3人の旅シリーズ
@Luckywhatever
第1話:彼の歌
一日の仕事を終えて、雑多な庶民が集まる酒場。
女将の飾り気のない肴。
少々混ぜ物のしてある安い酒と、粗野な笑い声。
ここはムーンガルド。
肥沃な大地に恵まれて、中原で最も栄える豊かなガルジャンの首都である。
国境を接するラシャン、テルトと国境付近では少々のいざこざがあるものの、ここ数年は穏やかな暮らしが続いていた。
ムーンガルドはほかの地域への交通の要所ともなっていて、異国人が多く通過したり滞在したりする都市でもある。いろいろな国の商人、傭兵、軍人や吟遊詩人、ただの旅人に見せかけた間諜が町にあふれて、活気を生み出していく。
そのにぎやかな通りでは、一日の仕事を終えて、家族が待つ家に帰るものもいるし、ひとりものはこのような酒場にふらふらと引き込まれていくものも多い。
そのムーンガルドの繁華街でもひときわ賑やかな酒場に、今日はひとり、ひどく目を引く男がいた。
金髪の多い中原には珍しい、柔らかな薄茶の巻き毛。
ドレープのきいたしゃれた白のブラウスに派手な赤のベスト。ぴったりとした黒のズボンのウエストをサシェできつく結んだその男は、気軽げに酒場のテーブルに座り、手には年代物のギターを抱えている。
吟遊詩人だ。
髪と同じうすい茶色の瞳は人懐こさを浮かべて酒場を見渡すと、
「さあ、次は何の曲だい?ティルトで流行っている月姫の恋歌だって、古代王グーストの英雄譚だって、なんだって僕なら歌える。口説きたい女性がいるなら連れておいで。『愛だけがすべて』を歌ってあげる」
と陽気にはやした。
もう何曲か聴いていてこの吟遊詩人の実力を知った酔客から、あれやこれやとリクエストが上がるのを満足そうにうなずいて、
「それ、それじゃあそこの兄さんのリクエストで、月姫の恋歌からいくよ。そのあとはフィンの冒険譚と遊女ジョアンナのささやき、ああ、おやじさんのグーストだって忘れてないさ」
彼がぽつん、とギターを爪弾くと、酒場中の目が彼ひとりに注がれる。
吟遊詩人なんてこの繁華街には珍しくもない。
それこそ日替わりであちこちから吟遊詩人が訪れ、見たことのない国、目が眩むほどの美女と英雄の恋歌、身の毛のよだつ怪物と戦う英雄、そういったものを大概はギターを供にして歌って日銭を稼いでいき、町から町へ流れてゆくのだ。
町から町へ流れてゆくからこそ、吟遊詩人はたいてい屈託のない笑顔を浮かべて、人懐こく客を募る。
その方が人気が出たり、客が付きやすかったりするので、なかなかに容貌に恵まれているものが多いのも事実だ。
しかしいまこの「ルイデの酒場」で客の注目を一身に浴びている吟遊詩人はそのなかでも群を抜いた美貌だった。
そして人々の心をぎゅうと掴み、彼から目を離せなくさせる、その歌声。
あなたの窓から差し込む光が
わたしの瞳を閉ざしてしまう
わたしは月姫
銀の光を許されて
あなたの光が眩しくて
ただただ影を落とすだけ
ふっくらとした唇からこぼれだすのは、その軽薄な言動からは程遠い、甘く優しい声。
男とは思えないほど長い睫毛の奥で宝石のようにきらめく薄い茶の瞳は、目が合うだけで男でも女でも胸を高鳴らせるだろう。
旅を生業にする吟遊詩人にしては肌が透き通るほど白く、高い鼻梁が大きな丸い瞳を引き立たせる。
薄いブラウスからのぞく手首も細く、こちらも艶めかしいほど白い。
甘い声を紡ぎだすのは、うす膚を通して内側から無邪気に誘う赤い唇。
ゆっくりと長い睫毛を伏せ、再び顔を上げると、ひとりひとりと目を合わせ、まるであなただけが特別だ、と言わんばかりのほほえみを浮かべてゆく。
ここはこのあたりの顔役でもあるルイデの酒場だからそのようなことは起こらないが、もっと場末であれば、彼をどうにか・・・ともくろむものが男、女を問わず現れてもおかしくない。
「まあ、まったくいい声だね。いい男にしていい声!女が放っておかないね、ディラント!」
ほう、とため息をもらしながらルイデが感心したように言うと、
「・・・」
ディラントは否定もせず笑ってみせた。
その誇らしげな微笑みが、彼の魅力を彼自身がいちばんよく知っているのだ、と観客に知らしめる。
「きゃあ、ディラント、私のためにも一曲歌ってよ!チップは弾むわよ」
「いやだ、アミカったら・・・!若い子みたいにはしゃいじゃって・・・」
「だってこんなにきれいな歌声の詩人てなかなかいないじゃない。それにこんなにかっこいいなんて、まるで物語みたい」
その吟遊詩人、ディラントは、黄色い歓声を上げる女たちにひとつ流し目を送って、
「かわいいお姉さんたち、もうちょっと待っておくれよ。こちらの兄さんとあっちのおやじさんが待ってるからね。・・・さあ、兄さん、お待たせ。フィンの冒険譚から始めよう」
これほどの美貌の男にパチンとウインクされ、ほかの女よりも優先される、という名誉に一見強面の兄さんの顔も酒のせいだけではなく赤くなる。
古代の冒険王フィンの物語を雄々しく、時に悲哀に満ちて奏でてゆくディラントの歌は人々の心をわしづかみにしてゆく。
一通りリクエストをこなすと、ディラントは身軽にテーブルから飛び降りた。
慣れたようすでギターを背負い、
「じゃあ、ルイデ、連れが待ってるから、今日はもう行くよ。また明日も寄ってみてもいいかい?」
「ちょいとディラント!まあこの子はなんて薄情なことを言うのかね。寄ってみてよくないわけがないだろう。仕事じゃなくったって、一杯ひっかけたいんだって、絶対にこの店に来てくれなきゃいやだよ。約束だよ。明日もまた必ず来ておくれ」
「ああ、ルイデ。ルイデ母さんのそのすてきな優しさはどこから来るんだろうね。ありがとう。また必ず明日寄らせてもらうよ」
「そうしておくれ。あんたが来るとお客さんも喜ぶし、酒場が華やかになって、ほら、うちの人があんなに楽しそうにしているのは珍しいんだよ。それに何よりあたしがいちばんあんたの歌を聴きたいんだから」
ディラントはとびきりの笑顔をルイデに向けて、
「うんうん、ありがとう、ルイデ。それじゃあまた明日。みんなもよかったらまた明日僕の歌を聴きに来てくれるとうれしいな。よい夜を!」
さよなら、というように帽子を高くあげて、そのままフワフワの巻き毛にちょこんと帽子を乗せて、ディラントは店を出て行く。
彼の姿が見えなくなってからも、人々はなんとはなしに出口の方をみたまま、夢の続きを追いたがっている。
やがて止まったままの杯を持つ手に気づき、人々はようやく我に返り、それぞれの夜を続けていくのだった。
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