03-11:透の神子

 (あらすじ:魔王討伐も終盤戦。赤の神子、黒の神子の似姿を倒した一行の前に、魔王は新たな姿を取って再臨する。彼女の役割は、とうの神子)


 時は、遡る。


 雪と氷に囲まれた荒れ地、シュヴィルニャ地方。

 その第一都市の遺跡に、二人の少年が挑んでいた。


 「はぁーあ……」

 片方の少年は、実に嫌そうに先行している。

 髪はごく薄い紫色のショートストレート。ベージュのトレンチコート、丈の余った黒いズボン、革ブーツ。

 その顔の造形は、陶磁器めいて美しかった。


 「嫌なら引き返す? プラロくん。もちろん、そうなったら君の聖所は荒らされるだろうけど」

 後方から着いてくる少年は、アルムだ。

 流石にここではフリルのドレスとはいかない。

 ベルトの付いた白いコート。丈が短くスカートに見えるようなコーディネートがされており、可愛らしい。

 イスカーツェル・レガシィ異変で重要な役割を果たした彼は、遺跡探索の任に就いていた。


 「そのプラロ『くん』って言うの本当どうにかならないか? アレだぞ? 年齢としも桁が二つ違うんだぜ? 二桁だ。十歳差とかじゃなく」

 「ほとんど冬眠してたくせに」

 「そりゃ……そうだけどよ」

 補足しておくと、プラロは先の異変の首謀者である。

 鉱石神ミクレビナー経由でアルムに渡されたコアチップは、今も彼の頭脳に搭載されている。


 慣れた手つきでトラップを解除するプラロ。

 二人は、下へ下へと下ってゆく。


 彼らの目的地は、機械神ムコナダァトの眠る墓所。

 幾千人を費やせど突破できないセキュリティも、内部のものに掛かれば一瞬だ。


 「言っとくが、本当に俺も女神に謁見するのは怖ェんだからな。最近凍結が解けたっつーけど、もしそうなら結果的に俺が起こした異変のせいだし」

 「なら、なおさら責任取らないとねえ」

 「あー、腹立つ。おめーの言葉責めもイラつくし、何より俺自身にムカつく」


 プラロは通路の埃を払い、ハッチを開ける。

 中は、角度のついた滑り台のような構造だ。程々に狭く、大人は入れない。


 「……これ、滑るの?」

 「滑る、というより“落ちる”だな。シュートってやつだ。生身でも擦り傷一つ負わん。安心して使え」

 と、言うやいなや、プラロはハッチに飛び降りる。


 「イスカーツェル文明、そういうトコあるよね……」

 アルムも続く。

 狭い視界の中、ぐんぐんと底に向けて、落ちてゆく。


 十秒、二十秒と時が経つ。

 暗く、狭い空間。反響する駆動音。

 定期的に交差する魔鉱石ランプが無くば、正気を失うものも出るだろう。


 「……え、これ帰りは――」

 どうすれば、という言葉より先に、再び開けた空間に出る。

 シュートから勢いよく排出されたアルムは、軽やかな身のこなしで床を滑り、先に待つプラロを睨んだ。


 室内は、ひんやりと涼しい。

 金属製ラックに積まれた機械類が、侵入者を見定めるようにチカチカと瞬いている。


 様子を一瞥して、プラロは口に出す。

 「やはり、お目覚めになっているな」


 アルムは聞き咎めようとして……やめた。

 正面の鋼鉄ドアから、物音がしたからだ。


 プラロが跪き、アルムも続く。


 緩慢に、しかし優雅に、鋼鉄のドアが開かれる。


 「あら」


 ゆったりとした歩みで入ってきたのは、精巧な人形のような少女だった。

 高貴さを思わせる、ストレートロングのブロンド。毛先にかけて、青く変わる。

 歯車のヘアアクセに、首筋は機械。開かれた白いコートの裏地は、電子回路のように光が走る。その下には、清楚なイスカーツェル官僚服。


 彼女はプラロとアルムを見て、微笑んだ。


 静寂。


 沈黙に耐えかね、熱に浮かされたようにプラロは口走る。

 「ムコナダァト様。我々は、貴女の再臨をお待ちし――」


 少女は、その唇を人差し指で塞いだ。


 「私の名前は、シャーロットCHARLOTTE。少なくとも、今はそう呼んで?」

 

