死に往く、不香の花 【過去夢04】

鳥兎子

❄『隠世 猫屋敷』時代❄

幼少期~十四歳

00 彼女の絵本を開く


「むかし、むかし。あるお城に、『美しい王さま』が暮らしておりました。王さまによりそうのは、愛する二人の女王さま。『賢い女王さま』と、『優しい女王さま』でした。王さまと女王さまの宝物は、今日も元気で可愛らしい三人のお姫さまです。双子のお姉さんより、小さな妹は『シンデレラ』といいました」


 私達三姉妹は猫耳を揃えて、思い思いに畳へ座っていた。睫毛を伏せて語る彼女は、決して私達に絵本を覗かせない。続きを知られたくないからと言って。


「ある日突然、『シンデレラ』へ隣の国から舞踏会の招待状がとどきます。ところが、大変。『シンデレラ』には、よそいきのドレスがありませんでした。舞踏会は今日なのに! そこでお姉さんである『双子の魔法使い』が、なかよく星の杖をひと振り。すると、妹の『シンデレラ』にぴったりの素敵なドレスがキラキラと……」


「ねぇ、芽衣めい! 私、『人魚姫』がいい! 魔法使いなんて、広くてきれいな海で歌を歌えないじゃない! 」


 ピンと伸ばされた幼い手に、皆注視する。またか。紅色の髪の姉が、『おはなし』を遮るのはお決まりだ。呆れたように、琥珀色の髪の姉はため息をついた。


「ちょっと邪魔しないで下さい、紅音あかね。こんな髪の魔法使いじゃ、『シンデレラ』はのドレスを着るしかありませんね」


「誰がみたいなあかい髪ですって!? タコ殴りにされたいのね、翠音みおっ! どう考えても、波みたいに揺蕩う長い髪は『人魚姫』の方が相応しいでしょ! 」


 立ち上がった紅音はツンと小さな顎を上げ、苛立たしげにに髪を払う。自分を『人魚姫』に例えるとは、相変わらず傲慢な姉だ。ならば、私は謙虚な妹の『シンデレラ』になるべきか。


「タコのドレスでも扇情せんじょう的に着こなしてあげるから、静かにして。騒がしい双子の姉の魔法使いじゃ、お母さんの『おはなし』が台無しじゃない」


「『おはなし』が盛り上がってきちゃったね。みんなが楽しめれば良いんだよ、咲雪さゆき


 優しくほほえんだ芽衣おかあさんは、猫耳を伏せた私の頭を撫でてくれる。さらさらと流れる、白銀の長い髪は……『人』である芽衣ははの黒紅色の髪とは違う。『妖』暮らす猫屋敷ここで異質なのは、寧ろ……。


「芽衣。そろそろ、妾に紅音を返してくれるか」


「かあさま! 」


 障子を開いた『賢い女王さま』は、孔雀の尾羽根を翡翠色に靡かせて現れた。無邪気に笑った紅音は真っ直ぐに、揃いの紅色の髪である『母』へと抱きつく。『優しい女王さま』である芽衣の笑みが、何処か曇った気がした。

 

「そっか! ごめんね、珠翠しゅすい。紅音は、華道の稽古の時間だったよね。ところで……は、私の名を呼んでくれた? 」


炎陽えんように期待などしない方が、『えさ』であるお前の身の為だ」


 素直では無い忠告か、皮肉な餞別せんべつか。『美しい王さま』の名を、珠翠は冷静に言い放った。黒いもやが、珠翠の内に視えたような。

 

 もう少しで、がはっきりと視れそうな気がするのに。異能に目覚めた姉達のようにはいかない。まだ『まほう』を使えない今の私では……継母ままははの気持ちは分からなかった。

 

 客観的に見れば、後妻ごさいは芽衣の方か。この『おはなし』で問題なのは……死にゆく正妻せいさいがまだ生きていることなのか。幼い私はまだ、本当の『おはなし』を知る由もない。

 

