開闢の原子

Scandium

起『原子』

 2034年3月8日。日本の太平洋沿岸に大質量隕石が衝突。日本に高潮などの被害が生じ、さらに付近の生命体はほぼ根絶された。その後も海洋生物の数は着々と減少し、魚介類の大幅な値上げが問題となっている。









 2034年3月20日。神奈川県のとある住宅街を、1人の若者が歩いていた。身長はそこそこ高く、平均以上。キリッとした眼差し、がっしりとした鼻や口からなる顔は、真面目で熱血、正義感に溢れているような印象を受ける。髪は短く、スポーツ刈りと呼ばれる髪型をしている。がたいはあまり良くないが、決して細身というわけではなくがっしりしている。


 若者の名は九十九つくもわたる。東京の中学校を先日卒業した15歳である。今は神奈川県の祖父母の家から帰るところだ。


 渉は住宅街を駅に向かって歩いていた。1つの曲がり角を曲がると、道の端に老婆がいた。老婆は何やら地面に落ちた野菜類を拾い集めている。


「手伝いますよ!」


 渉はそれを見ると一目散に走っていき、自分もそれらを拾い始めた。


「おや、ありがとうねえ。最近力が弱くなってきたみたいでねえ」


 パパッと野菜類を拾い集め、老婆の持っている袋に入れる……その時老婆は、1つの林檎が渉に触れられることなく、宙に浮かび袋に入ったように見えた。


「あれ今……まあいいわ。本当にありがとう。そうだ、林檎でも1つどうだい?」

「いえ、お構いなく!」


 渉が立ち上がり、再び歩き出そうとしたその時、「ねえ! 返してよ!」と少年の声が聞こえてきた。見れば近くの家から3人、小学校中学年と思わしき子供が走り出てきた。


 先頭の2人は飛行機のオモチャを持っており、もう1人はそれを追いかけている。


「コラー!」

「わ⁉︎」

「何しているんだ君達!」


 渉はまたもやドタドタと駆けていき、少年達に迫る。先頭の2人は急な大声に驚き、足を止めた。しかし2人は止まったにも関わらず体が倒れ、地面に転んでしまった。


「おお! 大丈夫か⁉︎」

「だ、大丈夫」

「そうか、立てるか?」

「うん」

「……なあ君、それはそっちの子のじゃないのか?」

「そ、そうだけど借りただけ……」

「返してと言っているではないか。ほら、返してあげなさい!」

「はーい……」


 2人は渉の熱意に押され、渋々飛行機のオモチャをもう1人に返した。そのまま苦い顔をして去っていく。


「あ、ありがとう!」

「ちゃーんと皆仲良くするんだぞ!」









 朝の駅は人が溢れかえり、熱気に包まれている。ちょうど暖かくなってくるぐらいの時期だというのに、まるで夏のようだ。


(うーん、落ち着かないなあ!)


 ホームに並んだ渉の前に、3人の大学生がいた。彼らはスマートフォンを見せ合い、笑っている。その声はかなり大きく、離れた場所にいる人も顔を顰めている。


「おい見ろよこれ!」

「ぶはは! 何だよそれ!」

「ひっでえ!」


 渉はこういった人を注意しても無駄だということは十分知っていた。そのためイライラしながらも我慢し、少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。


「おいお前ら」

「ん? なになに」


 大学生らは突然声を顰めたかと思えば、今度はヒソヒソと怪しげな会話を始めた。他の人にはその内容は聞き取れなかったが、唯一渉の耳にだけはこの声が聞こえてきた。


「このばあさん、背中押したらビビって腰抜かすんじゃね」

「ぶ! いいなそれ」

「ほら早くやれよお前」

「あ? お前がやれって」


 それが聞こえた時、渉は流石に我慢できなかった。キッとそいつらを睨み、一歩踏み出して声を発する。


「おい君達‼︎」


 渉が「さすがに悪ふざけが過ぎる」と言いかけた、その瞬間。


「ゴハアッ‼︎」

「は? グアッ‼︎」

「ガハッ‼︎」


 大学生3人は地面に倒れた。1人は顔面に激しい衝撃を受け、1人は骨にまで響く力を腹にぶつけられ、1人は前後から飛翔したエネルギーに頭を押しつぶされた。


 さらに何処からか発生したエネルギーはその後も3人を痛めつけ続けた。


 それらを引き起こした力は、渉が発したものだった。彼が一歩踏み出した際に、凄まじいエネルギーを持った何かが渉の体から飛び出した。それは3人の大学生に襲いかかり、彼らは地面に倒れるに至ったのだ。


「あ……」

「わああ‼︎」

「な、何だ?」


 さっきまで元気に騒いでいた3人が突如として血を流して倒れたことに気づいた周りの人々は、その現場を見て混乱していた。困惑や恐怖などの感情を抱えながら、1番近くに立っていてこれを引き起こしたと思われる青年を見やった。


