27 陸奥咆哮
「四水戦司令部より入電! 『敵ハ大型巡洋艦六
第二艦隊旗艦愛宕の艦橋に、通信室からの報告が入る。
「戦艦の艦型までは、流石に判らんか」
近藤信竹中将はかすかな落胆と共に呟く。
しかし、軽巡由良以下、四水戦も敵巡洋艦部隊と接敵、交戦に入ったために、その後方にある米戦艦部隊の艦型を確認するだけの余裕がないのだろう。
愛宕の前方海面からは、両軍の間で瞬く閃光、海上を照らし出す星弾の吊光、そして殷々たる砲声が届いている。
未だ愛宕以下の主隊が戦闘に巻き込まれていないだけで、日米両艦隊はすでに砲火を交えているのだ。
「水偵に吊光弾を投下させ、確認させますか?」
「いや、ここで吊光弾を無駄遣いさせるわけにはいかん」
白石万隆参謀長の問いに、近藤は首を振った。
「それよりも水偵の確認した米戦艦と、本艦との距離は?」
「現在、四万五〇〇〇メートルと推定されます」
「見張り員による視認はまだ出来ぬだろうな」
いかに帝国海軍の夜間見張り員の視力が優れていようと、水平線の彼方に辛うじて浮かび上がっている敵の艦影を発見するのは困難であろう。
視認出来るのは、恐らく二万メートルを切ったあたりからだろう。
帝国海軍の砲術教範では、戦艦の決戦距離は二万メートルから三万メートルと定めている。しかし、三万メートル近い砲戦距離だと命中が著しく低下するという訓練結果が出ていたことから、推奨される決戦距離は二万五〇〇〇メートルとされていた。
二万メートルを切る砲戦距離というのは、九一式徹甲弾が開発される以前において想定されていた決戦距離である。
しかも、帝国海軍では高速戦艦である金剛型を除き、戦艦による夜戦は推奨されていない。夜間に戦艦が戦闘に巻き込まれそうになった場合には、煙幕を張って退避の上、翌朝以降に決戦を持ち越すよう、定めているほどであった。
その意味では、戦前から帝国海軍の主力と目されていた陸奥、そして伊勢、日向を夜戦に投入するというのは、まったく想定外の運用方法であるとすらいえた。
とはいえ、近藤は艦隊決戦において夜戦を担う第二艦隊の司令長官である。戦前の想定にはない状況ではあったが、陸奥以下三隻の戦艦は、適切に運用すれば夜戦でも十分に戦えると考えていた。
それに、そもそも夜戦部隊たる第二艦隊における戦艦の存在価値とは、敵の砲火を引き付けて水雷戦隊の針路を啓開することなのだ。
その意味では、金剛型であろうと、本来は第一艦隊に所属しているべき陸奥であろうと、第二艦隊にとっては敵艦の砲火を引き受けてくれるならばどちらでも良かった。
「水偵には逐一、米戦艦の速力、進行方向を報告させろ。そして、距離三万メートルを切った時点で主隊は面舵に転舵、米戦艦部隊の針路を塞ぐ。奴らを、一航艦に近付けてはならん」
「アストリア、航行不能の模様! スミス少将との通信途絶!」
「巡洋艦部隊の指揮はキンケード少将が継承せる模様! 現在、ジャップ水雷戦隊と交戦中!」
戦艦ワシントン艦橋には、前方を進む駆逐戦隊、巡洋艦戦隊を襲った悲劇についての報告が寄せられていた。
駆逐戦隊司令官のアーリー大佐、巡洋艦戦隊のスミス少将が指揮を執れなくなった今、ニューオーリンズ座乗のトーマス・C・キンケード少将が指揮を継承するより他になかった。
「キンケード少将にはジャップ水雷戦隊の阻止に全力を尽くすよう、命じたまえ」
司令塔で、リー少将は冷静に命じた。
残念ながら、夜戦の技量ではレーダーを装備していようとも未だジャップの方が上であるようだ。高速で駆逐艦や巡洋艦が駆け回る水雷戦に、こちら側の指揮官が対応出来ていないのであろう。
しかし、それでも火力というものはどのような状況下でも小細工を一蹴出来る力を持つ。