「炎陽は、気まぐれな猫さんだもんね。でも……の味がする、芽衣わたしのことを忘れられないのは知ってる。私は食べられる為に招かれたんだから……しなくていいよ、珠翠」


 微笑する芽衣の澄み切った丸目に、がチラつく。紅音を連れた去り際。珠翠は小さな針に刺されたように、蛾眉がびを寄せた。


のお前ならば、妾へ告げる言葉も違っていたはずだ。炎陽が妾の記憶を取り戻す以前のように、檻で『えさ』を囲わないだけ……幸せに思うべきなのだろうな」


 障子は閉められた。静寂に残された私達の前、絵本を置いた芽衣は跡が残る白皙の首を掻いた。茫洋と、顔を上げると私達を捉える。


「咲雪、翠音。……お腹空いたでしょ」

 

 芽衣は乳飲み子を抱くように、翠音と私を抱き寄せた。柱時計を見れば、もう昼の12時だった。どうりでおなかと牙が疼くわけだ。

 

「ねぇ、お母さん。私……絵本の中の『シンデレラ』が見たい。何色のドレスを着ているの? 」


「空色だったよ。でも、みんなが見るには絵本じゃ小さいから……咲雪が『シンデレラ』の絵を描いてくれる? 王さまや女王さま、双子の魔法使いも居たら、みんなが喜ぶね」


 芽衣おかあさんが言う通りに、私は大好きな『家族』を描こう。何も考える必要なんか無い。牙を剥く『妖』の私達は、『えさ』である母のかいなの中なのだから。


 

 クレヨンで『家族』の絵を描くのに、余計な色は使うべきじゃない。


 お城の上には、黄色の太陽がわらってる。

 

 みんなを守る『美しい王さま』は、オレンジの羽織を着てるはず。白いクレヨンは無いから、灰色で猫耳と髪を描いた。赤い目がカッコイイよね。

 

 孔雀の尾羽根の『賢い女王さま』は、赤い髪をまとめてる。目はキレイにすましてて、青いドレスが似合うんだ。


 猫耳と孔雀の尾羽根の『双子の魔法使い』は、長くて波打つ赤い髪と短いオレンジの髪の二人。なかよく星の杖を持って、緑のドレスがお揃い。

 

 『優しい女王さま』はピンクのドレスを着て、笑顔で『シンデレラ』と手を繋ぐ。肩までの黒髪に、まん丸の目が可愛くて。

 

 『シンデレラ』のドレスは……もちろん、空色。『美しい王さま』とお揃いに灰色で、猫耳と長くてまっすぐな髪を描いた。緑の目をまん丸にした。黄色のティアラも忘れずに。


 

 柱時計の振り子が、あと何回往復すれば……『まほう』が使える『おとな』になれるんだろう。『少女』になっても、私にはまだ胸の奥の『色』が視えない。


「咲雪は、愚か者なのですか」


 土壁に画鋲で飾られた、古びた『家族』の絵を見つめるのをやめて振り返れば、翠音が私を静かに睨んでいた。


「何の話? 」


「気づかない振りをするのは、やめて下さい。私達の周りの『人』と『妖』は、私達が成長するにつれて消えていったではありませんか。貴方を守って……傷ついている存在がいる」


「やっぱり、誰のことだか分からない。一体誰が傷ついているというの? 」

 

「そうやって目隠しばかりするならば、初めに教えてさしあげます。咲雪の魔法が解ける時間を。半妖の貴方は……私の『家族』の誰より、一番先に死ぬのです」


「冗談やめてよ……私はまだ『まほう』すら使えないのに」


「冗談ではありません。咲雪の半分は『人』なのですから。貴方の『人』の器は『妖』の力に耐え切れず、いつか必ず崩壊する。……だから早く、大切な人が傷ついていることに気づいて」


 傷ついてるのは、泣きそうな翠音の方じゃないの。そう言いたかったのに、しゃがみ込んだ私は去りゆく翠音に何も言えなかった。足が震えてる。から回った鼓動が、チクリと逆流しなかった?