「ち、違うんだ……俺は……‼︎」


 周囲の人々の混乱に押されるように渉も混乱し始める。


(ただ注意しようとしただけなのに……‼︎)


 渉は倒れた大学生の容態を確認するため、前に進み出た。しかし渉から出るエネルギーの激しさは余計に増し、大学生の骨が折れる音が聞こえた。


 周囲の人々は渉を指差し、アイツから離れろなどと叫んで逃げ惑った。実際には渉がやったという証拠など微塵も無いのだが、パニックになった人々の思考は鈍り、渉を悪者に仕立て上げてしまっていた。


(なんなんだよ……この力は‼︎)









「……2034年3月20日、神奈川県神奈川駅のホームで傷害事件が発生。被害者は大学3年生の男3人。被害者は左手などの部位が引きちぎられる、骨が粉々に砕かれるなどの傷害を受けた。この事件には不可解な点がいくつかあり、まず加害者の明確な目撃情報が無い、上記のような傷を作り得るような凶器が見つかっていない、格闘技を心得ていた被害者がなんの抵抗もできぬまま、あまりにも一方的な暴行を受けた等。これらの理由から当時近くにいた人物から聞き込みを行い、捜査を進める予定、か……これを君がやったと?」


 静かに高速道路を走る車の中に、2人の男女が座っている。1人は渉。もう1人は髪を背中まで垂らした女性だ。彼女は女性にしては長身な方で、渉より2cmほど低いぐらい。イキイキとした目、小さい鼻、元気を体現したような美人だが、その髪の色は金色。その顔立ちは完全に日系。金髪は染めたのだろうか。


「はい……間違いなく俺です……」

「……どうやって?」

「それは、その……」

「当ててやろうか?」


 女性は悪戯っぽい笑みを浮かべると、その面白がるような目で渉を見た。


 女性は持っていた資料を傍に置き、手の平を上に向けた。するとその周りに冷気が漂い、青白い光が発された。手の中で徐々にその光が集まり、ゴツゴツとした形を作る。一瞬その光が強まり、次の瞬間には女性の手の平には大きめの氷塊が乗っていた。


「そ、それは……‼︎」

「君の持つ力と同じようなものだろう? ……これは今日本で数件確認されたものだ。君、名前は?」

「……九十九つくもわたるです」

「アタシは工藤くどう角美かどみ。今高二だから、君の2個上だね。……この力は目覚めてからすぐは暴発することも珍しくない。だからあの事件は君の責任じゃない……君は悪くない。だから気に病む必要は……」

「いや……‼︎ 確かにあの3人は決して善い人ではなかった……でもだからってあんな惨いことをしていい理由にはならないんだ‼︎」

「……」

「こんな力を持つぐらいなら……俺は……‼︎」

「……この車はとある場所に向かっている。詳しい話は着いてからするよ」









「……ここは?」


 どれほど進んだのだろうか。都市部から離れた東京の郊外、山々の中に無機質な建物が立っていた。壁は全面コンクリートで覆われ、窓が少ない。二階建てで、金属製の重厚な扉が正面にある。


 そこから中に入ると、左右に2つずつ、正面に1つ、合計5つの扉があった。渉と角美は正面の扉に入り、その中にいたとある人物と対面した。


 向かって左には大量の付箋が貼られた資料が詰め込まれた本棚が壁一面にあった。右側にはまた扉、正面には灰色の簡素な机。そしてその机に向かって椅子に座っていた男性は、入ってきた2人に気づくと、目を通していた資料から目線を上げた。


 黒く艶のある髪を整えた、まだ若い男性だ。暖かみのある目をしており、こちらを包み込んでくるような優しい笑顔からとても人情深い印象を受ける。年齢は20代半ばといったところか。黒いスーツを着てメガネをかけている。


「……角美、彼が?」

「ええ、新たに発見された能力者です」

「九十九渉です」

「よろしく。僕はここの研究所の所長をしている倉野くらの銅板どうばんだ」

「……研究所?」


 銅板と名乗った男は、席を立って左の本棚に向かった。そこから迷わず1つのファイルを取り出し、机に戻ってくる。


「さて、色々と話さなければならないことはあるが……まずは君が悩んでいるその能力について説明しよう」

「……‼︎」

「この情報はまだ国や世界が秘匿しているから、くれぐれも内緒にね」


 銅板はファイルからいくつか書類を取り出し、それを渉に見せながら続けた。


「約2週間前……正確に言えば今年の3月8日に大質量隕石が太平洋日本沿岸に衝突したことは知っているだろう? メディアには伏せられているが、そこには未知の科学エネルギーが含まれており、海洋生物の死滅はこれが原因と考えられているんだ。突然変異が引き起こされ、そのエネルギーを体内に取り入れた生物は特殊な力に目覚め暴れ回ったが、やがて水揚げ。この生物を人間が食した場合、その生物と同様に特殊能力に目覚める……これが我々が持つ能力の正体だ」