 ◆◆


 そして、シュヴェルトハーゲン旧王都。

 

 しと、しと。

 おもむろに、雨が降る。


 「ムコナダァトが、復活しただと!?」

 雨の中、フィリウスが叫ぶ。


 失われた機神。大陸北方凍結により、封印されしもの。あるいは、すべての機械種族ディータの母。

 

 とうの神子から聞かされた言葉をカイムスフィアの神々が知れば、すぐさま厳戒態勢が組まれることだろう。


 「現に。私がムコナダァトの、神子の似姿としてここに居る」

 セイシュウはフィリウスを睨む。

 品定めをするかのようであった。


 「嘘は言ってないよ。魔王が出現してから、ずっとムコナダァトの子守唄が聞こえてるし」

 ルノフェンも、肯定する。

 彼のボディは、機械種族ディータのそれだ。

 

 「……ずっと、気になってたことがあります、質問させてください」

 緊張をはらんだ声で問うのは、イロハだ。


 「一つだけなら、答えてやろう」

 「ありがとうございます」

 イロハは、一度息を吐く。


 「イスカーツェル文明凍結の際。当時の青の神子を起点として、神々の手で冷気の呪文が放たれたと聞きます」

 「そうだ」

 手招きする。“続けろ”と。


 「水の国ソルモンテーユが、影も形もなかった頃。それでもいくつかの領地には、犠牲となった青の神子の伝説が絵画として残っています」

 「ふむ……」

 セイシュウは、微笑みを浮かべる。

 

 「その絵画と今の貴女は、とてもよく似ておられます。腰まで伸びた白髪、血の気の薄い肌。男装の和服。何より、全てに絶望したかのような、棘のある目つき」


 つまり――。

 イロハは、総括する。


 「――貴女は、イスカーツェルを滅ぼすために犠牲になった、張本人だ。そうですよね?」


 問いを受けたセイシュウは、高らかに笑った。


 「カッカッカ! 流石に感づくものも居るか!」


 笑いを止め、反転。一瞬で怒気を漲らせ、イロハに斬りかかる。

 上から落ちてくるその刃を、フィリウスの大剣が受け止めた。


 「犠牲だと!? たわけが! もとより私が選んだ道だ!」

 「ぐっ――!」

 華奢な姿だが、単純な腕力ではフィリウスをも上回る!


 「《ストレングス》!」

 イロハがステップで後方に退き、フィリウスに支援呪文。


 「支援があってようやくイーブンか……!」

 ヒュペラが戻ってくる。

 気絶したオドを、リコに託したのだ。

 

 「魔術的なデバフは通らないから気をつけて!」

 ルノフェンは距離を取り、横から《ミアズマ・ランス》で削りにかかる。

 その一撃を、鍔迫り合いする刀に身体を巻き込むようにして、柔軟に避けた。


 流れで、フィリウスの大剣の勢いを借り、空中に跳ね上がって距離を取る。

 続けざまに放たれたメンの刀気は、《アイス・スラブ》の盾で相殺。


 「小娘! 無礼ついでに一つ稽古をつけてやろう!」

 セイシュウは左手に魔力を流し、《アイス・ペブル》を唱える。


 イロハは狙われていることを察知し、《アイアス・シールド》。

 「かわさず、受けることを選ぶか!」

 呪文は成った。彼女に向けて放たれたのは、濁流めいた氷の散弾であった。


 常人であれば、氷の礫を数個飛ばすだけで終わる呪文。

 セイシュウの異常な魔力量と破天荒さが、呪文を撃つ度に変質させていた。

 

 《アイアス・シールド》は初撃で破壊。

 濁流の残りを受けることは叶わず、流され、廃屋に叩きつけられる。


 「くあっ……!」

 「耐えはしたか。魔力量は悪くないが、配分が甘い」


 さらなる詠唱を止めるため、ヒュペラが打撃で妨害に入る。

 「《アイス・スラブ:ソーン》!」

 「《ポーラーベアー・ファー》!」

 自身に冷気耐性を付与し、トゲ付きの盾も巻き込んで【世界樹の枝】を振り抜く。


 反撃の氷棘が、ヒュペラの肌を貫くことなく霧散した。

 セイシュウは目を見開く。速く、重い。防御が間に合わぬ!

