第6話 赤い竜とクロガネさん

「クロガネさん……あれ、赤い竜じゃ……」


 頭を押さえながら馬車から降りてきたコテツが、空を見上げながら呟いた。


「ああ。コテツ……御者と馬車と一緒に避難するんだ。できれば川の近くがいい」


 クロガネが空を泳ぐ赤い竜から目を離さずにコテツに指示を出した。しかし、コテツは顔を横に振った。


「僕も戦います、クロガネさん!」

「だめだ!」


 初めて聞く強い口調に、コテツはびくっとして一歩後ろへ下がってしまった。

「さっき話をしたばかりだろう。色のついた竜を見たら、自分の命を優先しろと」


 コテツはこれまでのクロガネとの修行で強くなった気がして、そして討伐隊に選抜されてこともあって若干浮かれていた面もあった。

 もしかしたら、自分もクロガネさんのように竜と対等以上に戦うことができるかも、なんて思っていたのだ。しかし、今のクロガネの竜に向けた顔を見て「ああ、自分との修行のときとは違う……クロガネさんは生死をかけた戦いのときはこんな表情をするのか」と圧倒的な実力差を感じたのだった。


「わかりました……クロガネさん、負けないでくださいね」

「万が一のときは竜が飛び立って姿が見えなくなってから移動するんだ。わかったな」


 そんなことあるわけないですよ、とコテツが言う前に、クロガネは馬車の中から自身の大剣と荷物の入った袋を取り出し、道を進んで行った。コテツは御者に指示を出して、少し離れた小川の近くに身を潜めることにした。


「さて……と」


 道の脇、大きな切り株の上に荷物の入った袋を下ろし、大剣を背中に背負いなおした。そしてクロガネは周囲を確認する。

 ここらは背の低い草が一面に広がる草原。周りには火が燃え移りそうな大きな木々はない。一段低い場所に小川が流れていて、そこに馬車と御者、コテツは身を潜めている。大人しくしておけばバレることはないだろう。

 

 危害を加えなければ、基本的に自分から攻撃してくることはない。竜との対話がうまくいくといいのだが……とクロガネは空を見上げる。赤い竜は今もなお、ゆったりと空を滑っていた。時折地上を眺めながら……まるで何か探し物をしているかのように。


「おーい、赤い竜よ。俺と少しだけ話をしないか」


 クロガネは空中にいる赤い竜に呼びかけた。すると赤い竜はピクリと反応し、クロガネの方を見た。


 そして急降下して彼の前に降り立った。ズウン、という地響きとともに周囲に土煙が巻き起こる。幸い、馬を含むコテツたちが声を出すことはなかった。


「……どうして人間如きが竜の言葉を話せるのだ」

 赤い竜もまた声を出さずに、クロガネの頭に直接呼びかけた。


「なんだかわからないけど、いつの間にか話ができるようになったんだ」

「……フン、まあいい。用件はなんだ。大した用でなければ八つ裂きにしてくれよう」


「まあまあ、落ち着いてくれ。危害を加えるつもりは毛頭ない。ただ、人の目につくところに竜が現れるとみんなびっくりしちまうんだよ。できればもっと山の上の……人間が来ないようなところで飛んでくれないかな」

「人間が竜の飛ぶ場所を指図しようというのか! いつからお前たちはそんなに偉くなったのだ?」

 

 側から見れば、赤い竜とクロガネが黙ったまま睨み合っているようにしか見えないだろう。しかし二人は普通の人間には聞こえない、テレパシーのようなもので会話を続けているのだ。


「いやいや、指図しようとか、そんなんじゃない。馬が怖がって道を進めないんだよ」

「……断ると言ったら?」


「うーん、そのときは……申し訳ないけど追い払おうかな」


 クロガネが背中に背負った大剣の柄を握り、赤い竜をじっと見つめる。赤い竜もまた、じっとクロガネを見つめたまま視線を外そうとはしなかった。

 そして、勢いよく右手を振りかざすと、先が黒く尖った爪をクロガネの喉元に突きつけた。


「……」


 表情を変えずに黙ったまま、一歩も動かないクロガネに対して、赤い竜が問いかける。


「……なぜ避けぬ」

「だって、全く殺意を感じないからな。それに絶妙に届かない距離だということもわかってて攻撃しているだろう?」

 クロガネの返事に、赤い竜は静かに突き出した腕を引っ込めた。


「ははははは! 人間のくせに面白いやつじゃないか! いいだろう。そろそろ別の場所へ行こうと思っていたところだ。お前……名はなんという?」

「クロガネだ」


「クロガネ……。お前のことは覚えておこう。光栄に思えよ、竜が人の名を覚えることなど滅多にないことなのだぞ!」

「ありがとう、赤い竜よ」


 そう言うと、赤い竜は翼を広げて勢いよく空へ舞い上がり、北の空へと消えていった。「ふう」と大きく息を吐き、クロガネは額の汗を拭った。



 気が気でなかったのはコテツだった。


 竜が地面に降り立った音が聞こえてから、しばらく無音状態が続いていた。クロガネの戦う姿を見たかったが、竜に姿を見られたらいけないとじっと聞き耳を立てるだけで我慢していたのだ。

 そして、竜の叫び声も、クロガネの声も剣を振る音も聞こえないまま、赤い竜が空へと飛び立っていったのだ。「万が一のときは竜が飛び立って姿が見えなくなってから移動するんだ」というクロガネの言葉を思い出し、もしかしてクロガネがやられてしまったのではないかと思ったのだ。



「よお、コテツ。よくじっとしてたな!」


 突然頭の上から聞こえてきたクロガネの声に、コテツは思わず泣き出してしまった。

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