03-05:作戦会議/オドの極めて平凡な朝

(あらすじ:シュヴェルトハーゲンにたどり着いた一行は、気ままな一日を送る。夕方は作戦会議だ。もうすぐ、始まる)


 「会議を始めたいところではあるのだが」


 縦に裂けた、蛇めいた目を持つこの男の名は、アドラム・メッゲンドルファー。

 シュヴェルトハーゲン軍総裁にして、国家元首である。


 長机の前に座り、若干苛立たしげに両手を組んでいる彼が魔王討伐作戦会議の資料を揃えたのが、三時間前。

 問題がないか自ら精査し、赤の従徒からもお墨付きをもらったのが、二時間前。

 その流れで、参加者の嗜好に合った飲料を調達したのが一時間前。

 会議開始時間が、今だ。


 「揃っては、いないな」

 この会議には、各国の魔王討伐代理人と主催たるアドラム、および戦闘の専門家が数名参加する。

 赤のシュヴェルトハーゲン、リコ・キヌカワ。当然居る。

 青のソルモンテーユ、イロハ・イチノセ。それと黒のシュヴィルニャ、オド・クロイルカ。几帳面にも三十分前には顔を見せた。殊勝なことだ。リコと何やら商談をしていたようだ。


 白のデフィデリヴェッタ、フィリウス・ルシスコンクィリオ。五分前にはすべての準備を終えていた。

 紫の紫宸龍宮ししんりゅうぐう孟玄天メン・シュアンティエン。つい先程着席した。間に合ったのだから、何も言うまい。


 緑のミトラ=ゲ=テーア、ヒュペラ・ザ=サイプレス。遅刻。連絡はあった。テレポーターに諸々詰め込みすぎてコストオーバーを起こし、転送を強行した結果、城壁の外に転送座標がズレたそうだ。

 黄の黄砂連合、ルノフェン・ラパン。彼は、そもそも連絡がつかない。会議の開催を知っているかも疑わしい。

 一緒に召喚されたオドですら行方がつかめないというのだから、筋金入りの自由人である。


 「……本当に、ごめんなさい。うちのルノが……」

 オドは平謝りしている。

 魔王討伐という面白そうなイベントに、彼が参加しないはずはないのだが。


 「ともあれ、始めるしかないだろう。我々は、現存する神子のほぼ全員を拘束していることになる。時間は貴重だ。ヒュペラ嬢には、私から話しておこう」

 全身鎧を装備したフィリウスによる提案だ。

 彼は、この方が落ち着くらしい。


 「やむを得ないか。では、始めよう」

 「よろしくお願いします」

 「……うむ」


 開始宣言。

 それとともに、長机の中央にホログラフィが浮かぶ。

 オートマトンを埋め込み、投影しているようだ。

 ホログラフィは、魔王が出現した地域一帯の地形。どうやら、起伏の緩やかな丘陵地帯のようだ。


 「今朝方、魔王の出現が確認された。場所は各国による予測どおり、本都市グローセシュミデ北方およそ五キロメートル」

 「そ。たったの五キロ。都市から遠いと大変だけど、近すぎてもまずいんだよねえ……。アドラム、牧場民の避難は済ませといたから」

 「助かる」

 リコにより、説明が加えられる。

 

