7:火曜日 午後その2
ヒロ=軽く跳躍/軽く屈伸/背伸びをする=準備体操。
潰瘍内へ向かう第3小隊を横目に/非番の特権=思い思いのトレーニングができる。
「どれだけ機械が発達しようとも、強靭な精神は強靭な肉に宿る」=隊長の教え/100%同意する。
ヒロ=走り出す。
潰瘍監視基地の外周は約10km/軍事基地ではないが有刺鉄線と高い壁とセンサー&監視カメラをモニターするAIに守られている=走っている最中もどこからか見られている/もう慣れた。
ヒロのモチベーションの根源は2つ/正義感と劣等感。
常磐興業の保安隊のメンバーの大半は高度な軍事訓練を受けている。特に魔導災害の激戦区だった東京エリアは精鋭が集められている。
陸自、外人部隊の出身/県警のSATや海上保安庁のSITの生え抜きの隊員。あのジュンでさえSATの機動隊員だ。
ヒロ=警察の元巡査/ギュッと握る/実力ではなくやる気で常磐興業に拾われたようなもの。
やることは全部やる=任意参加の射撃訓練/日々の筋力トレーニング/近接戦闘の講習会etc。
いや講習会は役に立たなかったな=ヒロは小石を蹴飛ばして基地外周の通路をひた走る。
人を殺したり小隊を指揮する戦闘講習は1ミリも役に立たない=主な敵は怪異/魔導防御を盾に突っ込んでくる/対ゾンビ戦闘講習があればぜひとも参加したい。
額から流れる汗を拭う/目頭をぬぐう。地道な努力しか残された術は無いんだ。
おおよそ基地の半周まで来た=まだまだウォーミングアップだ。ペースを上げていこう。
倉庫脇の駐車スペースにうず高く積まれたゴミ袋が目に止まった。
「このゴミ袋は……昨日のじゃないな」
昨日の雑用=倉庫整理。
はじめのうちは丁寧に仕分けしていたが中身がガラクタばかりなのでまとめてトラックに載せてしまった。
ヒロ=
扉の空いた倉庫から、金髪のツンツン頭=ジュンが現れた。昨日と同じ支給されたTシャツを埃で汚しながらダンボールを運び出している/まだこちらには気づいていない。
昨日、どのみちサボってて終わらなかったんだろう。
手伝おうか=否/即決。
ただでさえ緩いやつだ。甘えさせてはダメだ=ケンさんもそう言っている。
だが/もしかして、ニシさんなら助けてやるんだろうか=いや、きっとやる。
ニシさんは正義感のせいでなんでも背負い込んでしまう=見ていてハラハラする。部隊の最大戦力という意味もある。隊長だってそう言っていた。
しかし=ヒロは頭を振った。仲間じゃないか。助け合わないといけないのに、ニシさんには助けてもらってばかりだ。
たしか
俺はいつも1番だった。
中学も高校も陸上部じゃエースだったし、警察学校だって主席で卒業した。
正義のために不正と戦うんだ。戦う意思と能力が俺にはあるんだ。そう思って警視庁で働き始めた。
その矢先に起きたのが魔導災害だった。
東京を覆う謎の黒いドーム/溢れ出る化け物。
死者数=未知数。負傷者数=無数。避難民=1500万人/東京にいた約半数/もう半数は死者。
全く馬鹿げている。
備蓄されていた物資も1週間で払底した=盗まれた/化け物に市役所を壊された。
ヒロの眼前=大田区の区役所に集まった数え切れないほどの老若男女が道路を埋め尽くしている。手には空のペットボトル/バケツ/たらい/ビニール袋。
ヒロの背後=空っぽになった給水車。
黒いドームが発生した直後、はるか上空で閃光が見えた=核攻撃という噂。
核こそ落ちてこなかったが電磁パルスで機械類は全て故障した=復旧した数台の給水車と1箇所の浄水施設で数百万人分の飲水を提供=できるわけがない。
眼前の群衆=空腹と乾きで怒りの沸点に達していた。
怒号=どれだけ声を張り上げても彼らには届かない。無いものは無いんだ。
群衆がじりじりと寄ってくる/数が増えているんじゃないのか。
このままじゃ暴動に/いやすでに暴動だ。
抑えなくては=手が伸びる/唯一の警官の証=拳銃。
威嚇発砲ならこの怒号に打ち勝ちなだめることはできるか=それしかない。
適切な拳銃の使用? バカ言え。すでに異常事態なんだ。適切かどうかなんて贅沢は安全圏に要る連中の特権なんだ。
「──っと、すみません。あの、通してください」
群衆から頭2つ分飛び抜けて巨大な大男が現れた。2m以上の長身/裸足/半裸/格闘マンガの主人公のような筋骨隆々の浅黒い肌で異様を放っていた。
その隣=ひとりの青年が怒れる群衆をかき分けて現れた/長身痩躯/顔色が青ざめている=寝てないとか食べてないとかそういうのじゃない。擦り切れて消えてしまいそうな儚さ。
「ニシ、ここには怪異はおらんぞ」巨大な男が唸った。
「ここにいるのは人間だ。間違っても襲うんじゃないぞ」
「ガハハハ。我はその程度の区別は付く」
「だったら先に潰瘍の近くに行ってくれ。抑制フィールドの建設資材を守るんだ」
「あいわかった」
怒れる群衆もさすがにあっけにとられた=大男が通れるように道を空けた。
「何があったんですか」
青年の声=この場でひどく落ち着いて聞こえた。
「何って、水がないんだ。君にも分ける水が無い。また明日来るから──」
久しぶりに自分の声を聞いた/ずっと群衆の怒号にかき消されていたせい/喉がヒリヒリと痛い。
「わかりました。じゃあ、自分が作りましょう」
作る? 何を言っているんだ。
すると青年は、近くの老婆から手桶を受け取ると、その中をじっと見つめた。
たちどころに手桶の底から水が湧いて出てきた。
「それは魔法か?」
「
青年=淡々と。慣れた説明/慣れた手際=他の避難所でも同じことが起きている?
