【コミッション】愛は闘いの終わりに

霧江サネヒサ

愛は闘いの終わりに

 プロレスが野蛮なものとされ、禁じられてから、早数百年。しかし、禁酒法時代よろしく、プロレスは生きていた。

 とある地下の格闘技場。夜な夜な、ここでは闇プロレスの試合(ショー)が行われている。


「本日の試合は! カズ・ザ・サン対ジェット・ブレイカー!」


 リングアナウンサーの声に、大勢の観客たちの歓声が上がる。

 巨躯を持つ、眼光の鋭い男、カズ・ザ・サン。武骨な機械の両手足を持つ、マスクの男、ジェット・ブレイカー。両者がリングの内で相対する。このシングルマッチは、因縁のあるふたりの対決である。会場の者たちは、皆、息を呑んだ。

 試合開始のゴングが鳴る。旧来のプロレスとは少し違う、殺人以外何でもありのショーが始まったのだ。


「ッしゃあ!」

「やっちまえ!」

「殺せ!」


 数々の“野蛮”な声が飛び交う。

 今夜も勝つ。カズ・ザ・サンこと、カズミは心中で自分に言い聞かせた。

 ジェット・ブレイカーの、最早凶器である両腕がカズミの両腕を捕らえ、へし折ろうとしてくる。


「ふんッ!」


 カズミの腕が軋む。しかし、掴まれた両腕を持って、彼はジェット・ブレイカーを中に浮かせた。そのまま、床に叩き付ける。

 鈍い音がした。ジェット・ブレイカーは起き上がらない。レフェリーのカウントが入る。

 ノックアウトだ。幸先がいい。

 その勢いのままに、二本先取で、カズミが勝利した。ジェット・ブレイカーの右腕は、見事に破壊された。

 破壊は、気持ちがいい。非日常を手っ取り早く味わえるからだ。民衆は、いつまで経っても、そういった娯楽が大好きなのだ。

 そして、カズミも、その遊興が好きなひとりである。

 今宵の試合も、存分に楽しめた。カズミは満足して、帰路を行くことにする。


◆◆◆


 帰宅途中に、カズミは、一定の距離を保って自分を尾行している存在に気が付いた。聴覚のみによる気付きではない。殺気。それを、相手から感じ取ったのである。


「何者だ? 俺に何か用か?」


 カズミは、振り向き、背後の存在に問いかけた。


「おや、気付かれてしまいましたか。はじめまして、須藤カズミサン」


 夜道に中性的な声が響く。だが、相手の性別など重要ではない。依然として、相手は殺気を放っている。そう、それこそが重要。カズミは相手の出方を見ることにした。ただ、静かに、両手を構える。


「ワタシの殺意にも、お気付きのようですね。流石は歴戦の闘士、と言ったところでしょうか」


 パチパチパチ。拍手の音が鳴った。


「ワタシの闘いの相手に相応しい!」


 “敵”は、カズミの真横の草むらから飛び出てきて、太い首にしなやかな両腕を巻き付ける。チョークだ! いつの間にか、こんなにも接近していたのか!


「ぐぬッ!」


 細腕を引き剥がそうとするが、見かけからは信じられないくらいの力で、カズミの首は絞め上げられている。ぎりぎりと、死の音がしている。


「無駄ですよ。単純な力では、アナタはワタシには敵いません」


 敵の体は、カズミの背中に回っており、ダメージを与えることが出来ない!

 しかし、カズミには、反撃の手段が閃いていた。


「ふんッ!」


 カズミは、両足で地面を蹴る。そして、敵をビルの壁面に思い切りぶつけた!


「ぎィっ!」


 敵の腕が緩む。その一瞬の隙を突いて、カズミは強襲者を投げ飛ばした。いわゆる、一本背負いである。

 地に伏した相手は、口から笑いを漏らした。


「ふふふ。なるほど。力だけではなく、技巧もある、という訳ですね」

「もう一度訊こう。何者だ?」


 すらりとした体躯の者は、ほとんどダメージを負っていないかのように起き上がり、カズミの目を真っ直ぐ見つめながら答える。


「ワタシは、ライセゾルイ・イゾォマリス。ライとでもお呼びください。いきなり殺そうとして申し訳ありませんでした」


 ライの台詞は、淡々としていた。まるで、こんなのは自分の日常に過ぎない、とでも言うかのように。

 突然、殺しにかかってきた相手だというのに、カズミは何故か怒りや恐怖などの感情が浮かぶことはなかった。

 代わりに、ライという存在への興味が湧いた。


「俺は男だが、お前は?」

「ワタシは、無性ですよ。生殖器はありません。そういう星の生まれなのです。ワタシの母星では、樹木から人が生まれます」


 色素の薄い髪。血のように真っ赤な瞳。色白の肌。すらりと長い手足。それらが際立つピッチリとしたスーツ。ライは、美しかった。それでいて、野生の獣のような闘争心がある。それも含めて、美しいとカズミは思った。

