❄『過去夢現交差』編❄

18 琥珀に微睡む、金花の魂


 春に捧げた、私の祈りは届いただろうか。桜に忘れ去られた不香の私は、斑のサビから銀光を放つ鉄格子を虚ろに見つめていた。寄り添い眠る智太郎ちたろうの温もりが、ヒビ割れた私を微睡みに連れていく。山間やまあいから静謐せいひつこうが真っ直ぐに帰り、焦がれた甘えを若苦わかにがくすぐれば、着物に皺をつけても胸に縋ることを許してくれるのに。わたるは、何処に居るの。

 

 うつつから乖離した微睡みの中、地上から陽光が降りる。幼子を連れた白虎が、金の瞳を瞬いた。その金は、軽やかで重厚。淡い黄色ライムライト楔石スフェーンの如く、強い黄緑シャルトルーズイエロー分散ファイアを返すのに、陰影の代赭たいしゃ色は琥珀アンバー沈眠ちんみんするように濃厚に煌めく。「おかえりなさい」と囁いた小さなあるじに、撫でられた白虎かたしろは喉を鳴らす。彼女の鶯色の髪に鼓動が痛むのに、意識さえも金縛りにあったよう。


「私に出来るのは、過ぎた夢の中で『後悔を辿る私』として生きる事だけなのか……確かめたいの。選択肢の破壊者として抗えば、咲雪のうつつが蘇るかもしれない」

 

 金木犀の花香が解ければ、小さな両手は私の頬に触れていた。暖かい陽に、身体にはしる花緑青色のヒビが癒えていく。微笑む桜色の唇しか、見えない。


 淡い黄色ライムライトの陽の翼が翻った瞬間――檻の中に踏み入った白虎だけが、私の頬を嗅ぐ。清涼に覚醒した私は、白虎が背から委ねたわたるを受け止めた! 眠っていたとしても、渉のほのかな微笑が……私の凍てついた涙を溶かし、帰郷を告げる。

 

「……おかえりなさい、渉」


 目覚めればいいのに、と柳煤竹やなぎすすたけ色の柔い髪と頬に触れて促す。己の白銀の髪で囲い、渉に口付ければ、焦がれたこうが甘苦く満ちていく。温かい鼓動を聴けば、詰りたい想いなんて露と消えた。もしも渉が帰ってこなかったら、私は永久に待ち続けていただろう。面影を智太郎に見て、春に忘れ去られた地下牢の中……自我ごと朽ちていったはずだ。堕ちる寸前だった白い孤独が、嗚咽をつらくさせた。


 私を癒した、陽光。『生力を操る力』は、秋陽あきひの胎の内に居た彼女のものだった。そう考えれば、白虎かたしろで渉を救ったのは……。

 

「待って、千里せんり。まだ私は、礼すら告げていないのよ」


 若葉色の着物の袖へ金の翼を顕現けんげんする幼子が、地上の陽へ消える前に呼び止めた。振り返らない彼女は、秋陽から継いだ鶯色の尼削ぎ髪セミロングをふわりと靡かせるだけ。

 

「礼なんて必要ないよ。咲雪への償いにはならないからね。夢現ゆめうつつに生きる私は、『幼い千里』の中の妖なの。『清麗せいれいな可能性』がみなもとから流れゆく『天鵞絨ビロードの大河』の上流から、下流に立つ貴方という【過去夢】を視る者」


 私は星の喪失を告げた占い師……あおかみを思い出した。未来が視れるモノがいるのなら、未来から私の過去いまを視れるモノが居たっておかしくない。だが生力を操る千里は、まだ『人』のはずだ。二歳にしては大人びた言動が、異質を覚えさせても。

 

「貴方も、千里じゃないの? 」


「千里だよ。咲雪が知る私とは、少し違うだけで。咲雪にとっては現実でも、私にとっては夢だけど……夢の中に居続けたいと思ったのは、初めてなの」


 振り向いた千里の無垢な笑みに、未知の怖気が迫り上がる。私を捉えた変彩金緑石アレキサンドライト杏眼あんがんは、紅紫色を変幻する青紫色を宿し、端に金の鱗粉を瞬く。妖の『菱形の星の瞳孔』が閃いた。『妖』になることが避けられなかった彼女は、『人』の頃の夢に微睡んでいるのか。

 

「待ってて。私が咲雪の運命を変えてみせるから」

 

 問う間も無く、生力由来術式の翼を翻した千里は小鳥のように消えてしまった。伝う涙が、頬に残されてしまう。白虎かたしろが消失し、金の稲妻の残羽が舞う中……視えぬ『運命』を己に問うた。秋陽から託された遺言の答えを、千里に齎さねばならないのは私の方なのに。守るべき雛の貴方に救われる理由を、私は知らない。


