25-3 契約と選択


例によってイチノスがグダグダと考える回で、無駄に長い(一割増し)です。


 カランコロン


 伝令を届けてくれた少年が店を出て行くのを見届け、俺は作業場へ戻った。


 ロザンナは先ほどと同じ様子だが、サノスへ目をやって思わず首を傾げてしまった。


 先ほど作業場を通った時には気付かなかったが、サノスの前には『湯出しの魔法円』が置かれており、その上には調整に使う金属製の皿が並べられているのだ。


「サノス、もしかして再確認してるのか?」


 俺の問い掛けで、サノスとロザンナが揃って顔を向けて来た。


「はい、ヘルヤさんに使ってもらうのに変なのは渡せませんから」


 そう応えるサノスの隣では、ロザンナが魔素ペンを持った腕の凝りを解すように揉んでいる。


「サノス、再確認するのは良いことだな。だが、再調整をする時は慎重にやれよ(笑」


「そうですね。ヘルヤさんに渡す前に壊れたら意味ないですからね。ロザンナ、もう一回流してくれる?」


「はい、良いですよ」


 そんな言葉を二人が交わすと、ロザンナは左手を胸元に当て、右手に持った魔素ペンを魔素注入口に当てた。

 一方のサノスは胸元に手を添え両目を見開いた。


 そんな二人の光景が魔法学校時代を思い出させる。

 俺も隣の席の同級生に頼まれて何回も魔素を流したな。


 俺はそんなことを思い出しながら2階の書斎へ戻っていった。


 ◆


 集中して書類を読み込んだのは、久しぶりな気がする。


 冒険者ギルドから預かった、魔法技術支援相談役としての業務内容と待遇に関わる契約書を、3回は読み直した。


 1回目は、まずは全文を読んだ。

 2回目は、上から下まで一語一句を読み込んだ。

 そして3回目は、逆に下から上へ向かって読み込んだ。


 結果的に、冒険者ギルドから預かった契約書の文面には、条件を付けたり、微妙な言葉や曖昧な語句、そして解釈に悩む文章は見当たらなかった。


 やはり、この契約書は文官たちが準備する最終案の契約書だろう。


 それにしても、文官という職務に就いている連中は恐ろしいな。


 こんなにも整った契約書が作れる一方で、商工会ギルドで示されたような曖昧な言葉を盛り込んだ草案も作れてしまうのだ。


 あの草案で、何処の誰に何の利得があるのかまでは、今の俺にはわからない。

 それでも、文官はそれなりの書面を準備することが出来てしまう。

 そうした能力を持ち、そうした役職に就いているのが文官なのだと、改めて感じるな。


 現段階では、あの草案を準備した真犯人が誰かは判明していないけれども、一つ言えることは、商工会ギルドのメリッサさんの思惑、カミラさんやレオナさんの上司の思惑、それらがあの草案に隠されているのは事実だ。


 そうした思惑は、動機とも言えるもので、その動機を突き止めるのはかなり厄介だろう。


 シーラは犯人捜しを望んでいる感じだが、そうそう簡単に自ら動機を口にする人間はいない。


 それでこそ、研究所の文官ではないが、酒でも飲ませて酔わせるか、褒め称えて気持ちを緩めないと、口を滑らすことはまずないだろう。


 だが、この先も犯人らしき連中と会話を重ねて距離を縮めれば、どこかで思惑や動機の片鱗を見せてくる可能性はある。


 嫌らしいことに、往々にしてそうした犯人が抱く思惑というか動機は、自分勝手なものだ。


 犯人が何らかの利得を求めるものだったり、栄誉を求めたり、時には周囲からの称賛を求めることもある。


 うーん⋯ 俺はこの先、シーラと一緒に犯人捜しをするのか?


