王国歴622年5月15日(日)

3-1 朝のティータイム


(カランコロン)


 階下で店舗の出入り口が開けられた音で目が覚めた。

 きっとサノスが鍵を開けて店に入ってきたのだろう。


 眠気の少し残る頭で周囲を見渡せば、いつもの自分の部屋で、いつもの朝を迎えていた。

 カーテン越しの外光は既に明るく、しっかりと日が昇っている感じがする。

 ベッド脇の卓上時計を見れば、朝の8時前だ。

 昨日と同じ時間に来ると言っていたが、本当に来たんだなと思いながら着替えを始める。


「師匠! おはよございます!」


 階下からサノスの声がする。


「師匠! 起きてます~?」

「あ~起きてるぞ~」


 着替えを済ませ、返事をしながら階下に降りて行く。

 たまった尿意を済ませ、店の作業場を抜けて店舗に顔を出すと、箒を手にしたサノスの姿が見えた。


「サノス、おはよう」

「師匠、おはようございます。今日も一日、よろしくお願いします」


 朝の挨拶を終えて顔を上げたサノスには、ヤル気に満ちた雰囲気が伺える。

 昨日の帰りがけの感じとは違って、何も問題は無いと思えるものだ。


「もう、掃除も済ませたのか?」

「はい。いつでも店を開けられますよ」


「よし、サノスの準備が出来たら店を開けていいぞ」

「はい、すぐに開けます」


 そう言ってサノスが戸に掛かる『営業中』の看板を店の外に向けた。

 その様子を確認した俺は作業場に戻り、自分の席に着くと目の前をサノスが台所に向かって行く。


「サノス、すまんがお茶を淹れてくれるか?」

「はい、手を洗ったら直ぐに淹れますね」


 昨日考えたとおりに、この後はサノスの取り組んでいる『魔法円』の進捗を確認してから課題を与えれば、あの二人が来る夕刻前まで時間を確保できるだろう。

 そうすれば俺は2階の書斎に置いてある『あれ』に取り掛かることが出来る。


 そんな事を考えていると、サノスがお茶の準備を両手持ちのトレーにのせて運んできた。

 それを作業机に置き、俺に聞いてきた。


「師匠、本当に研究所にいたんですね。母と父から聞かされてビックリしました」

「そうか、聞いたか⋯」


 サノスが準備したのは普段使いのティーポットだ。

 使っている『湯出しの魔法円』は、母(フェリス)が来た時に使ったのと同じで、サノスが模写したものだ。


「驚いたか?(笑」

「最初は、父と母で企んで私を騙してると思ったんです」


「ほぉ~」

「けど、父の持ってる師匠から買った『魔法円』を見せられて、説明されて、納得しました」


 なるほど。

 サノスはワイアットから、俺の描いた『魔法円』を見せられたんだな。


 サノスは胸元に左手を置き、コンラッドと同じ様に『魔素』注入口に右手の人差し指を添える。

 静かに深呼吸をすると、ティーポットの口から湯気が出始めた。


「あの『魔法円』と私が模写したのは、全然違いますね」

「使ってみたのか?」


「ええ、使わせてもらって、違いをハッキリ感じました」

「ほぉ~。わかったんだ(笑」


「わかります。なんか余分な物が無くて変に『魔素』が引っ張られる感じも無かったです(笑」

「引っ張られる?」


 サノスが面白い表現をしてきた。

 サノスは家庭用の『魔法円』だと『魔素』を通す時に何かを感じているようだ。


「ええ、前に台所ので『魔素』を通そうとしたら引っ張られる感じがしたことがあるんです。けど、師匠のは違いますね」

「いや、俺の描いたやつの話より⋯ サノスは台所ので『引っ張られる』感じがしたのか?」


「ええ。台所のは『魔素』を通そうとすると引っ張られる感じがすることがあります。この『湯出しの魔法円』も描いてる時に、何度かありました」


 なかなか、サノスは『魔素』を敏感に感じているようだ。


「良い感じだな(笑」

「良い感じ? 何が良いんですか?」


「まぁ、そのうちわかるよ(笑」

「⋯⋯」


 サノスは押し黙ったままで、ティーカップにハーブティーを淹れて俺の前に出してきた。


「おお、ありがとう」


 サノスの出してくれたハーブティーを口元に寄せると、ほのかにポーションに似た苦そうな香りに続けて、清々しい香りが俺の鼻をくすぐる。

 一口飲めば、香りそのままの味が口内に広がって行く。


「それで⋯ 師匠⋯」

「ん? なんだ?」


「本気で私を鍛える気がありますか?」


 サノスの言葉に、ワイアットが口にした心配を思い出す。


「心配か?(笑」

「いえ、心配というか⋯ 貴族の道楽じゃ⋯ ないですよね?」


「まあ、昨日の約束を守るなら、サノスは何も心配するな(笑」

「わかりました。師匠を信用します!(グッ」


 サノスはそう言って右腕を引き、脇腹付近で拳を握る。

 やる気を見せてきた感じだ。

 サノスはそのまま自分の席に座り、ハーブティーを口にして俺を見てきた。


「フェリス様は本当に師匠のお母さんなんですね?」

「ああ、そうだよ」


 俺はサノスの言葉を聞きながら、二口目のハーブティーを口に含む。


「母が⋯」

「オリビアさんが? どうした?」


「聞いてこいって⋯」

「何をだ?」


「フェリス様はウィリアム様と結婚するんですか?」

「⋯⋯」


 俺は何も言わずに目を細めた顔でサノスを見てみると、サノスが、一瞬、ビクリとした顔を見せてきた。

 だが、一瞬だけで見事に切り返してきた。


『イチノスが貴族の出でも、俺は態度を変えんぞ。イチノスはイチノスだ』


 サノスが堂々とワイアットの物真似をしてくる。

 はいはい、ワイアットの物真似が上手です。


「そんなわけで、私も師匠への態度は変えませんが、良いですよね?」


 そう言ってサノスが細めた目で俺を見てきた。

 俺も負けずに目を細めてサノスに視線を合わせる。


 するとサノスが口角を上げてきた。

 俺も負けじと口角を上げる。


 まったく、朝から二人で何をやってるんだ?!

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