20 ビックEの攻防
江草隆繁少佐率いる第四次攻撃隊は、高度一〇〇〇メートルから八〇〇メートルという低高度で進撃を続けていた。
本来であれば、艦爆隊の進撃高度は最低でも三〇〇〇メートル。それを大幅に下げていたのには、理由があった。
今回の攻撃は午前の攻撃と違い、機数はわずか零戦十五機と九九艦爆十二機の二十七機でしかない。
たとえ米空母が残り一隻だったとしても、米艦隊の対空砲火の激しさをすでに体験していた江草には、この攻撃が成功させられるのかどうか、一抹の不安があったのである。
そこで彼が考え出したのが、米艦隊の電探に探知されない高度を進撃し、米艦隊を視認すると同時に高度を一気に上げて急降下に移る、という戦法であった。
米艦隊に、奇襲的な攻撃を仕掛けようというわけである。
英米の海軍が電探を実用化していることはすでに搭乗員たちの間ではある程度、知れ渡っていた。
さらに江草は、電探について造詣の深い蒼龍の柳本柳作艦長からこの海戦に臨む前、電探の特徴について話を聞いたことがあった。あの時の柳本艦長は、単に一航艦と五航戦に電探が配備され、二航戦にのみ配備されなかったことに対する愚痴が言いたかっただけなのかもしれなかったが、その言葉が江草にこの戦法を思いつかせたのである。
幸いなことに江草隊の針路上には高度一〇〇〇メートル付近に断雲が存在しており、敵の電探からだけでなく上空の敵機からも第四次攻撃隊の姿を隠してくれるだろう。
また、今回の攻撃では、これまでのように単縦陣で一本棒となって突っ込む従来の編隊での爆撃から、単機ずつ別々の方向から突入する爆撃方法に変更していた。この戦法ならば、米艦隊は対空砲火を分散しなければならない。必然的に、対応に限界が生じるだろうと考えたのである。
ただしその反面、編隊を崩さなければならないので敵戦闘機からの攻撃に対しては脆弱となる。この点は、護衛の零戦隊の奮戦に任せるしかなかった。
この時、飛龍と米空母との距離は一〇〇浬付近にまで近付いていた。巡航速度で、一時間ほどの距離である。しかも、先行して米空母に接触している二式艦偵から、目標の位置や進行方向などの情報がもたらされていた。
江草ほどの熟練搭乗員にとって、米空母の捕捉はさほど難しいことではなかった。
飛龍から発艦して五十七分後の一三四二時(現地時間:一六四二時)、江草は前方三〇浬(約五十六キロ)の洋上に無数の航跡を発見した。
黒煙を噴き出していない、無傷のエンタープライズ型空母。それを取り巻く護衛艦艇。見事な輪形陣。
紛れもなく、米艦隊に最後に残された空母とその護衛艦艇であろう。
江草は後部座席の石井樹特務少尉に命じ、トツレ(突撃隊形作レ)を打たせる。それと同時に機体を上昇させ、攻撃高度である三〇〇〇メートルを目指す。
艦爆隊の五〇〇メートル上空を少し先行して飛んでいた零戦隊も、米空母部隊を視認したのだろう。同様に上昇を開始して、敵直掩戦闘機の出現に備えようとしていた。
江草隊は、一旦、雲の中に入る。
もし自らの目論見が外れ、米艦隊が電探でこちらを早期に探知していれば、この雲の上にはグラマンが待ち構えているだろう。
雲を突き抜けるという数瞬の間、江草は緊張を覚えずにはいられなかった。
そして、十二機の九九艦爆は断雲を突き抜けた。
「何……?」
ひやりとした感覚と共に上空に警戒を向ければ、そこには予想外の光景が広がっていた。
すでに上空三〇〇〇メートルから四〇〇〇メートル付近で、空戦が始まっていたのである。白煙と黒煙が空中で交錯し、時折火を噴いて墜ちていく。
上昇速度から考えて、ここまで江草隊を護衛していた零戦隊ではあり得ない。
「いったい、何が起こっているのだ……?」
思わず、江草はそう呟いていた。
◇◇◇
何が起こっているのかと問い質したいのは、むしろ合衆国側の方であったかもしれない。
それは、江草隊がエンタープライズを捕捉する十五分ほど前の出来事であった。
「
エンタープライズのFDO(戦闘機指揮管制士官)の報告そのものは、別段、奇異なものではなかった。
そもそも、残存空母がエンタープライズ一隻となってしまった時点で、彼女に向かってくる航空機が敵か味方かなど、判りきったことであった。