 秋陽の遺した希望の針が、好奇心の鍵になった時……僅かな衣擦れの音さえ、張り詰めた透明へ吸い込まれた。が、鉄格子の間を表面張力で繋いだから。青い花吹雪が映り、合わせ鏡の無限世界を乱す。無音を清めたのは、鈴鳴との高い声だった。

  

「時を越え、かみの恩寵を受けるがいい! 」


 境の水鏡に触れるは、青い木彫の鬼面を被る巫女。花弁を模した瞼の下に、大きな一つ目。二本角と牙が隆々と、畏れを授ける。黒髪を彩る左右の花簪には、瑠璃色の牡丹と銀の札飾り。繋ぐ紅鬱金色べにうこんいろの組紐の先に、黄金の鈴が鳴る。湾曲した木板の首飾りには、『冬夏青青とうかせいせい』の彫刻。青い巫女装束に透ける千早ちはやの文様には、瑠璃色から露草色へ階調グラデーションを遂げる牡丹と萌黄色の葉が咲き乱れていた。

 

「何故貴方が、桂花宮家ここに……」


 嘲笑うが鬼面を外せば、研がれた美貌の玲香おんなかんばせが露わになる。青玉サファイアの左眼で私を捉えたのは、弐混にこん神社のあおかみか。青く燃える、己の二本角を顕現させた。

 

「僕を映す対価に、竜口 冴たつぐち さえに『とある未来』を告げてやったのさ。最も……『人魚の肉』の残存分から、竜口家かのじょらは察していたようだけど」


 視界の端で『人魚』の洗い朱の尾鰭が翻り、『シン』の術式で生じた波紋へと消えた。

 

「まぁ、そんな事はどうでもいい。君に告げたい本題は、星の喪失を告げた僕の【未来視】が、まだ有効という事だ。このままでは、渉はで目覚めない」


 私は思わず、眠る渉をもう一度確かめた。やはり鼓動は温かく、息もしている。虹鱒ニジマスの半妖ののどかに刺されたはずの傷も、千里によって癒されていた。智太郎と共に午睡をしているようにすら見えるのに……このまま目覚めないかもしれないなんて、心の底から信じたくない。


「その男に絡む『千里の可能性』を、僕と千里で綱引きしている状態だから、生死を棚上げ出来ているのさ。『時』に関する妖の僕は、千里の眷属でね。母なる創造主に、遅れてきた反抗期の真っ最中なんだ」


「貴方が引いている綱は、渉の『死』に繋がっているんじゃないの? 宮本家に属する、羽衣石家の『蝶』の滅絶を望み、『蝶狩り』を乱したのは貴方の巫女姫でしょ。生死が証明出来ない『首謀者』に、踊らされていないと言えるの? 」


 ふいに、青ノ鬼は笑みを解く。重く禍々しい陰影がのしかかった。青い蛍火の中……己の胎を撫でていた青ノ鬼の姿と、桜吹雪の中……玲香れいか本人が那桜なおと『蝶』へ苦無クナイを振るった姿が、脳裏へ投影フラッシュバックされた。 

 

「君になら分かるはずだ。己の胎で育み、ツガイと出会い幸せを分かちあった『家族』達が、【異能】を奪われ眼前で斬り裂かれる絶望を。……先代の青ノ君こどもだって、宮本家やつらに殺されたんだ。現あおきみ神田 雨有かんだ うゆうは眠りにつき、鴉へ託した【過去夢】は奪われずに済んだがな。未来で千里に【過去夢】が継がれなければ……君達へ繋がる『可能性』が無かったことくらい分かるだろ? それに、羽衣石家の『滅びの蝶』は人の手には余る。名の通り、破滅を呼び寄せるだろう」 


 重々しい気魄きはくが消えれば、青ノ鬼は嘘のように軽薄な嘲笑を称えていた。

  

「疑うのは構わないが……手放す引き際を間違えば、『生』ではなく『死』に直結するのは、千里の綱だって同じさ。未来や過去の改変は、『可能性』を【異能】にて消費し成し得るものだが……千里の為でなければ、触れたくない程に『可能性』は恐ろしく危うい。この時間には『可能性』に触れられる異能者がまだらず、僕も含め、千里もしか出来ない……はずだった。その縛りが千里に無いように見えるのは、『ある願い』が時を越えて一致した己の身体の内で目覚めたからだ。眷属の僕も含め、『願い』に関する改変ならば可能になってしまった。『願い』が叶ってしまえば、『己の可能性』を失うのは千里自身だから。千里が変えたいと願う過去は、君に絡む『己の罪』なんだよ」 


「貴方は、『千里の罪』について知っているのね」

 

「僕より君の方が、余程詳しいだろ?