 ドクドクと息を吹き返す私の好奇心に、蓋をし続けてきた人が居る。私は……彼女が隠し続けてきた物が何か知っている。ずっと、ずっと……見たくて、見たくなかった。痺れた足を引き摺る私は、芽衣はは桐箪笥きりだんすを開けた。


 手に取った『シンデレラ』の絵本の中は、滅茶苦茶だった。綺麗な絵を塗り潰してあるわけじゃない。


 最後の挿絵から、めくる。『王さま』の横に、『女王さま』は一人しか居ない。『双子の姉の魔法使い』は『意地悪な二人の義理の姉』になっているし、妖の証の猫耳なんて誰にも生えていない。つま先とかかとを切り落とされて、血塗れに靴を履く。『継母』に虐められる『シンデレラ』は灰まみれで、『実父』は死んでいた。『実母』は何処だろう?

  

 顔を上げた私は、手の内から絵本を滑り落とす。南瓜カボチャの馬車も、硝子の靴も目に入らない。私が信じてきた、空色のドレスの『シンデレラ』は ―― 土壁に飾られた『家族』の絵だけだ!

 

 柱時計の針は、夜の12時を指す。画鋲に構わず『家族』の絵を引き抜いた私は芽衣を探して、猫屋敷の暗い廊下へ走る! 酷く寒くて、白い吐息と素足が凍りそうだ。何故、誰も居ないの? 通り過ぎた襖から、くすくすと笑う声がしたような。


「炎陽……、やっぱり私を……愛してくれていたんだね」


 この声は、芽衣ではないか。私は襖に手をかけて……緋色のともしび煌々こうこうと輝く、隙間明かりを覗く。

 

「毎日、毎日。『埜上 芽衣のがみ めい』として、人の世界で生きるのは……つまらなかった。保育士になる夢は叶ったし、子供たちは可愛かった。だけどね、私を本当に必要にしてくれる人はどこにもいなかった。炎陽だけだよ。私が寂しい時に、私の名を呼んで【魅了】してくれたのは。私を『隠世』に招いた美しい貴方が、運命の私を喰らってくれるなら……私は絵本の主人公になれるの」 


 薄く笑う芽衣に覆いかぶさる、『美しい王さま』である炎陽は答えない。私のお母さんと、お父さん。二人とも、緋色の業火が瞳に宿ってる。お父さんは、お母さんのももに牙を埋めた。

 

 ――肉片を喰い千切られた白い肢体から、鮮やかな花吹雪が咲く! 芳しくも精巧なかんばせの男は、鮮血を浴びて狂喜に濡れる。


 何故『血』だけではなくて、『肉』 を食べるの? お母さんが死んじゃうのに。獣があかしたたる肉片を、白い牙で咀嚼し嚥下した刹那。私は壊れたように叫んでいた!


 襖を開き飛び込んだ私は、芽衣を喰らう炎陽を突き飛ばす! ゆらゆらと緋色の陽炎纏い、炎陽は立ち上がる。その無情な足は、私が落とした『家族』の絵を塵芥ちりあくたの如く踏み付けにした。足の下には、『シンデレラ』と『優しい女王さま』の首があるのだろう。シワが入った画用紙からは、空色とピンクのドレスの絵しか見えないから。たけり咆哮する獣は、足下のモノにすら気づいていない。  

 

「お願い! 私達に気づいて、お父さん! 」


 身体に燃え立つ花緑青の陽炎が、私の白銀の尾を逆立たせる! 涙濡れた瞳孔細め、本能に目覚めた【異能まほう】で獣の胸の内の感情いろを視た!


【紅と翠の星、消失す。朱殷しゅあんの頭蓋骨達は、内側の『人』の少年を喰らう】


『原初の妖』生まれづる精神の卵殻は、異能の墓場。【魅了】に取り憑かれた眼前の獣は、ただ荒い白息しらいきを吐くばかり。わたしを捉えても、言葉をかいさず。緋色の業火のまなこの奥。爛々らんらんと異常な金箔閃く瞳孔に、凍りついた私の息が引っ込む。新たな『餌』の意志を、地獄の業火で煮崩そうというのか。私達の『美しい王さま』は、何時いつから居なくなってしまったの?

