偽善からの逃走

考作慎吾

本編

 バッと勢いよく飛び起きて、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなる。仮眠のつもりが、思ったよりぐっすり眠っていたようだ。

 そろそろいいだろう、早くここから逃げないと。

 私は部屋で大きな黒のパーカーを纏い、鞄に必要な物を詰め込んだ。最後にプレゼントされたブランド物の腕時計を左腕に着けて、玄関へ向かった。ドアスコープ越しで見ても、数人の大人が道路を徘徊している。

 彼らに見つかるのはまずい。裏側の窓から出て行こう。

 私は玄関に置いていたシューズを一足持って行くと、音を立てずにその場を離れる。

 窓から出る寸前、先程の部屋から時計のアラーム音が聞こえたが、それを無視して家を飛び出した。

 周囲に誰もいない事を確認しながら、私は目的地である近所の山へ向かう。

 ただ、そこへ辿り着くまでに誰かに見つかれば、私は捕まってしまう。人通りが多くなる朝までには山へ向かわなければ。

 そう考えていると、突然白い光が私を照らした。眩しくて目を細めて光を見ると、ライトを点けたスマホを持つ男がいた。


「犯罪者がいたぞ!」


 男は宝物を見つけた子供のようにはしゃぎながら、叫んだ。その声を聞いたのか、複数の足音がこちらへ近付いて来る。

 囲まれる前に逃げないと!

 男が私を捕まえる前に踵を返して、逃げ出した。


「待て!」


 男の声と後を着いてくる足音が聞こえるが、気にしない。私は男の死角へ入ったところで、狭い路地裏に潜り込んだ。男は別の道を走って通り過ぎるのを確認すると、大きく息を吐いた。

 これがあと何度続くんだろう? 本当に無事で山まで辿り着くのだろうか?

 山でなくても、いっそここで……。と考えたが頭を振ってその考えを打ち消す。ここではダメだ、本当に助かる為には山へ行くしかない。

 私は路地裏から顔を出して、追っ手がいないことを見た後、再び歩道へ出て歩き出した。

 それから私は色んな人に追いかけられた。


「見つけた。なぁ、ちょっと話を聞かせてくれよ」


 派手な服を着て親しげに話してくる若い男。


「あんたみたいなのがいるから、女は下に見られるのよ!」


 初対面なのに説教を垂れる中年女性。


「あんなのと一緒に暮らしてたんだ。お前も悪に決まっている」


 下品な笑みを浮かべて近寄るサラリーマン。

 

「有名人さん、その顔を見せてよ」


 高笑いをしながら連写する女学生。

 追いかけてくる人全てが、私に罵倒や皮肉を浴びせる。私には関係ない事や憶測で酷い言葉を投げてくる。彼らは石や汚水の入ったペットボトルを投げてきたが、スマホだけは離さずこちらへ向けていた。

 なんとかかわして逃げているが、もし捕まっていたとしたら……。

 私の脳裏には暴力を振るわれ、路上で倒れている自分の姿が浮かんだ。

 変色して腫れ上がった顔に頭から血を流していても、周囲は誰も助けてくれない。

 ただ私の姿を嘲笑い、その醜態をスマホで撮影するのだ。

 全くないとは言えない想像に身震いをする。

 震える体を叱咤しつつ、私は追っ手を巻いて走り続けた。

 なんとか夜明けまで山へ着いた私は、息も絶え絶えでふらつきながらも登っていく。昔の記憶を頼りに登り、目当ての立ち入り禁止の看板を見つける。

 ここは熊が出ることで立ち入り禁止となっている。私は躊躇う事なく看板を横切り、杉林に辿り着いた。

 辺りを見回して手頃の木を探し出すと、私は準備に取り掛かった。

 鞄を下ろしてジッパーを開けると、一台のスマホと丈夫な登山用ロープを取り出した。

 私は腕時計を操作して、スマホにある動画を送信する。それは私に向けて罵詈雑言や危害を加えた人達が映っている映像だ。

 その動画に『偽善から逃走します。』と言葉を添えてSNSへ発信した。無事に動画が拡散されている事を確認すると、スマホと腕時計の電源を落とした。

 そして手頃な枝を見つけるとロープをしっかりと結び、先端に輪っかを作るとその中に首を通した。爪先立ちの為、少しでも下がるとロープの感触が当たる。


「ごめんなさい、兄さん」


 小さく呟いて、私は一気にしゃがみ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る