03-07:冒険者招集
(あらすじ:魔王誘導作戦には無事成功。討伐作戦の実施には、まだ間があるとのこと。隣国から応援としてやってくる冒険者たち。ルノフェンは、見知った顔を探す)
冒険者招集。
それは、国家が非常事態に陥った際、冒険者ギルドを通じて発動するものである。
神子の居るこの世界には不要……と思われがちだが、実はそうでもない。
一つ一つは常人でもこなせるが、とにかく頭数が必要な仕事も多くある。
例えば、災害からの復興。
海に接した国家は、時折破滅的な台風に襲われることがある。力仕事でも魔法でも、瓦礫をどかしたり物資を運んだりと、冒険者は有用だ。
例えば、大陸南東からの大侵攻。
この大陸の海の外から、極稀に大軍勢が殴り込みに来ることがある。シュヴェルトハーゲン固有の事情ではあるが、何度か経験している。
今回は、魔王討伐戦の援軍。
魔王発生地を中心に、大陸全体におびただしい量の魔物が発生する。
特に、討伐の際は魔王を孤立させる必要があるため、他の魔物を惹きつける役回りが必要なのだ。
ところで。シュヴェルトハーゲンには、どの国よりも精強な軍隊がある。
数刻前のことだ。
その軍隊を向かわせればよいのではないですか? と、アドラムの側近の一人は進言した。
アドラムは明確な意思を以て、その提言を丁寧に却下した。
内閣での審議でも全く同じ話が出た、と苦笑しながら。
(今のシュヴェルトハーゲンで、あえて冒険者を多く呼び寄せる動機が、二つある)
(二つ、ですか)
彼は今、王城のバルコニーに立つ。
もはや王は居ないので、王城と言うよりは官邸だが、未だに人は王城と呼んでいる。
(一つ、腕利きの冒険者に、革命終われども我が軍にいささかの陰りがないことを見せつける)
(なるほど、軍の噂が広まれば、黄砂連合やミトラ=ゲ=テーアからの干渉もされづらくなるわけですね)
(そうだ)
眼下の民を見下ろす。
熱気だ。演説内容は、いつも通り翌日の新聞に載るだろう。
直接声を聞きに来る民が絶えないのは、少なくとも良いことだ。
(二つ。今度は逆向きだ。冒険者を通じて、他国の情報を吸い上げる)
(仮想敵国の、ある程度の戦力を知っておきたいと)
(そうだ。旧王国が積極的に他国に攻め込んで行ったせいで、今も警戒されていてね……。情報が、足りぬのだよ)
(……全くです)
この二つの動機から、どのような冒険者を誘い込めばよいかを考える。
呼び込む冒険者は、兵士と同程度には戦える必要がある。
アドラムは、シュヴェルトハーゲン軍の質を疑っていない。
そして、兵士のほうがより高度な連携を行える。
次に、情報通である必要がある。
できれば、独自の情報網を持ち、各国政府の発表に先んじる者が理想的だ。
発表を聞いてから動くのでは、遅い。
(なんとも無茶な条件ですね)
側近はひとしきり笑った後、こう続けた。
(ですが、すでに
アドラムが《クリアー・ヴォイス》のスクロールを広げると、群衆は静まり返る。
咳払いの後、よく通る声で。
冒険者招集の経緯、応召者への報酬を読み上げる。
遠くで、冒険者パーティの一つが力強く頷いた。
素晴らしい。あれは黄砂連合を本拠地とする、『楽園跡の砂ザメ』か。
一通り読み上げ、踵を返そうとするアドラムに、群衆の一人が野次を飛ばす。
「それで、作戦の決行日はいつなんですか!?」
よくぞ聞いてくれた。
言葉には出さず、あえて過失を装い、再び群衆と向き合う。
討伐の各国代理人には、すでに話を通してある内容だ。
ニヤリと笑い、言葉を放つ。
あまりに性急な、その日程は――
「――明後日だ」
そして、今度こそアドラムは官邸内部に足を向けた。
◆◆
「なんだか、どんどん人が増えてきてない?」