 

 CRASH!

 盾を難なく破壊し、本体をも殴り飛ばす。

 きりもみ回転で吹き飛ばされた彼女は、刀を地面に突き刺し、減速。

 膝をつき、ヒュペラを睨んだ。


 そして。


 「ゲホッ、ゲホーッ!」

 苦しそうに、咳をした。


 「なんか、思ったより効いてるねえ」

 ヒュペラの隣で、ルノフェンは敵を眺めている。

 「オドの呪文で、《アナライズ》も通らなくなってそうなんだよな。フィリウスさん、行ける?」

 「もう試した。ダメだった」

 「だよねえ」


 BLAMN!

 

 足を止めたセイシュウの脳天を、【赤の銃】の一撃が狙う。

 「……《アイス・スラブ》!」

 銃弾は斜めに張られた氷壁を滑り、落ちているスケルトンの残骸を粉々に砕いた。


 ヒュペラの攻撃よりも、ダメージが軽いように思われた。


 「まだだ!」

 セイシュウは刀を地面から引き抜き、立ち上がる。

 引き抜いた刀をそのまま振り上げ、刀気をリコに飛ばす。

 

 悲鳴。

 《インシュランス》が発動したらしい。

 

 「これで、狙撃手も暫く撃っては来られんな」

 セイシュウは構えを変える。

 姿勢をやや下げ、機動力を確保したようだ。


 「首断ち百合の構えか」

 「左様。今の時代にも、伝わってはいるようだな」

 メンは正眼。攻守ともに均整の取れた構えである。


 「ふッ!」

 次の瞬間には、メンの眼前に敵。

 左から迫る胴薙ぎを辛うじて受け、心臓を狙った突きを半身で回避。


 「《ミアズマ・ランス》!」

 ルノフェンの魔法が直撃するも、意に介さず攻め立てる。


 「《アイス・ペブル》」

 再び、イロハに向けて氷弾の濁流。


 「《テレポーテーション》!」

 回避。躱した先に剣気。命中。今度は《インシュランス》が発動し、イロハの目に涙が溜まる。


 「たまにはこっちも狙えっ!」

 ヒュペラの回転薙ぎを、跳んで避ける。

 返答は、《アイス・ペブル》。ヒュペラは回転の勢いのまま氷の濁流をもう一度殴り、自身の位置をずらす。


 「……攻撃を見て、それから受けるかどうか選んでいる……?」

 イロハに《グレーター・ヒール》を唱えながら、フィリウスは冷静に状況を分析する。


 「《ライトニング・ブレード》! 《リピート・マジック》!」

 試しにこちらから仕掛ける。

 セイシュウは初撃から避け、ジグザグにフィリウスに近づいてくる。突撃の勢いを乗せた突きは、大剣で弾く。

 

