第51話 めでたしめでたし?

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「オーナー、ハムチーズサンドセット、アイスティーで」

「はいはーい」

「パスタランチのご注文入りましたー、きのこクリームとコーヒーで」

「りょうかーい」


 あの頭にハゲを作らされた事件から約一年が経った。

 元々は一人でこなせる程度の大きさの店だったのだが、料理も美味いし猫に癒やされると口コミで評判になり、少し遠方からやって来るお客さんなども増えて来た。

 並んで待ってもらう日も出て来たため、ひさしを作って店の外にもテーブルを置くようにしたところ、流石に一人では対応が難しくなり、アルバイトの女の子を雇うことにした。

 騎士団のケヴィンの部下であるジェシーの妹ラナで、兄妹揃って超がつくほどの猫好きだ。

 十七歳と若いが口の堅い子で秘密も守れる、とケヴィンからのお墨付きがあったし、働くからには、とナイトや私のことも説明してある。

 ラナは瞳をキラキラさせて、

「ナイトは話が出来る子なんですね……素敵!」

 と踊り出さんばかりに喜んでいた。

 仕事後に私を間に挟んで会話をしていたこともあって、今ではナイトともすっかり仲良しで、

「ナイト、オーナーに追加伝票持って行ってくれる?」

 とナイトの首輪に伝票を挟んだりする。

『トウコ、これ追加だってよ。ラナはほんと人使い荒いよなあ』

 などとブツブツ言いながらも、ナイトも結構気に入っているらしい。


 そして何故か、私のケガの後辺りからやたらとアクティブに活動し始めたジュリアンとニーナが、週に一度か十日に一度は自慢の燻製を抱えて店に現れるようになった。

 二人とも燻製作業が未だに楽しくて仕方がないそうで、父や大臣などには喜ばれているが、メイドたちには畏れ多いと遠慮されてしまい消費しきれないとのことで、せっかくだから猫たちのご飯にして欲しいと言うので遠慮なく頂くことにした。

 相手に負担を掛けない物言いが自然に出て来るあたり、やはり王族である。

 うちも働いているバイト猫たちの食事やら定期的な通院などでお金が掛かるので、陰ながら心配してくれているのかも知れない。素直に助かっているので感謝しかない。

 しかし、新聞などで名前は知られていても、カメラなどがまだないこの国では似顔絵程度でしか王族や大臣を把握していない人間は多いようだ。

「身近に仕えている人や、せいぜい視察先で会ったり、年に一度の王宮の庭園解放で顔を見た平民しか分からないでしょう。でも大体はかなり遠目からだろうし、見たと言っても髪色や服装、ぼんやりとした雰囲気しか認識してないんじゃないのかしら?」

 とニーナは笑っていた。

 それでも万が一を考えてメガネや服装などで平民っぽく偽装しているが、

「いやあ美男美女のカップルだねえ。いや、顔が似てるから兄妹かね?」

 などとお客さんから言われるぐらいで、私服警護? のケヴィンたちも含めてただの常連客という認識である。せいぜいフランクな貴族階級かも、といったところだろうか。

 まあジュリアンたちも平民と町の話題などの話をしたり、気軽に猫と戯れていたりと楽しそうなので、公務の合間の息抜きみたいなものだろうと思っている。


 ある日の休日。

 掃除を終えてお茶を楽しんでいた私のところに、ナイトが子供たちを連れてやって来た。

 そう、あれからパフは五匹の可愛い子供を産んだのだ!