オドはあたりを見回す。
石造りの街に、これまで見かけなかった上等な衣類の冒険者が増え始めた。
それぞれ共通語を話しているが、ソルモンテーユやミトラ=ゲ=テーアの訛りが目立つ。黄砂連合の民も、少しいる。
「魔王討伐本戦への参加はメリットが多いからね。戦利品もそうだし、経歴にも箔が付く」
「なるほどなあ」
隣で、行く道を同じくするのはルノフェン。
よくよく考えてみれば、この二人が一緒にいるのは久しぶりだ。
「というか、本当に体調は大丈夫? ボクも酷い目にあった経験はあるけど、そん時は三日くらい休んだかなぁ」
「大丈夫だよ。お姉ちゃ……レシュが沢山良いもの食べさせてくれたし」
「……なに? その『お姉ちゃん』って。《チャーム》解けてないじゃん。どういうプレイしたか、なんとなく分かっちゃうな」
まあ、歩けるなら何も言うことはないんだけど、と締めた。
二人はとりとめのない話をしながら、百貨店の屋上から、双眼鏡を使って道行く人々を観察している。
百貨店は四階建て。シュヴェルトハーゲンの建物の中では、比較的高い部類である。
「にしても、ルノの知り合いかあ」
オドはルノフェンの隣に立ち、穏やかな表情だ。
「情報を真っ先に流して、『良い社会見学になるよ』って伝えてはおいたんだけど。流石に急すぎたかな」
「急……だね。最速でも一週間経ってないし、ロークレールからだと道中鉄道だとしても三日は掛かるから――」
「あ! 居たーっ!」
ルノフェンは唐突に歓喜の声を上げ、オドを巻き込んで《マス・フライ》を掛ける。
「上から行くの!? まあ、良いけど!」
オドもためらわず、金網を越えてルノフェンに追いすがる。
確か、ルノフェン曰く、今はコンビで動いている子たち……だっけ。
「おーい!」
ルノフェンが叫びながら手を振ると、遠くで特徴どおりの二人組が振り返った。
片方はエルフ。白いローブに短杖。柔和な雰囲気だ。
もう片方はリスの獣人。ルノフェンは「ちっちゃい子」と言っていたが、精々一歳下くらいに思える。
「ルノフェンさんだ!」
エルフの方はルノフェンに応じてにこやかに手を振る。
獣人の方は……振り返ったは良いが、こちらを視認するや否や、高く飛び跳ねた後に路地裏へ隠れてしまった。
「いきなり声掛けて、驚かせちゃったかな」
近寄って、飛んでいた二人は着地した。
「フォーボースくーん。ボクだよ」
そろり、そろりとルノフェンは路地裏へ向かう。
フォボスと呼ばれた少年は、物陰から恐る恐るこちらを伺っていた。
手には鉄爪を装備している。
怯えていると言うよりは、警戒のほうが近い。
「ルノフェンさん、隣の人、だれ?」
あちらから声をかけてくる。警戒されているのは、オドの方だ。
「隣の人? ああ、オドって名前。今の黒の神子で――」
と言いかけてから、ルノフェンは固まった。
何かを言いかけて、踏みとどまったようであり。
目線だけを、オドとフォボスの間で泳がせている。
「ルノ?」
「ルノフェンさん?」
オドやフォボスがこういう具合に固まることは、割と珍しいことではない。
だが、ルノフェンがこうなるのは、元の世界を含めても滅多に見ない光景だった。
「キスすればなおるかな?」
「キス!?」
フォボスの唐突な提案に対しては、オドとしては驚くばかりである。
「《サニティ》、でいいのかな?」
後ろから見ていたエルフが正気化の呪文を唱えることで、ようやくルノフェンは復帰した。
「はぁーっ……迂闊だった」
ルノフェンは頭を抱える。
この場では、彼しか知らないことが一つあった。
それはすなわち。オドがフォボスを――間接的にではあるが――一度殺しているということである。
