第16話 老人とクロガネさん
クロガネは山を降りて、自分が住んでいたイシの町へと戻ることにした。
道中、道という道が、ほとんど人が通った形跡がなく、草木が生い茂っていて人の気配もしないことに気づいた。この道は王都とつながる唯一の山道。人の往来もそれなりにあるはずなのに、この道の荒れ具合はいったいどうしたことか……。そしていつもなら、町の人々の活気ある声がわずかながらも聞こえてくるはずなのに、それも聞こえてこない。
――まさか、黒い竜が町を襲ったのか?
不安からクロガネの歩みがだんだんと早くなる。やがて木々の間から懐かしいイシの町が姿を覗かせるが、彼の知っている活気ある声は聞こえてこなかった。ただ、いくつかの家屋の煙突から微かな煙が上がっていることから、人が生活していることはわかり、彼は少し安心した。
やがて西門に近づくと、門の前にいた兵士がクロガネを見つけて声をかけてきた。クロガネの知らない間に新しい新人でも入ったのだろうか。見知らぬ顔だった。
兵士もクロガネのことを知らないようで、彼に止まるように合図を送る。
「おいあんた、どっからきた?」
その声の震えから驚きや恐怖の色が見て取れた。
「西の山からだが、何か?」クロガネが当たり前のように返事をする。
「りゅ……竜の谷を越えてきたっていうのかい? まさかあんた竜を連れてきちゃいないよな?」
クロガネには兵士の言葉の意味がわからなかった。竜の谷? そんな場所、初耳だった。竜を連れてくるということもどういうことなのか見当がつかなかったので、とりあえず「大丈夫だ」と答えておいた。
「ところで……コテツは無事に帰ってきたか?」
クロガネは、内心ずっとコテツの安否が気になっていた。赤と黒の竜との戦いのとき、逃げるように指示し、コテツはそれに従ったはずだった。討伐隊は全滅したが、彼だけは生き延びていてほしいと思っていたのだ。
「コテツって……あのコテツ様のことか? 気安く呼び捨てにするもんじゃないよ!」
コテツ様……? いつの間にそんな名前で呼ばれることになったのだろう。いや、この町にコテツという名前の人間は一人しかいないはずだ。クロガネは適当に兵士に返事をすると、町の中へと入っていった。
通りを歩く人は少なかった。そして、道ゆく人々にあまり元気が感じられなかった。竜が町を襲ったせいで人々は避難したのだろうか、と思うほどだった。しかし、どの建物も見覚えのあるものばかりで、特に壊れた形跡は見当たらなかった。よかった、この町は竜に襲われることなく無事だったのだ、と安堵した。
――だが、それならなぜこんなにも人が少なくなってしまったのか? 危険を感じてもっと遠くへ避難したのだろうか? そんなことを考えながら、クロガネはいつもと同じ道を辿り、町外れにある教会――自分の家へと歩みを進めた。
懐かしい我が家も壊れた形跡はなく、クロガネが出発する前と同じ状態でそこにあった。少し古びたかな、というのが久しぶりに自宅を見たクロガネの感想だった。門をくぐるとちょっとした広場があり、小さな切り株もある。「ただいま」と、クロガネは教会の扉を開けて中へ入った。
「おお、誰か来たのかね」
中には老人が一人、神像に向かい祈りを捧げていた。扉が開き、光が差し込む。来客の存在に気づき、ゆっくりと振り返る……と、老人は目を見開いて信じられないと言った表情でクロガネを見た。そして思わず持っていた十字架を床に落とした。
「ク……クロガネ……さん?」
クロガネは目の前にいる老人に自分の名前を呼ばれたが、誰なのか分からずその場に立ち尽くしていた。――この老人は……誰だ? どうして俺のことを知っている?
老人は震えながら、ゆっくりとクロガネに近づく。老人からは敵意は感じられなかった。目の前まで来ると、老人はクロガネの手をとる。そして、「おおお……」と声を上げて泣きながら、崩れるように膝をついた。どうしていいか分からずにそのまま立っているクロガネが、老人に声をかける。
「失礼だが、あなたは……?」
老人はしばらく涙を流した後ゆっくりと立ち上がり、クロガネの目をまっすぐに見つめて言った。
「クロガネさん……僕はコテツです……五十年前に一緒に赤い竜と戦った……コテツです!」
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