アストリアが戦闘不能に陥ったとはいえ、未だ五隻の重巡が健在なのである。その八インチ砲は、ナガラ・クラスと思しき艦を先頭にしているというジャップ水雷戦隊を圧倒出来るだろう。
海戦開始直後の混乱を収拾出来れば、まだ十分に勝機はあるとリーは考えていた。
「レーダー室、ジャップ大型艦の反応を捉えているか?」
「こちらレーダー室。ジャップ水雷戦隊後方に大型艦と思しき反応七。現在、本艦との距離四万ヤード(約三万六〇〇〇メートル)」
ノースカロライナ級戦艦の搭載する四十五口径Mk.6十六インチ砲の最大射程は、三万三七〇〇メートル。未だ、ジャップ大型艦を射程圏内に捉えるには至っていなかった。
「大型艦七、か。気になるところだな」
レーダー室からの報告を共に聞いていたスプルーアンス少将が呟く。
「コンゴウ・クラスが最大で四隻として、残りは何だと思う?」
「恐らく、ジャップ機動部隊の護衛についていたトネ・クラスでしょう」リー少将はそう分析していた。「ジャップの重巡は魚雷を搭載しているのが厄介ですが、後衛駆逐戦隊に任せるより他にないでしょう。ワシントンとノースカロライナは、ジャップ戦艦との砲戦に集中させるつもりです」
「現在、艦隊の指揮権は貴官にある。貴官の思うように指揮すれば良かろう」
「そうですな」
未だ、ワシントンとノースカロライナの主砲は沈黙を続けている。巡洋艦戦隊を援護するために続けられている星弾射撃が、わずかな振動を司令塔に伝えていた。
こちらに向かってくるジャップ水雷戦隊はおらず、ワシントン、ノースカロライナ、そして後衛の四隻の駆逐艦は、キンケード少将の巡洋艦部隊がジャップ水雷戦隊を防いでいる間に前進を続けている。
ワシントンのレーダーが異変を捉えたのは、その数分後のことであった。
「ジャップ大型艦の反応に変化あり! 面舵に転舵した模様! 本艦の針路を抑えようとしています!」
「ジャップは四〇年前のトーゴーの真似事をする気か」
鼻で嗤うように、リーはレーダー室からの報告に応じた。
敵前で大回頭し、こちらの針路を塞いでT字を描く。まさしく、四〇年前にツシマ沖でトーゴーの艦隊が行った戦術であった。
だが、自分はロジェトヴェンスキーではない。むざむざ、ジャップにT字を描かせはしない。
「こちらは取り舵に転舵! 右同航砲戦用意!」
「アイ・サー! 取り舵に転舵! 右同航砲戦用意!」
リーの命令を受けたデイビス艦長が取り舵を命じ、面舵に転舵したジャップ艦隊に対して同航砲戦を挑むような航跡を描いていく。
おそらく、ジャップの艦隊機動はこちらに対してT字を描こうとする以外に、こちらの針路を妨害してその後方の空母に向かわせないようにする意図も含まれているのだろう。
「レーダー室! 現在の距離は!?」
「およそ三万ヤード(二万七〇〇〇メートル)!」
主砲射程内に捉えはしたが、まだ遠距離である。
夜間ということもあり、光学照準の精度を高めるためにも(レーダーと違い、測距儀は距離に比例して誤差が大きくなる)、砲戦は二万ヤード(約一万八〇〇〇メートル)を切った辺りから行うべきだろう。
「艦長、このままジャップとの距離を詰める! 砲戦距離は二万ヤードだ!」
「アイ・サー!」
「敵戦艦、取り舵に転舵! 本艦と同航状態に入ります!」
計器類の蛍光塗料だけが光源の愛宕艦橋に、弾着観測機からの報告を携えた伝令の声が響き渡る。
「距離、二万六〇〇〇! 敵戦艦、なおも接近中とのこと!」
「来るか」
愛宕の長官席で、近藤は重く低く呟いた。
帝国海軍にとって日本海海戦以来となる、主力艦同士の決戦。その時は、徐々に近付いてきている。
近藤を始め、愛宕艦橋の誰もが興奮と緊張を同時に覚えていた。
「日向より通信! 『我、敵大型艦ノ反応ヲ探知。数二。本艦カラノ距離、三万二〇〇〇』!」
