「國体の本義」を少しだけ読んだ

 地上からキリスト者を一掃しない限り、皇国史観の持ち主を虚偽意識の持ち主として糾弾することは自家撞着に陥る。

 地上からキリスト者を一掃する気概無しに皇国史観のみを否定するのは、不合理である。アマテラスが孫に天壌無窮の神勅を与える日本書紀の逸話は、アダムによる諸物の名付けと同様罪のない神話に過ぎない。

 記紀の神話的記述が、ヤマトの諸豪族及びその中心としての天皇家による支配の正統性を主張するために集成されたものであり、日本列島に住まう人間全体の心性を代表するものでさえないことは津田左右吉以来よく知られている。旧約聖書に語られる世界の始まりも、ユダヤ人という古代世界の一部族の神話に過ぎず、アダムとエバはせいぜいユダヤ人の祖であって、また人間は同じ人間の肋骨から造られたのではない。

 不幸は――ユダヤ人にとってか、日本人にとってかは、定かではないとしても――ユダヤ人がくりかえし離散し、そのさなかにナザレのヨシュアのような卓越した普遍化の試みが現れて、地中海とその周辺に広がる普遍宗教の中へ一民族の神話が組み込まれた(タルムードやカバラーといった独自の知的伝統を持ちこそすれ、一民族宗教が諸民族の信仰の中に溶解したことは否めない)のに対して、日本人はほとんど列島から外に出ることもなく、したがって離散を経験することもなしに、記紀の神話はあくまで一民族の神話という古形を保ちつづけて(正確に言えば、中世において記紀の神々は仏教という普遍宗教の中に半ば溶融したが、初期近代以来の国学・尊王攘夷という純粋化運動によってその古形を取り出されたのだった)、ついにいかなる普遍宗教に対しても独立の民族宗教の形象を彫琢したという点にある。

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