22 ラスト・ワン

 日米初の空母決戦となったミッドウェー海戦において、日本空母部隊と合衆国空母部隊最後の激突は、ウィルマー・E・ガラハー大尉率いるエンタープライズ攻撃隊から始まった。

 彼の操るSBDドーントレスが一航艦の残存空母を発見したのは、一四一五時(現地時間:一七一五時)のことである。

 母艦を飛び立ってから一時間十五分。

 友永隊が飛龍を発進してから、三十分ほどが過ぎた時刻であった。記録によれば、ガラハーの針路が若干、北側にずれていたらしく(恐らくは太陽を背にするために日本艦隊の西側に回り込もうとした結果だろう)、日米最後の攻撃隊は互いに視認することなく入れ違いとなったのである。

 西日によって、ガラハーたちの進む海面は金色に輝いていた。

 その煌めく海の三〇浬前方に、ガラハーは探し求めていたジャップのラスト・ワンを発見したのである。

 航跡から見て、ジャップ艦隊は西に向かっているようであった。つまり、自分たちの母艦であるエンタープライズから一旦、距離を取ろうとしているわけだ。

 ジャップも、こちらのラスト・ワンたるエンタープライズを随分と警戒しているらしい。ガラハーはそう思った。こちらも向こうも、空母は残すところあと一隻。これは、ラスト・ワン同士の戦いだ。

 ガラハーはジャップの見張り員に気付かれるのを警戒し、一旦、北側に編隊を導いた。そのまま断雲などを利用してジャップ艦隊と距離を取りつつ、同じく西に進んでいく。

 大きく傾きつつある太陽を背にして攻撃を行うことで、少しでも奇襲効果を高めようとしたのである。

 何せ、ガラハー隊には護衛の戦闘機は存在していない。とにかく、攻撃を成功させて生還する確率を高めなければならなかった。

 しばらく、ジャップ艦隊に視認されないように距離を取りつつ西へと進み続ける。こちらは航空機、向こうは船。速度差は歴然としており、十五分も飛べば完全にジャップ艦隊の前方に出る。

 この時、ガラハー隊は高度四〇〇〇メートルで進撃してきており、西に進む間にさらに高度を五八〇〇メートルにまで上げていた。

 そうして太陽を背にしてジャップ艦隊に接近しつつ、その中にいるだろう空母を探す。そこで、ガラハーは思わず衝撃の呻きを上げることになった。


「何てこった!?」


 夕日に照らされた眼下の海上を航行しているジャップ空母が、二隻見える。


「くそっ、ラスト・ワンが“ラスト・ツー”になっていやがる!」


 エンタープライズ索敵機の報告時点では、確かにジャップ空母は残り一隻だったはずだ。そこから自分たちがジャップ艦隊上空に辿り着く間に、午前中の攻撃で被弾した空母の内、損傷の少なかった一隻が戦列に復帰したということだろうか。

 だが、今はそのようなことを考えている場合ではなかった。

 ジャップの空母が残り二隻である。この情報が持つ重要性を、ガラハーは正確に理解していた。


「おい、ホーネットのステビンズ隊の姿は見えないか?」


 後部座席の偵察員に向かい、ガラハーは尋ねる。

 ミッドウェーを発進したホーネット艦爆隊もまた、ジャップ空母を仕留めるためにこの空域に向かっているはずであった。

 二つの艦爆隊でそれぞれ一隻ずつ爆撃すれば、この海戦は何とか引き分けに持ち込める。


「いえ、見えません」


 だが、現実はそう上手くは運ばないようであった。ジャップ艦隊の上空に達しつつあるのは、自分たちだけのようだ。


「やむを得ん。我々は左の奴をやる。ショート大尉の第五爆撃隊は右に見える奴をやってくれ」


 ガラハー隊は、エンタープライズ艦爆隊とヨークタウン艦爆隊の混成である。自分たち第六爆撃隊と、ウォレス・C・ショート大尉の第五爆撃隊で、それぞれ一隻を仕留める肚であった。

 エンタープライズ攻撃隊が二手に分かれつつ、それぞれの目標へと接近しようとしたその瞬間であった。


「太陽の中に零戦ジーク!」


 その叫びと共に、SBDの一機が爆散した。


  ◇◇◇


 ガラハー大尉の攻撃隊が発見したのは、第五航空戦隊の翔鶴、瑞鶴を中心とする陣形であった。

 飛龍を中心とする部隊とは十浬ほど離れており、しかもこの時、飛龍とガラハー隊の間に運良く雲が存在し、その存在をガラハー隊の視界から覆い隠していたのである。

 そして、翔鶴の電探はエンタープライズ攻撃隊の接近を距離三万六〇〇〇メートルの地点で捕捉することに成功していた。

 この報告を受けた見張り員は、断雲の中に隠れて西に向かおうとするガラハー隊の姿を発見している。その後、見張り員の視界からはガラハー隊が消えてしまったが、それでも翔鶴の電探はガラハー隊を捉え続けていた。

