三 記憶
すると、そこには木製の〝踏み台〟らしきものが転がっています。それも今風のものではなく、博物館で昭和の生活道具として展示されているような、そんなごっつい木でできた重たいものです。
人が住まなくなってからずっとそこにあったのか? 気づかずその踏み台に足がぶつかってしまったのです。
床に転がっているそれを見た僕は、無意識にその踏み台を手に取ると、起こして床に立たせていました……そして、床に立たせると、今度はその上に登りたいような気分になぜか駆られたんです。
なんだか頭がぼうっとして、その衝動に逆らうことができません……僕は右足を上げるとその踏み台の上へと置き、左足も引き上げて同様にそのとなりに置きます。
「…………」
なぜそんなことをしているのか? 疑問に思うこともなく、そうして踏み台の上へ立った僕は、すぅー…っと、意識が遠のいていくのを感じました。
と、次の瞬間です。
「なにやってんの!?」
不意の大声とともに、僕は背後から突然抱きつかれ、ドタン! と床へ倒れ込みました。
「……っ!」
身体を強かに打ち、気を取り直した僕が振り返ってみると、腰にはカノジョが抱きついて一緒に倒れています。
「……ど、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! なにやってんの!? 今自分がしようとしてたことわかってんの!?」
わけがわからず僕が尋ねると、カノジョは涙目で僕を見つめながら本気で怒っています。
「冗談でもそんなことするもんじゃないよ! ほんとに死んじゃうかもしれないんだよ!」
泣きそうな顔でそう怒鳴り散らすカノジョがふと見上げた天井の方へ僕も目を向けると、そこには先端を輪っかにした一本の縄が梁からぶら下がっています……。
「な、なんだこれ……!?」
それは、明らかに首を吊るための縄です……いったいいつからそこに垂れ下がっていたのか? 驚く僕でしたが足下に転がる踏み台と
腰にしがみついて泣いているカノジョ……この状況から考えると、どうやら僕は踏み台に登った後、その縄の輪へ頭を通そうとしていたところをカノジョに止められたみたいです。
もちろん、そんなバカな真似をする気はさらさらなかった…というか、そんなことをしようとした記憶すらありません。
踏み台へ登ったところまでは覚えているんですが……。
「踏み台……」
そこで、僕の脳裏にある連想がふと浮かびました。
今、自分が倒れた音と、先程、縁側で聞いたあの音はなんだか似てるんじゃないか……それに、ここに転がっていた踏み台……あの音は、ここで誰かが首を吊って、その拍子に踏み台が倒れた音だったのでは……。
「突然、独りで中へ入ってっちゃうし……ほんとなんなのいったい!?」
恐ろしい連想に僕が
「えっ!? 僕は君を追って中へ……」
事実の齟齬に僕は反論しようとしたのですが、その途中、あの玉暖簾の隙間から一瞬見えた、カノジョとは違う女性の姿が頭を過りました。
僕は、あの女性に招き寄せられたのか……そして、ここで首を吊るように仕向けられて……。
垂れ下がる首吊りの縄を見上げながら、そんな考えに思い至ると、急にこれまでにないほどの激しい恐怖心が込み上げてきました。
「こ、ここなんかヤバイよ! は、は、早く逃げよう!」
しどろもどろになりながらも僕はカノジョを起き上がらせると、慌てて縁側の方へと走って戻り、そのまま雨も気にせずに自転車でそこから逃げ出しました。
もちろん、もうサイクリングを楽しむ余裕など微塵もなく、まっすぐ駅へ全速力で向かうと、ずぶ濡れのまま電車が来るのを待っていたのですが……その待ち時間に駅前を通りかかった村の人がいたので、ちょっとあの空き家のことを訊いてみたんです。
すると、あの家にかつて住んでいた祖父母と若い親子三代の一家は、交通事故で母親を残して全員が亡くなり、残された母親も心を病んで首吊り自殺をしていたことが判明しました。
いわゆる〝事故物件〟というやつですし、他に使う者は誰もおらず、それから何十年もの間、あの家は空き家のまま放置されているそうなんですが……僕が見たあの女性はその自殺したという母親で、あの踏み台に登った時、僕の中には彼女の記憶が入り込んでしまっていたのかもしれません……。
(雨音の記憶 了)
雨音の記憶 平中なごん @HiranakaNagon
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