 正直に言って、自分勝手な思惑とか動機なんて聞き出しても、嫌な気分になるだけなんだよな⋯


 なんか、厄介ごとに足を踏み入れた気分だな(笑


 気持ちを切り替えよう。

 今回はこうして収穫はあったのだ。

 相談役としての契約はこの書面で結べそうだ。


 残るは、この契約書を読んだシーラの思いというか考えを聞き出すことだな。


 そこまで思案して、少年が届けてくれた商工会ギルドからの手紙を読み直した。


 やはり、この文面ではシーラの関わりが見えてこない。


 製氷業者と定期保守契約を結ぶことについて、シーラはどう考えているんだろう。


 氷室でのシーラは、俺の言葉を止めながら淡々と告げていた。


 〉毎月魔道具の状態を確認したり

 〉魔道具屋の方と同じ様なことがご希望であれば

 〉商工会ギルド経由で私とイチノス魔導師へご相談をいただけますか?


 あの言葉からすると、シーラは前向きな気もする。


 ある意味、シーラがリアルデイルの街で暮らしていくのならば、製氷業者とシーラが定期保守契約を結ぶことは、俺としてはお勧めしたいと思っている。


 シーラがこのリアルデイルの街に溶け込んだ暮らしを続けていくのならば、そうした実績を重ねて信用を積むことも一つの方法だからだ。


 シーラは、この王国のはるか東方に位置するサルタン公爵領の出身だ。

 一方、このリアルデイルの街は、王国のはるか西方に位置する街だ。

 リアルデイルの街に住む人々にとっては、そんな離れた地域の出身者を身近に感じるのは難しいことだと思う。


 俺の場合には、その出自と領主であるウィリアム叔父さんとの血縁関係、さらに今月からこの街での領主代行に就任した母(フェリス)の知名度が支えているのも感じている。

 だが、今のシーラには、そうした背景やシーラ自体を支えるものが乏しいのも事実なのだ。


 但し、俺としては、そうした定期保守契約に巻き込まれるのは避けたいのが本音だ。

 何となくだが、あの捕まった魔道具屋の主(あるじ)の代わりをさせられるようで、気分が乗らないのだ。


 もちろん、定期保守契約にはメリットがある。

 例えば、安定した収入が見込めることや、製氷業者のラインハルトさんやベネディクトさんとの信頼関係が深まることなどだ。

 信頼関係の点では、シーラにはメリットがあるが、今の俺としては、それほど製氷業者のラインハルトさんやベネディクトさんと信頼関係を深める必要性は感じていないのだ。


 いや、サカキシルでの氷室建設の件があるのか?

 だが、氷室建設の件にラインハルトさんとベネディクトさんが関わるのか、今はわからないよな⋯


 それとこれは魔導師としての視点かもしれないが、魔石の魔素が切れたならば、別の魔石に交換すれば済むことだと、俺は考えている。


 蝋燭が切れたり、竈の薪が切れたのと同じで、新たに自分で魔石を購入すれば済むことだと思っている。


 確かに、魔石の魔素が切れるのは蝋燭や薪とは違って、人の目には見えないし、支払う金銭の桁が違うのも事実だ。


 だが、魔道具が動かなくなるという顕著な状況は訪れるし、魔石の魔素が切れたら、製氷業者のように事業が立ち行かなくなるのも事実だ。


 その時には、予備の魔石か何かで凌いで、新たに魔石を購入すれば済む話だと思うのだが⋯


 まあ、ラインハルトさんやベネディクトさんのように、魔石や魔道具、そして魔素への理解が深くない方々には、難しいのかもしれない。


 だからこそ、魔導師や魔道具屋と定期保守契約を結んで、そうした対応は専門知識を持つ者へ依頼したくなるのだろう。


 いや待てよ。


 この街の領主代行に就いた母(フェリス)の子息である俺が、特定の製氷業の商会と定期保守契約を結ぶというのは、波風の原因になる可能性も無いとは言い切れないぞ。


 それに、俺もシーラも、国家事業である西方再開発事業の魔法技術支援の相談役に就いたんだよな?


 そう考えると、ラインハルトさんやベネディクトさんのような特定の商会と、相談役に就いた俺やシーラが定期保守契約を結ぶことは、問題の種になる可能性がある気がしてきたぞ。


 チュンチュン


 そこまで考えたとき、窓辺で鳴く鳥の声が、強く耳についてきた。


 チュンチュン


 外で鳴く鳥たちは、こんな俺の考えを笑っているようにも聞こえた。

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