 「その上……これを見てほしい」

 アドラムはオートマトンを操作し、別のホログラフィを表示する。


 「……今回は、ヒト形か?」

 メンの言葉を、アドラムは肯定した。


 「身体の表面は、魔物の核よりも深い青の蛍光色。不死鳥部隊による観測の結果、冷気の魔術に長けているそうだ」

 「知能は?」

 「少なくともヒト並だ。《ピーコック・プレゼンス》による誘導は、意味をなさなかった」

 「そうか。難しそうだ」

 フィリウスは唸る。

 いくつかの呪文は、高い知能を持つ存在には効果を及ぼさない。《ピーコック・プレゼンス》はその筆頭と言えた。


 「あの」

 イロハが挙手し、発言を許される。


 「気のせいでなければ、魔王は私を真似ているような気がするのですが」

 「……そうだな。私の予想も同じだ」


 一拍置き、アドラムは続ける。


 「今回の魔王は、神子の似姿だ。何度かこういう事態に陥ったことはあるが、いずれも熾烈な戦いであったそうだ」

 オドが、つばを飲んだ。


 「……アドラム殿。『青の神子』ではなく、単に神子と言ったか」

 「その通りだ、フィリウス殿」


 ホログラフィが、また別の姿を取る。

 赤く輝く流体状のボディは、グラマラスな女性の姿を取っている。


 「ナナさんだ。ということは、もしかして……?」

 「確認は取れていないが、ほぼ間違いなくオドやルノフェンくんの形態も取るだろう」

 「わ……」

 オドは額を押さえる。

 ルノフェンの戦術の熾烈さ、そして自分自身を敵に回したときの面倒さは、身を持って知っている。


 各勢力の代理人たちは、今この世界に生きている全ての神子と戦うことになる、ということである。


 「……む」

 メンが眉根を寄せ、会議室ドアの方を向く。


 「……こちらに、誰か来ている。小柄な少女。敵意なし」

 「ヒュペラちゃんかな?」

 リコの言葉を遮るように、ズン、と会議室を揺らす衝撃が響いた。ドアに重い一撃が決まった音だ。

 

 「通せ」

 アドラムが、ドアの向こうの兵士に許可を出す。


 「しかし、閣下! この娘はあまりにも……!」

 「通せ。敵意はないらしい」

 「どうなっても知りませんよ!?」

 「構わん」

 ドアに二発目が入る前に、迅速に。


 錠が開くと、その少女は苛立たしげにズカズカと長机に歩み寄り……ミトラ=ゲ=テーアの席に座った。

 ヒュペラ・ザ=サイプレスだ。


 右手には、巨大な木の枝が握られている。

 先程の一撃は、この枝による殴打であった。


 「差し出がましいようだが……」

 アドラムは一度咳払いをし、仕切り直す。


 「何か、我々の行為に不届きがあっただろうか。もしそうならば、謝罪を――」

 「ルノフェン」


 会議室が静まり返る。

 何故ヒュペラの口から彼の名前が?

 続きは、自ずと語られた。

 

 「なんで私はあんなのと一晩……。あれじゃ、私の身が持たない……!」

 その言葉を聞き、同卓者の全てが事態を察した。


 ついでに、オドの胃が破壊された。


 「……《ヒール》」

 「《サニティ》」

 オドは自らに回復魔法を掛け、フィリウスはヒュペラを正気づかせた。


 「オーダー通り、『限界まで激しく』したんだけどねえ」

 いつの間にか、黄砂連合の席にはルノフェン。

 文字通り、風に乗ってやってきたらしい。


 ヒュペラが、ヒュッと息を呑んだ。


 「ルノ、まさか」

 「とんでもない! ボクはヒュペラにトレーニングを頼まれたから、手伝っただけだよ」

 絞り出すようなオドの声とは裏腹に、ルノフェンは明るく答える。


 「まあ、その最中にやることはやってるけど」

 「いつものルノだ……」

 オドは深海千メートルほどとでも形容できそうな、重いジト目を向けた。


 「どうする? コンディションが悪いようなら、明日また会議の場を持ってもいいが」

 「……続けてよ。さっきの《サニティ》で、流石に目が覚めたから」

 「そうか」


 かくかくしかじか情報共有。

 魔王の特徴と、地理的な情報だ。


 「問題点が、いくつかある」

 アドラムが続ける。


 一つ。魔王の現在地はなだらかな丘陵地帯であるため、遮蔽を作りづらいこと。

 これは、特に赤の従徒・リコを相手する際に問題になると考えられる。

 彼女の得物は銃だ。それも、大半の魔法の射程より外側から致命傷を与えられる逸品。

 例えばオドであれば即席で穴を掘る程度はできるだろうが、なるべくなら射線の通りづらい地形が望ましい。


 二つ。魔王が都市に近すぎること。

 現に、郊外の牧場上に鎮座している。

 なるべくなら、もう少し遠い場所で戦いたいところであった。


 「つまり、誘導が必要ということになる。ローテスタール谷を越え、カカオバーグ山の麓。未だ自然の残るその場所なら、被害を気にせず戦える」

 「……ふむ。一つ、良いか」

 メンが口を挟む。


 「魔王の現在地点と、誘導地点との距離は」

 「八キロメートルほどだ」

 「……どのように、誘導する」

 「カタパルトを使って空に飛ばす。誤差は出るだろうが、地上で地道に追い込むよりは幾らか目がある」


 「ふぅ、む……」

 メンは目を閉じ、作戦を吟味する。


 「《フライ》で抜けられるやもしれぬな」

 「飛ばす直前に拘束の魔法を入れてほしい。それでも、完璧な対応ではないが」

 「せぬよりは、良いだろう」


 「ちなみに、カタパルトの設置に関してはシュヴェルトハーゲン軍に任せていいよ。干渉しなければ攻撃されないのは確認済み。カタパルトを踏ませて起動するってのが誘導作戦の筋書きだね」