 ナイトとパフに良く似たキジトラ模様と黒い子と、何故か足とお腹だけ白い部分が混ざった黒い子などみんな少しずつ違っているが、二カ月経った今ではやんちゃとか穏やかとか、性格的な違いも段々と見えて来た。ナイトは現在、子供たちに人と暮らすための礼儀を教え込んでいる、らしい。

 余りに小さな状態だと心配で仕事にも行けないからと、キャスリーンが育てる予定の子も、もう少し大きくなるまで我が家で預かっている。

 三、四日に一度ぐらいの頻度で彼女が遊びに来て、食事がてら可愛がっている状態だが、引き取られる子もキャスリーンになついているようで安心である。

「あらナイト、どうしたの? 今日は家族でのんびりするんじゃなかったの?」

『──いや、ちょっとトウコに相談したいんだけどさ』

「何よあらたまって」

 聞くと、買って欲しいものがある、とのこと。

「へえ、珍しい。何が欲しいの?」

 ナイトが騎士団で働いている給料も彼のために毎月しっかりと貯金しているし、私もお店の経営が順調で、バイトに給料を払ってもゆとりがあるような収入になっている。

 よほど高いものじゃない限りプレゼントは喜んでするつもりだった。

『あのう、ほれ、騎士団で使ってるような、会話するためのYES/NOとか、簡単な単語と絵がついてる子供用の積み木みたいなアレ』

「……ええっ?」

 私は驚いて思わず音を立てて椅子から立ち上がった。

「ま、まさか、子供たち、話せるのっ?」

 少し興奮気味にナイトに尋ねる。

 ……いや落ち着け。ナイトのように子供たちと話せたことはないじゃないか。

『いや、話せるっつうか、トウコと俺みたいに人と会話は出来ないと思う。でもこの間子供たちが俺が何で人間と話が出来るんだ、って聞かれてさ、騎士団でこういうのがあって、叩いて伝えてるんだよ、って言ったらよ、楽しそうだから僕たちも覚えたいって言うんだよ』

 マジですか。

 ちょっと期待しなかったと言えば嘘になるが、産まれた子供たちは大きくなってもナイトのように私の脳内に直接語り掛けてくるようなことはなかったし、それが当たり前だろうと思っていた。

 私とナイトは特殊な迷い人だったから。

 でも、もしかしたら、直接会話は出来なくても意思疎通が出来る?

「かかか、買って来る! 今すぐ買って来るからっ!」

 私は財布を掴むと家を飛び出した。

 興奮冷めやらず、そのままラナの住むアパートに自然と足が向いた。

 お菓子を食べながら本を読んでいたというラナに簡単に事情を説明すると、

「どどど、どうしましょう! ま、まずはおもちゃ屋に! いや、ケヴィン隊長のお母様だっていずれ飼い主になる子供たちの件だし、先に知らせておいた方がっ」

「そそ、そうよねそうよね。今日はキャスリーンおば様もお休みだったはずだし」

 二人してアワアワしながらキャスリーンの家に向かう。

「あらどうしたの二人揃って?」

 洗濯物を干していた彼女は私たちを見て笑顔を見せたが、お茶でも飲んでく? などと呑気なことを言っていた彼女も、私の話を聞いて、

「ままま、まさかそんなっ!」

 と叫び、三人で脳内お祭りモードに突入した。

 少なくとも私はゴリラのドラミング状態である。

 キャスリーンは私も一緒に買い物に行くわ! と洗濯物を片付けると、三人一緒におもちゃ屋に急ぎ、子供用の絵がついている学習用のボードにはめ込まれた板積み木を五つ買い込み、一緒に家に戻る。

『おいおい、何で買い物行って人が増えてんだよ。それに期待されてもすぐは出来ねえぜ?』

 とナイトには呆れられたが、希望があるだけで人は前向きになれるのだ。

 ただ覚えられるかどうかは正直半々であったため、私たちも冷静になり、急かさず静かに経過を待つことにした。

 一カ月ほどコソコソとやっていたナイトが、

『何とかなりそうだから、ラナとケヴィンの母ちゃん呼んでいいぞ』

 と報告して来たので、いそいそと彼女たちを休日に呼び出すことにした。

 デートのような紅潮した頬で現れた二人は、本当に心待ちにしていたんだなあと私も嬉しかった。

 