すでにホーネットが
実際、エンタープライズもすでに再度の攻撃隊発進を行っている。
ホーネット、ミネアポリスの沈没によって乗員の収容を行わなければならなかったため、輪形陣の再編には時間がかかっていたものの、それでもホーネットの護衛を行っていた重巡ニューオーリンズ、ペンサコラは再びエンタープライズの護衛に就いていた。ホーネットを護衛していた三隻の駆逐艦に、ホーネット、ミネアポリスの乗員救助は任せている。
これにより、エンタープライズは戦艦ワシントン、重巡ニューオーリンズ、ノーザンプトン、ペンサコラ、駆逐艦六隻によって守られる態勢が取られていた。
少なくとも、ジャップ空母が残り一隻であれば、レーダー管制による戦闘機隊の迎撃と輪形陣による濃密な対空砲火で以降の空襲を凌ぎ切ることは可能だと、第十六任務部隊司令部の者たちは見ていたのである。
しかし、ここで合衆国側にとって不可解なことが起こった。
戦闘機隊からは、
不審に思ったFDOがグレイ大尉率いるF4F隊に対して、九九艦爆や九七艦攻の侵入高度などの確認を取ろうとしたところ、それらの機影は一切見えないと言ってきた。
そのため、雲の中に隠れて戦闘機隊から視認出来ないだけかもしれないと考え、スプルーアンスは各艦に対して見張りを厳重にするように通達を出す。
しかし、それでも九九艦爆や九七艦攻の姿を捉えることは出来なかったのだ。
そして、レーダーにもそれらしき反応はないという。
「これは、どういうことだ?」
スプルーアンスは思わずブローニング参謀長に問いかけた。
「可能性は、二つです」
前任務部隊司令官ハルゼーに付き従って緒戦を潜り抜けてきたこの参謀長は、固い声で答える。
「一つは、本命の攻撃隊がレーダーに探知されにくい低空を飛行している可能性。もう一つは、ジャップが
「戦闘機掃討戦、か……」
つまりは、戦闘機を繰り出して相手の戦闘機を消耗させる戦術。敵の戦闘機を消耗させることで、以後の航空戦を優位に進めるためにとられるものである。
「未だ見張り員からヴァルやケイトの発見報告がないことを鑑みますと、恐らく後者の可能性が高いかと」
「……」
スプルーアンスは唇を硬く引き結んだ。ただでさえ、エンタープライズの戦闘機隊は消耗している。その上、戦闘機掃討戦などを挑まれてしまっては、その消耗はさらに激しくなるだけである。
艦隊上空を守るべき戦闘機の数が、圧倒的に足りなかった。
「ジャップのジーク隊に続いて、本命の攻撃隊が後続している可能性があるな」
「はい」
スプルーアンスの言葉を、ブローニングは肯定した。
上空直掩の戦闘機隊は、最早あてには出来ない。艦隊の対空砲火だけでどこまでこのエンタープライズを守り切ることが出来るのか。
少なくとも、攻撃隊がすでに発進し終えていたことがせめてもの救いか。
第十六任務部隊司令部の者たちはそう思い、険しい視線を艦橋の外へと向けていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
実際のところ、戦闘機掃討戦は日本側が半ば意図し、半ば意図しなかったものであった。
江草隊が見た零戦とF4Fとの空戦は、四航戦戦闘機隊とエンタープライズ戦闘機隊とのものであった。
四航戦と飛龍、二つの攻撃隊が時間差でエンタープライズを捕捉したことに関しては、完全なる偶然であった。
この時、飛龍以下一航艦は北上を開始していたため、攻撃隊は東進するような針路を取っていた。一方、ミッドウェー島の南西から米空母部隊を目指して航行していた第二機動部隊の攻撃隊は、北東方向に進むことになった。
このため、針路の異なっていた二つの攻撃隊は途中で出会うことなく、第十六任務部隊の上空で初めて互いを視認することとなったのである。
爆装した九七艦攻に続く四航戦の攻撃隊が零戦のみとなってしまったのには、理由がある。
ミッドウェー空襲から帰還した九七艦攻、九九艦爆は損傷が大きな機体が多く、十分な数の攻撃隊を短時間で編成することが困難だったのである。これは、角田少将が米空母への攻撃を急ぐあまり、隼鷹の九七艦攻だけを先行させてしまったことも影響している。