 リコが補足を入れると、メンは腑に落ちたようであった。

 

 「逆に言うと、ちょっとでも干渉したらえげつない反撃が飛んでくるから、誘導そのものは神子クラスでないと厳しいってこと」

 「承知した」

 「りょーかい!」

 一行は理解したようだ。


 「言うまでもなく、誘導ですら危険な任務になるだろう。私とメンと、後一人か二人欲しい」

 フィリウスは会議室の皆を見渡すと、二つの手が上がった。


 「私が出ようかな。トレーニングでどれだけ魔力が出るようになったか、見ておきたいし」

 「じゃあ、ボクが残りの枠に入るよ。弟子の成長を見たいからね」

 「こいつ……。まあ良いけど」

 ヒュペラとルノフェンが参加するそうである。


 「では、よろしく頼む」

 「こっちこそ!」

 フィリウスが頭を下げると、ルノフェンはサムズアップで返した。


 「作戦概要はこんなところだろう。次に――」

 「あ、ちょっと待って」

 遮ったのはヒュペラだ。


 「今回の魔王は、『この世界に残存する全ての神子』の形を取れるんだよね?」

 「そうだな」

 「実は、その件でミトラ=ゲ=テーアこっちの国家機密事項が一つあって……」

 露骨に目が泳ぎつつも、ルノフェンの方をチラチラと見ている。


 「え、なに? ボク、なにかした?」

 「逆。私が言っちゃうと漏洩になるから、直接見聞きしたルノフェンが言って」

 「なにそれ。ヒュペラちゃんが持ってる木の枝がヤバいやつってこと?」

 「それは……それも一応機密だけど、そっちじゃなくて! 頼むから察して!」


 ルノフェンは、んー、と悩んだふりをして、言葉を放つ。


 「ああ、ヒュペラちゃんのママ、緑の神子なんだっけ」

 「そう! それ!」

 立ち上がったヒュペラが机を叩くと、つい先程目の前に置かれた、グラスの水面が揺れた。


 「あ、これいただきます……美味しい」

 乾燥地帯で育つハーブの、よく冷えたお茶だそうだ。


 「……我が軍の記録では、緑の神子はシュヴェルトハーゲン旧王家に討ち取られたことになっているが」

 「ボクがお邪魔したときにはのんびり家庭菜園やってたよ。『私にはこっちのほうが向いてる』だっけ?」

 「うん。とにかく生きてる。生きてるし、ちゃんと強いから手に負えないんだよね」

 ヒュペラ、再度着席。


 一方、アドラムは手で額を押さえた。

 「そうなると、現状は黒が二人、赤が二人。後は青と緑で、合計六人の神子クラスと立て続けに戦うことになるのか」

 「見落としが無ければ、ですけどね」

 イロハがミルクを飲みつつ、言及した。


 「……で、さっきアドラムさんが切り出そうとしていた話題って?」

 ルノフェンが話を戻した。


 「ああ、端的に言うと、各員ができることを宣言してほしい。例えば、リコにヒーラーを任せることはできないし、そういった制約を互いに把握できれば作戦を円滑に進めやすいからな」

 「それもそっか。サクッと一言でまとめよう!」


 まとまった。


 ルノフェン:白兵戦(魔法・格闘)、射撃戦(魔法)、妨害。

 オド:支援、回復。非常時は白兵戦(格闘)。


 リコ:射撃戦(銃。概ね直線一キロメートル以内なら射程に入る)。

 ナナ:前線には出ないが、後方で兵士の支援を行う予定。


 フィリウス:白兵戦(魔法・剣)、射撃戦(魔法)、支援、回復。妨害以外は大体なんでもできる。

 メン:白兵戦(刀・格闘)、射撃戦(刀気)

 