『……んじゃ、まず名前から呼んでくれるか?』

 私が通訳と進行役になった。

「じゃあ、マックス」

 白靴下模様の子がそろりと出て来てYES、の板をタッチする。

「ジジはだあれ?」

 真っ黒の大人しい子が前に出てYESの板の上にてしっと前足を乗せる。

 マリー、ウェンディー、アンドリュー、と名前を呼ばれるとみな前に出てYESの板をタッチする頃には、キャスリーンは感動して涙をハンカチで抑えていたし、ラナは鼻息が荒くなっていた。

 私も言葉に出来ない感情が押し寄せる。

「……オーナー、私も彼らに質問してもいいですか?」

 ラナはそう私に許可を取ると、くりくりした瞳で見つめる子供たちに尋ねる。

「お魚とお肉どっちのご飯が好き?」

「どのおもちゃが好き?」

 など答えやすい質問をして、魚や肉の絵を選んだり、横に置いていた猫じゃらしやボールを選ぶ子供たちに嬉々としている。

『まだ小さいから簡単なのしか覚えられないけど、成長すればもっと分かるようになると思う』

 自慢げに話すナイトに、うんうんと涙を抑えて私は頷く。

「やっぱりナイトの子供たちだねえ」

『だろう? でさ、パフも出来ないか聞いてみたんだけど、こういうの興味ないらしくてな』

 複雑で覚えられないと言われてしまったそうだ。

『まあ別に俺や子供たちと普通に会話は出来るからいいんだけどな。興味がないことを無理やりさせたくもないし。だからパフに教えようとするのは止めてくれ』

「分かった」

 あとな、とナイトは続ける。

『ケヴィンの母ちゃんのところに行く子以外はうちで育てる予定なのか?』

「え? そのつもりだけど」

『うーん。あのさ、俺もパフも子供たちは可愛いし大切なんだけどよ、猫ってのは基本、親から独り立ちして生きて行くもんだ。寂しくてもいつまでも家族で一緒ってのは良くないと思うんだよ。子供たちにもそれぞれの人生があって、色んな仲間や人と出会って欲しいし、広い世界で自由に生きて欲しい。だから、可愛がってくれる人がいれば、その人の家族にしてやって欲しいんだ。離れていたって俺たちが家族であることは変わらないし、トウコと俺たちみたいに幸せになる新しい家族と出会えるかも知れないし。……あ、パフの前の家族みたいにギャクタイするとこはなしだけどな?』

「ナイト……」

 やめろ、涙腺が崩壊するじゃないか。

 ──そうか。私が責任を持って面倒見るって考えていても、相手にとって望んでないことであれば押し付けだよね。

 いきなり目をうるうるさせた私に気づいたキャスリーンとラナが、慌てたように手を握って来た。

「どうしたのトウコ?」

「私、子供たちに何か悪いことしちゃいましたか?」

「いや、そうじゃなくて、うちのナイトがあまりにも男前なこと言うもんで……」

 私がナイトが話していた内容を伝えると、キャスリーンとラナまで目を潤ませた。

「そこらの人間の男よりよっぽどしっかりしてて、家族の在り方を認識してるじゃないの」

「子供の幸せもちゃんと考えてるんですね!」

 三人して少ししんみりしていると、妙に褒められまくったナイトは恥ずかしいのか、少し離れた場所で子供たちに向かって、

『ほらちゃんと出来て嬉しいからって飛び回るな! 掃除したとこがまた汚れるだろうが!』

 などと小言を言っていた。

「これから里子の件は私も考えないと。でも、ある程度事情を理解してくれるところでないと……」

 私がうーん、と悩んでいると、ラナが手を上げた。

「私、立候補したいです。うちのアパート、大家さんも猫飼ってるし、ペットOKですし。あ、もし結婚して引っ越すことになっても、絶対に置き去りになんてしませんから! それとケヴィンさんのいる部隊の人たちはみんな事情を知っている訳だし、そこで家族になってくれるところがないか聞いてみるのが一番ではないでしょうか?」