 異星人。そのような夢物語から出てきたような存在が、目の前にいる。信じがたいことだが、ライには、それを信じさせる気迫があった。


「地球へ来た目的は?」

「ワタシの目的は、自分より強い相手を探し、これを打倒することです。数々の星を渡り歩き、ワタシは幾人もの強者を屠ってきました。我が種族は、そういうものなのです」

「つまりは、戦闘民族、というやつか」

「はい」


 ライは、にこりと微笑んだ。獣の威嚇にも似た笑みだった。


「カズミサン、お願いがあります」

「なんだ?」

「ワタシと子供を作りませんか?」

「は…………?」


 カズミは、ライと邂逅して初めて、呆気にとられる。

 何を言っているんだ? コイツは。


◆◆◆


 ボロアパートの一室で、ふたりの闘士が向かい合って座っている。妙な緊張感と共に。


「ライ」

「話しかけないでください、カズミサン」

「あ、ああ」


 ライは真剣な眼差しで、マグカップを見やっており、半ば睨むようでもある。


「えいっ」


 気合いを入れて、マグカップの中の液体を飲み下す。


「げほっ。な、なるほど。これが、お茶……」


 カズミがライに出したのは、ごく普通の緑茶である。ライは、これまで、飲食の全てをひとつの錠剤で済ませてきたのだと言う。だから、これが初めての「飲み物を飲む」という体験なのだ。


「茶菓子もあるぞ」

「なんと!」


 きんつば焼きを差し出すカズミ。


「食べるか?」

「……はい」


 ライは、恐る恐るといった様子で、カズミが楊枝で刺してきんつばを食べるのを見習い、自身も口に含む。


「粒が! 喉につまりました!」

「茶を飲め」

「んぐっ……!」


 はぁはぁと荒く呼吸をするライ。


「食べるとは、食うか食われるかの恐ろしい勝負とは聞いていましたが、なるほど…………」


 いや、普通は食べ物に食われることはない。

 カズミは、くすりと笑った。


「それで、カズミサン。先程の話の続きなのですが、ワタシと子供を作りませんか?」

「……生殖器はないんじゃなかったか?」

「ありませんよ。ワタシたちの生殖は、見込んだ相手に殺されることで成立します。つまり、アナタがワタシと命を賭けて勝負し、ワタシを殺せたら、母星の聖なる樹木に新しい命が宿るのです」


 なんとも奇怪な繁殖方法である。

 ふむ、とカズミは思案した。


「ライ、お前はいくつなんだ?」

「百二十歳です。我々の成人年齢は十五歳で、平均寿命は二百歳です」

「そうか」

「カズミサンは、おいくつですか?」

「その質問に答えるのは難しいな」


 カズミは、顎を撫で、しばし考える。


「まあ、成人済み、とだけ答えておこうか」

「そうですか。では、ワタシの星の法では問題ありませんね」

「地球の法律的にも問題はないが……」


 問題は、そこではないのだ。愛する者とするのが一般的とされる生殖行為を、出会ったばかりの異星人とするのは躊躇われる。

 普通ならば。しかし、須藤カズミは普通ではなかった。試合に殉ずる破壊を日常的に行い、それで収入を得ている身。非日常の中の日常を生きている男。それが、須藤カズミである。


「その生殖……そうだな、生殖闘争とでも言うべきか。生殖闘争の相手の種族は関係なく、子供が出来るのか?」

「はい。闘争の中で心が通い合えば、子が出来ます」

「心、ねぇ」


 曖昧だな、と思うカズミ。例えば動物と心が通うことは、本当にあるのか? 無機物性愛者は?

 心とは? 精神とは? 魂とは?

