思想連盟八夜教会
エリー.ファー
第一章
これは、異世界転生なのかもしれない。
知らないうちに知らない街で時間が過ぎていることがある。夢なのか、それとも現実なのか分からなくなる。一番怖いのは、それに切れ目がないことだ。
自分の立っている場所の不自然さが理解できないから、なんとなく受け入れるという思考を加速させてしまう。このまま落ちてしまうと目が覚めなくなるのではないかと思ってしまうと、本当に覚めることなく現実として受け入れなければいけなくなる。
覚めてしまえばいいと思う。
覚めたら本当にすぐに楽になれる。
リセットできる。
企業の依頼も特になく、自信を喪失しかけるのと同時に給料もない。貯金も底をつく。大人しくしろと言われて一応大人しくしてきたが、ちゃんと大人しい人生が続いている。大人しく死を待てという意味なのだろうか。
年齢についての質問には答えない。数字までは言わない。もしかしたらまだ若いとか、大丈夫であるとか、頑張れるはずだとか言われるかもしれないので言わない。そういうクソみたいな励ましの言葉とかはいらない。
ここは私の知っている日本ではない。
というか私の知っている世界ではない。
今、私は二十階建ての立体駐車場の真ん中あたりの階にいるはずである。車が駐車されるべき場所には、野菜や果物が乱雑に山積みにされている。下の方は潰れ、汁が水たまりを作っている。それが少しずつ私に近づいているような気がする。
目の前には、宙に浮かぶ一本の開かれたビニール傘。
ビニール傘の上だけ雨が降っている。もちろん、天井があるので空から雨が降っていたとして、その雨粒が傘に当たるわけもない。しかし、天井に穴が空いているわけでもないのに、ビニール傘の場所だけ丸く、超局所的に雨が降っている。
そのビニール傘が少しずつこちらに近づいてくる。
私は後ろへと下がる。
今、何時だ。変なことを考えてしまう。
腕時計で確認すると午前二時十二分。
真夜中だ。
ビニール傘の上に降っていた雨が止む。
ビニール傘が震えだす。
その瞬間。
ビニール傘の内側からとめどなく大量の水が溢れ出す。もはや、ビニール傘の内側に発生したスコール。いや、洪水、もしくは巨大な水道の蛇口を開いて作り出した無慈悲な激流。
押し流され飛び散っていく、野菜や果物。
そして、私。
あれは泣き虫なビニール傘だ。出現確率は結構低いし、中々珍しい怪物だよ。
まぁ、命までは取られなくて本当によかったな。
俺は最近だと、コロコロすずめとかに会ったな。ほら殺されはしないけど厄介な怪物だろう。後は、さっさと教え手とか、痣らしいアザラシとかな。あれは出現確率がかなり高いし駄洒落みたいな名前の怪物だから、少しバカにしちゃいそうになるよな。他にも、一坪の雪山、最強の引き籠りとか。
あぁ悪いな。少し話し過ぎた。
しかし大変だったな、あんなものに巻き込まれて。
え、ここまでずっと一人で戦ってきたのか。もう百体以上だと。まさか、それは本当なのか。あれは人間を遥かに越えた存在だぞ。そんなのと戦って今まで生き残ってきたなんて。
本当だとしたら、それは凄いな。運が良いというレベルじゃない。実力や才能があるとしか言いようがないな。
でも、不幸と言えば不幸か。あんたもここに来ちゃったわけだからな。連れて来られたんだろう。最悪だよな。
俺がここに来たのはもう四年も前だ。花屋でアルバイトをしていたんだ。その日は確か晴れで、夏だったように記憶してる。嫌な客が何人かやってくるのが見えて、接客したくないからトイレ休憩のふりをして逃げたんだ。
そこから記憶はない。
その瞬間に飛ばされたんだろうな。この世界に。
凄い世界だよな、ここは。
たまに会うのは怪物で、しかも攻撃をしてくる。
人間にもたまに会うな。でも、大抵は死体ばかりで気が滅入るよ。怪物に殺されたと分かるくらいに不自然な死体ばかりだし、正直最初のうちは視界に入る度に吐いたよ。
堪え切れなかった。
今じゃ、正直なんとも思わない。さっきだって、あんたに会う前に死体を見たんだ。顔が半分なかったんだ。まるで、クッキーの型抜きを人間に使ったような具合で断面は綺麗なものだったよ。
