不良くんを裏切りたくない

 どろどろとした粘着質な甘い声が纏わりつき、白雪の身体を縛り付けた。進行を妨げて思考を停止させる。


 息がとまる白雪の前に回り込んだのは、当然。


「どこで買ったの?」


 山本百都子だ。


 珊瑚色に彩った爪に、艶めく桃色の唇。ぴょんと愛らしく跳ねたときにウェーブした髪が揺れて、強い香水の匂いが漂った。女子高校生に人気のぬいぐるみをぶら下げた学生鞄を、肩からかけている。


 この世の全てから祝福を受けたかのように、自信と愛嬌を振りまく。白雪が拒絶しないと確信している。


「これは――」


 言い淀めば、一瞬だけ百都子の表情が変化した。


 幸福とは真逆の、黒くてぞっと寒気が走る感情が鎌首をもたげる。すぐさま覆い隠すように少女のような無垢な笑みを取り繕うと、そっと両手を差し出した。


 強欲でわがままで、甘えたな少女そのもので。


「ねぇそれちょうだい?」


 断られるなど想像もせず無邪気におねだりした。小首を傾げて上目遣い。えへ、と口を緩ませた。


 しゃらんと髪飾りが視界の隅で揺れて、そっと手を伸ばす。


「いつもくれるもんね」


 そうだ。


 彼女が当然だと思うのは、白雪の態度にも問題があった。いじめられないように、泣かれないように。母親が買ってくれたもの、大切だったはずのものを差し出してきた。


 断られたことが本当にないのだ。


「これ、は」


 うるさい心臓、鼓動が指先まで伝わり痺れる。髪飾りを撫でれば脳裏によみがえるのは蒼汰の笑顔だった。



 ――下ばっか向いてるから、見るべきものも目に入ってねぇんだ。



 手を下ろした。息を整えて、逃げ出したい気持ちを殺した。ぐらぐらと地が不安定なのを消すため、踏ん張る。


 百都子が僅かにたじろいだ。笑みが崩れたのを気にせずに白雪は口を開いた。


「あげられない。ごめんなさい」


 怖くないは嘘になる。だが蒼汰が待っているのだと知っていれば立ち向かう勇気が湧き出る。


 百都子に何を言われようと帰る場所が、裏切らない人がいる。その事実が明確な輪郭を描き、白雪の中で根付いている。ひとりではない。あれだけ望んだ孤独は消えた。言いなりになる必要はない。


 蒼汰を――裏切りたくない。


「なに、それ」


 す、と表情が抜け落ちた後。酷く歪んだ嗤いをもらした。年相応というより白雪より大人の空気を纏っていた。それも恋愛に溺れた、情欲を前面に出している。


 昔見た、受付嬢と社長の恋愛ドラマを思い出す。嫉妬に狂った女が不倫相手の男とベッドを泳ぐシーン、あの顔が百都子と重なる。


 彼女が化け物のように思えた。


「それをくれたら他の子イジメない。ね? いいでしょ」


 的確に白雪の弱いところを刺した。そうっと手を伸ばして白雪の頬を撫でる仕草すら感じない。


 これをあげれば。彼女たちは救われる。消えてくれない罪悪感から解放される。甘言に頭を殴られたような衝撃が走った。


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