 「私は法則通りには動かんぞ」

 「ぐっ! 《テレポーテーション》!」

 重い蹴りを貰いつつ後退。

 鎧を見ると、派手に凹んでいた。


 入れ替わりに、再びメンへの攻撃へ取り掛かる。

 刀による攻撃と見せかけた、《コールド・タッチ》が決まる。

 《インシュランス》を犠牲に、メンは離脱。このままではジリ貧だ。


 「スケルトン、死体、アンデッド……」

 フィリウスは思考を回す。


 セイシュウは、かつての青の神子。

 種族は、見た限りではヒューマン。寿命はとうに過ぎている。

 とある異世界にはコールドスリープの技術があるらしい、とは聞いている。


 だが、眼の前のセイシュウには、あまりに生気がない。

 反生命の存在たるアンデッドであれば、生命属性のエキスパートであるヒュペラからの一撃に脆弱性があったとしても、おかしくはない。


 となると、この呪文は十分試す価値はあるか。


 「《ターン・アンデッド》!」

 セイシュウに向けて、十字形の光剣がゆったりと降り注ぐ。


 彼女は、華麗な足さばきで光剣を一つ一つ、丁寧に避けた。


 「今、見て避けた・・・・・ね?」

 ルノフェンが指摘する。

 アンデッドでなくば、警戒すらする必要のない呪文。

 アンデッドであれば、即死の可能性がある呪文。


 それを、セイシュウは本能的に避けてしまった。


 つまりは、アンデッドであるということの証左である。


 「……《ターン・アンデッド》を当てるには手数が足りん! オドくんを起こすぞ!」

 「ボクがリコさんに伝えてくる!」

 「任せた!」


 飛び去ろうとするルノフェンを、セイシュウは睨む。

 「《デュプリケート》!」

 唱えたのは、分身の呪文。

 分身は己と同じ外見と能力を持つ。

 強力無比である分コストも嵩む。具体的には、セイシュウの魔力残量がほぼ払底するほどに。

 だが、魔術戦を捨ててでもルノフェンを止める必要が、彼女にはあった。


 圧倒的なフィジカルで、分身体がルノフェンの眼前に躍り出る。

 「速ッ――」

 徒手にて右、左の二発。

 空気を割って放たれた正拳突きの両方が、ルノフェンに命中。後ろによろめく。

 

 「自然回復分を、全部身体強化に回してるのか……!」

 分身体は地上に降り、ステップを踏む。

 背後では、本体が残りの四人と壮絶な立ち合いを繰り広げている。


 こちらが動けば、分身体は瞬時に飛び上がり、同じような打撃を加えてくることだろう。


 「《インビジビリティ》」

 自身に不可視化の呪文。

 分身体の上を通り抜けようとした途端、彼女は上り蹴りを仕掛けてきた。


 予想したとおりだ。蹴りに蹴りを重ね、再び離れる。

 感覚もセイシュウ相当だとすれば、例えば魔力視相当の感知はできると考えて良さそうだ。


 「妨害呪文は効かない、脚はこいつのほうが速い、か」

 つまるところ、これまでの魔王を一人で相手し、突破するようなものである。

 

 「ちょっと、お話しよっか」

 ルノフェンは《インビジビリティ》を解き、地上に降りる。

 分身体は、反応しない。

 

 「ほら、ボクの身体も機械種族ディータでしょ? で、キミの神の声が、ボクに聞こえてる」

 「それがどうした」

 警戒を解かず、応答。


 「ああ、話せないってわけじゃないのね。良かった良かった」

 ルノフェンは、腰に手を置いて雑談を続ける。


 その足元に、小さな瓶がこぼれ落ちた。

 

 ◆◆

 

 (……非力なぼくに、なんて無茶振りを……)

 ルノフェンが落とした小瓶を、ディーがキャッチする。


 彼同様に《インビジビリティ》を掛け、なおかつ自身の体外に漏れる魔力は完全に遮断している。

 機械種族ディータはマナを燃料とする。生者は息や汗に乗ってマナが流れ出る。

 

 この場で、魔力を含めて完全に気配を悟られないのは、半生命たるディーだけだ。

 ルノフェンがマナタイトダストの小瓶を落としたのも、彼がこの場に居ると賭けてのことだろう。


 かの邪神は、このシチュエーションまで予見して、彼を半生命として生んだのだろうか?