「そ、そうだったんですか……」

「……少しついて来てもらってもいいかな」


 そう言うと銅板は席を立ち、渉と角美を連れて部屋を出た。そしてこの部屋から見て右の手前の部屋に入る。そこには下...つまり地下へと続く階段があった。そこからは何やら嗅いだことのない、鼻がツンとする臭いが漂っていた。


 銅板に連れられるまま、渉はその階段に足を踏み入れた。先程までいた玄関や銅板の部屋は、コンクリートでガチガチに固められた外観とは違い、至って普通のタイルだったのだが、この階段は外と同じコンクリートだ。


 もう大分暖かくなってきたのに、下の空気はひんやりと冷たい。渉は唾を飲み、固く冷たい階段を降りていった。


「……ここは国立特殊エネルギー研究所。Special Energy Laboratoryを略してSELと呼ばれている。国は科学エネルギーや能力のことをいち早く察しここを作り、元々科学者で1人目の能力者である僕を所長に任命した」


 銅板が話している間に、3人は階段を降りきり、1つの扉にたどり着いた。金属製の重い扉を開けると、なにやら見たことの無い巨大な装置が広い部屋に鎮座していた。太いパイプやコードが張り巡らされ、ボタンやランプが大量についている。


「ここはくだんの科学エネルギーを研究し、日本……いや、世界をより良くするための場所なんだ」


 銅板は振り向き、渉に手を差し伸べた。優しい笑顔はそのままに、目に強いこころざしを込めて。


「どうだい渉くん。僕たちに協力してくれるかい?」

「……正直、俺はまだこの力を受け入れられないです……でも‼︎」


 渉は銅板の手をガッシリと握った。


「もしこの力で世界がより良くなるのなら...もし同じように苦しんでいる人がいるなら助けてあげるためにも‼︎ 俺はこの研究に協力します‼︎」


 銅板は「フッ」と笑い、部屋の中へと入っていった。その時、銅板が渉の凄まじい握力に見事耐えたのは、銅板本人しか知らない。









 3月26日。渉が研究所に入ってから5日が経過した。研究所では主に人体からエネルギーを抽出する技術についてを研究しており、人体を構成する物質に焦点が当てられている。渉はこの日の朝、実験用のラットを運んでいた。


 ケージに入れたラットを持って研究所のロビーを移動していた時、渉は入り口の扉が開くのを目にした。


 入ってきたのは20代後半に見える男だった。白いワイシャツにゆるゆるのネクタイ、皺のある黒いズボンを身につけている。さらさらの白い髪を切り揃え、色の薄い瞳はおっとりとしている。


「やあ。君は……そうだ、九十九渉くん、だったかな?」


 穏やかでありながら、どこか威厳のある声だった。


「はい。どちら様で?」

「私は狩斗かると紫苑しえんと言う者だ。すまないが、銅板を呼んできてくれるかい?」

「分かりました」


 銅板はすぐ近くの執務室におり、すぐに出てきた。


「おや、狩斗さん」

「やあ銅板、朗報だ。また1人、能力者と思われる者が出てきたよ。詳しくはこの資料を」


 そう言って狩斗は数枚の資料を銅板に手渡した。銅板はサッとそれに目を通すと、腕を組んだ。


「ふむ……今は資料の作成で手が離せられないんだよな……渉、角美と一緒に行ってきてくれるかい?」

「それはいいですけど……狩斗さんはどういう人なんですか?」

「私は特殊エネルギー担当委員と言ってね、くだんの能力者の保護を目的とした組織の一員だ。この研究所を作ろうとしたのもこの組織だよ」

「へー」

「私はこの国が大好きでね。それが国のためとなるなら喜んで手を貸すよ。けど未だ国の決定に文句を言う奴もいてね……そんなこの国に害をなす蛆虫うじむし共は全て抹殺するべきだ……」


 途中から呟くような声に変わった狩斗の顔は、見るだけでゾッとするものだった。目の光が消え、地面の一点を見つめている。銅板は困惑で眉を寄せた。


「駄目です‼︎」


 そんな中、渉は声高らかに断言した。


「どれだけの悪事を働こうとも、人を傷つけるなんてことはあってはならないんです‼︎」

「……そうだね。すまない、私が悪かった。とにかく、その件、引き受けてくれるかい?」

「はい。もし俺と同じように苦しんでいるのならなおさら放ってはおけません‼︎」

「そうか、ありがとう」


 狩斗は顔を綻ばせ、入り口へと戻っていった。渉は「角美さんを呼んできます!」と地下の研究室に走っていく。


 銅板は先程の狩斗の力無い笑みにどこか恐怖を覚えていた。しかしそれについて思考を巡らせる前に、目先の問題を片付けなければならない。銅板は頭を振って執務室へと戻っていった。

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