別の伝令が艦橋に飛び込んできて、今度は日向からの報告を告げる。
その報告に、艦橋内に小さなどよめきが起こった。未だ、愛宕見張り員は敵艦の視認に成功してはいない。
しかし、日向の搭載する電探は、艦隊最後尾にありながら敵艦を捉えていたのだ。
その報告された距離は、水偵からの報告とほぼ変わりがない。電探の誤反応ではないことは確実だ。
そして、大型艦の反応は二。つまり、敵の戦艦の数は二隻と見ていいだろう。
もちろん、ここに関しては実際に目視での確認も必要だろうが、すでに四水戦司令部からも敵の戦艦は三隻ないし二隻との報告を受けている、日向の二二号電探の反応が、極端に間違っているとは考えられない。
「これは、少し艦隊陣形を誤ったか……」
この時になって、近藤はようやく自らの過ちに気付いた。日向を、艦隊最後尾に配置すべきではなかったのだ。
指揮官先頭の伝統に拘るあまり、自分は電探の活用を疎かにしていたらしい。昼間の航空戦で、伊勢の電探に何度も助けられていたにもかかわらず。
だが、今は後悔しても始まらない。この海戦が終わったあとの戦訓分析の中で、電探の活用方法については改めて考えれば良い。
「各艦に下令! 左同航砲戦、水雷戦用意!」
「宜候! 左同航砲戦、水雷戦用意!」
近藤は自らの内に生じた思いを断ち切るように、命令を下した。
「陸奥以下戦艦部隊は距離二万五〇〇〇を切り、敵艦を視認出来次第、適宜、砲撃を開始せよ。目標、陸奥、敵戦艦一番艦、伊勢、日向は共同して敵戦艦二番艦。なお、敵戦艦三番艦が存在した場合、日向目標は敵三番艦とせよ」
固有の戦隊司令官が不在の三戦艦に、近藤は命令を下した。
「戦艦部隊による砲戦が開始され次第、我が第四戦隊は敵戦艦部隊に向けて突撃、これに雷撃を敢行するものとする!」
ある意味で、近藤の命令は戦前から帝国海軍が構想を練っていた漸減邀撃作戦そのものといえた。
水雷戦隊で敵の数を減らし、主力艦同士の砲戦で決着をつける。
その縮小版を、彼はこのミッドウェー沖で再現しようとしているのである。
もちろん、すべてがすべて、漸減邀撃作戦の再現とはいえない。
戦艦は確かに敵の砲火を引き付けると共にその強大な火力で敵を牽制し、水雷戦隊の針路を啓開することが役割であるが、それは重巡も同じことであった。
その意味では愛宕以下第四戦隊は、本来は四水戦の戦闘を援護すべきであった。しかし、戦力的な問題からそれは不可能であった。
四水戦に敵の護衛艦艇の漸減を任せ、自分たち第四戦隊は三戦艦の存在を利用して敵戦艦への雷撃の機会を窺わねばならない。
十六インチ砲搭載の新鋭戦艦と思しき敵艦さえ撃破出来れば、少なくとも殿としての役割は全う出来る。
そうでなければ、第二艦隊の後方にある一航艦に米水上艦隊が追いついてしまう。
だからこそ近藤は、敵戦艦の撃破に全力を尽くそうとしていたのである。
「こちら見張所! 左舷距離二万二〇〇〇に敵戦艦と思しき艦影を確認! 本艦と同航せる模様!」
この段階になって、ようやく見張り員も敵艦の視認に成功したらしい。
「探照灯を照射いたしますか?」
白石参謀長が尋ねた。
「いや、今夜は月明かりもある。現状で探照灯を照射する必要はなかろう」
だが、近藤は参謀長の言葉を退けた。
天候はそれほど悪くはなく、空にはまだ下弦となっていない月が輝いている。弾着観測機による吊光弾の投下も可能である。
この状況で、あえて自らの位置を暴露する危険を冒してまで探照灯を照射する必要性は認められなかった。帝国海軍の射撃教範でも、夜間の探照灯照射は急迫した状況下でもない限り、推奨されていない。
「距離、二万一〇〇〇!」
すでに、陸奥以下三隻の戦艦は敵艦を射程内に収めている。
愛宕見張り員が敵艦を視認出来たということは、それよりも高い艦橋を持つ陸奥以下三戦艦の見張り員も敵戦艦を視認出来ているだろう。
