8-11 思いが大きすぎて重い


「そうね、サノスがそこまで考えてるとは驚きました」

「いやいや、イチノスがそこまで考えてる方がアタシは驚きだよ」


 厨房での仕事を終えたオリビアさんとサノスの話をしようとすると、さも当然のように給仕頭の婆さんが参加してきた。

 特に婆さんを排除する必要もないだろうと思い、定休日の件、サノスが日当無しでも店に来たがっている件、サノスがタダ働きになる件を二人へ話した。


 俺の話を聞いて、オリビアさんは娘のサノスが強い思いで魔導師修行に挑んでいることに感心し、婆さんは俺の考えに感心を示してくれた。


「それで、イチノスさんはどうしたいの?」

「えっ?」


 オリビアさんの思わぬ質問に、俺は返事が出来なかった。


 俺としては自分が問い返される状況は考えていなかった。


1.タダ働きでも良いからサノスに教えてやって欲しい。

2.タダ働きは問題になるからサノスに言って聞かせます。


 この2パターンから、サノスの保護者であるオリビアさんもしくはワイアットが選んで、この話は終わりだと考えていた。


「俺は⋯」


「オリビア、イチノスは店を休みにするぐらいだ。サノスに邪魔をされたくないんだよ」

「えっ? あら? やだぁ~ やっぱりそうした話なの?」


 ん? 二人は何の話をしてるんだ?


「決まってるじゃないか。イチノスが店を休みにするぐらいだよ」

「やだぁ~ それならイチノスさんもそう言ってくれれば、きちんとサノスに言って聞かせるのにぃ~」


 待て待て。

 俺がなんだって?

 それに何をサノスに『きちんと』言って聞かせるんだ?


「イチノスは回りくどいんだよ」

「ねぇねぇ、やっぱりお相手はヘルヤさんなの?」


 どうして、ヘルヤさんの名が出てくるんだ?


「洗濯屋の女将が言ってた話だろ?」

「私も女将さんから聞きました。イチノスさんのお母さん⋯ フェリス様へ挨拶に行くんでしょ?」


「ヘルヤさんが手土産に悩んでる話だろ? アタシも聞いたよ」

「ねぇねぇ。いつ頃からのお付き合いなの?」


「カカカ ようやくイチノスにも春が来たんだねぇ」

「ククク イチノスさんに春ねぇ~」


「⋯⋯」


 俺は深く反省した。

 婆さんを排除して、オリビアさん『だけ』にサノスの話をするべきだった。

 この二人が揃うと必ず話が脱線することを、俺はつくづく思い知った。



 俺は婆さんとオリビアさんの誤解を解くことから始めた。

 この二人が誤解したままでは話が進まない。

 この二人が誤解したままでは、俺とヘルヤさんの仲を勘繰る連中が増えて行くのが明らかだ。


 念には念を入れて、俺は二人の誤解を解いて行った。


「じゃあ、イチノスさんは純粋に、サノスがタダ働きになることを気にしてくれてるんですね?」

「当然です。それ以外の考えは一切ありません」

(ニヤリ)


 婆さん。なぜニヤリとする?

 まだ誤解しているんじゃないのか?


「わかりました。それなら私からイチノスさんにお願いがあります」


 オリビアさんから俺にお願い?


「お店が休みの時、イチノスさんの都合が悪くなければ、お店でサノスに修行をつけてやってください」

「しかし日当が払えませんよ?」


「構いません。それと、お昼代をイチノスさんからお世話になってる話を、サノスから度々(たびたび)聞かされています」


 はい、今日もカレー屋で食べさせました。


「私はそんな甘い修行は無いと思います。サノスはイチノスさんに教えて貰っている身分です」

「そこは⋯ 弟子ですから⋯」


「ですので、これからサノスがお店へ行く時は、イチノスさんの分もお昼を持たせます」


 オリビアさん。

 別に俺はお昼代は気にしてないけど⋯


「ですので、イチノスさんの都合が悪くなければ、お店が休みでもサノスに魔導師の修行をつけてください」


 そこは理解しました。


「もちろん、お店が休みの時は日当は与えないでください。これはサノスの為でもあるんです」

「サノスのため⋯」


「どうかこれからも、サノスを宜しくお願いします」


 オリビアさんは熱く語り、最後には頭を下げてきた。

 俺はサノスの保護者であるオリビアさんの意思を確認するため、辛辣な言葉を添えて問い返す。


「店が休みで日当が貰えない。いわばタダ働きなのに手弁当でサノスを働かせると言うのですね?」

「イチノス、昔から弟子入りはそれが当たり前だよ」

「私も経験がありますから、きちんとサノスには私から言い聞かせます」


 オリビアさんも婆さんも、そうした経験をしてきたのか⋯

 それでも俺は最終的な確認をする。


「オリビアさんが良くてもワイアットが⋯」

「ワイアットには私から納得させますし、サノスにも私から言って聞かせます」


 オリビアさんにそこまで言われて、俺はもう次の言葉が出せなくなった。

 しばしの沈黙の後、オリビアさんが言葉を続けた。


「イチノスさんの分も昼食を持たせるのは、サノスがタダ働きにならないように、イチノスさんがきちんと考えてくれていることへのお礼です」

「⋯⋯」


「これはサノスからのお願いだけじゃありません。サノスの親である私からイチノスさんへのお願いです」


 オリビアさん、まいりました。

 私の考えが浅はかでした。


 オリビアさんの母親としての考えの深さ、サノスを思う強さを学びました。


「オリビア、そろそろ夕方の仕込みを始めようか」

「あっ! もうそんな時間なんですね」


 婆さんの言葉に時計を見れば、既に3時を過ぎていた。



 俺は大衆食堂を出て冒険者ギルドへ戻ることにした。


 道を渡り冒険者ギルドの中へ入ると、受付カウンターには商人が大人しく列を成して並んでいた。


 残るは教会長との話だけだなと思いながら、何とはなしに商人達の列を眺めていた。

 オリビアさんの言葉を思い出しながら、商人達の列を眺めていた。


 俺はサノスの『魔導師になりたい』思いや、『魔法を使えるようになりたい』思いに動かされて、サノスの弟子入りを受けた。


 俺はサノス個人の、そうした思いだけに目を向けていたんじゃないのか?


 サノスの周囲には、サノスを後押しするオリビアさんやワイアットがいる。

 娘であるサノスの熱意を後押し、応援する両親がいる。


 そうしたサノスを取り巻く思い、サノスを応援する人々の思いまで考えて、サノスの弟子入りを受けたのだろうか。


 これからは、俺がそれらの全てを受けとめて、サノスへ魔導師としての修行をして行く必要があるのか⋯


 サノスを取り巻く思いが大きすぎる。


 俺の場合はどうだった⋯


 俺は特に魔導師になりたいと、サノスのように自ら願ったわけではない。

 それでも母(フェリス)は当然のように、俺が魔導師の道を進めるように、幼い頃から幾多の知識と経験を与えてくれた。

 魔法学校の寄宿舎へ入れられるまで、母(フェリス)は親身に幾多の知識を俺に与えてくれた。


 あれは母(フェリス)なりの、俺への応援⋯

 あれは母(フェリス)からの愛情だったのか⋯


 今の俺は、それに応えているのだろうか⋯



「イチノスさん、案内します」

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