「ああ! そうね、その手があったわね!」

 私はパッと光が見えたような気がした。



 その後、残る三匹の行先はとんとん拍子に決まった。皆ケヴィンの部隊の隊員とその家族である。

 引き渡す際には現状を説明し、


●家族など信用できる人にしか秘密は明かさないこと、また他の人には口外しないこと

●今後もずっとこのようなコミュニケーションを取れるかどうかは不明だし、いきなり出来なくなる可能性もあるが、それを受け入れた上で育てられること

●子供が産まれた場合もまた、この子たちのように意思疎通が図れるかは分からないので、下手に期待、強要しないこと

●可能であればたまにでいいのでナイトたちに顔を見せてあげて欲しいこと

●どうしても育てられない事情があれば必ずこちらに連絡をして欲しいこと


 を伝え、快諾してもらった。

 猫を里子に出す際に子供用の積み木セットを一緒に渡すというのも変な話だが、彼らにとってはナイトで慣れてしまったのか驚きもしていない様子だ。

「まあ別に話せなくてたってナイトの子だし、利口で行儀がいいのは間違いないもんな」

「そうそう。──うち五歳の息子がいるんだけど、子猫が来るってだけで大喜びだからさ。簡単な会話が出来ても、この子すごく頭の良い猫なんだよ! とかで普通に終わりそうだわ。くっくっく」

 にこやかに子猫たちと帰って行く姿を見て、彼らなら大丈夫そうだわ、と安堵した。

 それもこれも、ナイトと騎士団の人たちとの円滑な関係性ならではである。

 パフも数日は少し寂しそうではあったが、また元気になってお店の看板娘としてお店で可愛い姿を見せている。


 一番うるさかったのは、子猫たちの話を後で聞いたジュリアンとニーナだった。

「トウコ! どうして私たちに声を掛けなかったんだ」

「そうよそうよ! 私たち友だちじゃないの!」

 店が閉まった後、食事を一緒に、といつも通り我が家(二階)にチーズやチキンの燻製などを山のように持って遊びに来た彼らは、もう子猫たちがいないことと、彼らが積み木で意思疎通が出来ることを知ってご機嫌斜めになった。