また、龍驤の九七艦攻は再度のミッドウェー攻撃に備えていたため、やはり搭載出来るのは陸用の八〇〇キロ爆弾でしかなかった。
ここから雷装に装備変換をするにしても、時間がかかりすぎると角田は判断していた。
セイロン沖海戦後、空母飛龍で行われた実験から、爆装から雷装への変換、あるいはその逆にかかる時間は一時間半から二時間半と判明している。しかも、これは通常の航行中に行われたものであり、艦が回避運動などで動揺する戦闘下ではさらに時間がかかるものと予測された。
ミッドウェーからの空襲も警戒しなければならない状況下で、そのような悠長なことをやらせるつもりは、角田にはなかった。下手をすれば、格納庫に爆弾や魚雷が転がっているところに被弾して龍驤や隼鷹が爆沈する危険性すらあった。
そして少数機での水平爆撃、それも移動目標に対する水平爆撃は、効果が薄いと判断せざるを得ない。
隼鷹の九九艦爆だけでも発進させることも考えられたが、この時、健在な零戦の数は龍驤が三機、隼鷹が十二機であった。
まず隼鷹の九九艦爆だけでも発進させ、米空母を損傷させた後に九七艦攻の水平爆撃で叩くという戦法をとるにしても、護衛の数が足りなかった。
それならばいっそ、零戦だけを出撃させて敵空母の上空直掩機を消耗させ、一航艦攻撃隊にとっての障害を少しでも除去しようと、角田は考えたのである。
護衛すべき九九艦爆や九七艦攻がいないのだから、零戦隊は空戦に集中出来る。
角田の元には、飛龍が〇八四〇時に発した「飛龍ハ第一次、第二次攻撃隊収容後、敵空母部隊ニ向カハントス」という通信が届いており、山口が飛龍によるさらなる攻撃を企図していることを察していた。
その一助にでもなればと考えたのである。
こうして、龍驤と隼鷹から計十五機の零戦が飛び立ったのは、一二一〇時(現地時間:一五一〇時)のことであった。敵艦隊との距離も、徐々に詰まっている。恐らく一時間半ほどで辿り着けるはずであった。
これで零戦隊はすべて出払うことになってしまったが、艦隊の防空には帰還した入来院大尉の攻撃隊を護衛した零戦を充てることにして、残存全零戦の発進を角田は決断したのである。
そしてそれから五十分ほど経過して、第二艦隊は再び飛龍の発した「第四次攻撃隊発進、艦爆十二、艦戦十五。一時間後、艦攻(雷装)十、艦戦六ヲ攻撃ニ向ハシム」という電文を受け取った。
飛龍攻撃隊に先んじて米空母の直掩戦闘機隊を掃討するという角田の策は、上手くはまりそうであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
実際、角田がほとんど思いつきで実行した策は、エンタープライズ側を軽い混乱状態に陥らせた。
グレイ大尉の戦闘機隊は攻撃隊の護衛に失敗し、攻撃隊生還者たちから激しい怒りをぶつけられていた。そのため、何とか汚名を返上しようとジャップ攻撃隊の阻止に躍起になっていた面がある。
結果、九九艦爆や九七艦攻の姿を血眼になって探している内に零戦に上空から襲われ、撃墜される機体すら出していた。
エンタープライズ戦闘機隊が、これが
志賀淑雄大尉に率いられた四航戦零戦隊は、護衛すべき攻撃隊が存在しないため、完全に空戦に集中することが出来た。
こうした日米の戦闘機搭乗員の意識の違いも、空戦の結果に重大な影響を及ぼした。
さらにその空戦の最中、江草隆繁少佐率いる飛龍攻撃隊が出現すると、F4F隊の混乱はさらに拡大した。
江草隊にも零戦の護衛は付けられており、結果、エンタープライズ戦闘機隊が機数において圧倒的に不利な状況下に置かれてしまったのである。
江草隊が上昇を開始したことで、ようやくアメリカ側のレーダーも彼らを捕捉したが、すでに遅きに失していた。エンタープライズのFDOが新たなジャップ攻撃隊の迎撃をグレイ大尉らに指示するも、空戦に巻き込まれていた彼らにその余裕はなかった。
結果として、江草隆繁少佐率いる十二機の九九艦爆は、米直掩機の妨害を一切受けることなくエンタープライズ上空へと侵入することに成功したのである。
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