あれを見ても吐かないんだ。気持ち悪くないんだよ。
歩道で犬の糞を見るような気分だ。不快だけど、別に気に留めるようなものじゃないなって感じなんだよ。
おかしくなっている自覚はある。でも、ここで生きていくのに一番重要なスキルを手に入れて、まるで自分が成長したかのような気分にすらなってる。
分かるだろう。そう思わないと自分を見失いそうなんだよ。
怪物と戦わず、ただ時間だけを使って生き残ることを念頭に置いているから、自分の生き方に自信が持てない。目標がないんだ。気持ちよくなれないんだ。ハイになることはあっても心の奥底が常に暗くて乾いているんだ。
だから、そういうおかしなところに、自分の人生のハリみたいなものを見出している。
あんたはどうなんだよ。
戦ってきたみたいだけど、自分がおかしくなってきている自覚とかあったりするのか。なぁ、知りたいんだ、教えてくれ。もう、何か月も生きた人間と話してないんだ。どんな話でもいいから、言葉を使いたいんだ。独り言はもうこりごりなんだ。おかしいと笑ってくれても構わないから、話そう。少しでいいからお喋りしてくれよ。
一番おかしいのは、この世界に来ちゃったことと、ここにいる怪物たちなのに、自分もここの一部になった気がしてくるんだ。
最初こそ外部だったのに、今じゃ内部になってるんだよ。あっち側から冷ややかにこっちを見ていたのに、今じゃ、こっち側からあっち側の視線を想像して喋って、自分の中に冷静な自分を作ろうとしてる。自分が狂っていることを客観視できてしまうせいで、自分のことが気持ち悪いんだ。もっと純粋なら死ねるのに。
教えてくれ、あんたはどうなんだ。俺と違って、どこがどう狂ってるんだよ。細かく教えてくれよ。
え。
狂ってない。
狂ってるところなんてない。
何を言ってるんだよ、あんた。
そんなわけないだろう。
ここに長くいて、いや短い期間だったとして、おかしくなって当然だろう。
なんだよ、おかしくなった俺がヤバいってことか。あんた、そう言いたいのか。狂ってる方がおかしいみたいな、常識人ぶった考え方を俺に押し付けてマウントとった気かよ。なんなんだよそれ、いい加減にしろよ。
あんた知ってるか。そうだ、知らないんだろう。というか見てないんだろ。だからそういうことが言えるんだ。
泣き虫なビニール傘だって、即死系の怪物じゃないから、そこまで命の危険を感じなくて済むし、だから俺を責めるんだ。他にも怪物に沢山会ってきたんだろうけど、どうせザコ怪物ばっかりだったんだろう。運が良いからそういう判断を下せるんだ。
教えてやる。
こんな怪物がいる。
できたてのナポリタン。
名前だけでも知ってるか。
いや、知らないだろう。
できたてのナポリタンは、即死系の怪物だ。見た目は熱々のナポリタンだ。別にそこに意思もないだろう。白い大きなお皿に載っていて、誰かが近づくと動き出す。
動き出すと言っても、近くを通った人間の胃袋に直接ワープするんだ。
できたてのナポリタンの温度は超高温。胃袋は焼けただれる。だが、それで終わりじゃない。ワープし終わった白い皿の上はどうなると思う。不思議なことに、そこにはまた新しいできたてのナポリタンが生まれるのさ。
そのあとは同じ。
もう既にそいつの胃袋には、できたてのナポリタンが一人前移動しているのに、そこに二皿目のできたてのナポリタンがワープをする。胃袋の中には二人前のできたてのナポリタンが詰め込まれたことになる。もちろん、空いた白い皿には、またどこからともなく新しいできたてのナポリタンが出現して、胃袋へとワープを開始する。
それが、その人間が死ぬまで永遠に行われる。
胃袋の火傷で死ぬんじゃない。体の内側に無理やりナポリタンがワープをし続けるから、胃袋が破け、肉が引きちぎれ、皮膚が破れる。体からナポリタンが漏れ出て、そうやって死んでいく。
死ぬまでおかわりを直接胃袋に届け続ける、血まみれのナポリタンさ。
趣味が悪すぎるだろう。
こんな怪物が山ほどいる。
だから俺も、いつかは死ぬのかもしれない。
元の世界に戻る方法がないわけじゃないんだ。
なあ、そうだろう。
ここに来た人間はなぜかみんな知ってる。頭にそんな記憶を植え付けられるのか、それとも本能的に分かるのかは一切不明ではあるけれども。