「でもですね、以前ジュリアン様は公務で忙しくて不在も多いから、と聞いていましたし、ニーナ様だっていつどこに嫁がれるか分からないじゃないですか」

 ぐぐぐ、と言葉を詰まらせる二人に私は内心で(勝った……)とほくそ笑んだ。

「……それを言われると確かに、あれだけどさ」

「兄様は離れてる時間が多くなるのも確かだものね。寂しい思いをさせてしまうわよね。まだ私は当分嫁ぐ予定はないとは言え、連れて行けるかも分からないし……」

 理性的な彼らは冷静になるのも早かった。

「──まあ今回の子猫の件は致し方ないとして、だ」

 夕食のチキンソテーとマッシュポテトを食べ終え、三人で食後のアイスラテを飲んでいる時に改まった口調でジュリアンが口を開いた。

「……?」

「そろそろ、いいんじゃないかと思っていることがあって……」

「はあ……何でしょうか?」

 私は意味もなく手を握ったり開いたりしているジュリアンを見ながら、相槌を打ちながらアイスラテを飲んで次の言葉を待つ。

「今すぐでなくて構わないのだが、私と結婚してくれないかトウコ?」

「ごふっっっ」

 思わずむせながらも咄嗟に真正面の二人を避けて横にラテを吹き出したら、そこで寝転んでいたナイトに全部掛かってしまった。

『おいトウコ、いきなり何すんだよ! ちょっと前に毛づくろい終わったばっかだぞ!』

「ごほごほっ、ご、ごめん」

 少しの間、気管に変に入ってしまって咳が止まらず、涙目になりながらナイトに謝る。

「……し、失礼しました。いきなりジュリアン様がたちの悪い冗談を言うので驚いてしまって」

 床を掃除し、ナイトには後でお風呂で洗ってあげるからと宥めてからジュリアンにも謝罪した。

「いや、冗談ではないのだが」

「嫌だわトウコ、私の兄様が冗談とか言えないタイプなの知ってるでしょう?」

 ニーナもにっこりと笑みを見せる。冗談でなければもっと怖いじゃないか。

「……私、平民ですけど?」

「うん。それなんだけどね。数年以内に法改正をして、婚姻の際に身分の上下などに影響されないようにすべきだ、という話になっているんだ。主に力を入れているのは私だけど」

 きっかけになったのは昨年の貴族の子息による王族襲撃事件らしい。あの当事者たちの家は取りつぶしになって首謀者は牢屋へ、家族親族は国外追放となったそうだが、それでも軽い措置らしい。

 まあ王族を襲うなんて通常は極刑騒ぎだと思うが、首謀者の父親自体は国に忠節を尽くしており、領民からも好かれていた名君だったそうで、かなりの温情があったのだと言う。名君でも子供の育て方は上手く行かないものなのねえ。何だか可哀想だわ。

「あの騒ぎでね、『爵位がある貴族でも、平民ですら持っている品位や倫理観が欠けている人間もいる』と言うのを父上も実感出来たようでね。愛する者同士で爵位だ何だってのにこだわって結婚出来ないのもおかしな話だ、という方向に考えを変えたようなんだ。まあ勿論政略結婚てのは無くならないだろうし、貴族同士ってのもゼロにはならないだろうけどね。法で縛ることはなかろうと」

「最後は人間性よねえやっぱり。私も王族として政略で嫁ぐのは仕方ないにしても、せめてまともな価値観の男性と添い遂げたいもの」

 なるほどなあ、と聞いていて、肝心の問題が何一つ解決していないことに気づく。

「それは分かりました。分かりましたけど、何故それとジュリアン様が私に突然プロポーズすることに繋がるのですか?」

「──え? まさか……気づいてなかったのか? こんなにマメに通って来て、明確なアプローチをしていたのに?」

 愕然としているジュリアンの肩を叩き、ニーナが呆れたと言った顔をして苦笑した。

「もう兄様ったら。トウコには思いは伝わっているはずだ、とか言うから私はてっきり……ごめんなさいねトウコ。兄様の独りよがりだったみたい」

「ええと……まさかジュリアン様が私を好きだった、ということ、なんでしょうか?」

「好きだった、と過去形で言わないでくれ。今も大好きだし愛してるんだ!」

 私は顔に一気に熱が集まったような気がして恥ずかしさに顔を伏せるが、ふと告白なんてされてないぞ、と我に返った。

「あの私、告白された記憶が一切ないんですが……」

「そ、それはっ、態度でしっかり伝わっているものとっ」

「前までの無言時代のクセで、言葉で伝えるという労力を怠ってたのは兄様じゃないの。──私からもバカな兄を詫びるわ。でも好きなのは本当なのよ。そこだけは分かって上げてくれるかしら?」

 表情こそ豊かになって、会話も流暢になったジュリアンだったが、そういう部分は進歩してなかったのか。完璧な男性だと思っていたけど、抜けているところもあるんだ。

 そう思うと少しおかしくなって、私も力が抜けて本音を言えた。

「──お気持ちは嬉しいですし、私もジュリアン様のことは好きです。でも、軌道に乗ったお店も辞めたくないし、ナイトやパフとこれからも一緒に暮らして行きたいんです。全てを諦めてジュリアン様と結婚して公務をするとか、ちょっと思い切れないと言いますか……」

「いや、店を辞めろとも言わないし、何なら公務ない時にはこっちで仕事していても構わない。ナイトやパフとだって離れる必要はないし、私はただ家族になりたいんだ、トウコやナイトたちと」

