第2話 真夏の転校生

「転校生が来るらしいよ」

 幼馴染の宗佑からそのニュースを聞いたのは、友輝じいちゃんの昔話を聞いた次の日のうだるような七月の朝だった。悠馬が通う岬中は全校生徒がたった十名しかおらず、悠馬の母校はいずれ廃校になるという。その転校生はわざわざ私立中から転校してくるのだ、という久方ぶりの明るいニュースに宗佑の浅黒い顔は噴水ショーで水を浴びたかのように汗がびっしょりだった。


「どんな奴なのかな? 男? 女?」

 声変わりを済ませたばかりの宗佑の声は見違えるように濁声だった。悠馬は不貞腐れたように適当に相槌を打ちながら、額に滴り続ける幾筋の汗をタオルで拭いた。転校生がどんな奴なのか、どうだっていい。私立中からわざわざこんな辺鄙な港町に転校してくるなんて、それなりの理由があるのだろう。悶々と身体中に流れる汗を拭きながら、学校に到着すると、担任の先生がホームルームの冒頭で転校生を紹介し、その転校生が登場するや否や、三人しかいない女子生徒の一群からは悲鳴にも似た歓声が聞こえた。

 

 その少年はパルテノン神殿の玉座に捧げられる、古の大理石の彫刻のように整った顔立ちだった。ぞっとするほど緋色に染められた唇、計算された程良い高さの鼻梁、ひやひやさせるほど混じり気のない白い頬、月影に照らされた海面のような漆黒の眼と細やかな侍眉がそれに相応しい。悠馬は猫背になった背筋を伸ばしながら、何かこいつ嫌な感じ、と分が悪いまま、唇を微妙に傾けた。


「では、鵜戸岬君。自己紹介を」

 初めまして、僕の名前は鵜戸岬です、と少女のような名前の転校生はにこやかに笑いながら、その真紅の唇を開いた。学校名が岬中で転校生も狙ったかのように岬なんて、出来過ぎの青春映画のようだ、と悠馬は頬を窪ませながら、その転校生と何度か冷酷な切っ先のような目線と初対面から合い、つい身をすくめた。その転校生に漂う、死の憧憬を悠馬はその作り手を無視した美しさから感じ取った。真夏に差し掛かろうとしているのに北風を真っ向から浴びたような寒気さえ感じる。女子たちはその転校生の美貌に惚れ込んでいたし、ふと横を一瞥すると宗佑は心許ない顔をしていた。ホームルームが終わり、休み時間になるとたった五人しかいない教室では、その転校生による熱気が溢れ、人だかりが生まれていた。何度も切羽詰まって質問する女子たちに紳士的に返事をしていた。


「岬君ってどこに住んでいるの」

 女子生徒の一人が尋ねると岬は都井岬、とそのなめらかな赤い唇を開いた。都井岬に跨るあの白亜の灯台には、灯台守の友輝じいちゃんが駐在する管理所と野生馬である御崎馬くらいしかいない。春になると親馬が春駒を産み、金鳳花が咲く草叢で日向ぼっこをする。親子の馬が若草をむしり、太平洋をバックにした風景写真を撮るためにアマチュア写真家もよく訪れる。駒止の門でそれなりの代金を払わないと、あの灯台には入場できないのだ。何か変じゃないか、あそこに民家なんてないだろう、と宗佑が悠馬に耳打ちする。

 校舎の向こう側に見下ろした、晴れ渡った夏の海では瑠璃色の硝子が瞬く間に固まり、その一瞬の煌めきを残すように陽光に照らされていた。あのときの鉛色の海は分厚い雷雲の下の時化で荒れ、波濤が支配し、エンドロールを告げない嵐で、何もかもが包まれていた筈だったのに、それが嘘のように真夏の日常に溶け出していく。転校生は国語の授業が始まっても上の空で頬杖を突きながら、ずっと灯台がある、その南東の方角を見ていた。死を匂わせるその虚ろな眼差し。悠馬は面影さえも夕靄のように薄らいだ父を思った。父さんがもし、生きていたら、と悠馬は滲み出す汗を拭きながら同様に頬杖をついていた。



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