 答えは己の中に探れ、という事か。私は、既に欠片ピースを得ているのだろう。

 

「僕は『最悪な未来』の気配を感じて、『妖の千里』と同じ、十五年後の現代から君を視ている。千里が『願い』を叶えてしまえば、彼女の『可能性』は零を下回る。創造主の危機に、僕は自分が存在した時間に己をしているって訳。千里の【過去夢】と、介入した僕の【未来視】がなせる技だね」


「『最悪な現代みらい』……ね」


「本来の僕の【未来視】は、確定した未来を視る異能だ。確定していない未来は……朧な断片だけどね。僕の感情いろ? 」


【彼女がいた濡れ羽色の長い髪先は、大菊の走り花弁のように、たかき逢魔が時へ広がった。山影を喰らう躑躅つつじ色の水平線は、本紫の天上を鮮烈に焼く。二人の出会いは狩りとなり、祝福にはならなかった。地下牢から逃れた死装束のままに、少年は死に絶えた世界を夢遊病のように彷徨う。背後から捕らえた少年の唇へ爪を立て、恋を知らぬ妖の彼女は無垢に嗤う。指間腔しかんこうから滴る甘露は、『清麗な可能性』を呑む為に骨をも溶かした『大切なヒト』か】 

 

「時をつかさどる千里と僕のさがは、混沌だ。夢とうつつ、愛と瞋恚しんい、希望と絶望、人と妖、生と死。そして、善と悪。『原初の妖の根源しんぞう』を律する『人の心』すら忘れ、それらの区別を溶かせば、己の可能性の空白を埋める『完全な妖』と成り果てる。愛おしむように夢現ゆめうつつの時へ溺れ、世界線を越えた前世かこ今世げんざい来世みらいを混沌の蜜に化すだろう。捻れた【過去夢】が開花する、暴走だ」 


 欠片ピースは重なった。『人の心の残滓ざんし』すら失う寸前だった、『原初の妖』である炎陽ちちおやが齎した絶望を私は知っている。『人の心の優しさ』を、母のように私へくれた鴉の慈愛も。正治しょうじ翔星かいせいが語った、『人の心』を忘れられない『わたしの可能性』は繋ぐ為にあったのだ。藤棚の下……そして、檻を境に燦爛さんらんと訴えた秋陽の遺言を結実する為には、正しい感情いろを追いかける為の『』が必要だ。善悪は直感的にしか決めれないのだから。それが命を懸けた判断であるならば、尚更。……『悪の色標本』を抱くべきなのは、己のいろを追う私も同じ。


「それで。私に、雛鳥の翼を狩る悪役ヴィランを演じさせたい訳? 芝居料は高くつくわよ」 


 蠱惑的に微笑めば、青ノ鬼は清い微笑を返す。彼の想いは、鎖骨の木札に示された『冬夏青青とうかせいせい』か。千里を敵に回しても、彼女の為に貫く気持ちは常緑樹の葉の色のように変わらない。

  

「察しが早くて助かるよ。けどね、君の決断は本来の過去でも変わらない。君が己の意志を貫けば、千里の『人の心』は失われない。対価は、渉の救済だ。千里の【過去夢】が醒める時、渉もまた目覚めるだろう」


 眠る渉の前髪を、私は優しく払う。渉が命を賭す覚悟で私を選んだように、私は渉を選ぼう。花筏の峡谷へ墜ちる渉を恨んだくせに、今の私は清い凍晴いてばれを臨む心地だ。

 

「条件を呑むわ。千里と私……『真の救済』を相手に齎した方に、勝利の冠が授けられるのね。互いへの純粋な善が刃になるなんて、皮肉な決闘」


「君の敗北は、現代みらいに生きる僕らの運命に直結する。そして、現代みらいから【過去夢】を視る者は、千里と僕だけじゃない。は、君の隣に居る」

 

 青ノ鬼は仄かな慈愛の微笑を、瞬きでいわおの如き殺意に変貌させた。私は戦慄する。わたしに温もりを与えて眠る小さな少年が、燃える青玉の左眼で射抜かれたから。


、相棒。お前も、千里と同じ幸せな過去の夢に微睡むつもりか。『埜上 智太郎のがみ ちたろう』として、『桂花宮家に飼われる妖』の道に流され、ただの甘露えさに成り果てるつもりなら……僕は許さない。『千里を守る妖狩人』として応えろ、『尾白 智太郎おじろ ちたろう』! 」


 縋るような躊躇いに、鼓動が高鳴る。渉が繋いだ波紋は、硬質なしろい艶。雪華の睫毛が震え、花緑青の瞳が燦爛と開かれた時、あぁ……この目だと確信してしまった。わたしに甘える子供の眼差しでは無い。私が愛した瞳は、聖獣の鉤爪の如く流星痕を引いて、死のくろを切り払うのだろう。

 

 

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