 ヒュペラ:白兵戦(鈍器)。回復、支援。

 イロハ:射撃戦(魔法。水属性が得意。上級魔法までなら全属性使える)。支援、妨害、回復。


 なお、アドラムは後方で、魔王との戦いに邪魔が入らぬように魔物を封じ込める役割をとるそうだ。

 指揮官としての動きである。


 「フィリウス聖騎士団長、やっぱりこの中でも頭一つ抜けてる気はするんだよね」

 一通り話を聞いて、ルノフェンが話を振る。


 「イロハ殿の『全属性使える』も、中々見ない。大抵は初級で諦める」

 「そうですか? えへへ……」

 はにかんだ。


 「個人的には、ヒュペラちゃんもいい感じに仕上がってるよ」

 「特訓を思い出したくないから、深堀りしないで」

 こちらは、余程のことがあったようである。


 「いずれにせよ」

 アドラムがまとめにかかる。


 「敵の足を止める役、外から叩く役。それぞれ枚数としては十分そうだ」

 この意見には、全員が同意した。


 「誘導作戦決行は、二日後。その結果をもって討伐作戦の日程を決定したい」

 長机を、端から端まで見渡す。

 それぞれが頷き、納得したようである。


 「では、それまで英気を蓄えてほしい。必要なものがあれば、調達する。以上、解散!」

 

 作戦会議は、これにて終いとなった。


 ◆◆


 神の座、アヴィルティファレトの領域。


 瓢風の神たる彼は、日課である下界との交信を終え、コーヒーとともに捧げ物のバナナチップスを食んでいた。


 「なんだかんだで、ゆったりできる時間はいい」

 二枚目を歯で砕く。


 例のラミアたちの果樹園は、今もじわじわと成長を続けている。

 もし砂漠を覆い尽くすほどに成長するようであれば問題だが、現段階では神として干渉すべきではない。

 テヴァネツァクとも見解は一致していた。


 「りんごん♪ りんごーん♪」

 この世界の外からの通信を知らせる通知音が響く。 

 かつてルノフェンと交わったときに細工されてから、この音はそのままだ。


 アヴィルティファレトは通信相手をチラと見て、要求をシャットアウトする。

 ルノフェンの世界の、例の神だ。


 「後にできない? 今はこう……仕事終わって落ち着きたいんだよね」

 拒否メッセージを送り返し、バナナチップスの三枚目に手を付け

 「りんごん♪ りんごーん♪」

 二回目の通知。要求をシャットアウトする。


 「緊急だったりする?」

 再度拒否メッセージを送る。

 三枚目を丸ごと頬張り、応答を待つ。


 「……」

 応答がない。

 緊急ではなさそうだ。


 「チッ」

 舌打ちを鳴らし、今度はコーヒーを一口。

 ミルクとカフェインが脳を癒す。神に脳という器官はないが。


 「りんごーん♪ りん」

 「いい加減にしろよ!」

 激昂し、通信を受け入れる。


 「あっはは、ごめんごめん」

 特に悪びれもせず、『あっちの神』は笑った。


 「要件をさっさと言え」

 「わー、こわーい。でも、急ぎなのは本当」

 「手短に」


 『あっちの神』は、声のトーンを落として続けた。


 「ねえ、そっちの世界だと、異世界転移者は子供を作っても大丈夫なのかな?」

 「は?」

 予想外の問いに、一旦たじろぐ。


 「別に、特に制限はかけてないけど」

 「よかったー! 場所によっては禁制だったりするからさ」

 「ふーん」


 二秒ほどの、沈黙。


 「え、待ってよ。ルノフェンとオドのどっちかが子供作ろうとしてるってこと?」

 「オドの方。多分今日から動きそう」

 「今日!? てか、あの子何歳だっけ」

 「ギリ行けるくらいの年」

 「いつの間に……」


 もはや、アヴィルティファレトの意識からバナナチップスのことは抜け落ちていた。

 

