2-13 歳をとると長湯は体に良くないそうです
店に入る陽射しが紅く染まり、リアルデイルの街に夜が近付いている。
サノスはエプロンを外して帰り支度を始めた。
俺はそんなサノスに声をかける。
「サノス、暗くなる前に帰った方が良いぞ。今日の給金だが、ワイアットからもらった分で我慢してくれ」
「はい、きっちり徴収しました(笑」
「それと明日だが⋯ 休んでも良いぞ。あの二人が今日と同じ時刻に来るそうだ。あの坊主頭の男にまた会いたいか?(笑」
「⋯⋯」
からかうように明日もあの二人が来店することを告げると、サノスがうつむいて黙ってしまった。
「まあ、好きにして良いからな(笑」
「師匠⋯ すいませんでした」
急にサノスが深く頭を下げて、謝罪の言葉を述べてきた。
「今日の私は、あの人に誉められて舞い上がってました。言われたことの無い言葉に浮かれてしまいました」
「そ、そうか⋯」
反省の弁を述べ始めたサノス。
その目を見れば、いつになく真剣な感じだ。
「店を掃除しながら思ったんです。私は魔道師になるための本格的な修行を始めた身です。恋だとか愛だとかに浮かれる身ではありません」
「さ、サノス、ちょっと待て」
サノスが恋愛よりも、魔道師としての修行を優先する様なことを語ってきた。
俺はそんなサノスの話を止める。
「何ですか? 師匠?」
「サノスは何歳になる? 俺の記憶では来年成人だと思うが?」
「ええ、師匠の言うとおりです。それが何か?」
「その年齢なら、今から良い相手を見つけて、成人を迎えると共に婚約する手もあるんじゃないのか?」
半年後の異母弟(マイク)の婚約話を思い出しながら、サノスに問いかけてみる。
「俺としては、サノスの気持ち次第だと思っている。そもそも『魔道師になりたい』とか『魔法をつかえるようになりたい』のはサノスの気持ちだろ」
「はい、そのとおりです」
「そうした自分の将来像と恋愛や結婚は別だろ?」
「???」
「サノスもそうしたことを考える時期なんだと思うぞ。魔道師『だけ』とか恋愛や結婚『だけ』と決めつけ無くても良いと俺は思うんだ」
「???」
サノスは俺の話しに首をかしげるだけだ。
ちょっと余計な事を話してしまったかと思っていると、サノスが返事をして来た。
「師匠が何を言いたいかわかりませんが、明日も今日と同じ時間に来ます。師匠! きっちり鍛えてください」
「おう、わかった。今日もお疲れ様」
俺は思わずサノスに今日の勤めを終える言葉を返してしまった。
その言葉を聞いた途端に、サノスの顔に明るさが点った。
「では、失礼します!」
そう叫んだサノスが店の出入口から飛び出して行った。
俺は店のガラス窓越しに、冒険者ギルドの方に向かうサノスを見送った。
先程の話しは、サノスには不要だったな(笑
さて、この後どうするか?
二階の書斎で、昼過ぎに青年騎士(アイザック)とワイアットが届けてくれた『あれ』に取り掛かりたい気もするが⋯
この時刻から取り掛かったら、明日の朝まで徹夜しそうな気もする。
今夜、徹夜したらどうなるか⋯
明日の朝に早く来るとサノスは宣言していた。
徹夜明けで、やる気の漲るサノスの相手をすることは難しいだろう。
今から取り掛かるのは止めておこう。
今の俺は急ぎの仕事も抱えていない。
急ぎで『魔法円』を描いたり『魔石』の調整に専念する必要もない。
ポーションの在庫は少し不安だが、冒険者ギルドから魔物の討伐予定連絡も来ていないから大丈夫だろう。
明日の朝にサノスに課題を与えれば、あの二人が来る夕刻前まで時間を確保できるだろう。
よし、今夜は我慢しよう。
そんな感じに考えが纏まったところで、空腹を感じ始めた。
「しまった! 夕食が無いじゃないか」
夕食用のシチューもパンも、全てを『魔力切れ』を起こし掛けたヴァスコとアベルに食べられているのを思い出した。
今の時間ならば大衆食堂もやっている。
今日の夕食も大衆食堂だな。
どうせなら風呂屋も行こう。
そう考えを纏めて、俺は外出をすることにした。
◆
あぁ~
やはり広い湯船は良いぞ。
蒸し風呂を楽しみ、水風呂で体を冷まし、今は改めて大きな湯船に浸かっております。
連日の風呂屋通いは贅沢だろう。
こうして広い湯船に浸かるのが贅沢ならば、連日の風呂屋通いはかなりの贅沢だろう。
もう、贅沢の極みだな。
しかもこの後は、大衆食堂で湯上がりのエールだ。
これは決定事項だ。
良いのだろうか、こんな贅沢をして。
そんなことを考えながら広い湯船を楽しんでいると、見覚えのある顔に声を掛けられた。
「イチノス殿も西の風呂屋に来るんですね」
声の主は街兵士(まちへいし)のイルデパンだった。
「あら、イルデパンさん」
「イチノス殿なら南の風呂屋かと思いましたが(笑」
「いやいや、私に南の風呂屋は敷居が高いですよ(笑」
「ハハハ。私も同じですね(笑」
街兵士のイルデパンとは、王都での魔法研究所勤めの頃からの顔見知りだ。
王都にある『魔法研究所』には警護騎士団が備えられている。
イルデパンは、その警護騎士団を引退の年齢まで勤め上げた一流の騎士だ。
それが引退と共に妻の実家に行くとは聞いていたが、それがまさかリアルデイルの街とは思いもよらなかった。
このリアルデイルの街では、店を開く際には街兵士の事前調査がある。
治安防災上、新しく開く店の店主の素行や、消火設備の状況を確認するため開店前に街兵士が調査に訪れるのだ。
特に魔道師の店は扱う商品(『魔法円』や『魔石』)に発火の可能性が有るため、街兵士による事前調査は必須になっている。
イルデパンとは、その事前調査で再会して互いに驚いたのだ。
「今日は非番ですか?」
「ええ、非番の日は決まってここです(笑」
なるほど、イルデパンは非番で休みの日に風呂屋を楽しんでるんだ。
「イチノス殿の風呂好きは⋯ よく来るんですか?」
「ハハハ。仕事が手隙な時に通ってしまいますね(笑」
そこまで会話して、今日店に来た東国(あずまこく)から来た二人の事を思い出した。
「そうだ、イルデパンさん。今日、二人の客が来たんですが、どうも東国(あずまこく)から来た人のようなんです」
「ええ(来ているようですね)」
イルデパンが小声で囁いてきた。
(イチノス殿は、所(しょ)に来た使節団を覚えていますか?)
(すいません、興味がなかったんで少しだけしか⋯)
(詰所に回って来た名簿に、その時の一人の名がありましたね)
「ほぉ~」
小声で囁き合っていたが、イルデパンの言葉に俺は思わず唸ってしまった。
「(お忍びらしいので内密に)さて、この歳で長湯は体に良くないそうですので、お先に」
そこまで言って、イルデパンは先に上がって行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます