不良くんとの時間は嫌いじゃない

「あ、お疲れ。家で紅茶を入れたんだけど飲む?」


 昼休み、蒼汰の家へ遊びに行った翌日。


 がらりと空き教室の扉が開き、気怠そうに小さな紙袋を三つ抱えた蒼汰とお弁当箱の袋を持つ彩音が入ってきた。


 いつも通り歩く校則違反たちに、白雪はちらりと一瞥してから水筒を取り出す。紙コップを四つ並べて注ぐ、きらめく琥珀色が揺れて香りがふわりと広がった。まだ温かく、白い湯気が眼鏡を曇らせつつ上へと上がっていく。寒い今日にはぴったりである。


「……って、なに、どうしたの」


 両手で掴んで、紅茶に息を吹きかける。猫舌なので念入りに冷まして、ようやく彼らが固まっているのを気が付いた。入り口で二人揃って白雪を凝視する姿に、些か居心地が悪くて眉間にしわをよせる。


 彼らが、お互い顔を見合わせて数秒。うぅと大袈裟かつ嘘くさい泣き真似を始めた。蒼汰は目頭をおさえ、彩音は口を手で覆う。


「あの白雪が、歓迎してくれるなんてなぁ俺は嬉しいぜ」


「うん、懐かない猫を手懐けた気分だよ」


「お茶まで用意するとか、ここまで心を許されるなんてなぁ」


「長かったねぇ、お父さん、泣いちゃうな」


 うう、と彩音のふざけた調子に白雪は噛みついた。誰が父親だ。


「彩音くんに育てられた覚えないんだけれど」


「あの日々をわすれたのかい、お父さんは悲しい」


「親父さんを泣かすんじゃねぇよ」


 蒼汰と彩音の戯れ言に半目になる。じとっと睨むが現役ヤンキーの二人には通用しなかった。ただ感動を露わに近づいて、馴れ馴れしく頭を撫でてくる。彩音はまだ優しいが、蒼汰に至って首からもぐように、ぐりんぐりんと力を入れる。


 力加減を知らないらしい。ぐしゃぐしゃになる髪に諦めの息をついて、ぺしぺしと二人の手を叩いた。


「早く座って。それか帰って」


「茶までいれたくせに、つれないこと言うんじゃねぇよ」


「私が飲むから良い」


「飲む飲む、だから手を離せ」


 奪って自分の手元によせたのを、蒼汰が阻む。するりと中身がこぼれないように手で持つと、一口含んだ。彩音も「蒼汰に紅茶の味なんて分からないでしょ」と馬鹿にしつつ己の分を、さりげなく取っていった。


 暖房がついていない教室では、より美味しく感じる。お好みで、とスティックシュガーを差し出せば、彼らがまた茶化す気配を察知した。いちいち、いじらなければ死ぬ病気でも罹っているのか。


「配慮まで……昔は傍にいるだけで生ゴミを見る目を向けてきたのに、丸くなりやがって」


「被害妄想も大概にして。そんな目はしてない」


「昔はなぁ」


「出会ってまだ三週間も経ってないんだけど」


 涙ぐむ蒼汰は紅茶片手に、持っていた紙袋を広げる。中身は揚げたてのカレーパンとサンドイッチ、あんぱんらしい。さくりと良い音をたててかぶりつく。じっくり煮込まれたカレーの、スパイシーな香りが白雪の胃をきゅうと縮ませる。


 このままだとお腹がなりそうだと、白雪も自分のお弁当を口に運ぶ。今日も、卵焼きはうまく出来ている。舌の上に広がる、ほどよい甘さ。美味しい。


「……なに」


 ふと彼の手が伸びて、白雪の頬を撫でた。そのまま柔らかい耳朶へと滑り、確かめるようにふに、と指で押す。


 くすぐったさに身をよじれば、楽しげに蒼汰が喉を鳴らした。


「前に、ピアス欲しいって言ったろ」


「……ああ、うん」


 彼はよく覚えている。白雪は既に穴を開けてくれと強請ったのを忘れていたというのに。


 ただ蒼汰の言い方に思わず突っかかっただけで、ピアスを求めたわけではないのだが。わざわざ訂正も面倒だと頷いた。


「どうせ針を刺す直前に怖じ気づくだろ」


 随分な物言いだ。不満を露わに噛みつこうと睨めつけたが、白雪ごとき、子犬がじゃれつく程度なのだろう。何事もなく彼は口角をあげて続けた。


「お前にはピアスは似合わねぇよ」


 突き放した言い方だというのに、柔く白雪を包み込んだ。甘さの中に微かな苦みが含まれて、彼は一瞬だけ瞳をゆらりと揺らめかせる。垣間見えたのは悲しみだと白雪は分かってしまった。


 今の会話から苦い思い出でもよぎったのか、それとも。


 白雪には分からない。どれだけ親密になろうと他人であり、自分は蒼汰ではない。それが酷くもどかしい。


 友達などいらないと喚いていた白雪は、目を伏せる。こうやって仲が良くなれば相手のことを知りたくなる。邪推をしてしまう。これらも友を作りたくない要因の一つであったというのに。何故か。


「そうたくぅん、俺はピアス似合う?」


「おうおう似合うぞ。百個つけろ」


「ほんと? また新しいとこつけようかな」


「お前舌ピ開けたばっかだろ、まだやるのかよ」


「蒼汰に言われたくないねぇ」


 彩音と蒼汰の応酬に目を細めて、そっと俯く。面倒なはずなのに。


 生温いこの場所が嫌いではない。


 可愛くない、素直になりきれない感想が心の中に、ことんと落ちた。



 蒼汰は、ちゃっかり白雪の正面に陣取った。甘く煮詰めた瞳に、おにぎりを入れようとした口を閉じる。さすがに気恥ずかしさから憎まれ口も叩けない。懐柔されたものだと自分自身でも思うが、それでも拒絶する心は、あの空っぽの部屋に置いてきてしまったらしい。


 甘い砂糖の海に沈む息苦しいさと、とろとろと溶かしていく感覚を、白雪は静かに味わった。この脆く、現実から逸らされた世界がずっと、それこそ永遠に続けばいいのに。そんな無垢な少女のように願った。

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