  

「逃げて」


 私の意思が、【魅了】に引き摺り込まれる寸前。意識を失った芽衣抱く私の前に、孔雀の尾羽根と紅色の髪が広がる。私達を庇う紅音だった。獣の前へ進む姉は、異質な程に静かだ。私は翠音が告げた『私の代わりに傷ついている誰か』に気づいてしまった。翡翠の双眸を【魅了】の緋色の業火に呑まれ、振り返る紅音の微笑は……酷く慣れていて、がらんどうだったから。


 獣は齎された『餌』を押し倒し、喰らいつく。紅い髪が彼岸花の如く広がり、白真珠の肉体を着物の絹ごと割かれても。【魅了】された紅音は愉しそうに、笑っていた。深くぬめる傷でも瞬く間に再生する彼女は、芽衣より私より、ずっと『バケモノ』なのだ。部屋の端に埃絡める古い蜘蛛の糸が、蠱惑的にわらう紅音と私達を隔てる。


「ここは……? 」


 私のかいなの中、虚ろに目覚めた芽衣に我に返る。その綺麗な丸目に緋色の業火は無くて、心の底から安堵した。だが子供のように潤む、母のまなこに背筋が冷えていく。

 

「痛い……足が、酷く痛いよ。もう嫌……


 猫屋敷ここは、芽衣おかあさんの家じゃない。なら、私にとっては?


「人の世は、遠いわよ。自分の力を支配コントロール出来ない半妖の咲雪じゃ生き残れないかもしれない。……それでも行くの? 」


「私は【異能】に呑まれたりしない。自分の身は自分で守れる。だから……心配しないで、紅音」 


 『家族』の理想を破壊された私は、とうに背を押されていた。私を捉えた紅音は、安心したような吐息を零す。束の間の自分を忘れて、再び魅惑的な狂喜へと還っていった。


 血の跡は、点々と私達に続く。

 

 意識虚ろな芽衣を支えて暗い廊下を歩めば、恨めしげに私を見つめる翠音が柱の影よりいでた。

 

「行かないで下さい。咲雪は、私達の『家族』でしょう? 」 

  

「違う……。私が想っていたのは、こんな狂った『家族』なんかじゃない! 『家族』ならば何故、『家族』を殺そうとするの」


 その時。私が穿った芽衣の首筋や、見捨ててしまった紅音のがらんどうな微笑が……脳裏に再演フラッシュバックした。生きるために『家族』を選別した非情な『バケモノ』なのは、私の方だ。


「私は……『人』なの。『バケモノ』なんかじゃ、無い」


 呆然と絶句する翠音に、一番最低な言葉を吐いた自分が急速に染みていく。いくら否定したくても、『妖』である自分は死んでいないのに。


「なら、行けばいい。『人』の咲雪と芽衣は、隠世ここでは異端者です。もう二度と、会うことは無いでしょう」


 静かに涙伝わせた翠音が指先で横を示せば、影に染まった板戸は独りでに開いた。舞い込んだ猛然なる吹雪が、『人』を選んだ私達を待っている。


 私の身から生じる花緑青の陽炎だけが、凍える私達を吹雪から守ってくれる。『隠世 猫屋敷』の結界を抜けるのは酷く簡単だった。『隠世のあるじ』である炎陽の意識は、私達などには無いのだ。

  

 芽衣を支えて吹雪の中を跳躍し続ければ、ふいに固い地面へ躍り出た。滑りそうになる足を歯を食いしばって耐えると、肝が冷える。凶暴な前照灯ヘッドライトに掻き消されかけた私は再び跳躍し、ガードレールを越えた吹き溜まりに着地した! あれが『車』か!

 

「たまげたっ! 幽霊か、雪女か……!? 轢いてないはずだが……」


 慌ててトラックのドアを開き降りて来る男に希望が沸くと同時に、花緑青の陽炎を消す。これだけじゃ駄目だ。白銀のけもの耳と尾も『人』から見れば異端だ! 脈動する体温から生じる妖力を抑えれば、身体ごと凍えていく。血の気の無い芽衣ははと同じ黒紅色へ長い髪は染まり、妖の証はくうに解けた。

 

「違います、私は生きているです! 助けて下さい! 私達、親娘はに殺されかけたんです! 」


 ――命懸けで『人』を演じねば。私はしがみつくべき藁さえ、手離してしまうだろう。

 

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