 疑問が脳裏に浮かびかけるが、今は振り払う。

 

 (……持ち帰らなければ)

 ルノフェンと分身体を視界に収めつつ、後退する。


 オドの位置は、常にディーの頭の中にある。

 創造主が、そうデザインしたがゆえに。


 オドの魔力が未だに枯渇していることも、ディーは知っている。

 彼が持っていた、二本目の小瓶を使ってようやく目が覚めたという状況だ。

 戦線復帰させるには、ルノフェンから託された三本目が要る。

 

 矮躯で、ふわふわと飛ぶ。

 最低限の距離を取れたが、速度は出ない。

 加速するための呪文も、使えない。

 使えば、魔力を感知した分身体が即座にディーを握りつぶすだろう。文字通り。


 オドは、リコによって臨時に用意された医務テントに運ばれた。

 呪文による攻撃の多くが届かず、その中で最も魔王に近い位置。


 直線距離にして、六百メートル。

 都市一つを巻き込む魔法でなければ、安全な距離だ。


 だが、ディーの飛行速度だと、数分掛かる。

 これでは、遅すぎる。討伐隊の誰かが行動不能になりえてしまう。


 「GRRRR……」

 魔物の唸り声。

 体格の良い狼型の魔物、ムーンウルフ。額に描かれた、三日月のような模様が特徴的。

 雨に濡れ、魔王の影響を受けたそれが、鼻を鳴らしながらディーの眼の前に躍り出た。


 「っ……」

 悲鳴を上げかける。

 ムーンウルフの体高は二メートル。ディーから見れば、相当な大きさだ。


 魔物は、周囲の匂いを嗅いでいる。

 視覚や魔力はごまかせても、身体からうっすらと漂う腐臭と、それを掻き消すためのミントの匂いは、消せない。

 

 (じきにバレるか。それなら)

 先んじて、ムーンウルフの頭にちょこんと乗る。

 ムーンウルフはくすぐったそうに耳をピコピコと動かした。


 (……ごめんよ)

 ディーは己の神に祈る。

 すると、右腕が青く病的に輝き始めた。

 理外の術。マナの代わりに正気と精神力を捧げる、外道の術。

 

 魔物の脳天に腕を当てると、ずぶずぶと沈み込んでゆく。

 「くぅーん、くぅ……」

 (ちょっとだけ耐えて……!)

 罪悪感を覚えながら、詠唱する。


 「《従え。汝は我の畜となる》」

 ディーが腕を引き抜くと、彼を乗せたムーンウルフは我に返る。

 即座に身を翻し、医務テントに走り始める。


 後方で、分身体が違和感に気づいた。

 走り去るディーたちを、追っている。

 だが、その分身体にルノフェンが抱きつき、機動力を削いでいる。こちらのほうが速い!


 「どいてどいて!」

 ムーンウルフに騎乗したディーは、医務テントに向けて一直線に走る。


 「魔物だ!」

 「頭の上に妖精族ピクシーが居るぞ!」

 「味方だとよ! 道を開けろ!」

 

 兵士と冒険者を掻き分け、オドの元へ。

 オドはブレザーを脱がされ、寝かされていた。


 「ディーくん!?」

 看病していたレシュが立ち上がる。


 「これをオドに!」

 「分かった!」

 マナタイトダストの小瓶を投げ渡す。

 レシュは受け取り、封を開け、ぼんやりとしたオドの口内に、中身をぶちまけた。


 「けほっ、けほっ!」

 オドはむせて、上体を勢いよく起こす。


 「げほ、げっ、気管に入った」

 暫く咳をして、荒い息。

 己の顔を叩き、気合を入れる。


 「復活した?」

 答える代わりに立ち上がり、ブレザーを羽織る。

 やれる。指を曲げ伸ばしして、そう呟いた。


 「看病ありがと、状況は?」

 「セイシュウはアンデッドだった。分身した。オド以外で抑えてる」

 「分かった」

 オドは伸びをして、テントの外に。


 「ねえ、オド」

 レシュが声を掛ける。

 オドは振り返って、言葉を待つ。


 「無事に帰ってきてよ、絶対に」

 「そっちこそ」


 黒の神子は、ニィと微笑む。

 果たして誰に似たのやら。

 