 五航戦以下の艦艇は速力を三〇ノットにまで上げて、米軍機の来襲に備える。

 そして、五航戦の零戦搭乗員たちは、午前中の攻撃から米軍攻撃隊が太陽方向から奇襲をかけてくる可能性を考えて、事前に高度七五〇〇メートルにまで上昇していた。

 そうして零戦隊が待ち構えている中に、ガラハー隊は飛び込んでしまったのである。






 逆落としに突っ込んで二〇ミリ機銃を放つと、敵ドーントレス艦爆の主翼がパッと火を噴いた。そのまま錐揉み状態になって落下していく。

 午前中と同じく、岩本徹三一飛曹は上空直掩の任務に就いていた。

 操縦桿を引き、降下の勢いを乗せたまま機体を再び上に向かせる。その先に、胴体下部を晒しているドーントレスの姿があった。

 岩本は操縦桿を巧みに操って上昇をかけながらその敵機に二〇ミリ機銃弾の一連射を浴びせる。曳光弾が、星印の描かれた機体に吸い込まれていく。

 そのまま姿勢を崩した敵機が白煙を引きながら落ちていくの確認して、岩本は新たな目標を探すべく首を巡らした。

 二十機以上の零戦がドーントレスの編隊に突入し、敵機の隊列を掻き回している。米軍の編隊は、完全に乱れていた。

 しかし、一部の敵機が降下をかけている。


「くっ……」


 それに、岩本は歯噛みした。零戦はその構造上、急降下に制限がかかっている。強度の問題から、時速六二九キロを超えると空中分解の危険性があったのである。

 敵機に急降下に入られてしまうと、追撃が難しいという欠点があった。

 岩本は、まだ降下に入っていない敵機を素早く見定めて、これ以上のドーントレスの突破を阻止しなければならなかった。






 これでは、午前中の二の舞であった。

 ガラハーは機体を降下させてジークの追撃を振り切りつつ、内心で罵声を上げていた。編隊は崩れ、最早、統制された急降下爆撃は望めない。各機が個別に、目標に爆弾を叩き付けるしかないのだ