と、空の彼方に眩い光源が発生した。
「陸奥より、水偵に吊光弾の投下を命じる通信が発せられた模様!」
少しの時間差を置いて、愛宕にも報告が届く。
敵艦の向こう側に投下された吊光弾のために、その艦影が夜の海上にはっきりと浮かび上がっていた。
「紛れもなく、米新鋭戦艦だな」
近藤は、双眼鏡の向こうに見える敵艦の艦影を見てそう呟いた。
帝国海軍は一九三〇年代後半、ノースカロライナの建造が始まる以前から米新鋭戦艦の存在を察知していた。
しかし、実際に帝国海軍がその戦艦を視認するのは、これが初めてのことであった。
不意に、艦橋の後方から腹に響くような轟音が近藤らの耳朶を打った。
「陸奥、撃ち方始めました!」
興奮した見張り員の声。
ついに、帝国海軍が待ち望んだ日米戦艦同士の砲戦が始まったのである。
小暮軍治少将は、自身が陸奥艦長としてこの海戦に参加出来たことを幸運に感じていた。
彼は日米開戦の足音が迫る昨年八月、陸奥艦長に着任した。
小暮は砲術科の人間であり、尉官時代から何度も陸奥乗り組みを命じられていた。陸奥砲術長を務めた経験もある。
その間に長門副砲長も務めるなど、何かと長門型に縁のある経歴を歩んできた。
そうして、いくつかの艦艇の砲術長や重巡筑摩の艦長などを経験した後、初めて戦艦の艦長に任じられたのがこの陸奥であった。
青年時代から馴染みのあるこの戦艦の艦長として米戦艦との砲戦に臨めることに、小暮の感慨もひとしおであった。
また、戦艦大和竣工まで帝国海軍の象徴として国民に親しまれてきた長門型の片割れの艦長となれば、相応の責任感と共に誇りも感じる(もっとも、大和の存在は国民には公にされていないので、今も国民の間では長門型が帝国海軍の象徴であったが)。
今回のMI作戦では、地上施設を砲撃する機会はあるかもしれないとは思っていたが、まさか敵戦艦と直接、砲火を交えることになるとは想像もしていなかった。
だが、地上施設を砲撃するよりも、むしろ敵戦艦との砲戦こそ自分の望むところである。
帝国海軍の将兵は、米艦隊を撃滅するために開戦前から猛訓練に励んできたのだ。今こそ、その精華を発揮する時が来たのである。
小暮を始め、陸奥乗員の誰もが初めて訪れた対艦砲撃戦の機会に興奮していた。
「左同航砲戦! 目標、敵一番艦! 主砲、交互撃ち方用意!」
小暮が命じれば、砲術長・中川寿雄中佐指揮の下で陸奥は砲撃を行うべく準備が始められた。
海面から四〇メートルの高さにある長さ十メートルの九四式測距儀が旋回し、的艦を捉える。
自艦の進路、速度、風向き、的艦の針路、速度、そこから導き出される自艦と的艦との移動距離。それらの数値が艦内奥深くで装甲に守られた主砲発令所に伝えられ、射撃諸元の計算結果が各砲塔に伝達される。
その射撃諸元に基づいて砲塔が左舷に旋回し、砲身が仰角を取った。
「射撃用意よし!」
どこか急かすような声で、中川中佐の報告が夜戦艦橋に届く。
刹那、小暮は帝国海軍の誰もが待ち望んでいただろう命令を下した。
「撃ち方始め!」
艦上で鳴り響く、主砲射撃を伝える二秒間の警笛。
「てっー!」
砲術長の号令が下った刹那、陸奥の左舷は朱に染まった。
四十一センチ砲四門が、轟音と共に砲弾を解き放つ。
爆炎は夜空を焦がし、爆風は海面に霧を噴き上げる。
それは、“世界のビック・セブン”と謳われた陸奥がその生涯で最初に行った敵艦への主砲射撃の瞬間であった。
砲口初速七九〇メートル毎秒。
四発の九一式徹甲弾は、大気を切り裂きつつ二万メートルの彼方に存在する敵艦へと突き進んでいった。
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