 いやいや、ジュリアンはそう言っても、次期王妃が猫カフェ経営してるとか普通におかしいでしょ。

 少し冷静になってもらおうと口を開きかけたところで、ニーナが、

「それはね……大丈夫だと思うの私も」

 と呟いた。最後の理性の要まで私の背後から狙撃してくるのか。

「ニーナ様、本気じゃないですよね?」

「いいえ至って本気。貴族だってみんな裕福な訳じゃないし、領地経営以外にも裏でお店を出してたりは意外とあるのよ? みんな表立って騒ぐこともないし」

「それにしたって王族ですよ?」

「私たちだって、お店の方で食事しようが世間話しようが、誰一人としてもしかして王女様ですか? とか王子様ですか? なんて言われたことないわよ。次期王妃なんて誰にも分かりゃしないわよ。平気平気」

「そうそう」

「そうそう、じゃないですよジュリアン様まで! 私は礼儀作法も何にも知らないただの迷い人なんですよ? 正気に戻って下さい」

「至って正気。トウコだってメイドとして王宮に来ていたじゃないか。そんな畏まった人たちばかりじゃないのだって知ってるだろう? 現に父上だってスモークチーズくわえながら大臣たちと寝間着姿で呑気にお酒飲んでたりしてるし」

「どうしてもバレたくなければ盛ればいいのよ盛れば。女なんてメイクで別人になるんだから。今はナチュラルメイクぐらいしかしてないんだし、ドレスとか着てパーティーとかに出席したり来賓に挨拶する時だけしっかりメイクしたら、普段のトウコと同一人物なんて思わないでしょ」

「二人して無茶苦茶いいますね。……どちらにしても即答できる話じゃないですから。ひとまず今夜はお帰り下さい」

 何とか私を懐柔しようとする二人を追い返し、どっと疲れが出て座り込んだ。

『なあ、何で断るんだよ。トウコだって王子様のこと好きだって言ってたじゃん』

 ぺたっとした毛のナイトが不思議そうに私を覗き込んだ。

「ああ、ナイトもお風呂に入らないとね。……あのねえ、いくら好きだからって、簡単に嬉しいです、はいそうですか、って結婚出来る人じゃないんだってば」

『難しいんだなあ、王族って』

 ジュリアンの気持ちを聞けたのは嬉しい。飛び上がるほど嬉しい。

 だけど私の環境の変化だってあり、嬉しいからって投げ出せるほど責任感がない訳じゃない。

 嬉しいのと困ったのと、でも嬉しいのと。

 お風呂にお湯をために向かいながら、私はどうすればいいのかとため息をついていた。


◇  ◇  ◇


 後年、コンウェイ王国のジュリアン王子殿下が結婚式を挙げた。

 妃は東の国のやんごとなき姫君だの高位の貴族のご令嬢などと言われたが、詳細は定かではない。

 ただ艶やかな長い黒髪と、涼し気な切れ長の目をした楚々とした美しい女性であった。

 彼女の傍には、国から連れて来たという蝶ネクタイとリボンを首に巻いた二匹の猫がおり、まるで花嫁の両親のように両側に寄り添う可愛らしい姿に、皆が歓声を上げていた。

 ジュリアン王子殿下はトウコ妃殿下を何年もかけて必死に口説き落としたとのことで、記者が秘訣を尋ねたところ、端正な顔に笑みを浮かべ、

「彼女に言わせると、私は図々しいんだそうだよ。だからずっと図々しく彼女が根負けして結婚してくれるまで諦めなかったのさ」

 とユーモアたっぷりな冗談で記者たちを笑わせていた。

 美男美女の次期国王と妃殿下の誕生だ。

 彼は若さに似合わず国王陛下譲りの温和な人柄と卓越した手腕で、国民のための法改正や働き方改革などにも力を入れている。

 コンウェイ王国の未来はこれからも安泰と言えるだろう。




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巻き込まれ女子と笑わない王子様 来栖もよもよ @moyozou777

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