「付いてこられる奴だけでいい! とにかく俺に付いてこい!」


 ガラハーはそれでも隊長機としての義務に忠実であろうとした。自分が、部下たちを嚮導しなければならない。

 目標を左翼前端に捉えての教範通りの急降下とはいかないが、やむを得ない。午前中は、それでも命中弾を与えたのだ。今は、自分と部下の技量を信じるしかない。

 ダイヴブレーキを展開し、機体を急降下させる。ダイヴブレーキの穴を空気が通過する特徴的な音が、エンジンの轟音の中に混じり始めた。






「面舵一杯、急げ!」


「おもーかーじ、一杯!」


 ガラハーらの急降下爆撃を受けることになったのは、翔鶴であった。艦長である有馬正文大佐が、転舵の命令を下す。

 基準排水量約二万五〇〇〇トンの船体が、三〇ノットを超える速力で右舷へと舵を切っていく。

 有馬艦長は、防空指揮所で仁王立ちになりながら上空から襲いかかろうとする敵機を見つめていた。

 翔鶴の艦首が右舷へと振られ、傾斜が徐々に深くなっていく。

 高角砲、機銃の射撃音が艦全体を満たし、艦隊の周囲に対空砲火炸裂の黒煙が現れる。その中を、米軍のドーントレス艦爆は突っ込んできた。

 午前中、赤城、加賀、蒼龍を戦闘不能に追い込んだ機体である。

 最初の衝撃は、まもなくやって来た。

 翔鶴の左舷艦首付近に、轟音と共に水柱が噴き上がる。それが崩れて飛行甲板を濡らし、防空指揮所にいる有馬や見張り員の体も濡らしていく。

 翔鶴の周囲に、一〇〇〇ポンド爆弾の弾着が相次いだ。

 そのたびに彼女の船体は揺さぶられ、何名かの機銃員が崩れた水柱に攫われて海中に転落する。

 だが、有馬艦長は来襲した敵機の爆撃を完全に回避した。


「舵戻せ!」


「もどーせー!」


 もちろん、これで空襲が終わったとは考えていない。上空には、まだ零戦に追われる敵機の姿があった。

 それらの機体が、零戦を振り切るために最も間近な目標であった翔鶴への急降下を開始したのは、その直後であった。


「左舷三〇度より敵機接近!」


「取り舵一杯、急げ!」


 今度は、取り舵に切る。

 零戦隊はよくやってくれている。何とか、この空襲も凌ぎ切りたいものであった。

 だが、敵機は最初の攻撃が失敗したのを見て、照準を修正したらしい。至近弾とは違う、つんのめるような衝撃が翔鶴を襲う。

 飛行甲板前部に、火柱が上がった。


「被害知らせ!」


 艦橋からは、主錨らしきものが空中に吹き飛ぶのが見えた。


「前部甲板に被弾! 火災発生!」


「消火、急げ!」


 続いての衝撃は、後部からやって来た。今度は、艦橋の床が跳ねるような振動があった。

 被弾したのは、後部甲板。爆炎によって、短艇甲板で火災が発生しているという。有馬は運用長に、ただちにそちらにも消火班を向けるように指示する。

 インド洋に続き、二度目の被弾である。

 ある意味で乗員たちも慣れたのか、消火のための動きは迅速であった。それに、格納庫内の航空機からは燃料をすべて抜いてある。多少、機体が燃えることはあるかもしれないが、燃料に引火して誘爆するようなことは起こらないだろう。

 翔鶴は未だ三〇ノットを超える速力で左舷に舵を切り、半円形の航跡を描き続けている。

 彼女の上空からは、すでに敵機の姿は消えていた。

 海戦の最終段階になって翔鶴を被弾させてしまったことに有馬は断腸の思いであったが、ここからは艦を無事に内地に連れて帰ることに全力を注がなければならない。

 帝国海軍の最新鋭空母たる翔鶴を、絶対に失うわけにはいかなかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 アメリカ側の“ラスト・ワン”たるエンタープライズを友永隊が捕捉したのは、発艦から五十二分後の一四三二時(現地時間:一七三二時)のことであった。

 夕日を背にするように進撃する友永隊の針路の彼方は、すでに夜の帳が訪れつつあった。

 その光景が、艦攻隊の者たちにこの雷撃は絶対に失敗させるわけにはいかないという決意を与えていた。ここで、米空母を取り逃がすことは出来ない。

 進撃の途中で、彼らは帰還する江草隊とすれ違っていた。確実にこの先に米空母の最後の一隻がいると確信して飛行を続け、ついに洋上に濛々と立ち上る黒煙を発見したのである。

 この時、エンタープライズを中心とする第十六任務部隊は、燃料切れを起こして不時着水したF4F隊の搭乗員救助や、炎上するエンタープライズの消火を手助けするために一部の駆逐艦が接近していたことから、その輪形陣は乱れていた。

 戦艦ワシントンのレーダーが新たに接近する不明機の機影を捉えると、搭乗員救助やエンタープライズの消火を行っていた駆逐艦は、それらの活動を中断して唯一、残された空母を守る態勢を整えようとした。

 すでにスプルーアンス以下第十六任務部隊司令部は、損傷して洋上に停止したエンタープライズから戦艦ワシントンに旗艦を移していた。

 スプルーアンスはジャップ損傷空母を水上艦隊で追撃することも考慮に入れており、だからこそ戦艦戦隊司令官ウィリス・A・リー少将の座乗する艦に任務部隊旗艦を移したのである。

 二つの司令部が同居することになり、ワシントン艦橋はいささか手狭とはなったが、共に水上部隊出身の両少将の意思疎通を図るという意味では、これが最善であった。

 そうした中で、機関の復旧途上であったエンタープライズは友永隊の空襲を受けることになったのである。


「しめた! グラマンがいないぞ!」


 友永大尉は思わず快哉を叫んだ。江草隊が米空母の飛行甲板を破壊した結果、直掩戦闘機が燃料や弾薬の補給を受けられなくなり、洋上に不時着することになったのだろう。

 しかも、黒煙を上げる米空母は洋上に停止している。

 残る脅威は、米艦艇からの対空砲火のみ。

 十機の九七艦攻でも、これならば雷撃を成功させられるだろう。


「全機、突撃隊形作れ!」


 友永の号令と共に、電信員の村井定一飛曹が「トツレ」を打電する。

 友永率いる第一中隊、橋本率いる第二中隊のそれぞれ五機が、左右からエンタープライズを挟撃すべく行動を開始した。

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