 「それでなんだけど、今こっちのオドが面白いことになってるから、見においでよって誘おうとしてた」

 「それは……」

 興味はある。

 ただ、特に必要がないのに他の世界に潜り込むのは、あまり良くなさそうな気がしていた。


 でも。


 「座標は?」

 好奇心には抗えなかった。

 向こうのオドが――それとルノフェンも――どんな生活をしているのか、世界の管理者として知りたかったのだ。


 「誘導するよ。とりあえずこっち来て」

 「わかった」


 下界に遣いを送り、飛び立つ。

 『あっち』に行くためのルートは分かっている。

 神子を呼び出すため、一度は通った道だ。


 初期地点は空の上。雲間を越えて、星の中。

 宇宙だ。


 「お、来たね!」

 出迎えたのは、可愛らしい少年の姿をした神だ。

 ホットパンツに、肩と首を隠した丈の短い赤いアウター。

 銀色の髪は、猫耳を象るようにセットされている。


 「あの二人呼んだときにも思ったけど、そっちの世界だと女装は標準だったりする?」

 「そうでもないよ。ついてきて」

 二柱は宇宙を飛ぶ。

 デブリの合間を縫い、すぐさまパステルカラーの星にたどり着く。


 「ねえ、何の色なの? これ……」

 薄いピンクとシアンのマーブル。

 合成アイスクリームを思わせるその色合いは、明らかに自然の産物ではなかった。


 「さあ? あんまり気にしたことない。神としての力はほとんど人間に貸してるし……」

 「それ、大丈夫かよ……」

 ドン引きしつつも、潜り込む。


 パステルカラーの正体は、煙であった。

 輝く煙が層をなし、この星の気温を一定に調節しているようではあった。

 

 『あっちの神』は一直線にとある民家に向かう。

 正直、速度は遅い。

 本気を出したアヴィルティファレトなら、倍は出せるに違いない。


 もっともこれは神基準であるから、ヒトから見ればどちらも大差ないのかもしれないが。


 「着いた着いた」

 天井と壁をすり抜け、リビングへ。

 『あっちの神』も、アヴィルティファレトと同様に実体はないようである。


 リビングでは、一人の少年が正座し、椅子に座る女性を見上げていた。少年の方は、『あっちの世界』のオドだ。

 女性の髪はショッキングピンクのツインテール。外見年齢二十代半ばのヒューマン。黒いドレスを着て、キセルを蒸している。

 空と同じ、桃色の煙を吐きながら、少年の陳述を聴いていた。


 「どういう状況?」


 アヴィルティファレトの問いに答えるかのように、その女性は優しく惑わすような声で少年に語りかける。

 「つまり――こうね」


 キセルを置き、カラス羽の扇子に持ち替える。


 「いおどくんが毎晩異世界に行ってることは、知ってる。そこは、キミが持ち帰った指輪の素材が未知であったことからも、それは明らか」

 「はい」


 彼女は扇子で口元を隠した。


 「それで、あっちで女の子と友達になっちゃって、ほぼ毎晩迫られている。それを受け入れると『彼女』としての私に不義理になるから、『師匠』としての私に相談した」

 「はい……」


 ん……と、『師匠』は身を震わせる。

 

 「なんかあの人、ゾクゾクってしてない?」

 「昔から見てて、ぼくも師匠にしちゃダメなタイプだなって思ってたところ」

 「だよね」


 『師匠』は扇子を閉じ、神々の方に投げ放った。


 「ひえっ」

 「あ、ちなみにボクの力を借りてる人は、ボクたちのこと感知できるから」

 「それを早く言え!」


 彼女は艶かしく立ち上がり、オドの目の前に屈み込む。

 肉付きの良い、長い脚だった。


 そのまま両肩に手を置き、密着。


 「なあ、これ描写していいやつ?」

 「流石にまだ朝だし……ないでしょ」

 

 神々の心配をよそに、『師匠』はオドの耳元でささやく。


 「ヤっちゃえよ♪」

 「ひゃあうっ!?」

 

 オドの表情が、一瞬とろけた。


 「オスになっちゃえ♪ 一線踏み越えて、あっちで子供いーっぱい作っちゃおうよ♪」

 「な、ななななな……」


 想像していた答えと真逆の言葉が返ってきたようで、オドは顔を真っ赤に染めた。


 「なんて、ことを……」

 高鳴る心臓を意識しながら、形だけでもと抵抗する。


 「想像してみてよ。ラミアの尻尾にぐるぐる巻きにされて、無抵抗のまま、なーんにもできずに食べられる。魅了の呪文を掛けられて、なっがーい舌で、脳までキスで溶かされる」

 「っ……」

 『師匠』はオドの男の部分を挑発しながら、語り続けた。


 「も、もうやめてください……!」

 これ以上は、流石に辛いか。

 通学前だし、からかうのはここまでにしておこう。


 「まあ、真面目な話――」


 『師匠』はオドの上から降り、扇子を再び手に取る。

 ここからは、保護者としての言葉だ。


 「私も大概遊んでるからさ。私がやってていおどくんにさせないのは、なんか違うでしょ」

 「それは……」

 オドはなにか言い返そうとして……できなかった。


 「そりゃあ、私は心配だよ? あっちの『オド』くんが何か悪いことに巻き込まれるんじゃないかって。でも、聞いた感じレシュって子も今のままじゃ辛いでしょ。労ってやらないと」

