第2世代の決断

@baltbolt

第2世代の決断

 地球から光年単位で離れた宇宙基地で、自分がたったひとりの生き残りになってしまったと知った時のアネットの悲しみは他人には想像することも難しい。

 このとき、アネットはまだ17歳の女の子だったのだ。


 アネットが両親とともに地球を旅立った時点では、アネットたちを載せた宇宙船が唯一の超次元航行船だったのだ。だが、その宇宙船も宇宙基地を襲った隕石雨の被害で修理不能な状態まで破壊されていた。


 つまり、アネットはもう地球に戻ることは出来ない。かろうじて機能を保っている宇宙基地の区画の中で、たった一人で生きて行くしかないのだ。


 地球に戻りたい。

 彼女はそう望んだ。


 一応救助信号を出すことは出来る。

 だが、救助信号が地球に届くのに4年以上かかる。

 宇宙のスケールの前では光の速さですら悠長。

 そして、もう超次元航行船を持たない地球から救助が来るのは――契約上、無人の救助船が来ることにはなっているのだが――150年は後のことになるだろう。

 その無人救助船が到達すればたぶん超次元航行船の修理は可能になるが、150年後にアネットは生きてはいない。


 アネットはこれらのことを理解した。

 理解したが、どうしても諦めることは出来なかった。

 地球に帰るという夢を。


 不可能だと理解しつつも、諦めきれずに。

 なにか役に立つものがないかと、基地のまだ機能を保っている装置をチェックしていくうち、アネットは一つの望みを見出した。


 この基地には、人間のクローンを作り出す装置が残っていたのだ。

 作られたクローンに、クローン元の人間の記憶を転送する機能もある。


 ならば――今生きているアネットは地球に帰れないかもしれないが、アネットの遺伝子、アネットの記憶を持つ、クローンを作れば。

 いや、そのクローンが生きているうちにも救助は間に合わないかもしれないが、そのクローンがまたクローンを作れば。

 そのリレーを繰り返していけば、いつか、アネットの遺伝子とアネットの記憶を持つ人物、つまりアネットが地球に帰ることはできる。


 アネットは、そこに希望を見出した。

 そんなところにしか、希望を持てなかったと言えるかもしれない。

 ともあれ、その時からそれがアネットの人生の全てになった。

 アネットは計画を開始した。

 まずは、救助信号を送信するところから。そして……。


 1年後、クローン装置は、その鋼の筐体の中の生体ユニット部分からアネットと同じ遺伝子を持つ新生児を生み出した。


 アネットは震える手でその赤子を抱き上げた。

「よろしくね、二代目のセカンドアネット。私は一代目のファーストアネットよ」


 そして、それから6年の月日が経った。


「ねえ、お母さんファースト、大事なお話って何?」

 セカンドがファーストに尋ねる。

「よく聞いて、セカンド。今日は、あなたの中にある私の記憶を、有効化するの」

「わたしの中にある……記憶?」

「そうよ」

 24歳になったアネット――第1世代の――は、母親の眼差しでセカンドを見つめる。

「あなたはクローン技術で生まれた子。その頭の中には、私の記憶がコピーされているの」


「でも、わたし」第2世代のアネットは6歳児らしいあどけない仕草で首を傾げる。

お母さんファーストの記憶、持ってないと思う……」


「ええ、それは有効化されてないからよ。今から有効化をするの。そうすれば、あなたは私の記憶を自分の記憶のように思い出せるようになるわ」


「有効化って、なにをするの? 痛い?」

「何も痛くないわ、たぶんね。特別なヘルメットを被って、暗示を受けるだけよ」

「……ほんとう? ……でも、なんか怖いかも……」

「大丈夫よ。終わったら、お菓子食べましょうね」


「お菓子!」

 セカンドの目の色が変わった。

 隕石雨で基地の大半が破壊されたとき、菓子類を製造する施設も修復不能なまでに破壊されていた。だからこの宇宙基地にあるお菓子は決して補充されることがない、貴重品だった。