「ふざけやがって! そんなもん、飲めるわけがないだろう」
怒号=群衆の1人/中年男性。
「落ち着いてください」青年がなだめる/自分より若いのに落ち着いてる。「成分は水素と酸素。自然界に存在する水と同じです。召喚したので若干のマナを帯びていますが人体に影響はありません」
怒れる中年男性/物怖じしない青年=暴力沙汰ならすぐに止めに入る/魔法使いは人一倍強いと聞いたことがある/鷹揚とした態度はそのせいか。
「ああ、おいしいねぇ。このお水。とってもおいしい」
ヒロ/青年の背後=水の満たされた手桶から水を飲んだ老婆が顔をほころばせた。
「ええ。以前、富士山の天然水を真似して召喚したことがあって……ミネラル成分も同一です。ただ日持ちはしないのでなるべく早く飲んだり、煮沸したり、体を拭くのに使ってください」
ぷつん
緊張の輪が解けた。
容器を持つ群衆=我先にと青年ににじり寄った。
「待ってください。1人ずつだと効率が悪いので、そうですね。この給水車をいっぱいにします」青年はヒロを見た。「これ一台分の水でここにいる全員分を賄えますか」
「いや、半分も行き渡らないかもしれない」
「わかりました。
青年は給水車のタンクに手をおいた。呪文/御札/杖/儀式=どれも無し。ほんの数秒だった。
するとタンクの目盛りがみるみるうちにせり上がってきた。
「水を召喚する
本当に水が? 飲める水が無限に手に入る?
「ああ、ありがとう」
「じゃあ、自分はこれで。もし何か困ったことがあったら市役所か常盤興業の社員に伝えてください。携帯はまだ復旧してませんが……自分か少なくとも他の魔導士がすぐに駆けつけると思いますので」
青年は群衆からの感謝の念を聞きながらどこかへ歩き去ってしまった。
落ち着きを取り戻した群衆は、ひとまず1列に並べさせてそれぞれの容器に給水していった。
丁寧に取水コックを開け閉めしていたが次第に魔法で追加される方が速くなり水を出しっぱなしにして、水を注いでもらった。それでも水は減ることはなかった。
「あれが、魔導、か」
ヒロもひとすくいの水を口に含んで、昨日から洗っていない頭に水をかけた。
冷たい/気持ちいい/火照った体が冷やされていく。
災害時の対応は訓練済み/黒いドームと化け物の群れは想定外。
しかしやっとこれで想定していた災害と同じ雰囲気になった=秩序/公平/安心。
「あの、すみません」不意に声をかけられた。中年の男=黒い作業服/肩と背中に常磐興業のエンブレムが刺繍してある。「常磐で医務を担当してます吉田というものです。ここに若い魔導士が来ましたよね」
「え、ああ。名前は聞きそびれましたが」
確か、一緒に現れた大男はニシ、と呼んでいたが確証はない。
背後でジャージャーと水が贅沢に流れ出ている/水浴びのせいで上半身はずぶ濡れ。
「水を、召喚したんですか」
「たしかそんな事を言っていました。魔法で水を作る、とか」
「こんなにたくさん?」常磐の吉田と名乗った医師は神経質そうに頭をかいた。「あれだけ魔導を使いすぎるな、と言ったのに、もう。精神障害があらわれでもしたら……とりあえず、もしまた同じ魔導士を見かけたら『吉田が魔導を使うな言っていた』とお伝えください」
「ええ了解です」
たしかあの魔導士はニシ、と言っていたか。彼は常磐興業の所属なのか。それなら/じゃあ、そこで働けばもっと人を救うことができるのかもしれない。
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