「ルノ、何があっ――」
「ごめん! ちょっとメアちゃん借りてく! ごはんでも食べてて!」
脱兎のごとく、である。
残された二人は、揃って首を傾げた。
◆◆
「ということで! あの子達に真実を告げず仲良くなってもらいたい!」
宿の二階に、ルノフェンが集めたメンバーが集う。
メア、クレオネス、ディー、ヒュペラ。
種族も姿形も違う五名が、ここにいる。
「ねえ、例の奴隷プラント解放で死者が出たってこと、私は聞いてないんだけど……!」
ヒュペラが机に突っ伏す。
ルノフェンと出会ってからというもの、彼女は受難続きだ。
「蘇生したから差し引き死者ゼロ。オーケー?」
「禁呪! それ違法だからね!?」
「ンッンー。でも共和国法で立件するには、蘇生して不利益が出る人からの告発が必要。オッケー?」
「こいつぅ……!」
まあまあ、とメアがなだめる。
「ルノフェンさんが蘇生してなかったら、今私がここに立っているかどうかも怪しいですから。話を続けましょう」
メアの言葉に、ヒュペラは渋々引き下がった。
「己としては、我が主に真実を知らせても良いと思うのだが……」
と呟くクレオネスの頭を、ディーが渾身の力で叩く。
「あの子が何歳か考えなよ! あっちじゃ中等部に上がったばっかだよ!? ヒト殺したって知ったら持たないって! 心が!」
「ぬう……。ひとまず、分かった」
クレオネスも下がる。
かくして、認識と方針は揃った。
「で、作戦はあるの?」
ヒュペラがルノフェンに問うと、彼は簡素なメモを机の上に置いた。
メモには、たった三行の作戦が記されているだけであった。
「暴漢作戦」「吊り橋」「共同作業」。
何となく分かるが、具体的には何もわからない作戦だ。
「これだけ?」
「暴漢作戦とは……。一応伝わるがな……」
ルノフェンに視線が集まる。
要するに、ならず者役を用意し、二人を襲撃する。
二人は力を合わせてこれを撃退。絆深まりハッピーエンド。そういう作戦だ。
「無茶言わないで。準備時間三分だよ?」
「三分でバイオレンスに行く発想出る? ……まあ、ぼくはいい線行ってると思うけど……」
「ディーくん、嘘でしょ……!?」
「うーん……」
思い思いの感想を述べたあと、メアが問題点を指摘する。
「ここにいる人達って、フォーくんやオドさんのどっちかに対して、顔が割れてますよね?」
「まあ、そうだな。やるなら、誰かを雇ってけしかけることになるが――」
「オドさんは
沈黙。
確かに、治安の悪い酒場に行けば、ごろつきの数人程度は容易に確保できるだろう。
だが、ただのごろつきが神子と喧嘩をできるかと言うと、無理だ。
良くてワンパン。
悪ければ、手ひどいトラウマを負いかねない。
「メアちゃんは、《ポリモーフ》使えたりしない?」
「使えるけど、触られたらバレるから、接近戦に使える魔法じゃないかなあ」
「だめかー」
ディーは肩を落とした。
「んー。できればあんまり頼りたくなかったんだけど……」
ルノフェンが部屋をうろうろと歩きだし、思考を巡らせる。
「あ、一応アテはあるんだ」
「最終手段だよ、最終手段。でも、悲しいことにあいつらに頼る未来しか思い浮かばない……!」
「……ルノフェンにそういう人脈、あったっけ? 即座に雇えるくらい親密な……」
彼と暫く同行していたヒュペラは、雇おうとしている人物について心当たりがないらしい。
やがて、ルノフェンは「今は時間が大事だ」と、他の可能性を打ち切った。
息を吸い込み、諦めたように吐いてから、決断的に呟いた。
「サキュバスに、協力を要請する!」
◆◆
「一人頭、百シェルでどう?」
「乗った!」
◆◆
「よしよし、ちゃんと目的の酒場に入ったね」
ルノフェンの手には、再び双眼鏡。
