噂話は十中八九嘘
不良くんに好かれるわけない
時刻は昼。
あと五分もすれば授業が始まるのだが、トイレの個室から一歩も動けない。
生徒とすれ違うのを避けるために選択したのが間違いだった。大人しく普段使っている空き教室に行けば良かったのに、後悔で心が埋め尽くされる。一刻も出たい。
物音を立てないよう慎重にドアへと聞き耳をたてる。
残念、まだ明るい女子の話し声が響いている。
何故わざわざトイレで噂話をするのだ。井戸端会議など教室でやれ。
ぎりりと歯ぎしりしつつ、出て行く勇気はなく潔く諦めの体制に入る。ポケットから携帯電話を取りだし画面に指を滑らして暇を潰す。
今出たら、確実に「盗み聞きとか趣味悪い」と陰口を囁く。きゃぴきゃぴ陽気な女子の考えなどお見通しなのだ。実際、三回ぐらいそういった出来事に遭遇した。四回目などお腹いっぱい、飽きた。さすがの白雪も学習している。
はやく出てけよ。暴言を心で吐きつつ、ニュースを閲覧する。だが頭に入らず、女子のいらぬ噂ばかりが届く。
「清川白雪だっけ? あの子さぁ別室とかうらやまー。あそこトランプとか置いてるらしいじゃん」
置いてない。
そんなもの置いていたって意味がない。遊ぶ暇などない。白雪はツッコミたい気持ちをぐっと飲み込んで、ひっそりため息をついた。
白雪は引っ越してきてすぐに陰惨ないじめに遭い、半年前から別室で授業を受けている。
その際、友達だったような人間もクラスメイトも教師も両親も全員クソ野郎だなと実感したものである。
信用したやつが馬鹿を見るのだ。
イジメられると分かって教室に行く理由が見当たらないので、早々にリタイヤしたのだが。
しかし。羨ましいとは。
素敵な思考回路を伝授してほしい。今時女子代表格のような彼女たちはトランプで遊んだりしないだろう、多分。
「地味めの子だから、漫画読んでんじゃない?」
甲高い笑いである。
風評被害だ。決めつけはよくない。漫画は全人類のものである。オタク、暗い奴だけが好むなど古い考えだ。己の偏った主観で物事を見るとこうなるらしい。勘弁してほしい。嫌いな気持ちが悪化する。
ちなみに別室に漫画はない。
「あっ、でもー案外、遊んでるのかもよ?」
声を潜める女子一。なんでと不思議そうに、だが何処か愉快そうな女子二。
まさか援助交際を示唆して……いやいや流石に不名誉にもほどがある。何処にそんな要素を見出したのか。火の無い所には煙は立たぬ、とは言うが冤罪。夜遅く出かけるほど度胸もない。お化けが出たらどうしてくれるのだ。
でっち上げられる、またくだらない称号を授与されるのか。イライラと携帯電話を操作する。あ、変なところタッチした。最悪。
「なんで?」
マジで何でか知らないが、もうどうでも良い。何とでも言え。どうせ高校生活が終われば無関係だ。それまで我慢すればいい、無視だ。
「だって蒼汰くんがあの子のこと、好きなんだって」
「えっ?」
「えぇえええ? マジで!」
思わずこぼれた間抜けな声は、女子二の大声でかき消された。
「ショックー、私好きなのに!」
「私もだよ、嘘だろうけれどさぁ」
「嘘だよ、嘘。あんな子好きなわけないじゃん、住む世界違いすぎ」
「そうだよねぇ」
きゃはは。
甲高い女の笑い声と同時、昼休み終了のチャイムが鳴った。やばいと、バタバタ慌ただしく出て行く彼女たち。
打って変わって白雪は開いた口が塞がらず、固まっていた。
蒼汰とは――あの『
この学校では逆らうものはいない、教師ですら避ける現役不良高校生。見目麗しい姿に引く手あまた。血生臭い喧嘩も、夜の匂いを漂わせる女遊びも嗜む男。
女遊びをするという噂と食い違う性格であり、女だろうと冷たい態度を取る一匹狼。
「ありえないな」
学校と積極的に関わらない白雪ですら、長ったらしい特徴を覚えるほどの有名人である。
住む世界が違うという表現は好まないが、その通りだ。白雪とは一生関わり合いにならない御仁。
それが、なんだっけ。すき、好きとはどういう意味だ。
脳がそっと拒絶して見えなくする。
気のせいだろう、蒼汰って別人だろうと逃げ道を作る。
相手は女に困らない不良、スケコマシだ。たまには毛色の違う女を食いたい? やかましいわ。誰だ、そんな双方傍迷惑ホラ噂話流した暇人野郎。
自分の脳内会議に盛大なツッコミを入れて、息を吐いた。
そもそも不良と関わった記憶など。
「……あ」
クラスも違う。接点など、ないはずだった。
しかし、些細な出来事も含めるなら三回会話を交わした。
それも最後の一回は一ヶ月前で、落とし物を拾って届けるイベントだった訳だが。
ただそれだけ。
相手も忘れているだろう小さな出来事。現に白雪は今の今まで忘却の彼方だった。
……うん。あの女子たちの気のせいだわ。
一人納得して、白雪は聞かなかったことにした。
全てを排除して意気揚々と個室から出ると、別室へと向かう。授業が始まって静かな校内を駆け足で進む。
当然遅れたので、面倒を見る教師は白雪に雷を落としたのだが。
それについては全面的に白雪が悪いので、甘んじて受け入れるのだった。
教師に謝罪をして席に着くと、見慣れたノートと教科書を手に、記された問題を解いていく。
昨晩の内に予習を済ましたので、導き出すのも容易である。すらすらと迷わずシャーペンを走らせた。
簡単だからこそ生まれた余裕のせいか、落とし物事件が脳裏によぎった。湧き上がってくる記憶たち。意識がそちらへと持って行かれる。
卯之木蒼汰。最後の一回、彼の態度を鮮明に思い出す。
いつも通り。だったはずなのに落とし物で少しだけ変化した日常の一部。
学校から帰宅するために電車へと乗っていたときだった。
いつも通り、重たい鞄を持って、マフラーを首に巻いて。
いつも通り同じ座席に腰を下ろして。
いつも通り下校時間をずらした、昏い――……。
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