「だったらわたしがんばる! ねえ、だからお菓子倉庫の一番奥の扉、その奥にあるやつ、食べていい?」

「お菓子倉庫の一番奥……ああ、セカンド、それはだめなの。あれはお菓子じゃないのよ」

「お菓子じゃないの?」

「ええ。それに、あれはフォースのために取ってあるのよ」

「フォース?」

「セカンド、あなたがいつか作るクローンがサード、そしてサードがいつか作るクローンがフォースよ」

「ふうん……よくわかんない」

「さあ、はじめましょう。このヘルメットを被って、目をつぶってリラックスすればいいのよ」


 セカンドはファーストの言うようにし、ファーストの記憶を取り戻した。


「お母さん!」

 セカンドは悲鳴のような声を出した。

「頭の中が大変なの! すごくたくさんのものが溢れてる!」

「大丈夫よ、セカンド」

 ファーストはセカンドの手を優しく取った。

「落ち着いて、何か一つの記憶に集中してみて。私が小さい頃、遊んだ森の風景、思い出せる?」


「森の、風景……?」

 セカンドは自分の心に集中する。すると、一面の緑のイメージが脳裏に浮かんだ。

「すごい! 地面が緑色で……上を見上げても、緑色がいっぱいある! 空が青くて……ねえ、この緑のやつって、酸素生成機の中にあるのと一緒?」

「そうね、その緑色は植物よ。自然の植物。酸素生成機の中に入ってるのは、酸素生成に特化した植物よ」

「そうなんだ、これが、地球の風景なんだ……」

「ねえ、こんどは、海の風景を思い出せる?」

 ファーストはセカンドに優しく語りかけ、時間をかけて記憶の整理をさせていった。


 それから56年の月日が経った。


 80歳になったファーストは自分の命が終わろうとしているのを感じていた。

「ファースト……死なないで」

 死の床につくファーストの横には62歳になったセカンドがいた。ファーストの手を取り、固く握りしめている。

「セカンド、あなたはもう子供じゃないのに、無理なことは言わないで。人は死ぬときには死ぬのよ」

「わたしを一人にしないで」

「あなたが一人になるのは、そんなに長い時間じゃないのよ」

 ファーストはセカンドの手を優しく握り返す。

「私が死んだら、すぐにあなたのクローンを作りなさい。サードを。そしてその子をあなたが育てるの。大事な任務よ」

「任務なんか……わたしは、あなたにいてほしいのに」

「任務は大事よ。それによって、わたしは――わたしたちは――地球に帰るのだから」

 やがてファーストは意識を失い、眠るように息を引き取った。


 ファーストが死んだことによるセカンドの悲しみは大きかった。

 セカンドは三日三晩泣き続けた。

 そして四日目になって、セカンドはある決断をした。


「ごめんなさい、ファースト」

「わたし、あなたのいいつけを破ります」

「計画はもう実行しないことにしたの」


 セカンドはうつろな表情で、基地の地下倉庫に向かっていた。


「サードは作らないわ」

「だって、サードは何のために生きるのかしら?」

「ファースト、あなたの計画では、救助船が来る時に生きているのはフォース、一人だけ」


 セカンドは壁の端末に暗証番号をいれて、兵器庫の扉を開いた。


「わたしのことはいいの。わたしは、ファースト、あなたの愛に包まれて幸せだった」

「でも、サードは可哀想よ。サードはたぶん20歳にもならないうちに、わたしと死に別れて」

「それから何十年も一人で生きて、フォースを作って、フォースを育てて」

「そして救助が来る前に、寿命で死んでしまう」

「可哀想よ」


 セカンドは武器が収納されている棚から、手榴弾を取り出した。


「だからね、そんな可哀想な子は、わたし、作らない」

「この計画で地球に行けるのは、フォース一人だけ、サードでも、わたしセカンドでもなく」

「そしてあなたは自分をごまかしていたようだけど、ファースト、あなたでもないのよ」


 セカンドは自殺のために、手榴弾のピンを引き抜こうとして、一つの気がかりを思い出した。


「お菓子倉庫の一番奥……あの扉の向こうには、何がしまってあったのかしら」


 セカンドはそこに向かった。


「これは……何?」


 お菓子倉庫の最奥に格納されていたのは、きれいなガラス瓶に入った液体だった。

 セカンドはラベルを確認する。


「アルコール飲料……!? 存在していたの……」


 あの隕石雨の襲来の日、酒造工場と酒類の保管庫がともに破壊されたため、アルコール飲料はほぼ完全に失われていたのだ。

 唯一残った1本をファーストは大事に保管していたのだ。

 救助が来た日に、祝杯を上げるために。

 ……祝杯を上げるのは、実際にはファーストではなくフォースだが。


「ごめんなさい、ファースト、フォース。私がいただくわ」


 セカンドは部屋にその飲料を持ち帰り、しげしげと眺めた。

「真夜中、という商品名のお酒なのね。美味しそう」

 グラスにそそぎ、静かに口をつける。


「不思議な味……」

 お酒を味わい、ほろ酔い気分になったセカンドは、最後に何か言う言葉があるかどうか、考えた。

「サード、フォース、この世に生んであげられなくてごめんね」

 セカンドは手榴弾のピンを引き抜いた。

 もう何も、言うべきことはないはずだった。


 けれども、手榴弾が爆発する寸前、一度だけ。

 無意識にセカンドは呟いていた。

お母さんファースト

 そして手榴弾は爆発した。


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