 《ファイター・スタイル》を起動したオドは、閃光めいて。

 突風と、魔力の軌跡を残して戦地に走り去った。


 ◆◆


 「《ターン・アンデッド》は、確かに私に効くだろう」

 

 だが、とセイシュウは続ける。


 「あの呪文は、少々緩慢に過ぎるな」


 メンに、分身体が槍のようなキックを仕掛ける。

 刀で弾くも、傷一つ入らない。魔力を乗せない一撃では、こちらにも早々ダメージは出ないだろう。

 彼の防御の隙を突くように、逆袈裟に斬る。

 メンは身を反らし、肉体で受ける。予想より浅い。この男の体捌きは、セイシュウが舌を巻くほどに卓越している。

 

 セイシュウの構えが守りを捨てているのは、己を廻る魔力が強大に過ぎるため。

 大抵の攻撃は、魔力による身体強化で防がれる。

 立ち回りで身を守る必要が、そもそもないのだ。


 その彼女でさえも、攻めを急いでいる。

 オドの復活が避けられないものとなった今、分身体をルノフェン一人に割いておくのは逆に悪手。

 呼び戻し、戦闘に参加させる方がまだマシだった。


 「《ターン・アンデッド》!」

 「重ねます! 《ターン・アンデッド》!」

 フィリウスとイロハが、再び上空に光剣を召喚。

 

 脚の遅い、ゾンビのようなアンデッドであればともかく、セイシュウにとっては意識を割いていれば当てられるものではない。


 だが、その密度は徐々に増している。


 後衛を叩こうにも、前衛のメンとヒュペラが鬱陶しい。剣気での攻撃は、ルノフェンの《アストレイ・ホーミング》で追尾を切られる。

 繰り返される《ターン・アンデッド》の結果、土地の属性が闇陰から陽光に少しずつ傾きつつあることも、セイシュウにとっては都合が悪かった。


 ――思えば、はじめは孤独だった。


 私が世界に呼ばれた理由。

 それは、文明一つを滅ぼすための触媒になれという、救いがたい理由だ。


 だが、私は受け入れた。


 もとより私は人ならざる身。

 人をろくに知らず、それでいて人を眺めていた、雪の化性。


 かつて私が居た世界は、戦乱の中にあった。

 趨勢はほぼ決まっていた。

 美しく白く輝いていた山々は、火によって醜く融け落ちた。


 神秘を失い消滅を待つばかりだった私は、大地からの声を聞いた。

 世界を呪う声。

 無念に大地へと流れた、血潮の声だった。

 

 「許さぬ……。許さぬぞ……」


 反響する、呪いの声の中。


 一人の女性が、利き腕に負った火傷を押さえながら、燃え落ちる寺院に足を踏み入れた。

 もはや刀は持てぬ。当時の医療では、手を施しても助からぬだろう。

 

 「我らが神よ。雪と氷の、忘れられし御魂よ」


 なんと凄惨であったことだろう。

 左手で脇差しを抜いた彼女は、己自身の腹を、躊躇なく切り開いた。


 「我ら一族に、再びの繁栄……を」

 

 残りは声になることもなく。

 よく知らぬ女は事切れた。


 おお、おお。なんたることか。

 神秘失いし神に、もはやその願いを果たす力などありはしない。


 私は女を見下ろした。

 このままでは、いずれ自身も消え失せる。

 ならば、縋った礼とはいかずとも、せめて地獄への道程をともに歩もうと、その肉体に入り込んだ。

 

 カイムスフィアに呼ばれたのは、その瞬間だった。


 神々の指令を、私は二つ返事で請け負った。


 私を宿した者に対する、鎮魂のための長い旅路。

 結果が文明の破滅であることは目に見えていたが、当時の私にとっては、やる必要のあることだった。


 意識を現に戻す。


 「イロハよ、二つほど、話がしたい」


 今や、セイシュウは膝をついている。

 セイシュウは、この肉体の名前。記憶を探って、見つけ出した名前だ。


 勝敗は決した。

 オドの手によって、両腕はオリハルコンの鎖で吊られている。

 彼が呪文を唱えれば、《ターン・アンデッド》の雨がすぐさまこの身を焼くだろう。


 「……伺います」

 「ありがとう」


 他人に礼を言ったのも、いつぶりか。

 とびきり素直だった、あの竜種は元気にしているだろうか。

 生きていれば、少しは賢くなっているはずだ。


 「名前の響きから、イロハと私は同じ国に生を受けたと推察する。……今、あの国はどうなっている?」

 「こっちに来る前の話ですか?」

 「そうだ」


 イロハは、拍子抜けしたしたようだった。

 