今回、ディー経由でオドとフォボスを誘導した酒場の店名は、『輝ける舞姫』亭。
夜になればダンサーが舞台に上がり、艶かしく舞うことで知られる。
が、その実態はサキュバスの主な資金源である。
カイムスフィアの加護が届かぬ彼らではあるが、彼らにもカネは必要だ。
何も知らぬ観光客、羽振りの良い冒険者。
そういったカモどもを選んで声掛けし。『踊りのアフターサービス』と称して言い表せぬような蛮行を行い、料金を巻き上げるのだ。
ルノフェンとヒュペラは、その酒場の向かいにある喫茶店で待機。
残りのメンバーも、万一に備えて近隣に配備してある。
なお、ルノフェンが彼女たちのコネを持っているのは、単に彼が無闇に相手を選ばず遊びすぎているという理由である。
今となってはルノフェンの情報源であり、彼女たちにとってはお得意様。持ちつ持たれつであった。
「何を頼むんだろ」
「フォボスくんが頼んだのは、コーンスープとバゲットセットかな。会計がオド持ちだからって遠慮してる。オドはチョリソーを二人前と白パンか。二人で分けるつもりだね」
机を挟んで座るヒュペラが、「分かるんだ?」とルノフェンに問う。
「だってそりゃあ……サキュバスはボクのスパイみたいなもんだし。リアルタイムで情報送ってくれるからね」
「ねえ、貴方、本当に受肉して二ヶ月? コネ作るの早すぎでしょ……」
「神子をナメないでくれたまえ。えへん」
フォボスとオドの間は、言葉少なだ。
ディーがフォボスに質問を投げるも、一問一答。お互いに探りをいれる状況からは、抜け出せない。
「……まずったな。フォボスくんはともかく、オドは目下の子とこれまであんまり接してないんじゃないか……?」
「そうなんだ」
サキュバスは、舌なめずりしながら二人を品定めしている。
助けをよこす気はないらしい。
「ってか、私としてはオドくんと話したいんだけどな」
「なんで?」
「だってほら、奴隷プラント解放以降、すぐに『接触すんな』ってお達しが出たし」
ルノフェンは、「んー」と、顎に手を当てる。
「多分だけど、オドの気質は関係なくて。通達が出たのは、キミのママが無事に引退できてるのと同じ理由」
「『ミトラ=ゲ=テーアは己の手で水を汲む』が理由だったよね。……ああ、そっか」
「そ。国民性として、根強い自立への欲求がある。だから、神子の力を借りなくても回る体制を作りたい」
なるほど、確かにそーね。と、ヒュペラは礼を述べた。
そうしているうちに、料理が運ばれてくる。
ひんやりとした、あっさり冷製コーンスープ。それと、スープをよく吸いそうなバゲット。
チョリソーも、二人分まとめてやってきた。
「……腹減ってきたな」
「機械の身体でも、お腹は空くわけ?」
「最高級ボディだからね。性機能もある。あいつのドヤ顔が脳裏に浮かぶよ……」
そのボディの代金として魔王討伐戦に参加させられている、という側面はあるのだが。
「ぎこちないけど、ちゃんとチョリソーあげたね」
「うん」
「まあボクなら、『チョリソーあげるから、一つ食べるごとに君の話を聞かせて』ってやるけど」
「……意地悪なやつ」
とはいえ、ようやく雑談も軌道に乗り始めたようである。
ルノフェンとの出会い、これまでの旅路。
二人の共通の話題は、今盗み聞きをしている彼のことであった。
「ボクを褒める言葉が全部聞こえてきて……くすぐったい……!」
「受け入れなよ」
「そうなんだけどぉ……!」
さて、ここまでいい具合に和んでいた彼らだが。
忘れてはならないのは、これが暴漢作戦だということである。
ルノフェンの耳に、サキュバスの声が聞こえてくる。
店長サキュバスの、まるで散歩に行く直前のイエイヌめいた声だ。