 「ねぎらう……」

 「そ」


 扇子を開き、キセルに纏わりついていたピンクの煙を追い払った。


 「いおどくんは私にこの話をして、どうにか抱かないための言葉を欲しがってたように見えたけど、この様子じゃそもそも手遅れね。宿も男女別にすらなってないし、外堀は埋まってると考えたほうがいい」

 「じゃあ、わたしは――」

 「そうね、さっさと覚悟決めなさい。干物になるまで搾り取られる覚悟を」

 「うええ……」

 

 キミの蒔いた種ではあると思うし、諦めって肝心よ。『師匠』はそう補った。

 

 「ほら、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ? この際だから言うけど、ちゃんと同年代の子と交流しなさい。こっちでも、『あっち』でも」

 「……わかりました、師匠」

 「よし」


 『師匠』は扇子で二回オドを仰ぐと、彼はスッキリした面持ちで、師匠に背を向けた。


 「学校、行ってきます」

 「うん、気を付けて」


 勢いよく開け放たれたドアは、ひとりでに閉じていった。


 リビングには、『師匠』一人が残される。


 正確には、二柱の神も含むが。


 「ねえ、居るんでしょ?」


 『師匠』は、アヴィルティファレトの方へ向き直る。

 見えても聞こえてもいないが、確かに知覚してはいる。そういう動きだった。


 「お願いがあるんだけど……」

 じりじりと、アヴィルティファレトに向けて歩みを進める。

 

 神を前にして、捕食者のような視線を向ける。

 今のカイムスフィアでは、およそ考えづらい感性だ。


 「私も、あっちの世界に連れて行ってくれないかなぁ?」

 ニヤつき、左手でドレスの胸元をはだけて色仕掛け。


 動作が手慣れている。

 この女は、危険だった。ルノフェンと同じ方向性で。


 『師匠』は、扇子を使ってアヴィルティファレトの立つ座標をまさぐろうとする。

 彼は上に逃げた。付き合っていられないと感じた。


 「流石に神様相手だと通用しないか。じゃあ、もう一つのお願い」

 今度は、手を合わせてお辞儀。

 何をする気なのだろう。そう警戒するアヴィルティファレトに、『師匠』は語りかける。


 「『オド』のこと、よろしくお願いします」

 「……」

 なんのことはない、挨拶だった。


 「あの子を拾って、もう十年近くになるのかな」

 『師匠』は頭を上げ、視線をそらして部屋の中をゆっくりと歩く。


 「最初は育ったら婿にするつもりだったんだけど、今は保護者としての心配も強くてね。ほら、あの子はさ。私ばっかり気にかけて、交友関係はそんなに広くないの」


 『師匠』はなおも語り続ける。


 「だから、私が束縛になっているようなら、一旦外を見てほしかった。私以外の誰かと、楽しそうに過ごしている話を聞きたかった」

 「複雑だなあ」

 アヴィルティファレトはそう漏らした。


 「そういうわけで、『オド』の異世界転移は、あの子だけじゃなくて私にとっても転機ってわけ。あの子が迷っていたら、背中を押してやるのが私の努め。じゃなきゃ、死んだあの子の親に見せる顔がない」

 少なくとも『師匠』の側としては、それで納得しているようである。


 「まあ、そういうわけで。多分そっちの世界には『オド』の血筋が残ると思うから、平等に愛してあげてね」

 「だってさ、アヴィ」

 「なんで君まで楽しそうなんだよ……」


 実際、神子との混血にはいくつか例がある。


 直近だと、緑の神子。

 彼女が授けられたのは、極めて高い身体強度と生命属性への適性。

 それと、大世界樹グラン=トレオ=フィリラとの交信能力である。

 これらは、娘であるヒュペラにも引き継がれた。


 「あ、それと。今からろくでもない話、していいかな?」

 返答を待たず、『師匠』は続ける。


 「“『オド』くんの男性能力は悲惨だから、夜が残念なことになっても恨まないでね”ってレシュちゃんに伝えといて」

 「はぁ!?」

 

 それきり、『師匠』は何も話さず、自らの仕事に戻っていってしまった。


 お願いを受けた神は、ため息を吐きながら帰還。あっちの世界に行く前と同じように舌打ちをして、レシュの信仰するハムホドに遣いを送った。

 ハムホドはこの情報をレシュに伝えるか迷ったが、結局伝えた。

 愛あらばこそ、隠す理由はないと判断したのだ。


 余談にはなるが。

 結局この日の夜、オドとレシュの居室の明かりは一晩中消えなかったそうである。


 【続】

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