 須藤カズミには、分からなかった。

 だが、面白い。カズミは口端を吊り上げる。


「しばらく時間がほしい。俺が考えてる間、お前はここに泊まるといい」

「はい。よろしくお願いします」


 ライは、例の獣じみた笑みを浮かべた。

 それからの日々は、ライにとっては目まぐるしいもので。カズミにとっては、楽しいものだった。

 ライに色々なものを食べさせるのが楽しかった。焼き肉。米。サラダ。寿司。スナック菓子。パフェ。アイスクリーム。それらを新鮮に喜んでくれるライは、少し可愛く見えた。

 他にも、一緒に日課のトレーニングをしたり、スポーツに興じてみたりもした。

 他者とこんな風に過ごすのは、カズミにもライにも久し振りのことで、幸せな非日常を味わえた。ひとりでいることが、すっかり日常になっていたひとりと、ひとりが共にいる。ふたりで、いる。ひとつの幸福の形は、こんなにも突然にやって来るのか、とカズミは数奇な運命のようなものを感じた。

 この感情を、ライに対する感情を、愛と称するのには、さほど時間はかからなかった。

 ライと自分の“愛”が同じものである必要はない。そこのすり合わせは、いらないと思った。

 ふたりの関係には、いらないと思えた。

 本当に、幸福な日々だった。


◆◆◆


「さあ、愛し合いましょう」

「ああ」


 カズミの頭の中で、ゴングが鳴る。

 美しい晩秋の月明かりの下で、二匹の獣は殺し合いを始めた。

 ライの腹目掛けて、カズミの太い足が伸ばされる。ライは、それを両腕でガードした。


「ふふっ」

「ははは」


 笑いながら、睨みながら、ふたりは拳を交える。今夜、どちらかが死ぬというのに。ふたりは、笑う。

 殴り、蹴り。避けて、受け流す。

 愛して、愛されて。殺して、殺される。

 何時間も、そうしていた。カズミは、この時間が永遠に続いたらいいのに、と一瞬思った。そう思ってしまった一瞬の隙をライが見逃すはずもなく。細腕から繰り出される拳が、カズミの側頭部を強打する。脳が揺さぶられた。この試合に観客がいたならば、歓声が上がったことだろう。

 ライ。お前が俺を殺したら、お前は別の誰かを探しに行くのだろう。それが、もう俺には耐えられそうにない。お前を殺すのは俺だ。

 カズミは、倒れそうになりながらも、なんとか踏ん張って立ち続けた。

 しかし、大きな隙が出来る。そこで、ライはカズミの腹部に鋭い一撃を加えた。ライの拳は、カズミの腹を食い破り、背中へと突き抜ける。致命傷だ。

 勝負あり! ライは狂的な笑みを一瞬解いた。少しだけ。ほんの少しだけ、寂寥感を覚えたのだ。また、放浪の日々に戻ることが。ふたりでの日々が終わることが。ほんの少し、悲しかった。


「さよなら、ワタシを孤独にした人」


 別れの言葉は、簡素なもの。全身全霊を賭けた勝負の幕切れは、そんなもの。

 ここで、ふたりの試合はおしまい。

 そのはずだった。


「はァっ!」


 もう動けないはずのカズミの両腕が、ライの首にかけられる。


「なに!?」


 驚いているライを尻目に、カズミは、首を折ろうと力を込める。

 死を覚悟した。その刹那、見上げたカズミの顔を愛しいと思いながら、ライは絶命する。その表情は、柔らかな笑みを称えていた。


◆◆◆


 孤独な男の話をしよう。

 その男は、須藤博士。彼は、生涯を賭けて、一体のアンドロイドを作った。名前を、須藤カズミという。戦闘に特化した機械である。

 カズミは闘士として闇プロレスを盛り上げ、博士は彼のトレーナーとして、日夜研究を重ねた。

 ふたりの夢の終わりは、博士が心臓麻痺で死去したことにより訪れた。その後も、カズミは試合をし続ける。特に他にやりたいことなどなかったからだ。

 今にして思えば、博士もライも、かけ替えのない人だった。モノクロの中に咲いた、美しく色付く花だった。

 博士やライにとって、自分もそういうものだといい。カズミは思った。

 月夜の中、博士の墓を掘り返し、そこにライを埋葬するカズミ。

 腹の穴を塞いだ後、カズミは、ライに聞いていた宇宙船に乗り込み、ライの母星へ向かうように操作する。

 我が子に会いに行くという経験を、まさか自分が味わえるとは思っていなかった。そう、夢にも思ったことはなかった。

 自分が見る夢は、いつも独りで。誰かに置いて行かれるばかりで。しかし、それが寂しいとも思わなかった。

 それを変えたのが、ライだったのである。

 数奇な運命に従い、カズミは宙を行く。美しい夢を見ながら。

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