 「少なくとも、魔物が闊歩するカイムスフィアよりは平和です。多分」

 「そうか」


 微笑む。心からの微笑みだった。

 過程はどうあれ、依代の望む結果にはなったらしい。


 「二つ。あくまで私は、セイシュウの似姿だ。この戦いはムコナダァトが見ているだろうが、本体は未だイスカーツェルの廃墟に留まっている」

 「続けてください」


 まあ、なんだ。

 ばつの悪そうに目を逸らして、呟く。


 「いつか、遊びに来てほしい。できれば、何人か連れて。私には、機械がわからん。単に人と会わねば、退屈に過ぎる」

 「……分かりました」


 話は終わりだ。一思いにやれ。

 そう、オドに呼びかける。


 彼は、コクリと頷いて呪文を唱える。


 「無念に散りし命よ。呪いに縛られし魂よ」


 魔力を溜め、わざわざ長文の詠唱を始める。

 に対する鎮魂のつもりか。余計なことを。


 「オルケテルの名をもって、解き放たれよ。《ターン・アンデッド》」


 光の剣が、天使の羽のようにゆっくりと落ちてくる。

 抵抗はしない。ここに至っては、無粋というものだ。


 腕に、背中に刺さった剣は、己に溜め込まれた妄執を解きほぐしてゆく。


 ああ、なるほど。

 かの神が魔王討伐に介入したのも、全てはこの瞬間のためか。


 癒やしとともに、肉体が消えてゆく。

 光となり、天に昇ってゆく――。


 ◆◆


 にわか雨が、止む。


 残ったのは、呪文で生まれた鎖が落ち、絡む音。

 それと、部分的に浄化された土地の、石畳を割って生えてくる彼岸花の赤だけだった。


 「魔王討伐は、終わったようだな」

 

 メンは刀をしまう。


 身体は傷だらけだ。

 《インシュランス》が切れてからというもの、お守りの効果が発動しないように、ギリギリの被弾にとどめていたようだった。


 同じく前衛を受け持っていた、ヒュペラもそれは同様である。


 「しっかし、ああ言ったからには、シュヴィルニャに遊びに行かなくちゃね?」

 コスパの良い《リジェネレーション》を全員に付与しながら、ヒュペラはイロハに提案した。


 「ソルモンテーユへの帰還が、だいぶ伸びてしまいますね」

 イロハは苦笑し、レイピアを眺める。


 「コーティングがちょっと剥がれたかも」

 『そうですね。もうちょっと厚く加工しても良いかも知れません』

 「費用がかさんじゃいます」

 

 一瞬の沈黙。


 「え」


 知らぬ声だった。

 討伐隊が、一斉に声の方を振り向く。


 ストレートロングで、ブロンドとブルーのグラデーションヘア。

 その少女を象ったホログラムが、いつの間にか立っていた。


 『……あら?』


 その少女は、とても意外そうに討伐隊を見渡す。


 「誰?」

 『あれ……? 名乗ってませんでしたっけ?』

 ルノフェンの問いには、的を得ない答えが返ってきた。

 

 「ってか、討伐中に聞こえてきた、アナウンスの人?」

 「そう! それです!」


 いくらかフレンドリーそうに話を続ける彼女は、咳払いして仕切り直した。


 「では、改めて。私の名前は、シャーロット。目が覚めたので、ちょっといたずらしに来ました!」


 チャーミングに笑う彼女は、やはりというべきか、やや浮世離れしていた。


 【続】

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