールって椅子のことなんだ。言われた通りに腰掛ける。
「そう。そしたら腕はこの上ね」
「こうか?」
「うん。いいわね」
「足はここに置いて」
言われた通りに足を置く。
「今、窮屈じゃない?」
「窮屈じゃない、大丈夫。大丈夫だけど、この格好って何なんだ?」
「それは出来上がってのお楽しみってことで」
「じゃぁ、バスローブを外すね。最初は恥ずかしいと思うかも知れないけど二、三時間も経てば何とも思わなくなると思うから」
そんなもんなのか。
そして関山は普通に——本当にごく普通に——俺が着ていたバスローブを外した。俺の一糸纏わぬ裸体が関山の目に露わになった。
「因みに私は男性の裸体を見るのも描くのも初めてなの」
「見るのも初めてなの?」
「前にも言ったけど彼氏でもいたらよかったんだけどねぇ」
「お前って彼氏どころか友達も少ないだろ」
「それは随分と控えめな言い方でしょ。実際には友達が一人もいないって知ってるよね」
関山は既にキャンバスに向かって描き始めていた。
「友達を作ろうとは思わないのか?」
「思わない」
「そ、そうなんだ」
「変でしょ?」
「うーん。変だとは思わないけど欲しいって思わないの?」
「思わない。面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンだから」
関山にとって友達って面倒な存在だったんだ。
「私は争いごとが嫌いなの。人と何かを争うことが嫌」
ふーん。
「勉強だって一番だ二番だビリだって順位をつけて煽ってくるでしょ。あれが嫌なの」
闘争心が無いってことなのか。平和主義者って訳でもなさそうだし。
「人と何かを争うくらいなら私は争う元そのものを他人に譲るわ」
関山はキャンバスに向かって手を動かし続けながら話を続ける。
「成績だって一番が欲しい人が取ればいい」
「友達は争わないだろう」
「実際には友達の間に序列があるでしょ。口にしないだけで」
確かにある。特に女子は目に見えない序列で動いている気がする。
「なるほどな。
「誰かに理解してもらおうなんてそもそも思っていないから。ただ、友達が出来ない寂しい奴と思われるのは嫌かな。私は好んで友達になる事を放棄しているんで」
ただ、ここで疑問も湧いてきた。
「恋人はどうするんだ? そのぉ、『好きだ』と思える気持ちって理屈じゃないだろ。他の子と取り合いになる事だってよくある事だし。その時はどうするんだ?」
好きになった相手を別の誰かも好きになるシチュエーションはある。
「諦める。他の子に譲る。ただそれだけ」
「諦められるのか?」
「諦められた。でも……」
『られた』? 過去形? 実際に諦めたことがあるのか。『でも……』何だ? その続きの言葉が気になる。
「でも? どうした?」
「……チャンスが巡ってきた時には
関山の闘争心めいた言葉を初めて聞いた。
「チャンスが巡ってこなかったら?」
「今、チャンスが目の前にきているのよ」
関山は今、恋をしている。そしてその相手には競合するライバルはいないらしい。
「それって好きな奴がいるって事なのか?」
「うん。いる」
関山は頷きながら少し恥ずかしそうにそう言った。ほんのりと頬も赤くなってる気がした。
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