「はぁ……はぁ……」
「何?」
ルノフェンは、怪訝そうに眉をひそめる。
「ねえ、もう待ち切れないの……あの二人、襲っていい? 襲っていいかな? 襲うわ」
「あっ、待っ――」
唐突な通信途絶。
ルノフェンの用意した《メッセージ》のスクロールが破り捨てられたようだ。
二人を襲うように依頼をしたのは確かだが、こうも簡単に暴走しようとは。
その直後、酒場内はピンク色のガスで満たされる。
《ラッティング・ガス》。これは、加護なき彼女らが術式を自作した結果、効率度外視で唱えられるようになったものだ。
所詮は加護の真似事ではあるが、複数人で唱えれば侮れない。
「バカ……」
ルノフェンは悪態をつき、席を立つ。
「私も、こうなる気はしてた」
クレオネス、メアにも状況は伝わったようで、緊迫した空気が流れ始めた。
一方、酒場の前。
「脱出するよ! 《マス・テレポーテーション》!」
「わあっ!」
オドはガスが充満するや否や、すぐさまフォボスの腕を掴み、転移呪文で店外へ離脱。
「大丈夫!? ガス吸ってない!?」
「けほっ、少し吸ったかもっ……!」
「《ヒール・ポイズン》! 構えて、敵が来る!」
転んだフォボスの手を取り、その重さに驚きつつ、助け起こす。
そうしている間に、店内からは息の荒いサキュバスがぞろぞろと現れる。
十人は下らないだろう。
「ディー、メアさんと合流」
「え゛っ……。あっ、うん! 分かった!」
まずは、ディーを逃がす。
この場は二人で乗り切れる。オドはそう判断した。
彼女らは、二人を円状に取り囲む。
獲物を逃さぬよう、ジリジリと距離を詰める。
「多いぞ……!」
「うん」
背中合わせ。
傷つけることを厭わなければ、オドに取れる手段はいくらでもある。だが、彼はそうしない。
となると、フォボスにも動いてもらうことになる。
「武器は?」
「色々ある。けど、オドが傷つけたくないなら盾で殴る」
「頼んだ」
フォボスは何の変哲もない、錫で出来たバックラーを取り出す。
使い込まれているようで、所々に傷がついていた。
二人は目配せし、正面に向き直る。
「お話は終わったぁ……?」
「一切の希望捨てて、お姉さんとイイことしようねぇ……?」
腰をかがめ、タックルで押し倒す目論見か。
「行くよぉ……!」
「仕掛けるよ!」
両陣営は同時に動く。
「《フラッシュ》!」
「「目がーッ!?」」
目眩まし。何人かは怯んだが、残りは目を閉じて突っ込んでくる。
掴まれることを警戒し、《テレポーテーション》で離脱。
輪の中を見ると、フォボスはすでに彼女らの頭上。すり抜け際に、一番体格が大きいサキュバスに盾殴り。気絶。
この敏捷性は、オドには真似できないものがある。
「拘束の魔法が飛んでくるよ! 抵抗の呪符を割って!」
「「「らじゃー!」」」
酒場の二階に、司令塔。
窓ガラスの奥から、戦場を俯瞰している。厄介だ。
「《エクステンド・ソイル・スプレッド》!」
「ウソ、こっち来たっ!?」
司令塔に向けて、柔らかい土の塊を飛ばす。
当然窓ガラスに阻まれるが、それでいい。汚して視界を塞げば十分だ。
「《グリフォン・ウィング》!」
フォボスは空中で軌道を変え、輪から離れたオドに近づく。
「誰かあいつらを捕まえた!?」
「あっちだ! あいつら逃げるぞ!」
目眩ましが直撃したサキュバスも復帰。
《フラッシュ》で稼げる時間は精々十秒。
その間に、少しでも距離を取る。
「《マス・スピードアップ》!」
「逃がすか! 《マス・ラスト》!」
ラスト。
二人に向けられた術はおそらく炎熱属性の模倣だが……単語から察するに、色欲誘起だ!
「あっ――」
オドは抵抗できたが、フォボスはそうも行かない!
