19-9 昼前に帰宅
「では、また後ほど⋯」
「どうも、ありがとうございました」
俺は貸出馬車を降り、アキナヒへ同乗させてくれた礼を述べて行く。
互いに顔を上げたところで、初老の御者が個室の扉を閉めて御者台へ戻ると、すぐに馬車が動き出した。
個室の窓から覗き見えるアキナヒへ再度の黙礼をすれば、アキナヒも軽く返してくれた。
これからアキナヒは、魔法技術支援相談役に就く俺とシーラの業務内容や待遇を、冒険者ギルドでベンジャミンと議論するのだろう。
そんなアキナヒを乗せた黒塗りの馬車を見送っていると、簡易テントの前に立つ女性街兵士と目が合った。
いや、正確には女性街兵士がこちらを凝視していた。
途端に女性街兵士が軽い王国式の敬礼を出して俺へ挨拶をしてきた。
俺もそれに応えて軽い王国式の敬礼で済ませ、店へ向かおうとすると女性街兵士が敬礼を解きながら駆け寄ってきた。
「イチノスさん、お疲れ様です」
「今日もご苦労様です。何かありましたか?」
「昨日は良いものを、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそいつも店と二人を守ってくれて、ありがとうございます」
「イチノスさん、それは職務でのことですから、気にしないでください。それより、先ほどサノスさんが買い物へ行きましたよ」
あぁ、サノスが昼食の買い物に出て行ったんだな。
わざわざそれを知らせるために、この女性街兵士は小走りに駆け寄って来てくれたのか?
「そうですか、知らせてくれてありがとうございます」
「イチノスさん、実はイル副長から指示が出たんです」
ん? イルデパンから指示されている?
「イチノスさんが不在の時に、サノスさんとロザンナさんのどちらかが店を出られたら、注視するように言われたんです」
俺は店を出た時に、この女性街兵士へ挨拶をしなかったよな?
挨拶はしなかったが、それでも俺が店に不在になったと気付いていたんだな。
そうか!
これは、イルデパンの方が正しい考えだ。
サノスとロザンナには、俺が不在の時に来客があったら、どちらか一方が店で接客して、何かあったら互いに相談し合い、一方が街兵士へ助けを求めるように伝えた。
だがそうなると、俺が不在の時には、どちらか一方が昼食の買い物などへ出掛けることが出来なくなってしまう。
俺は、店にサノスかロザンナが一人になる可能性まで配慮していなかった。
「イル副長から、そんな指示があったんですか?」
「はい、実はイチノスさんが店を出られた後に、イル副長が来られたんです」
「えっ? イルデパンが?」
「イルデパン?(笑」
しまった、つい呼び捨てにしてしまった(笑
「随分と急に来たんですね(笑」
「はい、今日から内装工事でしたが延期になりまして、その伝達と様子見で来られたようです(笑」
女性街兵士の『様子見』に笑顔が含まれている。
これはロザンナの様子見を兼ねて、イルデパンが来たということだな(笑
「それで、昨日の氷を作る魔法円の話を伝えたんです」
「イル副長へ伝えたんですね?」
「はい、その際に『班長には伝えなくて良いよ』とも言われて(笑」
ククク
この女性街兵士は、班長には話さなかったがイルデパンには伝えたんだな(笑
何となく少しだけ、あの班長がかわいそうになった。
たぶん、この女性街兵士は俺との会話を、適度にイルデパンへ伝えてくれたんだろう。
「それで、班長に伝えなくて良いから、代わりにイチノスさんが不在の時に、サノスさんとロザンナさん、どちらかが店を出られたら注視するように言われました」
そこまで一気に喋って来た女性街兵士が、急に王国式の敬礼を出してきた。
それに応えて俺も敬礼を返す。
「ありがとうございます。皆様のお陰でとても助かります」
う~ん
これって、今後は俺が店に不在になる時は、立番をしている街兵士へ伝える必要があるよな。
「これからは、私が店を不在にする際にはきちんとお知らせします」
「はい、ご協力ありがとうございます」
そう告げ合って、互いに少し笑顔で敬礼を解いた。
俺は女性街兵士との会話を終わらせて店へと向かう。
カランコロン
「は~い、いらっしゃいませ~」
店舗へ足を踏み入れると、出入口に着けた鐘の音に反応したロザンナが、作業場から飛び出すように顔を出してきた。
「あら、イチノスさん、お帰りなさい。早かったですね」
「おう、早めに戻れたよ」
ロザンナに続いて作業場へ行くと、作業机の上にはロザンナの型紙作りだけが置かれていた。
俺はカバンを壁に掛け、自分の席に座ってロザンナへ声をかける。
「サノスは買い物か?」
「はい、イチノスさんと入れ違いですね」
そこで先程の女性街兵士との会話を話すか迷ったが、サノスとロザンナが一緒にいる方が良いと考えてやめることにした。
「ロザンナ、2階に居るから、サノスが戻ってきたら教えてくれるか?」
「はい」
そう答えたロザンナは自席へ座り、あの眉間に皺を寄せる作業へと戻っていった。
作業場にロザンナを残して2階へ上がり、書斎の魔法鍵を解除する。
書斎へ足を踏み入れ、窓に掛かったカーテンを開け、明るくなった室内を見渡す。
当然のように書斎机に置いた黒っぽい石へ目が行く。
その上に置いたメモ書きを手に取り、暫し考えようとしてやめた。
まずは、今日の昼過ぎからの就任式を乗りきろう。
そして、明日と明後日でポーションを作ってから、この黒っぽい石に取り掛かろう。
そう考え直し、椅子の背もたれに身を預けて、商工会ギルドのメリッサのことを考えて行く。
メリッサの鑑定眼は思いもよらない事だった。
当面は商工会ギルドの窓口はメリッサになるんだよな。
そして、メリッサは鑑定眼を使うんだよな。
正直に述べて、俺は鑑定眼や鑑定魔法を、特別に素晴らしいものだとは思っていない。
そして、鑑定魔法や鑑定眼を使って、対象の人物の虚偽を判断しようとする行為には、首を傾げる思いがある。
俺も魔法学校時代に鑑定魔法や鑑定眼を学んでいるので、使えるには使えるが、自分から率先しては使わないようにしている。
そもそも、鑑定眼や鑑定魔法を使うことで得られるのは、真偽を問われる人物が醸し出す魔素の淀みや動き、それに色合いの変化を読み取ることでしかないからだ。
そうした対象の人物が醸し出す魔素を見るための魔法=鑑定魔法であり、魔素が見えるか否かの能力=鑑定眼でしかないのだ。
普段から見ようと思えば魔素が見える俺としては、そうした感覚でしかない。
かといって、俺は鑑定魔法や鑑定眼を格別に否定しているわけではない。
俺としては、魔導師であれば魔素を見れるのは当然であると思っている。
そうした視点から、鑑定魔法や鑑定眼への特別な意識を持たないようにしているだけだ。
トントントン
「イチノスさ~ん、サノス先輩が戻りました~」
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