ルールは単純だ。
勝つこと。
ここに現れては俺たちを襲ってくる怪物たちに一度でもいいから勝つことだ。殺さなくてもいいし、殺されなくてもいいし、とにかく勝てばいい。勝つということの定義なんて不確かだし、なんとも言えないけれど、とにかく勝てば元の世界に戻れるらしい。
嘘の情報かもしれないだって。
そんなこともなさそうなのさ。
前に俺の仲間が小さくて弱そうな怪物を倒したんだが、そしたら姿が消えたんだよ。あれはたぶん、元の世界に戻れたんだろうと俺は睨んでる。
だってそうじゃなかったらずっとここにいて、死ぬまで逃げ続けなければいけないなんて、おかしいじゃないか。何かルールがあるんだろう。で、それをクリアすれば大丈夫になるんだろう。そうに決まってる。
ルールもないし、クリアもないし、抜け道もないような人生なんて誰も生きようと思わないだろ。それと同じだよ、俺たちが生きたままここに連れて来られてるってことは、生きていることで何かしらの利益があるってことのはずだ。つまり、帰ることができるかもしれないってこと。
あんたもそう思うだろ。
こんなところ、一秒でも早く出ていきたいんだ。ここにいたら、どんな形であれ血まみれになる以外の道なんかないじゃないか。このままじゃ、恐れが染み出てきて落とせないだろう。
なんでそんなこと言うのかって。いや、その。
実は、俺。
殺しちゃったんだ。ここに来て。二人。
一人は小学校低学年くらいの男のガキでさ、俺に懐いてたんだ。
ある時、しりとりの達人に会っちまってさ。
あぁ、知らないか、しりとりの達人って怪物。単純に言うと、しりとりをしなきゃいけなくなるんだけど、その達人が使ってくる技が結構いやらしくてさ。
俺、知ってたんだ。
そいつが危険な怪物だって。
条件さえ整えば、人間なんて簡単に殺すことのできる怪物だし、勝ったことのあるやつもいないって聞いてたから、逃げるべきだと思っていたんだ。
最初はな。
でもさ、しりとりだから。ただのしりとりだからさ。
俺さ、自分じゃなくて、そのガキを唆したんだ。やってみてくれよって。あいつ、俺のことを滅茶苦茶信用してくれててさ、笑顔でその達人に話しかけにいったよ。
一分もしないうちに負けてさ。
子どもの遊び道具とかで、ひらがなが描かれた積み木とかあったりするだろ。負けた瞬間、そのガキの全身がそれに代わってさ。あたり一面に転がって、その音が今でも忘れられないんだよ。
もちろん、俺は逃げたさ。達人は俺ともしりとりがやりたかったみたいで、話しかけてきたけど、あれを見てやりたいと思う人間なんか絶対にいないよ。
あいつ、苦しんで死んでないといいな。全身が積み木になって崩れたわけだから、きっと即死だろうし、そこは大丈夫だと思うんだけど。
俺がこうやって色々な話をあんたにしているのはさ。これはもう単純な話で、俺が、俺の命を諦めかけてるってことなんだ。本当だったら色々なことをやるべきなんだろう。でも、もう俺の中の勇気はなくなってしまったんだ。
俺には前に進む勇気がないんだ。
空なんだ。
誰にも勇気を注がれないように蓋まで閉めてしまった。
あんたが引き継いでくれよ、この記憶も、これからの人生も、俺の命も。急に託されてなんでこんな目に遭わなければいけないんだと思ってるかもしれないけど、頼むよ。俺には、ここで会ったあんただけが頼りなんだ。
最近、一期一会の意味がよく分かったんだ。昔は怠惰の象徴だって思ってた。絶えず新しい誰かに会い続けることに疲れたから、その一度の出会いを貴重と思うようになるんだって。
でもさ、俺はもう一期一会を感じてるんだよ。口に入れて一つ一つすり潰すくらいにまで味わってしまったんだよ。
あんた、まだ戦う気なんだろ。目が死んでないもんな。
いいことを教えてやるよ。
この先にいるのは、スーパーヘヴィ級のハト時計だ。気をつけろよ、絶対にパンチをもらうなよ。レフェリーもいないところで殴られて一度でも倒れてしまったら次はないからな。
生き残れよ。
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