呪文で生えた急造の翼がノイズを生じ、薄れゆく。
「《ストレングス》!」
オドは自身の筋力を増加させ、落ち行くフォボスをキャッチ。肩に担ぐ。
重い!
一瞬転びそうになりながら、表通りに逃げ込んだ。
「わぁっ!」
「ん゛っ!」
クレオネスと鉢合わせる。
彼は完全に武装している。ウォーハンマーにタワーシールド。ただ散歩しているにしては大げさだ。
「サキュバスの群れに追われてる! ほとぼりが冷めるまで逃げたい!」
「わ、分かった! 乗ってくれ!」
《マス・テレポーテーション》。背中の上に転移。
「こっち来たの!?」
「はっや!?」
先客だ。メアとディーが、すでに居た。
「見ィつけたァ!」
「逃さないぞぉー!」
蛮族の魂ここにあらん。陸上選手もかくやと、スプリントを決めるサキュバスたち。
「掴まっていろ!」
クレオネスは駆ける。
俊足! 生身のダッシュで追いつける相手ではない!
「ああん、逞しい獣人のお兄さん……」
「マッチョ……」
距離は瞬く間に開いていく。
一つ目の角を曲がり、二つ目の角に差し掛かった頃には、一行はサキュバスを振り切っていた。
決着。無事、逃げ切ったようだ。
「……」
その後、慎重にルートを選び、再びオドたちは宿に戻る。
《ラスト》の効果に呻くフォボスをベッドに寝かせ、対応に悩む。
「蛮族の魔法、《ラスト》かあ……」
すでにメアの手で《ヒール・ポイズン》や《サニティ》を施されているが、効果はそれほどなく、苦しそうである。
「子供相手に遠慮なしにぶっ放すとかさあ……。ホント、ひどいよ」
ディーがコップに水を注ぎ、運んでやると、フォボスは辛うじてごくごくと飲み干した。
クレオネスは、席を外している。ルノフェンと合流するとのことである。
「調子、どう?」
覗き込むように、オドが様子をうかがう。
フォボスは手を伸ばし、答える代わりに、彼の隣に寝転ぶように要求した。
(体温が、高い)
添い寝の態勢。
呪文の効果で暖かくなった手が、オドの頭に置かれる。
何の違和感もなく、フォボスはオドの頭を引き寄せて――
(え?)
――唇同士が、触れた。
「え?」
予想外の行動に、上から見ていたディーの体がこわばる。
「ちゅ……ちゅっ」
フォボスはそのまま、オドの唇を吸い始める。
オドは困惑し、されるがままだ。
「……はわわわ……」
メアは両手で顔を覆う。
覆いつつも、しっかりこの光景を見ている。
彼女の性癖だった。
もっとも、今こうなっているのは偶然の要素も強く。
まず第一に、彼がメアからキス以外の接触手段を何ら教えられなかったことに由来するのだが……。
「ん、んっ」
「やっ、だめえっ……」
そのうち、フォボスはオドの上にまたがる。
キスは激しくなり、オドはフォボスがこれで楽になるならと、甘んじて受け続ける。
(何なのこの子……!)
オドの脳裏に、ルノフェンの顔がちらつく。
オド自身に男色の気は一切ない。
だからこそルノフェンから手を出されずに済んでいるところはあるのだが、どうやら、今度はそうも行かないらしい。
「ただい……うえっ」
「え?」
遅れて、ルノフェンとヒュペラが戻ってくる。
まるで、ハートのパーティクルがふわふわと浮かんでいるかのような空気であった。
「これ、魔法じゃどうもなんないの?」
ベッドの二人をひと目見て、ヒュペラが問う。
「初期は《カーム》で治せるけど、こうなると呪文関係なくなるから、一回スッキリするのが一番早い」
「うわぁ……」
とのことである。
ルノフェンは、何事かメアに耳打ち。
沈静化するための指示だ。すでに紅くなっていた彼女の頬がなおも紅潮し、「本当に……?」「うん」と確認する始末である。
(やるなら早くして……!)
オドは目線で助けを求める。
このままでは、フォボスが悪いやり方を覚えてしまいそうであった。
「じゃあ、やるよ……!」
メアは意を決して、フォボスの背後に陣取る。
フォボスも、辛いだろう。
楽にしてやる必要があった。
手を手刀の形にして、フォボスの尻尾の付け根に持っていく。
「リスの獣人に効くかは分かんないけどねえ」
とルノフェンは言いつつも、興味を隠せないようだ。
一度深呼吸して、メアは動いた。
とん、とん。
フォボスの尻尾の付け根を、力強く叩く。
「お゛っ」
彼の背中が跳ね、濁った声が漏れる。
その反応にメアは驚き、これで良いのかとルノフェンの方を見やる。
「うん、続けて」
「わかった」
とん、とん、とん。
再び尻尾の付け根を叩く。
叩く度にフォボスの背中は跳ねる。
とん、とん、とん。
メアの方も面白くなってきたのか、リズミカルにチョップを繰り返し始めた。
「……なんで効くの? 猫じゃあるまいし」
ディーの、もっともな疑問である。
「ぶっちゃけ、《ラスト》で神経過敏になってるからどこでもいいよ」
と、ルノフェンは答えた。
「ん……っしょ!」
フォボスがビクビクと体を震わせている最中、オドが彼の下から這い出てきた。
「とん、とん♪ とん、とん♪」
「なんかヘンっ! これなにぃっ!? わかんないっ!」
二人の世界に入っているフォボスとメアをよそに、オドは顔を拭う。
「ねえ、ルノ。こんな子供を歪めちゃ、ダメでしょ……」
そして、キノコまみれの地下洞窟めいた、湿った視線でルノフェンを睨む。
「ゴカイダヨ、ウン。ボクハ、ナニモシテナイヨ」
思うところがあるのか、流石に片言だ。
「……帰っていい?」
「ドウゾ」
見るに耐えぬという態度で、ヒュペラは先んじて宿から退出した。
「……せーのっ!」
とん。
「ひゃあああああっ!?」
最後に、フォボスがひときわ高い声を上げる。
それこそが、『施術』の終わりを告げる悲鳴であった。
◆◆
一時間後。
フォボスも落ち着いたようで、一行は昼食をやり直していた。
結局、ルノフェンはオドに問い詰められ、事のあらましを一から伝えることになってしまったようだった。
「じ、じゃあ、ルノが蘇生してくれてなかったら……」
「ぼくは、死んでた」
ルノフェンはあくまで言及を避けるつもりであったが、フォボスの方から告げられたのでは、どうしようもない。
オドはパクパクと口を動かし、自らの所業の重さを思い知る。
「ま、まあ戦士ならいつかは通る道だ――痛っ!」
言葉はいらぬとばかりに、ディーはクレオネスの後頭部を殴った。
「でも、オド! オドが奴隷プラントを潰してなかったら、ぼくは……」
メアとも会えてないし、多分、ずっとあそこでビスケットを詰め続けてた。フォボスは、そう伝える。
想像に固くない未来であった。
「でも……」
割り切れぬものである。オドは、こういう意味ではフォボスより幼いとすら言えるかもしれない。
食事の手が止まる。
見かねたメアが席を立ち、オドの肩に手を置く。
「何を……」
「結果オーライ、って言葉もあるよ」
《サニティ》。
無慈悲にも、オドの心は一瞬で癒やされる。
パニックに至ることすら、許されなかった。
「あ……」
「余計なこと、しちゃったかな?」
再び、メアは自席に戻った。
「……ありがとう」
我に返る。
そうだ。結果を見れば、ハッピーエンドだ。
例え、これからオドの歩む旅路が、どのような方向に伸びていようと。
己の為したことに、後悔だけはしないようにしなきゃと、心に決める。
幸いにも、オドを導いてくれる先輩は多い。
そして、これからはフォボスのような友達も増え続けることだろう。
魔王討伐まで、後二日。
オドは決戦までの僅かな時間を、楽しく過ごした。
【続】
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